第72章 ― 次元を渡る者・後編
「この物語は歴史と神話をもとにしたファンタジーです。」
「私はただの“次元を渡る旅人”よ、タニト」
奇妙な女は、くすっと笑いながら言った。
「残念だけど、パラスには入れないの。でも――夢の中なら、あなたには会えるわ」
「……あなたが誰なのか、だいたい見当はついてるわ」
タニアは低く言った。
「レルの側にいる存在……違う?」
女は答えず、上品に笑うだけだった。
「……何が目的?」
タニアが鋭く問い詰める。
「分かっているでしょう、タニト」
女は愉快そうに続けた。
「あなたがイビサを捨て、父なるエルの命令に背いたその瞬間――
あなたは、最も大切なものを“私たち”に差し出したのよ。
そして、反逆は……決して許されない」
「卑怯者!!」
タニアは怒鳴った。
「私の選択のせいで、無関係な人間を殺すなんて……!
人間界への介入は、理由が何であれレルでは禁忌のはずでしょ!?」
「あなたは介入できない。でも――私はできるわ」
女は楽しそうに言った。
「それに、父エルが“あの汚らしい生き物たち”に血の供物を求めるなら、
私は喜んで用意してあげる」
タニアは奥歯を強く噛み締めた。
「でもね、タニト」
女は甘く囁く。
「前にも言ったでしょう? あなたなら、彼らを救えるのよ」
「……私の命が欲しいの?」
タニアが低く問う。
「まさか」
女は肩をすくめ、嘲るように首を振った。
「父エルが、可愛い娘を殺したがるわけないでしょう?」
そして――
にっこりと、残酷な笑みを浮かべた。
「とても簡単な話よ。
あなたと一緒にいる“あの少年”を殺しなさい」
タニアの心臓が跳ねた。
「彼がタニーンであることは、もう分かっているわ。
父エルは、あの存在を決して許さない。
彼を殺せば――あなたの命も、あなたの民の命も助けてあげる。
そして、あなたをレルに戻すことも許してあげる。
素敵な取引でしょう?」
タニアは沈黙したまま、深く息を吐いた。
「どうしたの、タニト?」
女は嘲るように続ける。
「あの子の力なんて、あなたから見れば取るに足らないでしょう?
首を刎ねて、イコルを抜き取るなんて数秒よ。
その首をレルに持ち帰れば――
私が直々にアナトに推薦してあげるわ」
タニアは拳を震わせた。
――殺せる。
簡単に。
だが……その後、どうやってパラスを抜ける?
それに……
ロドリゴは、彼女が聞いてきた“タニーン”とは違った。
……認めたくないが、殺すべきではないと感じていた。
――でも……村が……
「なぜ迷うの、タニト?」
女の声が鋭くなる。
「その忌まわしい存在に情でも湧いた?
それとも――殺し時が分からないだけ?」
「じきにアレスがあなたに接触するわ。
パラスを出られるようになったら、その時に殺しなさい。
そうすれば、私はすぐあなたの前に現れる」
女は愉快そうに笑った。
「私はね、この宇宙の誰でも殺せるの。
あの裏切り者アテナでさえね。
でも……あなたたちが必死に足掻く姿を見るのが、楽しくて仕方ないのよ」
「そこまで力があるなら、あんたが殺しなさいよ!!」
タニアが叫ぶ。
「……はぁ?」
女は露骨に顔をしかめた。
「どうして私が、あんな下品な存在のために手を汚さなきゃいけないの?」
タニアは睨みつけた。
だが――分かってしまった。
圧倒的な力の差。
自分は虫で、相手は神。
虫が神を傷つけることなど、できない。
「返事はまだ?」
女は冷たく言った。
「今すぐ答えなくてもいいわ。
でも覚えておきなさい。
パラスを出たら、少年を殺すこと。
さもなくば――あなたの哀れな村を消し去る」
「誰かに相談したり、誰かを送ったりしようなんて考えないこと。
そんなことをした瞬間、即座に実行するわ。
……分かった?」
「……卑怯者」
タニアは吐き捨てた。
「変わったと思ったのに……」
彼女は歯を食いしばる。
「やっぱり、あんたたちは昔と同じ。
大量虐殺を繰り返すクズ。
キリスト教とイスラムの戦争だって、起こると分かってたんでしょう?
この……ジェノサイド狂いども――」
女は楽しそうに笑った。
タニアの足は震えていた。
その女の存在だけで、精神が押し潰されそうだった。
そして――
女が近づいてきた。
存在そのものが、彼女を引き裂くかのようだった。
「タニト」
女は囁き、タニアの頬に手を伸ばした。
――その瞬間。
頬の肉が、音もなく削ぎ落とされた。
吐き気が込み上げる。
意識が遠のく。
ただ撫でられただけで、致命傷。
顔を見ようとしたが――
見えたのは、血のように赤い瞳と、捕食者の笑みだけだった。
「全てを失わないで」
女は空へと浮かび上がりながら言った。
「あなたは父エルにとって、とても価値がある存在なの。
最愛の末娘が裏切ったと知ったら……
父はどれほど悲しむでしょうね?」
タニアの体は崩れ落ち、意識は夢の底へ沈んでいった。
「何をすべきか、分かっているでしょう?」
女の声が遠く響く。
「あなたの惨めな村の未来は――あなた次第よ」
その言葉を最後に、女は消えた。
――その瞬間、タニアは目を覚ました。
恐怖に駆られ、頬に触れる。
傷は……消えていなかった。
急いで包帯を探し、顔を覆う。
誰にも見られてはならない。
見られた瞬間、村は滅ぼされる。
ベッドに戻るが、体が言うことを聞かない。
失ったイコルの影響で、激しい吐き気に襲われ、
彼女は浴室へ駆け込み、嘔吐した。
泣きながら、何度も。
幸い、アンナはいなかった。
タニアは便所の近くで崩れ落ちた。
そのとき――
彼女は思い出した。
ロドリゴが奴隷を解放したこと。
彼に渡した、金の首飾り。
カルタゴ文明を築き、覇権を握った証。
コインブラの村で、彼が一人一人の遺体を埋葬したこと。
母の墓の前で泣いていた姿。
――人間は、弱い。
だが、生きている。感じている。心がある。
……守らなければならない。
あの、レルの怪物たちから。
ロドリゴはタニーンだ。
そして、自分は殺すと言った。
……でも、それは虚勢だった。
強がりだった。
彼は、凍りついた心に触れた。
彼女を“世界の一部”に戻した。
神であることを呪い、人間になりたいと願わせた。
――殺せない。
絶対に、渡さない。
だが……
村も、犠牲にはできない。
タニアは、再び吐き、嗚咽した。
答えは――
まだ、見えなかった。
「ここまで読んでいただきありがとうございます!次回もぜひお楽しみに。」
「翻訳に間違いがありましたら、お知らせください。」
「とても感謝しています。」




