希望は鳥のむれのように
テオは明け方の空を見上げていた。
真っ白な鳥のむれが、まっすぐ東の方角へ飛んでいく。地上にいるテオなどには目もくれない。顔を見せたばかりの若い太陽の光を受けて、鳥たちのつばさはきらきらと銀色に輝いた。羽が一枚、ひらひらと落ちてきたが、風にのってどこかへ消えていった。
ここ何か月か、テオはその鳥たちを追い続けている。鳥のむれは、毎朝西の方角から現れ、昇る太陽目指して飛び去っていく。そして、夕方には、沈む太陽を追いかけて西へと帰っていくのである。
昼間鳥たちが何をしているのか、テオは知らない。分かっているのは、鳥が毎日二度、彼の家がある大平原を通りすぎていくことだけ。
テオはその鳥がほしかった。白く美しい羽を自分だけの宝物に、肉は家族と食べる夕食に、骨は友だちと遊ぶ道具にしたい。もし彼がまだ幼い子どもであったなら、鳥をとってと父にせがむだけでよかっただろう。けれど、テオはこの夏でもう十二歳になった。ほしいものは自分で手に入れたい。それが、一人前の開拓者となれる第一歩となるのだから。
夕方、テオは父の鉄砲を持って、家を出ようとした。母がそれを見とがめる。
「どこにいくの? テオ」
「鳥をしとめにいくんだ!」
テオが勇んでそう言うと、母は顔をしかめた。
「もうすぐ日が暮れるのよ。今日はやめておいたら? 狩りなら昼間に父さんと行けばいいじゃない」
ああ、母さんは何も分かっていない。
「いつも、この時間しか現れない鳥なんだよ」
早くしないと、鳥が来てしまう。テオはその場でじだんだをふんだ。
「でも、近ごろ外は危ないわ。ほら、例の__」
母は、扉に貼った一枚の似顔絵をを指さした。描かれているのは、先住民の男だ。人相の悪い男は、きつい目でテオたちをにらみつけている。
「“凶悪なクアナ”が、うろついているというからね」
テオは笑った。このごろ、指名手配中の男が目撃されたという噂が、平原に住む者たちの間で広まっていた。けれど、テオはそんなに恐れてはいない。平原は見晴らしがよく、怪しい奴がやってきたらすぐに分かる。それに、何と言っても、彼の手には鉄砲があるのだ。
「そんな遠くにはいかないよ。家の前で鳥をうつだけさ」
「西の方にもいかないね? 先住民の言い伝えがあるだろう」
「母さんは、先住民の迷信を信じているの?」
面倒くさくなったテオは、「行ってきます!」とさけび、会話を終わらせた。
空は半分オレンジ色、もう半分が紫色である。東の空に、鳥のむれが小さく見えた。間に合ったのだ。テオはほっとして、鉄砲に弾をこめた。一発勝負だ。父の火薬を、無駄にしたくはない。
鉄砲を空に向けて構え、引き金に指をかけた。そうする間に鳥たちはテオの頭上にさしかかる。
今だ!
すさまじい音と共に鉄砲が火をふき、むれは乱れた。そして、一羽の小ぶりな鳥が、落ちてくる。
「やった!」
テオは喜び、鳥を受け止めようと地上で待った。けれど鳥は地面に落ちる前に羽ばたきを取り戻し、むれの元へ帰っていった。むれはまたまとまって、何事もなかったように飛んでいく。
その様子をながめていたテオは、おもむろに鳥を追って駆けだした。母の忠告はちらりとも頭をよぎらなかった。あの鳥の、変な飛び方。弾が当たったのは間違いない。いずれ、力尽きて落ちてくるはずだ。テオはそれを手に入れればいい。
願ったものが、ついに手に入る。期待に胸をふくらませ、薄暗い原野を走り抜けた。
むれを追うのはかんたんだった。羽や、血が点々と散っている。けれど、太陽がすっかり沈んでしまうまで追いかけても、たしかにしとめたはずの鳥は、どこにも落ちていなかった。
「こうなったら、がまんくらべだ」
テオは訳知り顔でつぶやいた。狩りはがまんくらべ__父がそう教えてくれた。
父は立派な開拓者であり、農場主であり、狩人である。鉄砲一つで、このあたりをうろついていた先住民たちをたちまち追い払い、毎日新鮮な肉を家族のために持ち帰ってくる。家や畑だって、すべて自分の力で作った。大人になったら父のように、まだ見ぬ土地を切り拓きたい。それがテオの夢である。
ところで、テオはどのくらい走ってきたのだろうか? 気づけば、真っ黒な空に星が出ていた。ランプを持ってこなかったことを後悔する。どんなに星がたくさん出ていても、昼間のようには地面を照らしてくれない。
もう、家に帰るべきなのかもしれない。テオは、足を止め、振り返った。足元も見えないような暗闇の中では、鳥がいたとしても見つけられない。“凶悪なクアナ”が近くにいるといううわさも、今になって気にかかる。
けれど、狩人としての意地が、テオを引き止めた。朝になってまた来るのでは、おそいかもしれない。誰かに鳥を拾われてしまったら? 盗人や、ヒョウや、クーガーに。鳥をうち落としたのは、このテオなのに。
テオは、ふたたびとぼとぼと西の方角へ歩きだした。
どこからともなく、音がする。
たくさんの人間が、手を叩いているような音だ。先住民たちがひそんでいるのかもしれない。思わずぞっとして、テオはあたりを見回した。何も見えない。家がどちらにあるのかすらも分からなかった。
ぱぱぱん。ぱん。ぱぱん。ぱぱぱん。ぱん。ぱぱん。
手を叩く音の聞こえる方角へ、テオは足を向けた。十歩もいかないうちに、足下の地面がなくなった。さけんでも、もうおそい。
鳴りやまない手拍子の中、テオはまっさかさまに落ちていった。
気がついた時、テオはやわらかな草をしきつめた上に寝かされていた。真っ暗で、何も見えない。
起き上がろうとすると、全身がにぶく痛む。思わず、口からうめき声がもれた。
「目を覚ましたか」
すぐ近くで、聞き慣れない男の落ち着いた声がした。
「だれ? 父さん?」
だれかがふっと笑った。
「おれはお前の父親ではない」
ごそごそと音がする。
「待っていろ、明かりをともしてやるから」
シュッとマッチをこする音がして、小さな火がともった。星よりもはかないその光に照らし出されたのは、よく日に焼けた肌の、先住民の男だった。
今まで一度も会ったことはないが、テオはその男の顔をよく知っていた。家で、父に連れられた町の店で、学校で、どこでも彼の似顔絵が貼られていたから。
「お前は……“凶悪なクアナ”!!」
男はくちびるをかみ、うなずいた。
「いかにも。おれはクアナだ」
テオは痛みをこらえ、クアナからできる限り離れようとした。彼の悪い評判は、平原の誰もが知っている。開拓者への憎悪を燃やすこの男は、何人も罪のない人々を殺し、開拓者の家をめちゃくちゃに壊したらしい。
「それ以上僕に近づくな! うつぞ!」
「何をうつというのだ」
言われてはじめて、鉄砲が手元にないことに気がついた。どこかになくしてしまったのだろうか。父にしかられる心配と、おたずね者を前に丸腰である恐怖がテオを包んだ。
おもむろに、クアナがテオに向かって手を伸ばした。
「な、何をする気だ!」
「ケガの具合をみるだけだ」
クアナはおどろくほどすばやくテオの腕をつかんで引きよせ、体のあちこちを押していった。テオが特に痛がったところを念入りに調べ、骨は折れていないと告げた。それから、体中にすり傷ができていたので、薬をぬってくれた。
「よかったな、かすり傷ぐらいですんで」
テオはクアナの手を振り払い、にらみつけた。
「ここは、あんたたち先住民のすみかなのか?」
クアナはゆっくりと首を振る。
「ここにおれの仲間たちはいない」
「あ、そう」
少しほっとする。一対一なら、なんとか逃げることができるかもしれない。そしてもしできるなら、戦うことも。
「お前の名は?」
「テオ」
「どうして、ここにやってきた? ここは子どもが来るような場所ではないぞ」
「来たくって来たわけじゃない。鳥を追いかけてたんだ」
「鳥?」
テオが白い鳥のむれのことを話すと、クアナは眉をひそめた。
「その鳥のことなら、おれたちもよく知っている。だが、狩ろうなどと思ったことはない」
「どうして?」
「不吉な谷から来た者だからだ」
クアナは、自分たちが座っている場所を手で示した。
「おれたちは今、深い谷の途中に生えた大木の上にいる。そしてこの下には、恐ろしい魔物が住む谷底がある」
テオは身を乗り出し、下をのぞこうとした。しかしその瞬間にマッチの火が消えてしまい、何も見えなくなった。クアナはふたたびマッチをつける気はないのか、暗闇の中で淡々と話し続けた。
「お前は大きな悲鳴を上げながら落ちてきて、たまたまこの木に引っかかった。ほんの少しでも落ちる位置がずれていたら……」
「やめろよ!」
テオはぞっとしてさけんだ。クアナが口をつぐむ。
静かになると、周りの音が聞こえてくる。ぱぱぱん。ぱん。ぱぱん。ぱぱぱん。ぱん。ぱぱん。
手を打ち鳴らす音だ。
「あの音は、何?」
「さあ、知らぬ」
テオの右肩に、手が置かれた。クアナだろう。むっとして、テオははらいのけようとした。けれど手の力は強く、びくともしない。
「さわるな!」
クアナを怒鳴りつける。少し間を置いて、彼が返事をした。
「何のことだ? おれはお前にふれてなどいない」
「えっ?」
クアナが二本目のマッチをすり、火をつけた。浮かび上がった光のおかげで、テオはたしかに見た。青白い手がどこからともなく伸びてきて、テオの肩をがっしりとつかんでいる。
テオは悲鳴を上げた。その手は、テオを引きずり下ろそうとして、指を食い込ませてくる。クアナがその手をつかみ、ぐいと引っ張った。青白い指が、痛がっているかのようにひくひくと震える。クアナはかまわず引っ張り続け、やがてちぎれる寸前のところでぱっと放した。そのはずみで、手は真下に落ちていった。
手拍子の音がやんだことに、テオは気がついた。あたりを見回し、クアナはふっとマッチの火を消した。
「これで、しばらくは来ないだろう。眠れ。また来たら、追い払ってやる」
テオは草や葉の上に寝転がりながら、ほっと息をはいた。クアナに何か言わなければ、と思ったけれど、口を開く気にはどうしてもなれなかった。
目を閉じて、遠い鳥の羽ばたきを夢見た。
やわらかい朝の光にまぶたをあたためられるころ、クアナがテオをゆさぶり起こした。
「起きろ。面白いものが見られるぞ」
「ううーん……面白いもの……?」
「お前はきっと喜ぶだろう」
目を開けると、クアナの怖い顔がそこにあった。一瞬ぎょっとしたけれど、面白いものの方が気になった。
「何が見えるの?」
クアナはだまって、下を指さした。のぞきこむと、底が見えないほど遠い谷の底から、真っ白な鳥のむれが飛び出した。
「うわあ!」
おどろくテオの目の前で、鳥たちはくるくると旋回しながら、東の方角へとあっという間に飛び去っていった。
鳥たちがすっかり見えなくなるまで、テオはじっと見送っていたが、谷底をちらりと見た。朝日の力でも、照らし出せない世界。
「この下に……鳥の巣があるのか」
クアナは干し肉を二つに割いているところだったが、テオの言葉に顔をしかめた。
「降りるつもりか?」
「だったら何だよ?」
「止めはしないが、どうせ今は何もいないはずだ」
テオにもわかっていた。鳥たちは今、巣を出ていった。戻ってくるのは夕方だろう。
「どうする気だ、テオ。危険をおかして鳥を狩りにいくのか? それとも、ここから出る方法を考えるか」
分別くさい言葉に、テオはかっとなった。まるで父親のような言い方だ。
「気安く名前を呼ぶな、野蛮人め!」
クアナの顔がこわばった。
「あんたも、手の化け物も、怖くなんかないんだからな!」
そう吐き捨てて、テオはまた谷底をのぞきこんだ。夕べ鉄砲でうった鳥が、巣に残っているかもしれない。飛んでいったむれの中に、目立って変な飛び方の鳥はいなかった。
「……そうか。では、好きにするがいい」
クアナの声は震えていた。はっと振り向くと、彼の黒いひとみにぶつかった。無防備で、絶望的で、深い悲しみが、彼の険しい顔にくっきりと浮かんでいた。
テオは彼から目をそむけ、木の枝をつかんで少しずつ降りていった。
なぜ、もやもやするのだろう。突き出した木の枝や岩を足がかりにしながら、テオはそう考えた。これまで感じていた鳥を狩ることへの期待はいつのまにかどこかに消えてしまった。
他の誰でも、ああいうことは言うだろう。クアナは先住民で、おたずね者なのだから。本当ならば、さっさと彼を捕まえて、保安官に突き出すべきなのだ。この谷から出ることができれば、の話だが。彼がテオの言葉に傷ついたとしても、気にすることは何もない。きっと、きっと父や母はそう言ってくれる。テオは何も間違っていないと。
「……でも、クアナは僕を助けてくれた」
呟くと、まだお礼を言っていなかったことを思い出した。本当にクアナが悪人だったなら、恐ろしい手にテオが引きずり下ろされるのを、笑って見物していたことだろう。
もし、立場が逆だったら?
手に捕まったのがクアナで、それを見ていたのがテオだったら? 自分はどうしていただろう?
その答えは、もう分かっていた。テオはクアナを助けはしなかっただろう。ただ、見ているだけ。それどころか、自分だけ逃げ出していたかもしれない。
それを悪だとする考え方はテオにはまだなく、かといって良しとするふんぎりもつかないまま、谷を降りていった。もやもやはまだ、テオの頭を雨雲のように包んでいた。何度か、お腹が鳴る。クアナが分けてくれようとしていた干し肉をもらっておけばよかったと、少しだけ後悔した。
谷底の地面は、赤みがかっていた。日の光があまりとどかないのか、朝なのに薄暗い。崖からぴょんと降り立った時、四角い石をふんだ。見ると、谷底をぐるりと囲むように、白く四角い石が並んでいた。
「だれが置いたんだろう」
ためしに石を持ち上げようとしてみたが、びくともしなかった。ここも先住民の村であるのかもしれない。
地面の上で、白い何かが動いた。近寄ると、それは鳥だった。やわらかい羽の下に手をもぐりこませて、そっと持ち上げた。
鳥は、テオに捕まっても逃げようとはせず、ただ小刻みに震えていた。羽を開くと、鉄砲でうった傷に血が固まっていた。おまけに羽は、変な方向に折れているようだった。
「やった。とうとう、しとめたぞ」
つぶやいてみたが、うれしい気分にはなれなかった。鳥が、丸いひとみでじっとテオを見つめているからだろうか。それとも、ごろごろといかずちが近づいてくる時のような音が、どこからともなくたえず響いてくるからか。
不意に、地面がゆれた。
たまらず転んだテオの前で、のっぺりとした赤い何かが立ち上がった。ミミズのように目鼻がなく、クマのように巨大な怪物だ。
怪物は、ヒョウのようにすばやくテオをとらえ、軽々と持ち上げた。テオは鳥を抱き、怪物から逃れようともがいた。しかしいくらなぐっても、ひっかいても、怪物は気にもとめていないようだった。
高く持ち上げられたテオは、ぽっかりと開いた穴を見た。穴の奥底から、ごろごろと恐ろしい音が聞こえてくる。テオを待っているのだ。
テオはさけんだ。
「助けて!」
熱い何かが、テオのほおをかすめ、怪物に命中した。ジュッといやな音がして、テオは放り出された。地面に叩きつけられたテオを、誰かが助け起こす。
「テオ!」
その声に、テオははっと目を見開く。クアナがそこにいた。目が合うと、クアナはぶっきらぼうに言った。
「名前は呼んでほしくないんだったな?」
テオは答えず、クアナの手を握った。
「クアナ……!」
「逃げるぞ」
テオとクアナは、怪物から逃げ出した。がたがたと地面がまたゆれ始め、並んだ白い石が、地面ごとぐうっと持ち上がる。
「上だ!」
クアナがテオを引っ張り、崖の岩肌に飛びついた。枝をつかみ、崖のへこみに足をかけ、二人は必死によじ上る。テオは鳥を抱えたままだったので、何度か滑り落ちそうになった。そのたびにクアナが振り向き、励ました。
テオが下を見ようとすると、クアナがしかりつけた。
「見るな。後悔するぞ」
「どうして! 一体、何がいるの? あ、あれ、何だったの?」
クアナは答えない。好奇心に負けて、テオは振り返った。
そこにあったのは、大きな口だった。白い歯にふちどられ、舌をうねうねと動かす口だ。テオに向かって、口はかちかちと歯を鳴らしてみせた。深い穴は、のどらしい。
テオの気がだんだん遠くなっていく。
「見るなと言っただろう!」
クアナの大声で、テオは我に返った。そして、ぱくぱくと開けたり閉めたりするおぞましい「口」から顔をそむけ、崖をよじ上ることに集中した。
夕べ過ごした木の上まではい上がると、二人はぐったりと寝転んだ。クアナがつぶやく。
「谷に魔物がいるのではない。谷そのものが、魔物なのだ……」
がたがた震えが止まらないテオに、クアナは語った。
__むかし、ある娘が、西からやってきた男と結婚した。夫となった男は、妻をしきりに自分のふるさとへとさそった。妻はなんとなく気が進まなかったが、ついに説きふせられ、夫のふるさとへと出かけることになった。
夫のふるさとは、深い谷の下にあった。そこで妻は手厚いもてなしを受け、楽しくすごした。だがある時、谷の奥でなぜか、死んだはずの祖父に出会った。祖父は、ここにいてはいけない、すぐに逃げろと告げ、一粒のマツの種をくれた。その夜妻は、夫とその家族が自分を食べる相談をしていることに気がつき、自分の身代わりにマツの種を置いて逃げた。夫は気がついて、逃げる妻を追いかけたが、大きく育ったマツの木が、男の行く手をはばんだ。妻は無事に村にもどり、それ以来だれも谷の近くに行くことはなくなった。
テオはその物語を、鳥をなでながらだまってきいていたが、語りが終わるとつぶやいた。
「この鳥も、魔物なのかな」
「分からない」
鳥はぐったりと目をつぶり、動かない。
「死んだのか?」
「ううん。まだあったかい」
クアナは鳥をのぞきこみ、苦笑した。
「願いがかなったというわけだ」
「……うん」
テオは鳥のまだ新しい傷をじっと見た。この傷は、テオがつけたものだ。それから、クアナを見上げた。
「クアナ、こいつを治すことはできる?」
「どれ、見せてみろ」
クアナは傷をしらべ、薬をぬった。それから、羽に木の枝を当てて、固定した。
その後は二人とも、することがなくなった。
「何か話して。さっきの昔話みたいに」
テオがせがむと、クアナはいくつも先住民の話を語って聞かせた。ずるがしこいトリックスターが、ヒョウをだます話。美しい娘と、たくましい英雄のロマンティックな恋の話。子どもたちの、笑い話。
「__昔、ひときわまぬけなバッファローがいた。ある時そいつは、木の実を丸ごとかまずに飲み込んだ。そのため、腹の中で種から芽が出て、ずんずん育ち、やがてバッファローの背中から生えてきた。それからもなお木は大きくなったが、バッファローはそれに気づかず、自分が太ったのだと思い込んでいた。木には果実が実り、こん、こんとバッファローの頭をぶって地面に落ちた。バッファローはそれを喜んで食べ、変わらずのんびりとくらしていた。ばかに水ばかり飲みたくはなるが、食べ物には困らないし、大きな木を生やしたバッファローをおそおうとする獣はいなかったので、そいつは幸せにくらしたそうだ」
テオは大笑いした。
「ばかなバッファロー!」
「ばかだが、運が良かったのだ。__おれたちにもその木があれば、今も幸せにくらしていたかもしれないな」
テオは笑いを引っ込めた。異変に気がついたクアナは、ごまかすように笑みを浮かべた。
「昔話はまだまだあるぞ。どんな話がききたい? ゆかいな話か、こわい話か。それとも、教訓的な話がいいか?」
「……クアナ、ごめんなさい」
クアナは目をみはった。
「僕、あなたにひどいことを言った。助けてもらったのに」
「いいんだ」
クアナはおだやかな顔をしていた。
「謝らないでくれ」
きっぱりとそう言われて、テオはそれ以上何も言うことができなかった。
それから何日も、二人はマツの木の上で過ごした。時々ふる雨や、朝枝葉にたまる朝露でのどをうるおし、マツの実や、クアナが持っていた食糧を分け合って食べた。鳥も、少しずつ元気になっていくようだった。
ある夜、風がいつもよりも冷たい気がして、眠っていたテオは目を覚ました。遠くに手拍子の音が聞こえるが、もうあまり怖いとは思わない。近づいてきたら、くすぐったりきつく引っ張ってやれば逃げていくのだ。
まばたきをして、気がついた。隣で眠っているはずのクアナがいない。とっさにテオは、残っていた最後のマッチをすった。上に向けたが、クアナの姿はない。
今度は、木の下を照らした。岩が削り落ちる音とともに、クアナがこっそりと下へ降りようとしていた。
テオは、ぐっすり眠っている鳥を抱き上げ、上着の中に入れた。そして、クアナの後を追って崖を降りた。
クアナは、谷底へ降りていくようだった。谷底の歯が見え、テオはぞくりとした。
「クアナ」
呼びかけると、クアナが動きを止めた。テオを見上げる彼の顔には、何の表情もなかった。
「どうして? どうして、谷底に行こうとするの?」
クアナは、耳に手をあてた。
「聞こえないか? テオ」
「何が……」
テオは口をつぐみ、耳をすました。
声が聞こえる。一人じゃない。男の人、女の人、子どもたち。たくさんの人々の声。
「おれの家族だ」
クアナの声は、優しかった。
「ようやく、会える。ここにいるんじゃないかと思っていたんだ。あの昔話で、死んだ祖父に会ったと語られていたから……」
テオは息をのんだ。
「クアナの家族は……死んだの?」
クアナはしばらく答えなかった。やがてマッチの火が消えた。闇にまぎれて、クアナのすすり泣きによく似たささやきが流れてくる。
「みんな、殺された。おれの兄弟も、父母も、妻も。まだ赤ん坊だった娘は、おれの手の届かない遠くへ送られた。ペットとして飼うのだと、お前の父親は言った……」
父さんが?
「うそだ」
テオは必死に首を振った。たとえクアナに見えなくても。
「クアナの大切な人たちにそんなことをするなんて、ありえない」
「ありえるんだよ」
クアナが答えた。
「なぜだか分かるだろう? おれが、おれたちが、お前たちにとって邪魔だったからだ。めざわりで、不気味で、凶悪な野蛮人だからだ! そうだろう? お前がそう言ったじゃないか!」
どん、とクアナがテオの胸を突いた。上着の中で、鳥が身震いした。
「今、怖かったか? おれに殺されると少しでも思ったか? 安心しろ、“凶悪なクアナ”なんて、うそっぱちだ。おれはずっと、お前たちと共に生きていければいいと望んでいた。だが、いつのまにか、お前たちがおれを極悪人に仕立てあげた。おれがいつ、人を殺したというんだ。だれの家を壊したというんだ?」
テオは、クアナの腕をつかんだ。クアナがふりほどこうともがく。だが、テオは、決して放さないつもりでいた。
「放っておいてくれ!」
「いやだ!」
のどの奥からの、人々の声が大きくなった。テオはクアナの腕をつかむ手に力をこめた。
「昔話で、死んだ人は言ったよ。ここへ来てはいけないって。ここにいたら、きっと恐ろしいことが__」
「それでもいいんだ。家族に会えるのならば、魔物の腹の中でも、どこでもいい。谷の上に、おれがいられる場所はもうない」
そんなことはないと、テオには言えなかった。だからかわりに、こう言った。
「あなたが行くのなら、僕も行く」
「駄目だ」
「どうして? 僕だけ助かるなんて、そんなことはできない!」
「駄目だ!」
クアナはついにテオの手をほどき、谷底の口の中に飛び込んだ。舌がうれしそうに起き上がり、歯が閉じようと動き出す。テオは迷わず、クアナを追って飛んだ。
「テオ!!」
テオは怒るクアナを引っ張って、真っ黒な穴の「のど」をのぞいた。そしてクアナにたずねる。
「みんなの声は、聞こえる?」
クアナはうなずいた。
「おれの名を呼んでいる」
「よかった。じゃあ、怖くないね」
だが、テオは怖かった。口は閉じてしまいつつある。待っているのは、きっとテオを憎んでいるであろう人々だ。
「テオ、今からでも逃げろ」
クアナがまっすぐにテオを見て言った。
「クアナも逃げるならね」
クアナは首を振り、笑った。テオも笑った。舌が、歯が、すぐそこまで迫っている。
テオの上着の中から、鳥が顔を出した。そして、甲高い声で鳴いた。テオもクアナもおどろき、張りつめた気分が少しゆるんだ。
のどの奥から、答えるように鳥の声が上ってきた。次いで、うるさいほどの羽ばたきの音が、人々の声すらかき消して、のどからあふれ出した。
次の瞬間、テオとクアナは、何十もの白い鳥に押し出され、閉じた口すらもぶち開け、谷を昇っていた。
鳥のむれが、テオとクアナをのせた一つのかたまりとなって、まっすぐに空へと飛んでいく。羽と羽のすきまから、テオは谷の「顔」を見た。谷底の「口」が悔しそうにゆがみ、洞穴でできた「目」が鳥たちをにらんでいる。だが、もうどうにもできない。テオたちは、逃げ出してしまったのだから!
テオが抱える鳥が、自分も飛びたそうに羽をぎこちなく動かしている。テオはその鳥を上着から出してやり、そっと放した。風にのり、他の仲間たちと鳴きかわしながら、以前と何も変わらぬ飛びっぷりで、むれにまぎれて見えなくなった。
谷の上まで来ると、二人はむれから飛び降りた。むれは、二人の頭上を一度だけぐるりと回り、白み始めた東の空へと飛んでいった。
テオとクアナは、ぼうっとむれを見送った。やがて、クアナがぼそりと言った。
「家に帰った方がいい。きっと心配されているぞ」
テオはすなおにうなずいた。
「クアナはどこに行くの?」
そう問いかけたが、クアナは微笑むばかりで、答えなかった。
別れぎわ、二人は握手をした。
「テオ、お前はおれのたった一つの希望だ。我らの大地を、どこまでも行け。あの鳥たちのように」
テオは「はい」と答えた。それ以上のことは、のどがふさがり、言えなかった。反対の方向に、二人は歩き出し、振り返ることはなかった。
テオが家に帰ると、両親が飛んできて、うるさく質問をあびせたり、キスをした。鉄砲をなくしたことは、しかられなかった。
家の中には保安官がいた。テオが帰ってこないので、あちこち探し回っていたらしい。
「お前があのクアナにさらわれたんじゃないかって、心配で心配でたまらなかったのよ」
「まさか、奴に出くわしたのか?」
テオは、扉に貼られたクアナの絵をちらりと見て、首を振った。
「ううん。クアナになんて会ってない。僕はずっと一人でいたよ」
上着の中に一枚残っていた白い羽だけが、谷で起きたことの証だった。




