第68章 ― アンナの過去・後編
「この物語は歴史と神話をもとにしたファンタジーです。」
女神は大きく息を吸い、続きを語り始めた。
「ダグザは……トゥアハ・デ・ダナーンのアヌンナキだった。ずっと、ずっとね。でも彼は隠遁者で、政治とか面倒なことが大嫌いで……自分の役目を放り出して、ヌアザを王座に置いたの。でも……あの戦いは、さすがに無視できなかった。ダグザはトゥアハ・デ・ダナーンで一番強い神だったから……条件を出したの」
アンナは喉を鳴らし、つばを飲み込んだ。
「……アンナに……交わることを求めたの。そして……戦いに参加すること」
ロドリゴは何も言えず、黙って聞いていた。
「私ね、もともとアイルランドの兄弟姉妹とも、あまり一緒に暮らしてなかった。戦の女神だったけど……ひとりが好きだったの。姉妹のバズブとマッハと、王国の外で暮らして、人間界に降りて遊んだり、強い相手と戦ったり……正しかったとは言えないけど、それでも……」
アンナは言葉を詰まらせ、もう一度飲み込んだ。
「ダグザは……気持ち悪かった。ずっとアンナを追い回して、会うたびに汚いこと言ってきて……近くにいるだけで、イヤだった。賢くて立派な神だって言われてたけど……アンナは大嫌いだった」
「アンナが引きこもるようになった理由の大半は、あいつのせい。そんなダグザが……今度はアンナと交わって、戦いに出ろって。トゥアハ・デ・ダナーンのみんなは……それを問題にしなかった。だから……同意したの」
「人間たちが“万聖節”って呼ぶ頃だった。ダグザは、姉妹と一緒にお風呂に入ってるところを覗いて……ひとりになった瞬間を狙った。近づいてきて……色々言って……アンナはやめてって言った。でも、脅されたの。“トゥアハ・デ・ダナーンのための義務だ”って……触られて……」
アンナは、とうとう泣き崩れた。
ロドリゴは立ち上がり、アンナを強く抱きしめた。二人はソファに座り込み、そのまま抱き合った。
「……ありがとう、ルイ……」
アンナは震える声で囁いた。
「怖かった。殺されるかもしれないって……姉妹も殺されるかもしれないって。力じゃ……絶対に敵わなかった。だから……戦争を手伝うって、受け入れたの」
「ダグザは、アンナを“妻”として皆の前に出して……その日を人間の聖なる祝日にした。人間は、私たちのために生贄を捧げろって。だから最初の万聖節は……地上で大虐殺が起きた。信仰は爆発的に増えて……」
「戦争は勝った。フォモール族は追い出された。王は死んで、ルーが王になったけど……あれはダグザの操り人形だった」
「アンナは……囚われの妻になった。毎晩、乱暴されて……苦しめられて……でも、戦の女神だから、強くいなきゃいけなかった。勝者の顔をしなきゃ。弱さを見せるのは、負け犬のすることだから……」
「戦争は続いて……ある日、もう耐えられなくなって……逃げたの。逃げて……フォモール族のところへ行った。元・敵のところ。復讐したかった。全部壊したかった。トゥアハ・デ・ダナーンを……自分の手で焼きたかった」
「でも……姉妹がいなきゃ、モリガンじゃなかった。何もできなかった。結果は……虐殺」
「ダグザはアンナの首を掴んで……絞めた。裏切りの罰として、アンナと姉妹を拷問するって言った。でも……アンナ、逃げた。ルイ……逃げて……姉妹を置いてきた……人間界に隠れた……」
アンナは激しく泣きじゃくった。
「アンナは最低……姉妹を見捨てた。どうなったか分からない……でも、きっと……ひどい目にあってる……」
ロドリゴは必死に彼女をなだめた。
「人間界で、アンナはアテナに出会った。過去を乗り越えるの、助けてくれた。別れたあと……レルに仕事を求めたの。アイルランドを担当にされたけど……トゥアハ・デ・ダナーンとは関わりたくなくて、マラクを仲介にしてる」
「あとで知った。トゥアハ・デ・ダナーンは強かったけど……レルは“ミレシア人”って戦士たちを使って、アイルランドを制圧した。ダグザも、ルーも、兄弟姉妹も負けて……人間をキリスト教化することで妥協した。アンナは、その監督役。でも……直接会う気はない。会いたくない」
「だから……アイルランドが嫌い。特に……万聖節の時期。大嫌い……」
ロドリゴは、もう一度彼女を落ち着かせようとした。
「アンナは……ダメな神。姉妹を捨てて、何百年経っても引きずってる。戦の女神なのに……弱くて、役立たずで、臆病で、負け犬。負けてばっかり。ルイも守れなかったし……正体知って、突き放した。死にたい……ルイ……」
「違うよ、アンナ。それはアンナのせいじゃない。そんなこと……簡単に乗り越えられるわけない」
ロドリゴは優しく言った。
「ダグザを殺したい……それが本音。でも強くならなきゃ。ルイ……復讐するなって言っておいて、自分は同じこと考えてるアンナ……嫌いになる?」
「ならない。絶対に」ロドリゴは即答した。
その瞬間、アンナの表情が変わった。
赤く充血した目、やさしい顔が、暗く歪む。
「殺して……ルイ。あのアル・マンスール卑しい異教徒……自分の復讐、果たして」
「……それって、禁じられてない?」ロドリゴは尋ねた。
「正義を求めるのが……罪?」アンナは逆に問い返す。
「許せ、復讐するなって言う。でもね……誰も正義をしないなら、自分でやるしかないでしょ。なんで、あんなクズを生かして、また何千人も苦しめさせるの……?」
アンナの言葉には、濃い憎しみがこもっていた。
「世界を少し見て……不寛容な王のせいで戦争が起きるのを見て……分かった」
ロドリゴは静かに言った。
「人間も、神も、同じ。感情と衝突だらけで……自分の理想の世界を作るためなら、平気で誰かを踏み潰す」
「力を集める者は、文明のルールから逃げて……下劣な欲望を満たすためにやる。だから……今でもアルマンソールは憎いけど……もう、殺したいとは思えない。あの人も、この悲しい世界が生んだ怪物だから」
アンナは驚いたように彼を見つめた。
「……ルイが、こんなに上手に話すの、初めて聞いた……」
「考えただけだよ。……憎しみの道に進まないための、言い訳かもしれない。でも……アンナがあの男を殺す選択をしても、止めないし、嫌いにもならない」
アンナは微笑み、目を閉じて涙を拭った。
「ありがとう、ルイ……言えてよかった……」
そう言って、すぐ立ち上がる。
「エポナ……大丈夫だった?」
アンナは、まだソファで横になっている馬の女神に声をかけた。
寝たふりをしていたエポナは、目を開けて起き上がる。
「あらあら、そろそろイチャイチャ始まるかと思ってたのに」
皮肉っぽく言う。
「弟子だから。変態」
アンナはえらそうに笑った。
ロドリゴは、アンナが少し落ち着いたのを見て、胸をなで下ろした。
「前にも言ったけど……堕ちた神々が、卑しい妖精に化けて、アイルランドの人間から信仰を吸い続けるなんて……哀れで情けないわ」
エポナは言った。
「妖精……?」ロドリゴは首をかしげる。
「知ってるでしょ。イベリアではアンハナとか、ハナって呼ばれてる」
エポナが答える。
「ああ……子どもをさらったり、悪戯する悪霊だね」
「アイルランドではフェアリー、ブリテンではピクシー、北欧ではエルフ、南欧ではニンフ。神々の世界にいる“ルアー”って精霊のこと」
アンナが説明した。
「そう。アンナの兄弟姉妹は、信仰を保つために、そのルアーを使って人間界に干渉してる。人を脅して、土塚を宮殿だと思わせて。あまりに小物だから、レルも放置してる」
エポナが付け足す。
「じゃあ……今もアイルランドに害を与えてる?」
ロドリゴが聞く。
「形式的にはね」アンナは答えた。
「でも……復讐と、姉妹の行方を知りたい気持ちだけじゃない。アンナ、欲しいものがあるの」
「宝?」
「うん。トゥアハ・デ・ダナーンには、四つの伝説の宝があった。その中でも……特に欲しいの。武器として。元王ヌアザの剣――クラウ・ソラス(Claíomh Solais)。ダグザに復讐するなら……あの剣が必要」
黒髪の女神は、強い決意のこもった目でそう言った。
「ここまで読んでいただきありがとうございます!次回もぜひお楽しみに。」
「翻訳に間違いがありましたら、お知らせください。」
「とても感謝しています。」




