第22章 — 不確実な夜・後編
「この物語は歴史と神話をもとにしたファンタジーです。」
「――よし、明後日には出発できるように、今のうちに物資を整えておきましょう」
タニアはテーブルから立ち上がりながら言った。
「ここは自由に使っていいわ」
そう言い残して部屋を出ていったが、その横顔にはどこか陰りがあった。
それに気づく者は、ロドリゴを含め誰もいなかった。
「アンタ、あたしはこんなジメジメした洞窟になんか泊まりたくないわ」
エポナが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「マラク、街に行って、まともな宿を借りてきなさい」
彼女は傲慢な視線で天使を睨んだ。
「承知しました。では、馬小屋を探しておきましょう、女神様」
アンピエルは皮肉を込めて答えた。
「馬小屋? まあ、キリストの教えでは救世主もそこで生まれたらしいし、悪くないんじゃない?」
アンナが吹き出し、ケラケラと笑った。
「忘れてるみたいね、このクソカラス。あたしはレルに自由に出入りできるのよ! トーテム一つも使えないあんたたちとは違うんだから!」
エポナが机を叩き、怒鳴った。
その言葉遣いに、ロドリゴは目を見開いた。
金髪の女神の口から出るのは、まるで酔っぱらった農民のような罵りだった。
しかし不思議と、その奔放さに惹かれるものがあった。
「草でも食べて落ち着いたら?」
アンナが挑発するように言う。
「はぁ? じゃあアンタは死体でもつついてな!」
エポナが怒り狂って立ち上がり、机を拳で叩き割った。
「まあまあ、女神方。そこまでになさい」
アンピエルが慌てて二人の間に立ち、両腕を広げて制した。
ロドリゴはようやく気づいた。
本当は二人とも――アンナもエポナも――この任務に大きな不安を抱いており、それが苛立ちとなって表に出ていたのだ。
「では、私たちは宿屋に泊まります。明後日の朝、ここで再び集合ということで」
アンピエルはそう言いながら、まだ暴れようとするエポナの肩を押さえた。
「助かったわ! あと一分ここにいたら、手も足もカビが生えるところだった!」
エポナは鼻を鳴らし、天使の手を振り払うと、くるりと踵を返した。
「蹄の間違いじゃない?」
アンナが小声で呟いた。
エポナは「フンッ」と鼻を鳴らした。
「怒らないでよ、アンナ。そんな綺麗な瞳が台無しだ」
ロドリゴが優しい声で言い、彼女の腕にそっと触れた。
アンナは驚いてロドリゴを見た。
「ぼ、僕、何か悪いこと言った?」
ロドリゴは慌てて手を離し、うつむいた。
「ご、ごめん! 触るつもりじゃ――」
アンナは目を閉じ、深く息を吐いたあと、ふっと微笑んだ。
「ふふ……“綺麗な瞳”なんて、誰にも言われたことなかったわ。ありがとう」
エポナとアンピエルが外へ出ていくのを見送りながら、ロドリゴも立ち上がった。
「僕も、もう休もうかな」
「ルイ……待って」
アンナが小さく呼び止めた。
視線を落とし、少し震える声で言う。
「今夜は……アンナと一緒にいて」
ロドリゴは静かに尋ねた。
「どうしたの?」
「……なんでもないわ。ただ……今日は、アンナと一緒にいてほしいの」
女神は同じ不安げな表情のまま答えた。
ロドリゴはようやく気づいた。
タニアが急に席を立ったのも、任務の重さに胸を押しつぶされていたからだと。
彼は再び椅子に腰を下ろし、アンナの隣に座った。
アンナはまだ虚空を見つめたままだった。
「タニア、あの机を壊されたら怒るわね。ねえ、ルイ?」
そう言って、小さく笑おうとした。
「任務が……不安なの?」
ロドリゴはようやく口を開いた。
「任務? ううん、全然……」
アンナはいつものように微笑もうとしたが、唇が少し震えていた。
「……ほんの、ちょっとだけね」
「ルイ、無理に来なくてもいいのよ。たぶん、想像以上に危険になるわ。
正直に言うと……あなたに何かあったら、アンナ、きっと耐えられない」
ロドリゴはまっすぐ彼女を見つめた。
「行くよ。僕がみんなを守る。どうにかしてでも。
タニアは僕の村の生き残りを救ってくれた。
アンナ、君は僕の心を救ってくれた。二人とも……本当に、大切なんだ」
アンナは目を細めて、優しく微笑んだ。
「ありがとう、ルイ……」
そして、彼女はそっとロドリゴに身を寄せ、抱きしめた。
ロドリゴは少し戸惑いながらも、ゆっくりとその腕を返した。
「……昔ね、アンナも似たようなことがあったの。
とてもつらいことがあって……そのとき、師匠が助けてくれたの。
だから、アンナも同じことをしてあげたかっただけ」
ロドリゴは耳を澄ませた。
彼女の声はかすかに震え、涙をこらえていた。
「アンナは戦の女神……皆、アンナのことを感情のない化け物だって言う。
でもね、アンナにはちゃんと“心”があるの。
時々、それがとても弱く感じて……怖くなる」
「君は……とても優しい人だよ、女神様」
ロドリゴは小さな声で言い、抱きしめる腕に力をこめた。
「そんなこと言うの、ルイだけよ。
だって、アンナのこと、まだ何も知らないでしょう?」
「それでも……君のことは、もう十分知ってる」
「……ふふ、ありがとう。もう大丈夫」
アンナは彼の胸に頭を預け、静かに目を閉じた。
二人はしばらくの間、互いの温もりを感じながら沈黙を守った。
やがてアンナが小さく息を吐き、囁いた。
「そろそろ寝ましょう。明日は買い物と旅の準備があるもの」
「うん、そうだね」
アンナは立ち上がり、ロドリゴの頬にそっと唇を寄せた。
「おやすみ、ルイ」
その一言を残し、彼女は静かに部屋を出ていった。
ロドリゴはしばらくその場に座ったまま、
胸の奥に残る温もりと、言葉にならない想いを抱きしめていた。
「ここまで読んでいただきありがとうございます!次回もぜひお楽しみに。」
「翻訳に間違いがありましたら、お知らせください。」
「とても感謝しています。」




