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第2話 悪役貴族、メイドに出会う

 そんなことはなかった。


 ゴトン、ゴトン、と不規則に揺れる荷馬車の中。

 粗末な木箱と干し草の山が積まれた荷台に、マルスは呆けた顔で座りこんでいた。ゴワゴワした麻のシャツに着替えさせられ、手首の縄だけはようやく解かれている。

 周囲には数騎の騎兵が同行しており、逃亡を許さない雰囲気だ。


(……マジで追放されるのか、俺)


 ここまで来てもまだ実感がない。すべて夢であってくれと願い続けていたが、天張りから滴り落ちる雨水の冷たさが現実であると教えてくれる。

 ふと視線を動かすと、馬車の隅で膝を抱える人物が目に入った。


 リネンのエプロンドレスに身を包んだ少女。どこからどう見てもメイドだ。マルスが馬車に乗せられた時には、すでに先客として乗車していた。

 栗色の髪をざっくりと編み込みにし、暗い表情で俯いている。顔立ちは整っているが、全身から溢れる陰のオーラが彼女の華やかさを打ち消していた。


「あー。えーと……君も追放? なんか悪いことしたとか?」


 沈黙に耐えきれず、マルスはおそるおそる声をかけた。

 少女は一度、ぴくりと肩を震わせたが、すぐに冷ややかな声で返す。


「違います。私は付き人です。あなたの身の回りの世話をするようにと、バレンタイン伯爵家から遣わされました」

「……ああ、そういうこと。俺ってもう貴族じゃないみたいだけど」

「だからです。身内も、召使いもいない。誰かが世話をしなければ、あなたのような人は何もできないでしょう」


 メイドは目すら合わせてくれない。声色は辛辣だった。


(マルスって、周りからそういう風に思われてる奴なんだな)


 他人事のように考えてから、自分がそのマルスになってしまったことを思い出して気が滅入る。


(乙女ゲームの悪役貴族に憑依とか……何の罰ゲームだよ。俺、なんか悪いことしたっけなぁ)


 妹が勧めてきた乙女ゲームにハマっていただけの小市民。

 それがこの世界に来る前の〝俺〟だった。

 それからしばらく、馬車に揺られながら朝の曇天を眺めていたが、重い沈黙に耐えかねてマルスの口が開く。


「えっとさ……名前、聞いてもいい?」

「いやです」


 即答だった。


(おぉ……きっつ……)


 こんな風にあからさまな嫌悪をぶつけられることには慣れていなかった。

 それでも多少なりとも培った社会経験を総動員させて、マルスはコミュニケーションを図る。


「そうだよな。人に名前を尋ねるならまず先に自分から名乗らないとね」

「必要ありません。あなたの悪名は国中に轟いています」

「そんなに? えー照れるなぁ」


 返事はない。


「あれ? もしかして、話しかけられるのもイヤ?」

「わかってもらえてなによりです」

「あぁそうなんだ……じゃあ、喋らない方がいい?」

「はい。口を閉じて、できるかぎり静かに息をしていてください」

「……おっけぃ」


 完全なる塩対応。

 思い返してみれば、聖都を追放される際に「バレンタイン伯爵家と縁ある商家から、ひとり奉公人を出してもらった」と執事に説明された。


「あのさ。俺が聞くのもおかしな話だけど……なんで来たの?」


 思わずこぼれた言葉に、少女がようやく振り向いた。


「親に言われたからです。私は四女だし、学もない。よくある口減らしですよ」


 つまりこの子は、家族の生活のために、厄介払いのようにしてここに送り出されたのだ。


「それは、なんというか……ひどい話だな」

「……あなたが気にすることではありません」


 それきり、彼女はまたそっぽを向く。言うんじゃなかったと言わんばかりに。

 声にも表情にも感情の起伏はなかった。ただ仕事として同行している。親しみも無ければ優しさもない。


(ちくしょー。こんな転生、全然ラッキーじゃねーわ)


 どうして乙女ゲームのキャラに憑依して、こんな扱いを受けなきゃならいんだ。

 ティアナやエドワードのような主要キャラに冷たくされるのは、まあイベントとしてまだ納得できる。

 だが、一介のメイドからもぞんざいな扱いを受けるなんて、仮にも貴族だったマルスには耐えられない屈辱だろう。


(ま、俺はマルスじゃないから全然へっちゃらだけどね。なんとか、かろうじて)


 とはいえ年頃の少女に冷たくされて傷つかないわけでもない。

 これから身の回りの世話をしてくれる彼女と険悪な関係のままでは、生活そのものが危ぶまれる。辺境送りにされたマルスにとっても、この世界をゲームでしか知らない〝俺〟にとっても、彼女は文字通りの生命線だからだ。


「……名前くらい、教えてくれないか?」


 再び問いかけると、彼女はうんざりした溜息を吐く。マルスを見るスミレ色の瞳がやけに印象的だった。


「エリシアです」


 そしてすぐ背中を向けてしまう。


「覚えなくてもかまいません。私もあなたの名前を呼んだりしませんから」

「うん、わかった。エリシア」

「名前で呼ばないでください」

「……ごめん」


 つっけんどんな態度のエリシアに、マルスは苦笑で返すしかない。


「これから、よろしく頼むよ」


 もちろん返事はない。

 馬車の外は、どこまでも灰色の空と雨。

 マルスの新しい人生はあまりに冷たく、そして静かに始まっていた。

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