第79話 悪役貴族、大物に配信を見られる
聖都王城。
王太子執務室。
机上に積まれた奏上書、未裁可の文書、蝋の匂い。
この部屋のすべてが、政の重みを雄弁に物語っている。
天井まで届く硝子窓の向こうでは、夜の街が宝石のように瞬いていた。
壁側の暖炉は煌々と焚かれているが、部屋の空気はまるで凍てついているかのようだ。
「マルス・バレンタイン。大した役者だな」
椅子に深く身を沈めたエドワードは、脚を組んだまま仏頂面で壁を睨みつけている。
魔導投影機が映し出す大画面。そこには、今まさに第三層へ踏み込むマルス達の配信があった。
「貴殿はどう思う?」
エドワードの隣には、白髪交じりの髪を短く刈り上げた初老の男が立っていた。銀糸を織り込んだ法衣と、指に嵌めた宝石の指輪が、投影光を受けて鈍く輝く。
レガリア聖教会、枢機卿マクミラン。
彼は穏やかな微笑みを崩さず、静かに画面を眺めている。
「見世物は民の心を掴みますゆえ。政においてもアルカナ・ストリームを有効に活用すべきかと」
「そんな話はしていない」
エドワードは画面の中のマルスを顎でしゃくる。
「今の戦闘。どう見たかを聞いている」
マクミランは僅かに視線を動かし、王太子の横顔を見た。
「殿下が仰るのは、異端魔術の疑いでしょうか?」
「ほかに何がある」
吐き捨てるように言う。
「アイアン・ゴーレムを真っ向から弾き返し、小突いただけで爆散させる。まったく馬鹿げている。あれは剣技の領域ではない。異端魔術でないなら、むしろ説明がつかぬだろう」
エドワードの声には、苛立ちと不快感が滲んでいた。
彼自身も卓越した剣士であるがゆえに、理解の及ばない戦闘技法には納得できない。
マクミランは否定も肯定もせず、指輪を弄ぶ。
「この映像だけで断定することは難しいかと。殿下がご存じない技、あるいは極めて精緻な魔力操作の類かもしれません。異端魔術でない余地はいくらでもございます」
エドワードの口角がわずかに歪む。
「枢機卿。女神のしもべを自称する貴殿らしくもない。この異端者を見逃すつもりか?」
「とんでもない。ただ……確実に首を落とすには、頑丈な台が必要です」
マクミランは画面に目を戻す。
第三層を駆け抜けるマルス。トラップ起動で高圧電流が迸り、映像が一瞬ぶれた。
彼が無傷で罠を突破した瞬間、コメント欄が歓声で埋まる。
一斉に灯るエールフレアの光に、エドワードの目が細くなる。
「あの雷撃。本来なら幾重にも対策を重ねて対処するものだ。それを、まるで街角の水たまりでも跨ぐかのように抜けていった。これでもまだ尋常だと言うか?」
マクミランは短く息を吐き、慎重に言葉を吟味した。
「詠唱もなく、魔力反応も確認できぬとなれば……少なくとも我々が知る異端魔術ではない。そもそも異端魔術とは、魂に干渉する術式。ダンジョン攻略に転用できるようなものではございませぬ」
「……魂に干渉。聞くほどにおぞましい術だ」
既知でありながら、エドワードは改めてその冒涜を噛みしめる。
魂とは女神レガリアによって導かれるもの。それを人の手で操作しようなど言語道断。異端の所業。
それこそがレガリア聖教会の根幹の教えであり、聖国に古くから根付く価値観である。
「これを見る限り、異端魔術の使用を罪に問うのは難しい。捕まえるのであれば、テロの首謀者として追及する方が現実的かと」
「ふん」
エドワードは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
妙案のように聞こえるが、黒幕に仕立てるのも簡単ではない。
容疑はあれど証拠がない。皮肉にもマルスが追放直後から続けている配信が強固なアリバイになっている。
「親子揃って、忌々しい奴らだ」
吐き捨てる呟き。
マクミランは聞こえない振りをして、配信映像を見つめ続ける。
「攻略の速度が異常ですな。ダンジョン探索は素人という話でしたが」
こうしている間にも、マルスは迷いなく岐路を駆け抜けていく。曲がり角の先にある罠を跳躍して避け、待ち伏せていたモンスターを先制攻撃で叩き潰した。
かと思えば、床面に刻まれた魔導回路が光り、トラップの起動を告げる。マルスは身を捻って回避。光線が空を裂き、首筋を掠めただけで虚しく壁を焦がした。
《は? 今の避け方なに?》
《反応速度おかしい》
《ノールックで避けてたよな?》
エールフレアが画面を埋め尽くし、エドワードが舌打ちする。
「殿下のご懸念も理解できます。彼奴は未知であるはずのものを、既知であるかのように処理している」
「これが異端でないなら、どう説明する?」
「ダンジョンについては門外漢ゆえ、殿下がお分かりにならぬことをどうして説明できましょうか」
「あくまで異端ではないと言い張るか。枢機卿ともあろう貴殿が」
揶揄されても、マクミランは穏やかさを崩さない。
「少なくとも教会の定義する異端とは一致いたしません」
マクミランは敬虔な聖職者だ。女神の教義に忠実で、信徒にもそうあるべきだと説いている。
異端を裁くことに吝かでないが、それは罪を証明できてこそ。王太子の私怨に付き合うつもりは毛頭なかった。
「悠長なこと言っている場合ではない。聞こえるだろう。奴を称賛する愚かな視聴者の声が」
二人は配信画面のコメントに耳を傾ける。
《トラップもモンスターも、見えてないのになんで気付けるの?》
《未来予知的なサムシングじゃね? 聖女様ならできるって聞いた》
《マルスは聖女じゃねーだろ》
《同じようなことができる人がいても不思議じゃないってか?》
《やっぱ異端魔術じゃねwww》
《その理屈だと聖女様が異端ってことじゃん》
《はい不敬》
エドワードはそれを一瞥し、吐き捨てるように言った。
「笑い話で済むうちはいい。だが、いずれ民は疑問を抱く。何故こんなことができるのか、と。奴の力はいずれ信仰を蝕むぞ」
「そう仰られると……捨て置けませぬな」
言いながらも、マクミランは低い笑いを漏らす。エドワードの言葉を真に受けてはいない。
だが、ふと何かに思い至り、笑みを消した。
「時に殿下。以前、仰っておられましたな。マルス・バレンタインは人が変わったようだと」
「ん? ああ、裁判の頃からだ。それがどうした?」
「……いえ」
指輪を弄るのをやめ、画面を注視する。
「マルス・バレンタインは絵に描いたようなボンクラだったと聞き及んでおります。家門の威光を盾に、人を人とも思わぬ悪逆非道の限りを尽くした外道、と」
「そうだ。奴は貴族の風上にも置けぬ愚か者だった」
「見る影もありませぬな」
「追い詰められて正気を失っただけだろう。罪人にはよくあることだ」
「ええ。そうかもしれませぬ」
だが、配信中のマルスは活き活きとし、ダンジョン攻略を心から楽しんでいるように見える。
パーティメンバーを慮る言動の数々も、伝え聞く人物像とあまりにかけ離れている。
(別人だと言われても、不思議ではない)
裁判の境に変わった人格。
その事実が、マクミランにひとつの仮説を芽生えさせる。
(異端魔術は魂に干渉する――まさか)
深刻な顔で黙るマクミランを、エドワードが訝しむ。
「枢機卿。言いたいことがあれば申せ」
「……殿下。彼らは黄金病を治す霊薬を探しているのでしたな?」
「そうらしい。村の小娘が病に伏しているだとか。出来過ぎた話だ。視聴者受けを狙った台本だろう」
「台本で済めばよいですが」
マクミランの声が、ほんのわずかだけ冷える。
「何が言いたい」
「黄金病は不治の病」
マクミランは静かに囁く。
「治せないからではない。治してはならないからです」
「枢機卿」
「異端の罪を着せたいのであれば、そこを突くべきかと」
エドワードが、椅子の肘掛けをきしませた。
「……貴殿も相当人が悪い」
「為政者は時に冷酷な判断を下さねばなりませぬ。痛む心で進言したまで」
画面の向こうで、マルスが階層主を討ち、次の階層へと踏み出す。
歓声とエールフレアが炎のように噴き上がった。
その熱狂の果てが処刑場であることを、ここにいる二人だけが知っている。
「女神は常に正しき秩序を望まれる。そうだったな?」
「おっしゃる通り」
「この国を、レガリアの加護で満たしてみせる。我が愛しのティアナのために」
その言葉が免罪符なのか、あるいは呪詛なのか。
エドワードは確かめようとすらしなかった。




