十話 まおうさま ぐちられる
さて、それから一週間が経過し、私に仕事が一つできた。
家畜の検診である。
話を持ち出してきたのはお父さんとお母さん。どうやら、天恵を活かせる仕事を見つけてきてくれたらしい。
同行しているのは、かつて私の産婆だったアンナだ。
今までは彼女が定期的に家畜の検診を行っていた。本業は人間相手の癒し手となる彼女だが、この村はあまり怪我人が出ない。魔物と相対しているはずの狩人たちも基本的に無傷で帰ってくるのだ。
そうなると病人や幼い子供の怪我の治療ということになる。しかし、それも余り多くはなく殆どが暇だ。そのため、家畜の健康管理を行っていたというわけで。物言わぬ動物は治癒魔術で診断するしかないのだ。
しかし、今度は別の問題が浮上する。一匹一匹に治癒魔法をかけて検診するのは、あまりにも非効率である。魔力量の問題もあり、まず一日では終わらない。そこで私に白羽の矢が立ったというわけだ。
普段、生き物の肉体は魔力が巡っている。だが不調があれば話は別である。巡りは急速に悪くなり、原因となる一点で滞ってしまうのだ。
余談だが、治癒魔法による健康診断はこれが関係している。体内に別の魔力を巡らせ、詰まった点で反応するのだ。
私の【魔力視】を使えば、治癒魔法を使うことなく一目見るだけで判別が可能となる。両親の提案を受けて以降、村はずれの家畜小屋を回るのが私の日課となった。
「今日も問題ありませんよ、アンナさん」
私はコカトリスの羽を撫でながら言った。
コカトリスは気持ちよさそうに「コケっ!」と鳴いただけで大人しくしている。
コカトリスは魔物の一種で、見た目だけならば巨大な人間界の鶏である。一回りや二回りというレベルではなく、具体的にいえば子供が乗っても問題ないサイズだ。
……このデカ鶏、気性が荒く、凶暴性から、かつての魔王軍では突撃役として飼育されていた記憶がある。特筆すべきは魔眼。魔力の籠った視線は、目に映るものを石へと変えてしまうのだという。
残念ながら魔力の強いものには通用しないため、上位者相手ではあまり役に立たなかったのだが。
とはいえ、コカトリスが暴れだせばこの村は壊滅的な打撃を受けるだろう。
それだけではない。脚力も強靭で、本気になれば私のような子供はひしゃげて潰れることになるだろう。
しかし、何故かこの村では家畜として扱われている。
ヒトによる家畜化が行われたのだろうか。
ずいぶん人間族も進歩したものである。
実際大人しく、羽毛をもふもふしていても全く怒らない。卵は親同様に巨大で、中々濃厚な味わいである。
飼育小屋には、他にも牛や羊などの動物が同居していた。彼らは乳や羊毛目的で飼われている。基本的にこの村の家畜は食肉目的ではないのだ。
育てて屠殺するほどの余裕はこの村にない。
肉は狩りで獲るものである。
コカトリスは小屋の主のようで、歩くたび少し怯えられている気がする。もしかして優しいのはヒト相手だけなのだろうか。もしくは、主として威厳を示すことが重要なのかもしれない。同種(?)である普通の鶏は、羨望の眼差しで見上げているようだが。
ちなみに魔物と動物の違いはただ一つ。体内に魔石があるかどうかだけだ。これは魔族と人間族の関係も同じ。
魔界の生物が魔石を中心として魔力を貯めこむのに対し、人間界の生物は全身に分散させている。
私には何故この違いが産まれたのかはわからない。
が、2000年経た今でも変わりはないようである。
――コカトリスと普通の鶏が交わって子供を作ればどうなるんだ?
などと、どうでもいい方向に発想が飛躍していく。
外見上の年齢に似合わない、少し下世話な想像である。そういえば卵を産むのだからこいつは雌なのか。
「そろそろ、帰りましょうか」
私が動物たちと戯れるのに一息ついたところでアンナが提案した。
確かに、すでに検診は終了している。これ以上待たせても悪いと思い、私は同意する。
「はい」
巨大鶏から離れ、別れを告げるとアンナの後を追う。名残惜しげに「ココケッ!」と鳴くのが少し愛おしかった。つい手を振る。
厩舎から出たところで
「動物に触った後は手を洗った方がいいですよ」
と促され、アンナに【洗浄】の魔法を使ってもらった。
「貴女はコカトリスを怖がらないのですね」
ぼそりとアンナが呟いた。
「ええ。目を見れば優しい子だってわかりました」
嘘である。
かつて魔王だったからこそ、相手の力量はわかる。今の私は非常に脆弱だ。魔眼で見つめられれば石像に、蹴り飛ばされれば壁の花となるだろう。
最初の方は出来るだけ刺激しないよう、おっかなびっくりだった。
……舐められないよう表には出さなかったが。
野生相手に怯んでしまえば終わりである。弱みを見せぬよう――それでいて過度の刺激はしないように――虚勢でも強く出なければならない。
「私は駄目ですね」
アンナは続ける。
「子供と動物が苦手で……理屈が通じないのが怖いのかもしれません」
……子供相手に愚痴ることではないと思うが。
「何か嫌なことでもあったんですか?」
つい聞いてしまった。
足は止めない。とぼとぼと歩いていく。
「別に。何も。ただ、私は意気地がないなって」
ため息ひとつ。
暗い。なんで私が約十倍も年の離れた女の愚痴を聞かねばならないんだろう。お母さんと同じ年だったはずだから26かそんなものか?
が、なんとなくで話を拾ってしまったのは私である。
聞きに徹するのが礼儀というものだろう。
「気になる人がいるんです」
「はぁ」
◆
おおよそこんな話だった。
つい三か月ほど前、村のダロス――芋の天恵の男である――に告白されたらしい。つい「何を?」と聞き返してしまったが、どうやら求婚を前提としたお付き合いとか。
そういえば数か月前と比べ、随分アンナはやつれた気がする。もしかして心労が原因なのだろうか。
と思っていると、アンナは答えてくれた。
求愛された途端、なんだか自分の身体がとてもだらしなく思えてきてダイエットに励んでしまったらしい。
「セシリアに言われたときは何とも思わなかったのに、ふととても気にかかるなんて不思議ですね」
とアンナは自嘲するような笑みを浮かべていた。
芋の人、ダロスは実直かつ情熱的な人物で、アンナから見ても好感のもてる人物だとか。
「ならとっとと結婚でも何でもしろよ」という意味の台詞を出来る限り穏便にして伝えてみた。
すると一つだけ不安なことがあるのだという。
ダロスは最初の一月はとても熱烈なアプローチを繰り返していた。しかし、それ以降は殆ど顔を見せなくなったのだ。
諦められたんじゃないんですかね。なんてぶっちゃけてしまった場合、どうなるか容易に想像がつく。
「当人に聞いてみるしかないと思いますが」
とりあえずお茶を濁すと
「居留守を使ってまで顔すら合わせてくれないんです。居るのはわかってるのに」
とのこと。
私がなんと答えればいいか迷っていると
「私、三歳の子に何を話しているんでしょうね……」
ようやく我に返ったのか、アンナ。
「なんだか、アリシアちゃんと話していると子供相手って気がしなくて……変ですね?」
彼女のはにかむ姿もどこか元気がない。
「今のお話、誰にも内緒にしてくださいね」
「はい」
そろそろ家につくころだ。私はアンナと別れた。
家に入ると私は
「お母さん。今日こんなことがあったの」
早々に全部ぶちまけた。