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『暇ですね…』
『そうだな』
『ジョンさん、グラスの持ち方はこうです、はい』
『いや、そもそもアフロに刺さってる状態で持ってないですよねそれ』
暇だ、それは宣伝もしないで建設ラッシュのこの街で店が始まったことなど知る者は少ないだろう、とはいえ夕方まで一人も客が来ないとはな…
エスも野暮用があるといって今日は顔を出さないらしいし。
『外装もまだまだですし営業中の看板だけでは逆に妖しいと感じるのではないでしょうか、はい』
『焦りは禁物、帰りを待つ家族のように、こういう気持ちも大事です、はい』
飲食店経営のベテランの話しだが…気合を入れていた為か拍子抜けしてしまうな…
ジョンは一生懸命掃除をやっている、朝から床磨きも7回目位か、私とハッカもグラスが磨り減るのではないかと思うほど磨きこんだものだ…
店の入り口が激しく音を立てて開かれる。
『いらっしゃいませ、サウザンドハッカへようこそ』
反応できたのはボブ1人、さすがに経験者は違う。
事前に、慣れていない私と、ジョンはカウンターの中で待機し接客を実際に見て覚える方がいいでしょうと言われている。ジョンもカウンターの中に入ってくる。
『ぼろい建物だけどやってんのか、酒をくれなんでもいいくあら』
『では、当店のお勧めをお持ちしますです、はい』
『はやくしろよ、よいがさめてぃまう』
最初の客が若いよぱっらいとはな…それにしても店に入っていきなり悪態をつくとは宿をやっていたときなら問答無用で叩きだすところだ…
今は、私個人の感情で動く時ではない、我慢するとしよう。
『ぼろい店にしてはいい酒だすじゃんか、食い物を適当にもってこい』
『ただいまお持ちしますです、はい』
………私はこの業界向いてないのかもしれん………
『ボレロさん、あの若いの食い逃げしますよたぶん…』
ジョンはそう言うと静かに掃除道具を片付けながら裏手から出て行った。
そしてジョンの予想通りその時は訪れた、
ボブに注文を出して下がったところで入り口に走り出す酔っ払いは足をもつれさせながらも入り口から飛び出す、暫らくしてジョンが大きな声で喚き散らす男を捕まえて戻ってくる。
営業中の看板をしまい、縄で縛った酔っ払いと一緒に5人でテーブルに着く…
『初めての客が酔っ払いでさらに食い逃げとはな、ジョンが気づかなければ逃がすところだったな』
『たまたま、感があたっただけですよ』
『どうしましょうかね、はい』
捕まった男は無言で項垂れている…何気なくハッカに視線が集まる。
『最初のお客さんだからゆるしてあげるのはダメかな…』
うぅん。さすがにそれはな…ボブ、ジョンも困り顔だ。
『お前、どこから来たんだ、家族はいるのか』
ジョンが口火を切る。
『南の方にある村からきました…両親と弟が2人と妹が3人います…』
『そうか。ボブさんアルコールの無い飲み物をお願いできますか』
『私達も夕飯食べましょう。ね、お爺ちゃん』
『ん、そうだな。こうしていてもしょうがない』
テーブルをを5人で囲みながら男の話しを聞きながら食事を食べる、同情すべき点も確かにある…武義君が開発しているこの区域で働いている者たちは不当に使われていることは無いだろう、この店を造っている者達とも良く話をするがどのように働く者を管理しているか、その扱いについても決まりごとがあるようだ。
しかし、区画ごとの情報は表に現れ難い。利益を重視し何も知らない者をこき使う区画も少なからずあるようだ…
酔いが醒めるにつれ、若い男は涙を流し、残してきた家族、そして我々に対して申し訳ないと大声で泣き続けた…
『うるさぁぁぃい』
私の一声で店の中が静まる…男の大声はそれはそれは大きかったので私が怒鳴るのも仕方がないと思う………ハッカの視線が痛いが…
『コホン、若い者が大きな声で泣くものではないぞ』
『ボレロさん、誰もが強くいれる訳じゃない。こいつの事は俺に任せてもらえないでしょうか』
『ジョン、どうするつもりだ』
『こいつと話して一緒に保安部に行こうかと思ってます』
『お爺ちゃん、ジョンさんにお任せしよう』『それがいいですね、はい』
『ハッカとボブがそういうなら好きにするがいい』
『『ありがとうございます』』ジョンと若い男は声を揃えて頭を下げた…まるで私だけが悪者ではないか。悪者ならばそれでもいいか…
『運がよかったな。こんなお人好しばかりの店に入って。その汚い面は二度と見せるなよ』
『お爺ちゃん、酷いよ』
『お前達がおかしいのだ。ジョンとっとと連れて行け』
『ボブ、何をやっている』
『あまり物でお弁当でもと思ってですね、はい』
声を押し殺してボブから弁当を受け取る男はジョンと一緒に出口に向かって歩いていく…その背中に声をかける。
『私のような年からでも新しい事はできる。今すべき事は泣き叫ぶことではないはずだ…よくよく考えることだ』
静かに頭を下げ、彼は歩き出した…
その日、ハッカは私にとても冷たかった…
店を出て、鼻を啜る若い男に声をかける。
『そういえば名前も聞いてなかったな。俺はジョンだ』
『トリオ…』
『トリオ、うちの店以外で食い逃げしてないだろうな』
『実は、屋台で1ケ所…』
『そうか、どこだ案内してくれ』
武義君の区画のとなりにある中央よりの区画にその屋台はあった。
トリオを見つけた店主らしきおっさんは包丁片手に飛び出してきて「この食い逃げやろうがのこのこ戻ってきやがって」と手の刃物を振り回しながら興奮している。他の客も店主の剣幕に引き気味だ…
トリオは完全にビビッて小刻みに震えている。
『店主、他のお客が引いてるぜ』
俺の言葉に少しテンションを落とす店主を見ながら、すかさずトリオの頭を無理やり地面まで下げさせる。
『この馬鹿、しっかり声出してあやまらねぇか。いつもの無駄な大声はどうした、あぁ』
ドスの聞いた声で周辺全部を威嚇するように声を荒げる。
『すいませんでした。すいませんでした』
トリオの大きな声が響き渡る。いきなり始まった大声に一番驚いたのは相手の店主。
『わかった、わかったから。こっちは払うもん払ってくれればもういいから他の客の迷惑だからやめてくれ』
『こいつ、悪い奴じゃないんだが酒が入ると気が大きくなっちまって、あんたが気のいい人でよかったよ。いくらだい』
店主の言い値を俺が支払い、他の客に迷惑料代わりに一杯奢って、トリオをつれてその場を離れる。
『もう、他はないだろうな』
『はい…』
『じゃあ行け、もうやけ起こして悪いことすんじゃねーぞ。俺だってそんなに余裕あるほうじゃないからな。元気でやれよ』
『待って下さい、保安部に行くんじゃ…それにさっきのところの金…』
『うちの店の分はオーナーがいいって言ってただろう。さっきのところは払った。食い逃げしたやつはいない。うちの店の初めての客…ではないか…まあ、いいや頑張れよ。ボレロさんが言ってたろう。顔キレイにして金持って食いに来いって。じゃあな』
その日から店には客が増えていくことになる。今の時点では誰も知らない。




