第8話 悪役貴族、ダンジョンに潜る ②
しばらくの沈黙の後、鉄棒を引き抜くエリシア。
メカ・スパイダーの残骸を一瞥し、ふうっと息を整える。
「やっぱエリシア頼りになるなあ。なんかもう、完全に前衛向きって感じ」
「いやですよ。次からはあなたが前に出てください」
「え、俺が?」
「当たり前です。か弱き乙女を盾にするつもりですか」
「そう言われると弱いなー」
「私は後ろで見ていますので」
無気力そうに言うエリシアの横顔には、どこか誇らしげな色がにじんでいた。
「配信、どうなっていますか?」
「ん?」
「コメント、来てませんか」
マルスがプレートを確認するが、依然としてリスナーの反応はない。
「うーん……ないな」
「一人もいないんですか? 本当に配信されてます?」
「たぶん」
エリシアはそっと目を伏せ、ため息をつく。
「まぁ、そんなものですよね」
落胆した様子で、エリシアはダンジョンの奥へと歩き始めた。マルスもその後を追う。
通路は徐々に下り坂になり、冷たい風が足元を撫でていく。空気に含まれるマナの密度が、先ほどよりも明らかに濃くなっていた。
しばらく無言の時間が続く。聞こえるのは二人の足音だけ。
マルスが気まずさを感じ始めたくらいで、エリシアが思い出したように振り返った。
「そういえば……おなか、平気なんですか?」
「トイレは済ませてきたけど」
「そうじゃありません。さっきメカ・スパイダーに刺された傷です」
「ああ」
マルスはシャツの裾をめくり、腹部を確認する。意外とたくましい腹筋が露わになり、エリシアが慌てて目を逸らした。
「なんともないよ。やっぱザコモンスターだな」
「……え? でも、直撃していましたよね?」
「うん。みぞおちにズドンって」
「痛くなかったんですか?」
「うん。あれくらいなら、からあげの衣が飛んできたときの方が痛いかも」
「それは揚げ方が悪いです」
エリシアは首をひねりつつ、マルスの全身を見つめる。外傷は一切なし。服すら破れていない。
「ね? 俺、タフなのかな?」
「そういう問題じゃないような……? メカ・スパイダーは小型モンスターですが、人の肉を貫くくらいの攻撃力はあります」
危機感のないマルスとは対照的に、エリシアの表情は真剣そのものだった。ダンジョンモンスターの攻撃を無傷で受けた例は、彼女の知識の中でも多くない。
この男は何か特別なことをしている――そんな直感があった。
「なにか、使ってはいけないものを使ったんじゃないでしょうね」
エリシアは、フォローカムを気にしながら小声で尋ねる。
「なにそれ? 異端魔術のこと?」
「この……せっかく濁した言い方にしたのに」
「使ってないから大丈夫だって、そもそも使い方わからんし」
「なら、そういうことにしておきましょう」
「本当だってー」
マルスは異端魔術の傾倒者として知れ渡っていた。それによって追放刑に処されたことも。ありえない事象を目にして、異端魔術を使っていないと信じる方が難しい。
そんなエリシアの心境など露とも知らず、マルスは先に進み続ける。
「そういえばさ、さっきエリシアが撃った魔法。フレイム・ボルトだっけ? あれすごかったな。火の矢とかロマンの塊じゃん」
「基礎魔法です。ちゃんと習えば誰でも使えますよ」
「まじか。練習すれば俺も火とか氷とか出せるようになる?」
「理論上は。でもあなたの場合、詠唱に集中できるかどうか疑問ですね。途中で鼻歌とか歌い出しそうですし」
「わかる」
やがて、通路の先に扉が現れた。
錆びついた金属の扉だが、中央には光る紋章が浮かんでおり、わずかに空気が流れ込んでくる。
「おっ。ドアだ」
「どうぞ、開けてください」
「はいよっと」
マルスが無造作に触れると、音もなく扉が開く。
その先は、ぽっかりと開けたドーム状のホールだった。広すぎて、端の方は暗がりになっている。
空間の中央には、豪奢な装飾が施された祭壇のような石台があり、その上には何かが置かれていた。
「エリシアあれ! 宝箱!」
マルスが駆け出し、エリシアは慎重に近づいていく。
黒い金属で造られた重厚な箱は、ただのケースとは思えない存在感を放っていた。
「おおぉ……これ絶対当たりのやつだろ」
マルスが宝箱に手を伸ばす。
その瞬間、祭壇の縁に刻まれていた魔術式が淡く発光し、箱の蓋がゆっくりと自動で開いた。
中から現れたのは――心臓のように拍動する、漆黒の宝玉。
「なんですか、これ……?」
エリシアの声が震える。
一見してヤバイものなのは明らかだった。目にするだけで吸い込まれそうな深さを感じる。内側に螺旋状の闇が流動し、無機質でありながら生気を放つその宝石は、本能的な恐怖を刺激する。
その石をじっと見つめるマルス。
「これ〈虚無核〉か? ウソだろ……?」
浮ついていた目つきに、息を呑んだような輝きが灯った。




