第33章 — アースガルズ ・後編
「この物語は歴史と神話をもとにしたファンタジーです。」
北欧の神々が住む大いなる惑星――その名はユグドラシル。
その大地の上には、天を突くほどの巨大な樹がそびえ立っていた。
この惑星は太陽よりもさらに巨大で、
その枝葉の上には九つの世界――いわゆる「界」が広がっていた。
それぞれの界は虹のように輝く光の橋「ビフレスト」で結ばれており、
その門を守護するのが一柱の神、ヘイムダルであった。
アースガルズ
ユグドラシルの最頂部に位置する主界。
ここにオーディンの宮殿ヴァルハラがそびえ、
この世界に生まれた神々はアース神族――エーシルと呼ばれていた。
常に薄靄に包まれ、庭園と山々が雲海の上に広がる楽園。
ヴァナヘイム
アースガルズの右方にある花と果実の園。
神聖な森が続き、そこに住む神々はヴァン神族。
その女王はフレイヤであり、彼女の宮殿フォルクヴァングが輝いていた。
アールヴヘイム
左方に広がる光と森の王国。
夜でも闇が訪れず、空には絶えずオーロラが踊る。
ここに住む光の妖精アルヴたちは、オーディン軍の「ルア(霊兵)」として仕えていた。
統治者は光の神フレイ。
ミズガルズ
三界の下層にある大門。
その門は巨人ユミルの頭蓋で造られ、
四方には方角を指す四体のドワーフ像が立つ。
内部にはルーンが刻まれた石柱が並び、
魔法陣がビフレストと地上を繋ぐ錨となっていた。
太陽神ソールと月神マーニもここに住まい、天を導いていた。
ヨトゥンヘイム
ミズガルズの左に位置する氷の山脈と凍った湖の地。
巨人族ヨトゥンたちの国であり、首都ウトガルドを支配するのは賢者ミーミル。
彼の首は胴を失ってもなお知恵を語る。
中央には「知恵の泉」があり、飲むことを許された者はわずか。
オーディン自身も九日間ユグドラシルに吊られ、命を賭してその資格を得た。
ニダヴェリル
ミズガルズの右に広がる黒き山脈の王国。
ドワーフたちは山の骨を掘り、金属を鍛え、
神々の武具を創り続けている。
スヴァルトアールヴヘイム
世界樹の下層、左の影の界。
霧と闇に包まれた地で、暗黒の妖精たちが石の巨塔を築く。
彼らもまたオーディンの軍に仕えるが、光の同族ほど忠実ではない。
ムスペルヘイム
スヴァルトアールヴヘイムの右、
炎と溶岩の界。
火の巨人スルトが統べ、ロキの将軍として名を馳せていた。
ニヴルヘイム
ユグドラシルの最深部――氷の門がそびえる冥界。
門の前には龍ニーズホッグがとぐろを巻き、死者を喰らう。
そこを越えた先にあるのがヘル。
ロキの娘ヘルが支配する罪人の王国であり、
無数の異界の地獄が絡み合う次元「シェオル」の一部を成していた。
この壮大な世界を統べるのが北欧の神々であった。
だが近年、神界の危機により、ミズガルズとデンマークを結ぶビフレストは封鎖されていた。
その開閉の権限を持つのは、唯一ヘイムダルのみ。
雷神トールはアースガルズの輝くテラスに立ち、思案に沈んでいた。
「……地上に行くしかねぇかな」
低く呟く。
「親父の命令を破ることになるけど、ロキを捕まえられるなら構わねぇ。
ついでにレルの野郎どもが邪魔するなら、まとめて叩き潰すまでだ!」
大理石の床を落ち着きなく行き来しながら、トールは唸った。
「でも、あの犬耳野郎――ヘイムダルが黙っちゃいねぇだろうな。
オレの考えなんざ、もう耳に入ってるかもしれねぇ……あいつ、耳良すぎなんだよ」
トールは拳を握り締めた。
「いや……とにかく親父を見つけねぇと!」
彼は雷鳴のように歩みを進め、王座の間へと戻った。
だが――そこにいたはずのヴァルキュリアたちの姿はない。
代わりに、黄金の扉の前に立つひとりの影。
長身で、肌は雪のように白く、髪は灰褐色――ほとんど無色に見える。
ただ、淡紫の瞳と黄金の歯だけがその冷たい顔を照らしていた。
青の外套の裾には赤と黒の羽が織り込まれ、風に揺らめく。
ヘイムダル。ビフレストの守護者にして、すべてを聴く者。
「……聞こえていたぞ、トール」
低く静かな声が回廊に響く。
「お前が何を考えているか、すでにな」
「やっぱりな……」
トールは苦笑した。
「だからヴァルキュリアを下がらせ、この俺が立っている」
ヘイムダルは剣の柄に両手を添え、床に突き立てていた。
その刃先から微かな光が漏れる。
「ヴァルキュリアに手を上げるのは父上への冒涜だ。
それを承知で、進むつもりか?」
「じゃあ聞かせろ、ヘイムダル。
その完璧な耳で――親父はこの中にいるのか?」
「分からぬ」
ヘイムダルの声は無機質だった。
「扉の向こうには幾重もの次元壁がある。
我の聴覚でも、その先は覗けぬ」
「……それを怪しいとは思わねぇのか?」
「思うさ」
淡々と答えた。
「だが、我が務めはこの間を守ること。
この門を越えるには、我を倒すしかない。
お前は父に背き、愚か者ロキのために死ぬつもりか?」
「うるせぇ!」
トールの足元に雷光が走る。
「フル=コンプナ・ヴォルン」
ヘイムダルが静かに唱えると、全身が白く輝き始めた。
「我の技、フル=コンプナ・ヴォルン――“完全防御”。
あらゆる攻撃を見切り、触れる前に無効化する。
一歩でも踏み込めば、反衝で塵になるぞ」
その肌が白銀に変わり、まるで生きた白金の像のように硬化していく。
トールは息を吐いた。
怒りの熱を押し殺しながら、
「……分かったよ。家族の顔でも見に行くとするか」
と呟いた。
「賢明な判断だ」
ヘイムダルは光を収めた。
だが、トールが背を向けたその瞬間――
心の奥に、確信のような熱が灯る。
(……いや、あの扉の向こうにいるのは――親父じゃねぇ。)
「ここまで読んでいただきありがとうございます!次回もぜひお楽しみに。」
「翻訳に間違いがありましたら、お知らせください。」
「とても感謝しています。」




