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第55話 悪役貴族、なんでも言うことを聞かせる

 細い首筋に冷たい感触が這う。リサは固く目を閉じ、噛み合わない歯の隙間から押し潰れた声を搾り出した。


「ううぅ……」


 土の上に、ぽとり、と涙が落ちた。

 力が抜け、四肢が震える。嗚咽が一拍遅れて胸を突き上げた。

 ブリジットが溜息を吐き、二人に歩み寄る。


「リサ。降参か?」

「やだっ……やだやだ……! 異端者なんかに負けるのやだぁっ……!」


 子どものように駄々をこね、拳で地面をひっかく。紅いポニーテールが泥を跳ね、頬を伝う涙が痕を描いた。


《あーあ、泣いちゃったよ》

《まぁあんだけボコられたらな……》

《しょせんお国の騎士もこのていどか》


 リサは噛み締めた歯を震わせ、泥に指を沈めたまま嗚咽を漏らす。

 それでも、参ったを口にしない。


「降参しないなら、しゃーないか」

「うッ――」


 マルスは華奢な背中を強かに踏みつけ、地面に這いつくばらせる。

 それから、頬を地面につけるリサの喉元に刃を押し付けた。


「ひっ……!」


 リサの喉がひきつる。

 すでに抵抗する体力も気力も残ってはいなかった。


「マルス」


 流石に止めようとしたブリジットに対して、マルスは口の前に人指し指を立てた。


「ブリジット。真剣を用いた決闘である以上、どっちかが死ぬことだって想定内だよな?」

「……むろんだ」


 リサの喉元に刃が食い込む。もはや恐怖に震えることすらできない。

 刃先が喉の皮膚を撫で、ひりついた痛みが走る。その冷たさがリサに現実を突きつけた。


「待って……! こ、降参します! こーさんっ、降参するから……!」


 掠れた悲鳴が土に砕け、震える声が重ねて同じ言葉を繰り返す。

 マルスは即座に刃を退け、背を踏みつけていた足を外した。

 ブリジットがすぐさま間に入ると、佩剣の鈴を小さく鳴らして宣言する。


「勝負あり! 勝者マルス・ヴィル。立会人としてこれを公に記す!」


 張りつめていた空気がほどけ、村人の喉から溜め息が漏れた。

 リサは四肢から力が抜け、横たわって体を丸めると、子どものようにしゃくり上げる。言葉にならない泣き声。

 エリシアはプレートを操作し、泣き顔を抜かないようフォローカムの画角を上へ滑らせる。同じ女としての、せめてもの配慮であった。


「……ふぅ」


 リサから奪った剣を地に突き立て、マルスは一息つく。

 背中の傷が今更になって痛むが、顔には出さない。ブリジットに格好をつけるためと、エリシアに心配をかけたくないからだ。

 剣から手を離すと、土埃が朝の陽を受けて金色に舞う。広場のざわめきが遠のくほど、彼の佇まいには張りがあった。


「さて……確認だ。泣いてないで、しゃきっとしろ」


 肩を震わせていたリサがゆっくりと体を起こし、地面にぺたんと座り込む。涙と泥でまだらに汚れた頬に、幼い意地が薄く残っていた。


「俺が勝ったらなんでも言うことを聞くって、そういう約束だったな?」


 リサは喉を鳴らし、こくこくと小刻みに頷いた。


「リ、リサは……騎士の名にかけて、約束は守る」


 その瞬間、観衆のざわめきが形を持つ。配信のコメント欄は早速、悪ノリの波に飲まれた。


《なんでも? マジすか?》

《マルス信じてるぞ! 聖国十万のリスナーが見てるんだわ!》

《みなぎってきたwww》


 読み上げられるコメント。リサは耳まで真っ赤になり、両腕で胸元を庇うように抱え、尻尾のようなポニーテールがぴんと立つ。


「ちょ、ちょっと待って! アレとかコレとかそういうのは、だ、だめ! ぜったい! お姉様の前だし、村の人も見てるし、配信だって――」


 フォローカムの自動追尾機能がはたらき、せっかくエリシアが外した画角が紅い頬のリサを捉える。


《アレとかコレの具体例を述べよ》

《鈴音の騎士が見守る健全な配信じゃなかったんですか》

《ぼさっとしてないでエルフレ灯せお前らァ!》


 コメント欄が再び爆発した。光の花が周囲を覆い、フォローカムから無数のエフェクトが飛び交う。

 リサは涙目のまま、きゅっと顎を引く。自分を抱きしめる仕草がしなを作っているようにも見え、淫らな雰囲気を助長していた。


「やだぁ……異端者に手籠めにされるのヤダよぉ……っ」


 わんわんと泣き出してしまったリサに、同情の視線が集まる。

 同時に、マルスには非難と侮蔑の目が向けられた。


「年端もいかない少女をむりやりなんて……」

「やっぱり凶悪犯なんだよ。根性がひん曲がってる」

「正直うらやましい」


 村人達は口を揃えてマルスを咎めていた。


《まぁ、約束は約束だし》

《負けたんだからさっさと脱げよ》

《わたし女だけど男ってほんっとサイテー》


 場はにわかに雰囲気を変えつつあった。

 ブリジットは困ったように眉を寄せる。


「マルス。まさかとは思うが」

「何の『まさか』か知らないけど、こいつらの下世話な妄想に付き合うつもりはないから安心しろ」


 手を叩き、フォローカムに向かって指を差すマルス。


「はいはい。お前らちょっと落ち着け。とにかく、外野は黙って見とけ」


 徐々にエルフレの連発が弱まっていく。幾分か静かになると、彼は決闘場の縁に立つメイドに手招きした。


「エリシア。こっち来て」


 呼ばれた当人は目を開いて驚いたが、すぐに意図を察して歩み寄る。マルスの隣に立ち、ブリジットへ礼をした。


「……なるほど、そういうことか」


 ブリジットもすぐに得心したようだった。

 マルスは改めて、泣きじゃくるリサを見下ろす。


「おい、いい加減泣きやめって。なんもしねーから」

「うぅ……ホントに……?」

「ああ。お前みたいなちんちくりんに興味ないし」


 リサの発育はまだ発展途上であり、マルスの情欲を刺激するほどの魅力はない。

 〝俺〟だった頃の年齢を考えても、リサをどうこうしようとは思わなかった。


 それよりも重要なことがある。

 マルスはエリシアに手を向け、リサに鋭い視線を向けた。


「この子を憶えてるだろ」


 その質問で、リサはすべてを察したようだった。

 怯えと反発の混ざった瞳が、上目に彼を見上げる。


「昨日の件を謝罪しろ。正式に、きっちりと」


 マルスの声色は真剣だった。ほんの少し怒気を含んでいるのは、隠しきれない感情の発露だ。

 エリシアが慌てて首を振る。


「待ってください。もうじゅうぶん罰は受けたでしょうし……ここまでしなくてもいいんじゃ」

「よくない」


 即答。


「ここでなあなあにしたらまた同じことが起こる。俺と一緒にいるのを見て、エリシアまで異端者だって思う奴が出てくるんだ。そうじゃないってことを、ここではっきりさせておく」


 プレートに表示された同接数は、ゆうに二十万を超えていた。ダンジョン配信時を超える数字だった。

 多くの聖国民が、この事態に注目している。

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