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第85話 悪役貴族、はじめての死闘 ①

 宙を舞った小さな体が、石畳に叩きつけられる。血が弾けた。

 一瞬の静寂。次の瞬間、コメント欄が荒れ始める。


《は? ワンパン?》

《これはやばい。マジでやばい》

《死んだんちゃうんか……?》


 マルスの視界が赤く染まる。リサの血飛沫が、顔にべったりと張り付いていた。


「っ――」


 リサの口から息が漏れた。声にならない。革鎧にはぱっくりと亀裂が開き、覗く脇腹から赤に染まっていく。

 エリシアが息を呑む。ブリジットが叫びかけ、それよりも先にマルスが吼えていた。


「ブリジット! エリシア連れてセーフゾーンに行け!」

「だが――」

「はやくッ!」


 ブリジットの視線が、床に倒れたリサへ吸い寄せられる。


「お……ねぇ、さ――」


 助けを求める声。指先が震え、床を掻く。呼吸が浅い。目が自分を探している。

 その姿が、ブリジットの足を縫い止めた。


(置いていけるものか……!)


 団長として。従姉として。ここでリサを見捨てられるはずがない。

 だが迷えば、非戦闘員のエリシアを危険に晒す。騎士として民間人を守る責務が、ブリジットにのしかかる。

 隣からエリシアの震えが伝わってくる。ナイフの柄を握る指が白い。


(リサ……すまぬ)


 ブリジットは歯を食いしばり、エリシアの手首を掴んだ。


「エリシア、来い!」

「で、でも……リサ様が!」

「マルスを信じろ!」


 ブリジットがエリシアを抱え上げ、踵を返す。


「行け!」


 鋭く響くマルスの声に押され、ブリジットが床を蹴った。

 その瞬間、騎士の大剣が無防備な背中を狙う。


(くそッ――)


 マルスの体は、考えるより先に動いていた。騎士の正面に滑りこみ、猛然と振り下ろされる大剣に、エリマルくんを叩きつける。


 ――バチィッ!


 金属が噛み合う。火花が散り、甲高い衝突音が空間に響く。刃と刃が押し合い、互いの重心がぶつかり合う膠着状態。

 『聖愛のレガリア』における戦闘システムのひとつ――『鍔競り』である。

 両者はその場に縫いつけられたように止まり、互いのバランスを奪い合う。


 マルスが『ジャストガード』ではなく『鍔競り』を選んだのは、敵の動きを止められるからだ。

 相手の攻撃に対し、タイミングよくこちらの攻撃を合わせることで『鍔競り』は発生する。その後は表示されたコマンドを素早く入力。


 成功すれば相手のバランスが崩れ、『とどめの一撃』の隙が生まれる。

 失敗すればこちらが崩れ、逆に『とどめの一撃』の餌食になる。


(現実じゃコマンド入力なんてない。でも、要は同じだ。相手の重心を読んで、崩す)


 マルスは呼吸を殺し、緋々色の騎士の肩の角度、肘の開き、足の位置を読む。甲冑の隙間から伝わる微細な力の流れ。


(なんて重さだよ……ッ! 人間の力じゃない。けどいける! こいつの重心は前。力で押し切る気だ)


 この身体に残る武の記憶と経験が〝俺〟に勝ち筋を教えてくれる。


「ここ」


 マルスはあえて一瞬だけ力を抜いた。緋々色の騎士の剣圧が前に滑る。

 その滑りに合わせて足を半歩ずらし、体重を横へ移してエリマルくんを捻った。刃の噛み合いがずれ、相手の力が空を切る。


「――もらった」


 緋々色の騎士の上体が流れ、大剣が床を砕く。『とどめの一撃』のチャンス。逃す手はない。

 振り抜いたエリマルくんが、騎士の顔面を捉える。


 ――ガキィンッ!


 甲高い衝撃音。マルスが『ジャストガード』を発生させた時と同じ響き。

 エリマルくんが大きく弾き返され、マルスの上体が揺らぐ。


「くそっ!」


 振り上げられた大剣がマルスに迫る。


 ――ガキィンッ!


 今度は、マルスの『ジャストガード』がそれを防いだ。

 互いに距離を取り、剣を構えなおす両者。


(これだよこれ。苦労して崩しても、肝心の一撃が入らない。システムを無視してくる理不尽さ)


 これこそが緋々色の騎士。討伐不可の裏ボスだ。

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