第56話 悪役貴族、大勝利する
《どゆこと?》
《エリシアちゃんと何かあったの?》
事情を知らないリスナー達は困惑している。それは村人達も動揺だった。
「わたしが説明しよう」
凛と声を張るブリジット。
「昨日、従騎士リサ・ヴァーミリオンは、エリシア嬢に対し刃傷沙汰を起こしかけた。異端者の従者も同じく異端者と早合点したためだ。幸い大事には至らなかったが、彼女の心と体に深い傷を残しかねなかった」
リサの肩がぴくりと揺れる。エリシアは思わず目を伏せた。
「すべて団長であるわたしの指導不足によるものだ。エリシア嬢に、あらためて謝罪する」
彼女は深く一礼した。鈴の音が小さく余韻を引く。
エリシアは慌てて手を振る。
「と、とんでもないです。団長様は私を助けて下さいましたし、謝罪の品も贈ってくださいました。むしろ感謝するのはこちらの方です」
「ありがたい。以後、このようなことがないように騎士団全体に指導を徹底する。まずは――」
ブリジットの鋭い眼光がリサを突き刺す。
「リサ。決闘の誓いに則り、彼女に謝罪せよ」
「……はい」
汚れた頬を上げ、震える体をエリシアに向けるリサ。手と両膝をつき、深く頭を垂れる。完全降伏の姿勢。
「リサ・ヴァーミリオンは……昨日あなたを異端者と決めつけ、剣を向けた非礼をお詫びします。本当に、ごめんなさい」
土に向けた声音が震え、最後だけは幼く滲んだ。
エリシアは許しを口にしようとする。だが、先程のマルスの言葉が脳裏をよぎり、喉元で声を呑み込んだ。
深く息を吸い、胸の前で手を重ねる。
「……顔を上げてください、リサ様」
おそるおそる上がった琥珀の瞳が、湿りを帯びてエリシアを映す。
「今でこそ私は彼のメイドですが、そうなったのは本意ではありません。そのせいで異端者と見なされることはもっと不本意です。それに、彼は……」
隣のマルスを一瞥する。灰色の瞳はすこし笑っているようにも見えた。
彼は本当に異端者なのだろうか。胸の中にあった疑念が浮かび、再び沈みこめる。
「いえ。突然斬りかかられたことは恐ろしかったです。でも、今の謝罪でリサ様の誠意は伝わりました。これからのあなたが、正しく強い騎士であることを望みます」
リサは潤んだ瞳でエリシアを見つめ、ぎゅっと唇を結び直した。
「……ありがとう、ございます」
広場に、ほんの一拍の静けさ。
やがて、コメント欄が一気に白く咲いた。
《エリシアちゃん優しすぎ!》
《異端者ごときにはもったいないメイド。我が公爵家で雇用したい》
《かわいいだけじゃなく芯も通ってる。エリシアの方が騎士っぽくねwww》
エルフレが連鎖し、周囲を華やかに照らす。
それを見て、村人達の空気も和らいだ。娯楽の乏しい彼らにとって、この決闘も、配信も、エールフレアの花火も、心の弾む出来事だった。
マルスは満足げに頷く。
「よーし。まぁ、こんくらいでいいだろ。ブリジット」
「うむ。これにて決闘を終結とする。勝者はマルス・ヴィル。敗者リサ・ヴァーミリオンは謝罪を果たし、望みは履行された。グロワール騎士団長ブリジット・ラ・フィエリテが公に記す」
ざわめきが波及する。張りつめていた朝の空気が、少しずつ穏やかさを取り戻していく。
マルスはフォローカムを見上げ、軽く手を挙げる。
「見てくれたリスナー諸君、ありがとな。荒事に最後まで付き合ってくれて感謝。みんなも悪いことした時にちゃんと謝れる人間であってくれ」
《お前が一番悪いことしたんだけどなwww》
《ちゃんと謝ったか?》
《黒幕説ってマジ?》
「あーはいはい。メンゴメンゴ。辺境で償ってまーす。こんなとこで黒幕できるわけねーだろって」
《ふざけんなwww》
《てめーは相変わらずだなww》
《これは黒幕》
「つーわけで次の配信もお楽しみに! 以上、辺境系男子マルス・ヴィルでしたー! さいならー」
プレートを操作すると、フォローカムの青白い灯がすっと弱まる。爆発していたコメント欄とエールフレアが、やがて消えた。
野次馬の村人らは興奮冷めやらぬ様子だったが、その高ぶりを抱えたまま各々の生活へ戻っていく。
朝霧はすでに晴れ、激動の余韻だけが残っていた。
「さてと。目的も果たせたし、俺達も帰りますか」
踵を返し、帰路につくマルス。
エリシアはその背中を追おうとして、ブリジットとリサにぺこりとお辞儀をする。それから再びマルスを追いかけた。
「待て」
ブリジットの声。
マルスは足を止めて振り返る。呼び止められることを、最初から知っていたかのように。
「後始末を終えたら、そちらに伺ってもよいだろうか」
「ああ。待ってる」
マルスが軽く手を上げて踵を返す。日光がその輪郭を縁取った。
ブリジットはほんの一瞬、言葉を忘れた。
(十年。届かない背中は、相変わらず眩しい)
去りゆく背中を見つめて、彼女は唇だけで囁いた。
「……待ってる、か」
胸の奥で跳ねる鼓動を抑え、ブリジットは視線を引き剥がす。
深く息を整えると、悄然とする従妹へ向き直った。
「リサ、立て」
短く鋭い号令。リサは反射で背筋を伸ばし、膝を土から離す。
「お姉様。リサは……」
言いかけた小さな頭に、ブリジットはぽんと手を置いた。
「世界は広いだろう? 己の未熟を思い知ったか?」
「……はい」
「騎士の剣は無辜を守り、正義を示すものでなくてはならん。そのためにも、まずは己の慢心を斬ることだ。正義とは何かを、見誤らぬように」
頬を拭ったリサが、涙の跡を残したまま深く頭を下げる。
「お姉様。あの人が言った、正しく強い騎士になるためには、どうすればいいのでしょうか」
「わたしも明確な答えはもっていないが……そうだな。常に強く、正しくあろうと精進し続けることが、正道であると信じている」
「強く、正しくあろうとし続ける……」
「ああ。たとえ、一度は道を踏み外したとしても、な」
ブリジットは、去っていく男の背中へ熱のある視線を向ける。
風に揺れる鈴の音と、豊かな胸の高鳴りが、少しだけ息苦しい心地よさを奏でていた。




