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一話

貴方は知っているだろうか。

私が、貴方以外何も見えないことを。

貴方は気付いているだろうか。

私が、彼女と貴方の間で、激しく葛藤していることを。





「ねえ(みこと)ちゃん、ちゃんと聞いてるの?」

 私、鴻上(こうがみ)(みこと)は、毎日放課後にファミレスに寄っては、幼馴染である三代(みしろ)美郷(みさと)の惚気話を聞かされている。もう大半は聞き流しているが、今日の私は本当に上の空だった。

 私は恋愛には興味がない。異性が気になることはあるが、付き合うことを考えると興醒めだ。一目ぼれなんて最もあり得ない。愚かだわ。よく知りもしない人を好きになるなんて。

「それでね、まーくんったら何て言ったと思う?」

「何て言ったの?」

「君をお嫁さんにもらえる人はとっても幸せなんだろうな、だって!もう私嬉しくて!」

 よくもまあ将来なんて軽々と発言できるものね、なんて思いを押し殺して、よかったねと言って美郷の頭を撫でる。美郷のことを軽くあしらっているが、私は美郷のことを嫌っている訳ではない。幼馴染として、大切に思っている。


 山も色づき始めた十月十六日。

 昨日、珍しく夜更かしをしてしまったせいか、太陽の光がひどく眩しい。ゾンビのように歩く私とは対照的に、美郷はハミングしながらリズミカルに足を進める。

 眠い。眠すぎる。

 ふらふらとしながらもなんとか校門のすぐそばまで着いたとき、木枯らしがびゅうと吹いた。両手でスカートの裾を押さえ、私は立ち止まる。小さな竜巻が赤や黄の落ち葉を巻き上げたその先に、彼がいた。

 彼は数人の生徒の中心にいて、笑顔に華やかな雰囲気があった。しかしなぜだろう。彼には切なさを感じる。輪の中心であるが故の孤独?いや、それとは違った何か…などと思考を巡らせていると、隣を歩いていた美郷が笑顔で走り出す。

「まーくん!」

 その後、美郷は振り返って私に何かを言っていたが、私には聞こえていなかった。彼を中心として、私の世界が、ありとあらゆる、私が知る以上の色彩で艶めき始める感覚に襲われていた。




「ねえ明日(あす)()、私って惚れっぽいのかな。」

 私は昼休み、ふと友人の明日実に質問を投げかけた。明日実は訳が分からないといった顔をする。

「アンタ…、熱でもあるの…?アンタがそんなこと言うなんて…。」

 明日実は、友人の中でも一番の私の理解者だ。そう、そうなのよ。一目惚れ否定派の私がそんなこと言うなんて、嵐の前兆のようなものよね。でも、今は明日実の意見は参考にならない。私を知り過ぎている。そう思って、私は他の人の意見も聞いてみることにした。

 次は、自称 クラス一の恋愛番長である(その)()に同じ質問をしてみる。

「恋?恋なのね?任せて!私がどうにでもしてやるわ!」

 この子は話を聞いてなかったのだろうか。まあいいか。美郷に彼のことを聞くより、探ってもらう方がいいかもしれない。そう思って、園華に情報収取を依頼した。


 園華曰く、彼の名は菊池(きくち)(まさ)(たか)。クラスの中心的存在で、素行も良く、学校ではサッカー部の部活動に打ち込む。成績も優秀で、気取った態度もなく、開放的な性格から、嫌う者はいないと言う。そして美郷の彼氏。

 美郷の、彼氏。


 彼は美郷のことをすごく大事にしているらしい。それは疑いようもない事実なのだろう。

 園華から情報をもらった後、一人悶々としていると、

「でもさ、フリーの子ならまだしも、幼馴染の彼氏を好きになるなんて、いくら美人で有名な命ちゃんでも許されることじゃないんじゃない?」

 と、下品に園華が笑う。

「…バカ言わないで。そんなんじゃないから。」


園華は私のことを知らないから、私が寄り付く男、目につく男を食い散らかしていると思っているんだろう。実際学園でそのような噂があると聞いている。まあ、そんなことはどうでもいい。


 菊池君、か…。恋心とかそんなのはひとまずなしにして、彼には興味ある、かも。


 奇遇にも彼は私と同じ特進クラスで、授業で一緒になることがあった。

「菊池君、だよね?初めまして…と言うのは少しおかしいけど。鴻上命よ。三代美郷の幼馴染。」

 私は彼に声をかける。彼も、納得したような顔で、

「君が美郷の言う、ミコト、だったのか。初めまして。いつも美郷が君のことばかり話すんだ。」

「そうなのね。私といるときは菊池君の話ばかりよ。」

 私たちは軽く談笑して、いつも通り授業を受けていた。私は彼より後ろの席に座っていた。いつもは真面目に先生の話を聞き、きちんと板書もしているが、今日の私は授業中ずっと、ぼんやり彼のことを見ていた。


 背筋はピンとしていて、すごく姿勢がいい。先生の顔や、黒板を見つめるその瞳は、涼やかで、それでいて熱を帯びている。すらっとしていながらも、しっかりとした指が紡ぐ文字は、いかにも男子学生といった風に力強い。時折、右手で頭を掻き、上腕や前腕で、滑らかに筋が隆起する。


 あの眼で私を見つめたら…、あの腕で私を抱きしめたら…。


 私の意図しない考えが頭をよぎり、一人で恥ずかしくなる。

 私今、顔真っ赤だ…。今のは私じゃない、私じゃない…!




 私たちは同じ授業のとき、よく話すようになっていた。私から話しかけることもあれば、彼から声をかけてくれることもある。彼のことを少しずつ知っていくたび、私は彼に夢中になっていった。美郷に対する罪悪感を募らせながら…。




 やばい、寝坊した。

 最近色々考え込んでしまって夜更かしが続いたせいだ…。

 私はそう思いながら通学路を走っていた。肺に入る空気が冷たくて、気管が痛い。脇腹を押さえながらも、なんとか教室に辿りついた私は、椅子に座って息を整える。久々に全力疾走したせいか、何だかむせてしまう。

「どうしたの鴻上さん。」

 私の前に人影が現れて、不意に声をかけられる。この、私の心を歓喜で締め付ける、低いながらも澄み切った声…。彼だ。

 私は何もないような顔をして、何?と答える。

「むせ込んでいたようだけど、大丈夫?」

と言いながら右手をこちらに対して伸ばす。私は反射的にびくっとして目を瞑った。彼の手が私の左耳の上で髪に触れる。私の髪を少し持ち上げる彼の指から、さらさらと零れる髪。その間から光がきらりと輝く。

「っ…!」

 私らしくない声が出てしまう。彼は胸の前で両手を挙げて、

「落ち葉ついてた。」

 とほほ笑んだ。


 びっくりした、急に髪を触るなんて…。心臓の鼓動がうるさい…。

 彼が、やましい想いなしに、こんなことをやってのけるんだから…。

 

「…あ、ありがと…。」


 もう…。ときめいてる場合じゃないのに…。


 しっかりとした、男性の指なのに。力強い文字を生み出す指なのに、とても繊細で、とても優しい…。

 嗚呼…私、彼が本当に好きなんだ。大好きなんだ…。



 

 私は自分の中の恋心をどうしようもなく自覚した。頭ではダメだと分かっているのに、心が言うことを聞いてくれない。

 可愛いと思われたい…。自覚してしまった恋心は、彼に可愛いと思ってもらいたいという想いを急速に膨らませた。

 いつもはクールビューティーを意識しているが、やはりふんわりとした印象の方がいいのだろうか。


「命ちゃん今日のメイクすっごく可愛い!」

 いち早くメイクの変化に気付いたのは美郷だった。まじまじと私の顔を見つめながら彼女が言う。

「命ちゃんはね、クールで大人っぽいのもかっこよくて素敵だけど、私はやっぱり可愛い系がいいと思うな~。」

 美郷は素直だ。とても純粋。私が彼に可愛いと思われたくてしてることにも気付かないで私を褒める。

「ねえねえ!金曜日に買い物行こうよ!私が服、選んであげる!ね、いいでしょ?」

「しょうがないなー。付き合ってあげる。」

「わーい!命ちゃんとデートだ!」

 服装を揃えるなら化粧品も選んでもらおう。そう思って私は、

「ねえ美郷、明日実も誘っていい?」

 と提案した。

「あ、いいね!私も明日実ちゃんに化粧品のこと聞こうかなー。」

 金曜日が待ちきれないねと、私たちは笑いあった。




「で、どういうのが欲しいの?いつものクール系と可愛い系でしょ?」

 明日実はそれなら、と商品を探し始める。

「あ、あのね明日実ちゃん!今日は私を大人っぽくしてほしいの…!」

 美郷は少し頬を染めながら言う。その後、美郷は明日実のすぐそばまで駆け寄って何かを伝えていた。




「今日は楽しかったね!ね、命ちゃん!」

 美郷はすごくテンションが高い様子で私を見つめる。どうやら、有意義な買い物ができたようだ。私も普段買わないようなスカートやワンピース、パステルカラーのコスメを買うことができた。彼に私服を見てもらう機会はないかもしれないが、普段の私が、その時々の私を形作る…と思う。


 貴方は知っているだろうか。

 私が、貴方ばかり見ていることを。

 貴方は気付いているだろうか。

 私の、この想いを。


「まーくん、気づいてくれるかな?まーくんのこと、のう…さつ…?できるかな?」

 物思いに耽っている間に、美郷は色々と話しかけていたのだろう。それまで上の空だった私を現実に引き戻したのは、彼の名前…。

 

 心がズキリと痛む。そう、浮かれていたけれど、彼は美郷の彼氏なのだ。私の恋は叶わない。

 それでも、それでも彼のそばで…。そう願ってしまう。

 胸が苦しい。彼のことをいっそ嫌いになってしまいたい。

 …もうやめよう、考えるのは。


「ねえ美郷。菊池君のこと、好き?」

「うん!大好き!でも、命ちゃんがそんなこと聞くなんて、珍しいね?」

 ううん、何でもないと答え、再び歩き出す。美郷を裏切ることなんてできない。美郷は、私の、大事な…。

「変なの。」

 美郷はそう呟いて私の後をついてくる。

「命ちゃん。好きな人いるんでしょ?」

 私はハッとした。美郷がこんな神妙な顔をしたことがあっただろうか。気付かれていたんだ…。


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…。


「…ちゃん!命ちゃん!どうしたの?命ちゃん!」

 美郷が心配そうに私を見上げていた。

 しっかりしなきゃ。気を遠のかせて、逃げちゃダメだ。私は、向き合わなくちゃならない。

「どうしたの?具合、悪かったの?ごめん、私全然気づかなくて…。」

 美郷が私の正面に来て、頭を下げる。

「あのね、命ちゃん、あんまり人を好きにならないでしょ?だからね、私ね…。」

 今にも零れ落ちそうなほどの涙を抱えて、美郷は言葉を紡ぎ出す。

 

 美郷…、こんなにも私のことを、想ってくれているんだ…。

「ごめんね美郷。何でもない。」

 私は泣きそうなのを堪えながら、笑顔を作る。

「大丈夫、大丈夫だから泣かないで、美郷…。」

 とうとう涙が溢れ出してしまった美郷をなだめていると、自然とこちらの涙が退いてくる。


 私は、美郷が幸せになってくれればいい。

 美郷が、幸せになってくれれば、それで…。




「おはよう、鴻上さん。今日、小テストあるらしいよ。前の奴らから聞いたんだ。」

「お、おはよう…。そう、なんだ…。お互い、頑張らなきゃね…。」


 彼の顔が見れない…。今の私、すごく感じ悪い…。


 彼が不思議そうにしている中、私はたまらなくなって自分の席に逃げるようにして座った。彼は美郷の彼氏なんだと心の中で繰り返す。好きになってはいけない、好きになってはいけないと、もう手遅れの心の説得を試みる。そんな私を、授業開始のチャイムが現実へと引き戻してくれた。


「最悪。小テスト意味分かんなかった。」

 売店で買ったサラダパンを食べながら、私は明日実に話しかける。

「へえ、アンタでもそんなことあんのね。雹でも降るのかしら。」

 明日実は私をなんだと思っているんだと思っていると、

「ねえ命…。なんで相談してくれないの…?アンタ、それで隠してるつもり?」

 と、明日実が急に真剣な顔つきで言う。

「アンタ最近おかしいよ。こないだの買い物のときもそうだけど、もっとそこじゃないとこ。…アンタ、美郷の彼氏が好…。」

 私は明日実の口を押える。知られてはいけない。たとえ明日実にも。

「…明日実。今日帰り、時間ある?」

 明日実はゆっくり頷いた。

 公園に立ち寄りブランコに腰かける。明日実も何も言わずに、隣のブランコに腰を下ろした。


「別に私、菊池君のこと、好きじゃないよ。」

「…うん。」

「だって美郷の彼氏だよ?」

「…うん。」

「あり得ないよ。そんなこと。」

「…うん。」

「あり得ない…。」

「…ほん、と…。あり得ない、から…。あり得、ないんだからぁ…。」


 ダムが決壊して水が溢れ出すように、もう止められない涙…。私がこんなことで、こんなに弱くなるなんて知らなかった。子供みたいに泣きじゃくるなんて、知らなかった。こんな私、知りたくなかった。

 その日、訳も分からず泣く私を、明日実は何も言わずに手を握っていてくれた。家まで、連れて帰ってくれた。

「命。私は別にアンタを責めない。…味方にもなれないけど、それでもアンタの敵には、ならないから。」

 別れ際、明日実はそう言って去って行った。多分明日実は、はじめから気付いていたんだろう。私が彼を好きになっていたことを。


 明日実は優しいな。こんな私を、拒絶しないでいてくれる。

 今日はすぐに寝よう。明日からはいつもの私。そう信じて寝よう。




 美郷の家の前で、私は深呼吸する。変わらない日常、その中で変わらない私。そう唱えて呼び鈴を鳴らす。バタバタと家の中から聞こえたと思ったら、扉が勢いよく開いて美郷が飛び出してくる。

「ごめんね命ちゃん!待った?」

 …ひどい格好だ。

「大丈夫、待ってないよ。おいで、寝ぐせ直してあげる。」

 そう言って私はブレザーのポケットから櫛を取り出して、美郷の後ろから髪をとく。

「すっごい寝ぐせ。どうやったらこんな寝ぐせつくのよ。」

 笑いを堪えきれなくなって、私は笑い出す。

「もう…。命ちゃんのイジワル…。」

 と美郷は頬を膨らませた後、二人で向かい合って共に笑った。


 人を好きになることはいけないことじゃない。好きになってしまった人がたまたま幼馴染の彼氏だっただけ。

 そして、恋は全て成就するものじゃない。


 私はまた、前に歩きだせそうだ。私の世界は艶めきを失くし、以前の私が見ていた、私の知る色彩で再び彩られた。


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