イリタトル
シュトローマー君は、塩湖に落ちたタペジャラを岸に引き上げていた。膝まで水に入っているが、濡れた砂地で足が取られているようだ。
危ない。逃げて!
今シュトローマー君が危ないと、わたしの本能が悲鳴を上げた。
「逃げて!!」
シュトローマー君はわたしが何か叫んだことに気が付いた。でも、それが彼の気を散らしてしまったようだ。
マングローブの陰から飛び出した獣脚類が、背を向けているシュトローマー君目掛けて突進する。
わたしはクレイモアを担いで、シュトローマー君のもとに走った。
シュトローマー君は、水飛沫の音で気付いたみたいだけど、湖岸の砂地で思うように走れていない。
スピノサウルス科特有の、水場に特化した平たい足は泥濘んだ砂地でも走れる。サンタナラプトルほど足が早くないとしても、あの砂地では人間よりあの子のほうが速い。
あの塩湖はイリタトルの縄張りだ!
シュトローマー君が振り向きながらショットガンを撃ち放つ。
わたしも腰に差していたリボルバーをイリタトルに向け連発した。
間近から散弾を浴びたイリタトルは、確かに怯んだ。でも、まだ軽傷だ。あれくらいならばまた勢いを取り戻す。
恐竜の生命力は頑強だから、一気に斬りつけないと重傷の内に入らないのだ。
不安定な足場でこれ以上逃げられないと悟ったシュトローマー君が、ハルバードを構えて応戦する姿勢を取る。
でも、リーチが長いポールウェポンだって扱うにはフットワークがいる。かなり不利な状況だ。
イリタトルが咆哮を上げ、大きく口を開け飛びかかる。
それに対しシュトローマー君が、ハルバードを薙ぐように振り、左下から顎に刃を叩きつけた。
首をしならせ、頭に衝撃を受けたこの子は、勢いを止められずそのままシュトローマー君に突進した。
シュトローマー君は仰向けに倒れ、水に沈んでしまった。まずい!
わたしはついに現場に着き、イリタトルの腿にクレイモアを叩きつけた。
後少しでシュトローマー君が2トン近い巨体に踏み潰されるところだった。それに、イリタトルは魚を水上から捕まえる恐竜なのだから、もし彼が踏まれなかったとしても溺れているところを襲われただろう。
強力な前足で魚のように鷲掴みされるか、ワニのような口で喰い殺されていたはずだ。
わたしの斬撃で突進する進路を逸らされたイリタトルだったが、足を引きずって、少し離れたところで立ち止まった。
脳震盪を起こしていたのか、クラクラした頭を振った。傷口から流れ出していた血が撒き散らされる。
「怪我はない!?」
「すまん、膝を痛めた!」
シュトローマー君を水の中から引きずり出して、湖岸に避難する。
膝をやられたってことは、走って逃げられないわね。
砂浜に引き上げた彼のズボンを割いて、すぐ怪我の様子を確認した。切り傷とかはないみたいだけど、関節が赤くなっている。捻挫したらしい。
大きな鼻息で後ろを振り向くと、あの子はわたしたちを見据えていた。濡れた鼻腔から、勢いよく飛沫が吹き上げる。まだ興奮している。
この子はわたしに深手を追わされている。全力では追いかけてこないだろう。
でも、まだこの子に闘争心があるのならば、わたしはシュトローマー君を庇いながら一人で戦うことになる。
8メートル級の肉食恐竜相手では圧倒的に不利だ。
わたしはクレイモアをイリタトルに突きつけ、尖った物を嫌う動物の本能を利用して牽制する。
「ごめんなさい、ここがあなたの縄張りだと知らなかったの。わたしたちの負けよ。
おとなしく帰ることにするから、その翼竜はあなたのものよ」
イリタトルは、わたしをしばらく睨んでから、踵を変えした。
脚から垂れた血が、水面に波紋を作る。その僅かに赤く染まった水が、足跡の代わりとしてラグーンを漂っていた。
あの子がマングローブ林に帰ったのを確認して、わたしたちはトラックのところに戻った。シュトローマー君は満足に歩けないから、わたしが肩を貸して、ここまで二人三脚で帰ってきたのだけど……。
トゥパンダクティルスに群がっていたタペジャラが、わたしたちを見て一斉に飛び立った。
わたしが綺麗に撃ち落としたはずのトゥパンダクティルスは、死肉を啄む翼竜にあちらこちらと喰われていた。
「ほんとごめん!」
「わたしの取り分とあなたの取り分、10対0ね!!」
そもそも取れ高がないけど!!




