第28章 — アテナ
「この物語は歴史と神話をもとにしたファンタジーです。」
「アテナ!」
全員の声が重なった。
タニア、エポナ、そしてアンピエルが即座に戦闘態勢を取る。
アンナは次元のポケットを展開し、いつでも発動できるように構えた。
「待って、友人たち」
アテナは両手を上げ、穏やかな声で言った。
「私はただの旅人よ。奴隷商人に攫われてしまった可哀想な巡礼者を演じていただけ。――それが罪かしら?」
「アテナ、レルに反旗を翻した反逆の女神。
あなたの首には莫大な懸賞金がかかっている」
タニアの声は冷たく鋭かった。
「まあ、怖いわね。でも……このトゥールーズの街中で、私を捕らえるつもり?」
アテナは皮肉を含んだ笑みを浮かべた。
「次元の隔離空間を使うわ」
タニアが応じた。
「そして? 終わったあと、それを解除すればどうなるの?」
アテナの口調は挑発的だった。
「この街の人々が、あなたたちが“消えた”のを見たらどう思うかしら?
それこそ“神の介入”じゃない?」
その声の柔らかさの奥に、刃のような威圧があった。
ロドリゴは息をのんだ。
アンナは震え、エポナは足を踏みしめていた。
――この女は、神々の中の神。そう感じた。
「もし本当に私を止めたいなら……やってみなさい」
アテナの笑みが妖しく光った。
通りを行く人々が立ち止まり、奇妙な外国語で言い争う一団を不思議そうに見ていた。
アンナはため息をつき、次元のポケットを閉じた。
「……無駄よ。たとえトーテマを使っても、勝てない。
アテナ先輩は、それほどの力を持ってる」
静かにそう言って、一歩前に出て仲間を制した。
アテナは両手を下ろし、優雅に微笑んだ。
「さすがね、アンナちゃん」
「それでも、報告はレルに上げねばなりません」
アンピエルが武器を下ろしながら言った。
「それは無意味よ」
アテナの声が一段と低くなった。
「むしろ……あなたたちを待っていたのは私の方なの」
「どういう意味?」
タニアが険しい目で問い返す。
「アンナちゃん、タニトさん……残念だけど、レルはすでにあなたたちの首に銀の皿を用意しているわ」
アテナは背を向けた。
「私は……大切な人をこの手で葬りたくないの」
「なにを言ってるの、アテナ先輩!?」
アンナの叫びが響いた。
「あなたは賢い子。もう薄々気づいているはずよ。
――続きが知りたいなら、宿に来て。
ここでは目立ちすぎるわ」
アテナは振り返らずに歩き出した。
「三本先の通り、“ル・メゾン・ド・イブー”という宿。
そこで待っているわ」
そう言い残し、白衣の女神は煙る夕暮れの街角に消えた。
「裏切り者と取引する気なんてないわ!」
エポナが怒鳴ったが、すでにその姿はなかった。
アンナはその場に立ち尽くしたまま、顔色を失っていた。
タニアの背筋を冷たいものが走る。
――この任務を受けたときから、ずっと胸の奥に感じていた不吉な予感。
エポナの顔も青ざめていた。
「行く……のか?」
ロドリゴが恐る恐る尋ねた。
誰も答えなかった。
その瞬間、ロドリゴは口にしたことを後悔した。
アンナが崩れ落ちるように膝をつき、泣き出した。
ロドリゴは駆け寄りたかったが、身体が動かなかった。
タニアが静かに歩み寄り、彼女の肩に手を置いた。
「……少し休みましょう、アンナ」
火の髪の女神が優しく言った。
「ごめんなさい……大丈夫。平気」
アンナは涙を拭い、立ち上がった。
「……あの女、いつもそうよ。
人の心を抉る場所を、よく知ってる」
エポナが歯を食いしばりながら呟いた。
「宿を探しましょうか?」
アンピエルが尋ねた。
「ええ、お願い」
タニアが答えた。
夜のトゥールーズの石畳を、冷たい月光が照らしていた。
時刻はまだ六時を少し過ぎた頃だが、秋の夜は早く訪れる。
灰色の石造りの家々に赤い屋根。
細い路地からは笑い声と音楽が聞こえる。
トゥールーズは生きていた。
レオンやカスティーリャ、そして焼け落ちたバルセロナとは違い、
このフランクの街は戦の嵐を生き延びていた。
“フランク王国”と呼ばれる国々は、実のところ複数の公国と領邦の集合体に過ぎない。
名目上はパリの王に従うが、各地はほぼ独立国のように振る舞っていた。
ここトゥールーズもその一つだった。
国境が多いということは、守備も薄いということ。
山賊や奴隷商人がはびこる原因だった。
文化もまた独特だった。
この地は“オクシタニア”と呼ばれ、
カタルーニャに似た言葉と風習を持ちながらも、
どこか北フランスの優雅さを漂わせていた。
街は広く、中央をガロンヌ川が流れている。
古代ローマの遺跡と新しい建物が並び、
その光景はどこか幻想的だった。
高台には大聖堂がそびえ、
その姿はロドリゴがトルトサで見た宮殿にも劣らなかった。
その夜、彼らは小さな宿――“メゾン・ド・ラ・リュヌ・ブルー(青い月の館)”に泊まった。
暖炉の火が静かに燃え、ほのかな木の香りが漂う。
「みんな……ごめんね」
アンナは椅子に深く腰を下ろした。
「今日は……酔いたい気分」
「同感だわ」
エポナがため息をつきながらグラスを手に取った。
「ここまで読んでいただきありがとうございます!次回もぜひお楽しみに。」
「翻訳に間違いがありましたら、お知らせください。」
「とても感謝しています。」




