十四話 まおうさまと おふろ
しこたま怒られた私は少し涙目だった。
エルフは人間の十倍の寿命である。つまり単純計算でミューディは30代ということになる。それにおばあちゃんなんて言ったものだから、まあ、怒るよね。
ならおばあちゃんっぽい喋り方しなきゃいいのに。
とはいえ、本気で怒っているわけではないようで、どこかじゃれ合うようなものを感じていた。
お父さんとおば……ミューディは夕食の時からお酒を飲んでいた。このまま長くなりそうだと判断したお母さんは――一番風呂を客に譲らないのは無礼だと謝ったうえで――私とお姉ちゃんを連れてお風呂に向かった。
ミューディは特に気にしたそぶりもなく、「湯冷めしないようにしっかりと温まってきな」とだけ返していた。
「ふふふ、確かにアリシアが言った通り、先生とお父さんは親子みたいなものだから。水入らずにしてあげないと」
脱衣場で服をたたみながらお母さんが言う。
お姉ちゃんのワンピースだ。
お姉ちゃんはいつも脱ぎ散らかしていってしまうので、大変だとよくお母さんはぼやいている。
一方私はちゃんと畳んでいる。まあ、ミューディに褒められるとおり賢いからね。
時々もたもたしているからとお母さんがやってしまうけれど。
衣服と下着を洗濯かごに突っ込むと、私とお母さんはお風呂へ向かう。お姉ちゃんはとっくに一人で体を洗っていた。一応擁護しておくと、子供じみた一番乗りのためではない。
浴槽は大人一人と子供二人が入っても余裕がある大きさだが、洗い場は別だ。流石に三人一緒に洗うほどの幅はない。一人が先行しているのは効率的である。
お姉ちゃんの、よく日焼けした手足と、ワンピースに保護され真っ白なままの肌のコントラストが眩しい。すらりとした体は、数年もすれば益々お母さんに似て美しい女性になるのだろう。でも、今はまだ無邪気な少女のまま。
体を洗い終わったお姉ちゃんは湯船に飛び込んだ。……案の定お母さんに叱られる。
そうして、洗い場を交代する。私とお母さんの番だ。
いつも私はお母さんに体を洗ってもらっている。あまり恥ずかしさはない。
赤ん坊のころの記憶があるため、どうにも家族には羞恥心が湧かないのだ。なにせ、排泄の面倒まで見てもらったのだから……。
お姉ちゃんはたびたびお父さんに「久々にお風呂に入らないか?」と言われ、「絶対にいや!」と返している。私も、いつかそうなるのだろうか?
――想像もできない。
思案しているうちに、頭に植物の油が塗りたくられていた。
汚れを取るための薬らしい。
魔法ではだめなのかと聞いたことがあるが、そういうものではないらしい。でも、確かに頭をくしくししてもらうのはとても心地良い。
少し時間をおいて上からお湯で洗い流される。このとき目に入るととても滲みるので、ぎゅっと瞑っておく。
頭の次は体だ。石鹸をつけると、糸で編んだ体を拭く用の布で擦る。肌が赤くならない程度の強さで優しく擦っていくと、全身が泡だらけになってしまった。
なんとなく、お母さんに背中からもたれかかる。
「どうしたの?」
「えへへ~、なんでもないよ」
柔らかい双丘に押し返されながら、後ろを向き微笑む。
「もう、甘えん坊なんだから」
お母さんも困った風に笑うと、お湯をかけて泡をすべて流した。
――意識していなかったが私は甘えん坊なんだろうか?
私より小さい子にあったことがないので、基準がわからない。
◆
「ん~」
湯船につかるとつい声が漏れる。
全身をお湯に包まれる感触は――沸かし立てなので少し熱いぐらいだが――気持ちいい。
このお風呂は結構深いので、私が入るときは中に専用の木の椅子を敷くか、お母さんに抱っこしてもらっている。そうでないと息が出来ない。お姉ちゃんぐらいの身長になると問題ないのだが。
今回は後者である。
三人並んでも問題ない湯船となると、必然的に水の量も多くなってしまうのだが、我が家に関しては問題ない。魔法の使い手が三人もいるからだ。
普通ならば水汲みをして火を起こす必要がある。しかし、水の魔法で水を注いで火の魔法で温めればそれで終わりだ。魔術によるものなので温度調節も簡単。
ほかの家も同様で、この村の魔法使いのいる家庭は例外なく風呂がある。
少数ながら存在する、魔法使いのいない家はどうしているのかというと、村の中心にある公共入浴場を使う。村の魔法使いが持ち回り制で担当していて、利用者は担当者へと贈り物をするのがマナーとなっている。
家の風呂とは比べ物にならないほど広いらしく、いつか行ってみたいとは思っていた。
――風呂という概念も、生まれ変わって初めて知ったものだな。
魔王として数千年生きてきて、どれだけ物を知らなかったのか。温かさで蕩けそうになっている頭で考える。
……キリがない気がするな。
「そういえば、アンナはどうなったのかしら」
お母さんが口を開いた。
そういえば、ミューディの応対もあって報告をしていなかった。
「アンナさんどうかしたの?」
お姉ちゃんの問いかけに、お母さんは説明してあげた。
「ほわぁ~、そんなことになってたんだぁ。も~、あたしも教えてほしかった!」
「で、どうだった?」
二人とも目を輝かせている。
他人の恋愛とはそんなに興味深いものなのだろうか。
私はダロスの告白を空で復唱して見せた。
あのぐらいなら一度で丸暗記できる。
言い終わると、お姉ちゃんは頬を真っ赤にしていた。湯あたりではないだろう。
「ん~、あたしもそのぐらい誰かに好きになってもらいたいなあ」
そういうものなのだろうか。
まあ、お姉ちゃんには心当たりはあるけどね。認めるかどうかは別として。
「ふふふ、貴女たちもそうして生まれてきたのよ」
一方お母さんは余裕の表情。
私から見ても仲睦まじい二人だ。先駆者は違う。
「まあ、明日には結果がわかると思うよ」
「アンナさんすっごく綺麗になったもん! 絶対大丈夫だよ!」
「綺麗になったというか、戻ったというか……。そもそも殆ど両想いなのだけれどね」
こうして夜は更けていった。
◆
妻と娘たちが風呂へ向かうのを見送って、俺はミューディに向き直った。
「それで、本当は何の用事で来たんだ?」
「さっき言っただろう? 弟子の顔を――」
「あんたがそんな殊勝なタマか?」
ミューディを遮り、俺は告げる。
彼女はやれやれと肩をすくめ
「おばあちゃんってのも悪くなかったんだがねえ」
と言った。
「それは、……すまん」
つい謝ると、破顔して
「はは、冗談さね」
と答える。
だがそれは一瞬だった。
真顔に戻り
「――王都で竜石が盗まれた」
「っ――!」
竜石――確か、竜族の体内にある魔石だったか。
非常に純度が高く、宝石としての価値も高い。なにより強大なのは秘められた魔力で、ドラゴンのそれが詰まっているのだ。本来ならば魔石は見つけ次第砕くのが定石であるが、美しさによりそれを免れる貴重な一種だ。
確か王都のある貴族の邸宅で厳重に管理されているはずだったが。
「どうして、それを俺に?」
王族が式典の際に身に着けることもあるという。盗賊が――警備を潜り抜けられるのであれば――狙うのはおかしくないはずだ。
「どうもきな臭くってね。まあ忠告さ。あんたたちを狙う連中もいなくはないんだよ。エイベル・バートランドの名前は良くも悪くも有名だから」
そしてミューディは自分のコートを指さし
「こいつはシャドーウルフの皮で作ったのさ。どこで狩ったと思う?」
「さあ……」
「この村に向かう途中の森さ」
馬鹿な。
闇の性質を強く持つシャドーウルフは、近辺に生息しているはずのない魔物のはずだった。
彼女は、俺の顔が変わるのを満足げに見た後、
「あんたたちの子が悲しむ姿、この婆に見せるんじゃないよ」
とだけ告げた。
「ノリノリじゃねえか、ババア」
と苦し紛れに返すと、顔に杯が飛んできた。