プロローグ
世は戦国時代。
人は天下を求め、人を斬り、人を欺き、人を人と思わぬ所行を繰り返す悪の時代。
そんな中、ひとつの散りそうな命が鬱そうとした森の中を駆けていた。
「ハァッ・・・ハァッ・・・」
足を引きずりそれでも己の身体に鞭を打ち、まだ俺は走れるはずだと言い聞かせ、それでも痛む全身を奮い立たせ、ひたすらに走る男が一人。名を、宗五郎と言った。
「はやく村の者に伝えなくては・・・!」
そう一人ごちると、止まりかけていた足を進める。見ているだけでつらそうにと声をかけたくなる様子であったが、ここには人っ子一人とおらぬ。
なぜここまで宗五郎が急いでいるのか。それはこの世では見慣れた光景となった戦が原因であった。
宗五郎は、その世に名を馳せたとある武将のお抱えのお抱えの下っ端の下っ端、つまり武将様とはなんら接点もない、末端の雇われ農民兵であった。
であるからして、武将様の家紋を背負い戦にかり出されはするが、そうした戦がないときは普通に農民として米や雑穀を納めるただの人であった。
宗五郎の住む農村は、今でいう東京の少し上に存在する、けれども地図だなんてものはまだおおざっぱにしか存在しない時代、名も知れているわけでもなく、ひっそりと存在していたのである。
農村の男衆のほとんどが宗五郎と同じような下っ端の雇われ兵をしている者ばかりで、その者たちの中では宗五郎は年若い方であった。
そうして戦と畑とを行き来する中、宗五郎にまた収集がかかったのである。
「おうい、宗五郎。また戦かい?」
裏の家に住む咲が戦支度に身を包んだ宗五郎に声をかける。
「うちのもんが言っていたよ、前の宗五郎がまた戦にでるってねえ。これ、おむすび。持ってお行き」
「咲さん。ありがとうございます」
「いいってことよ、あんたには面倒見てくれる嫁さんがまだいないからねえ」
「はは・・・」
宗五郎が苦笑いを返すと、咲はがははと豪快に笑って畑へと戻っていった。
しかし、と宗五郎は思う。いつもならばまとまった人数で招集されるのに、今回は俺一人とはどうしたわけか。
なにかへまでもしただろうか、と首をひねるがとんと検討がつかぬ。しかしこうして考えているばかりでは時が過ぎてしまうだけなので、そろそろ向かうか、と宗五郎は待ち合わせの場所へと急いだ。
「おや・・・誰もおらぬではないか」
宗五郎が待ち合わせの下流にある橋に到着したのは半刻ほどたった頃であった。
「早すぎたのであろうか・・・」
見ると太陽は山に隠れてしまいそうな位置にある。夕暮れ色から濃紺へと色を変えていく空を見ながら宗五郎はこれはなにかおかしいぞ、と思い始めていた。
その時橋の向こうから話し声と複数の気配がする。宗五郎が特に考えたわけでもなく、橋の横にある草むらに飛び込んだのは何か予感したからであろうか。
「宗五郎はまだのようだ」
「よいよい、その方が都合がよい」
そうわやわやと話す男たちは、宗五郎の姿が見えないとなると、宗五郎が驚くような話をし始めた。
「しかし奴らも気の毒なことだ、篠原様の命により村ごと亡き者にされるなど」
「仕方ない、これも奴らが篠原様の名を汚したせいよ」
「そうだそうだ」
篠原様、というのは宗五郎たち村の男衆が戦にかり出されるときに、武将様の家来から命令を聞きそれを伝えてくださる村の近くに住む大地主様のことである。宗五郎にとっては武将様よりも近しい存在である。
その篠原様がなんだって?!と、宗五郎は前のめりになって話を聞く。
「なんでも宗五郎の村の、なんという名だったか、・・・そうそう、喜一とかいう者が、篠原様のとるはずだった敵の首をとったらしくてな、大層ご立腹だとか」
「それだけで、敵に寝返った村として武将様に報告され、滅ぼされるなど、哀れな事よ」
「仕方ないさ、ここでは武将様より篠原様の方が恐ろしい」
たったそれだけのことで、と宗五郎が聞き耳をたてていると、夢中になっていたせいか、がさりと草むらを揺らしてしまった。はっと気がつく男たち。宗五郎も慌てて立ち上がり、逃げる準備をするが遅かった。
「宗五郎!貴様、隠れて聞き耳をたてていたのか!」
「こうなったら仕方がない、遅かれ早かれ死ぬ運命だったのだ!やってしまえ!」
口々にそういうと、男たちは宗五郎に向かってきたのである。いくら宗五郎が貧相とはいえ鎧のようなものを着ていても、市古どもが寄って集って何十人も武器を持って襲ってきてはひとたまりもない。怪我を負ったが、生きて逃げられただけありがたい。
「はやく、はやく村の者に知らせなくては・・・!」
こうして宗五郎が村へ急ぐ理由がわかっていただけたであろうか。
痛むを引きずりながら、ぽつりぽつりと降ってきた雨の中、宗五郎はただひたすらに走っていたのである。
そのとき。
ごろごろごろごろ・・・
近くで雷様の鳴る音がした。方角からして村のほうだ。それと同時に、雨足が強くなってきた。宗五郎にとっては嬉しくない雨である。
雷様の音はだんだんと強くなって宗五郎の足を止める。
ごろごろごろごろ・・・
「くそ!このように雨が強くては前に進めないではないか!」
すでに傷ついた身体は足を一歩踏み出すこともままならないほど疲れ切っていて、さきほどからほとんど進んではいないのだが、雨のせいにしたくなるのは宗五郎ではなくても人の考えることであろうか。
やがて雷様は宗五郎の真上ほどまで来ていた。
時折ぴかりと光っては、宗五郎を絶望の淵へとたたき落とす。己がこうしている間にも、村は滅ぼされているのかもしれないのだ。雷様が真上にこようとも、進まなければならぬ。
その時であった。
ごろごろごろ、ぴしゃーん!!!
無慈悲な雷様はその光る指先を、宗五郎に突き刺したのだ。まともに雷様を食らった宗五郎は、不思議と痛みを感じない身体をゆっくりと地面へと差し出した。
なぜだか、地面はふかふかと柔らかかった。




