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六話『少女は舞台に降り立つ』

 頭が痛む。動かなければ、仁を引き止めなければならないとわかっているはずなのに体は言うことを聞いてくれない。


(いかないで、私を置いていかないで。もう私を一人にしないで)


 彼の黄金の瞳が決意のようなもので満ちているのを感じる。何度も目にした、死を前にした者だけが放つ、魅入ってしまいそうな昏く深い恐怖と覚悟の混じった眼。


(止めないと。仁を死なせるわけには)


 ネージュは懇願するように仁の背中を見つめる。しかし彼は止まらない。気が付いていないのか、はたまた分かっていて無視するのか。

 仁が視界から消える。彼の後ろ姿は安心できるようにも恐ろしい何かのようにも見えた。

 少しして、いくつもの断末魔が響き渡る。


(終わった……の?)


 辺りに静けさが戻るとネージュは安堵した。もう少しすれば仁は帰ってくる、そう思えて、自分が心配しすぎていた、と息を吐く。だが。


 そんな彼女を嘲笑うように轟音が鳴り響く。ガラスが割れる音がいくつも連鎖して、静寂を一瞬のうちに遠くに追いやった。


(そんな……仁!)


 嫌な予感が強まり、首筋に鋭い刃が向けられている、そんな死への恐怖に近い感覚が全身を駆け巡ってゆく。誰かが部屋からいなくなる時に感じた、心にぽっかりと塞がらない小さな穴が開くあの感覚を味わうネージュ。


(動いて私! このままじゃ、仁が!)


 頭の痛みも、体の痛みも、心の痛みに比べればどうでもいいこと。抵抗する生存本能を押さえつけ、ゆっくりと動き出そうとして、声がした。


「あなただけ幸せになるの? 私たちも同じ夢があった、同じように必死に生きてきた。そして、あなただけ生き残った」


 気が付けばそこは、あの見慣れてしまった真っ白な部屋。その真ん中にネージュは立っていた。


「なんで……今までの光景は……私の妄想?」


 部屋の無機質で冷え切った空気を吸うたびに心臓が締め付けられて苦しくなり呼吸ができなくなる。

 あの温かな光景は、見ず知らずの自分を助けてくれた『灰月仁』は現実から逃げ出そうとした自分が生み出した幻だった?

 気が付くと頭痛は収まり、体にも力が入る。もう、その必要のないとわかっているはずなのに。

 あの時の、誰の道具でもないと決意したことも幻想で、結局は道具のまま、どうしようもなく先の見えない日々を耐えるしかない?


「あなたも私たちと変わらない。どこまで行っても誰かの道具で、幸せになる権利なんて最初から与えられていない、ただの使い捨ての人形」


 何もなかったはずの空間に、自分とよく似た姿の血まみれの少女が現れる。彼女のことならよく知っている。最も長い時を共に耐えた仲間で——二か月前に死んだはずの少女。


「『ハ壱六』……どうして、死んだはずじゃ」


「ええ、二か月前に死んでる。そこはあなたの記憶通りよ『ユ零弐』。それに私だけじゃない、ほら」


 辺りを見渡せばそこには忘れることのできない人影が自分を取り囲んでいることに気が付く。彼女たちはどれも死の瞬間を保ったままそこに立っていた。

 腕がない者、足がない者、腹に穴の開いた者、見た目はバラバラ。だが、その瞳だけはじっと少女を見つめていた。


「みんな……」


 目の前に失った仲間たちがいる。けれど、懐かしさと同時に、体の中が冷たくなってゆく恐怖がやってきた。


「答えて、ユ零弐。私たちの夢は普通の幸せを手に入れること。そのために私たちは必死に生きてきた。それは同じ。なら、どうして私たちは死ななければならなかったの? ——なぜあなただけが今も生きてるの?」


 その声は、自分を包み込むように、逃がさないようにどこからでも聞こえてくる。耳を塞いでも小さくなんてならない。


(やめて、やめて、やめてっ!)


 言葉を理解することを拒むためにうずくまる。が、それは意味のない雑音になっても心を締め付け続ける。

 そして逃げ続けることなどできはしない。だんだんと音は鮮明さを取り戻し、死者からの訴えを押し付けにやってくる。


「あなたは私たちが死ぬときに何をしてくれた?」


 目の前で命が失われるたびに目を背けてうずくまった。見ないふりをして忘れようと必死だった。


「私たちを見捨てたあなたが幸せになれるとでも?」


 そんな権利がないことなど、最初から分かっている。でも、


「ネージュには幸せになる権利くらいあるんじゃないか?」


 少年の言葉がなぜか胸に残っている。


 偶然出会っただけの少年の言葉。共に過ごした時間は一日にすらみたない僅かなもの。そんな取るに足らない言葉が心を動かすなんて馬鹿げていると自分でも思う。


 それでも。


(私は信じてみたい)


 初めて信頼したいと思った『灰月仁』のことを。自分の中で勝手に導いて、勝手に諦めた答えなんかとは違う、自分を信じてくれた彼の答えを。あれは妄想なんかじゃない、本当は初めから分かっていたから。


「私たちを助けられなかったあなたが、彼を助けられるとでも?」


 自分の作り出した、足を止めるのに都合のいい幻想がそう言い放つ。それでももう迷わない。進みたいと思ったから。


「私たちは人形よ、ユ零弐。逃げられないの」


「それは違う」


 幻想は困惑した表情を浮かべると、だんだんと薄く消えかかっていく。


「私はネージュ——ネージュ・エトワール。人形なんかじゃない、一人の人間。だから私の行く道は私が決める」


 部屋の扉は開かれた。そこに広がるのは真っ暗な廊下ではなく、薄明りで照らされた路地。

 ネージュは立ち上がるとゆっくりと歩きだす。縋りつくようにネージュを掴もうとする幻想たちは触れた瞬間に塵となって消えた。

 扉をくぐると、ガラスの爆ぜる音が鳴りやまずに響いている。

 ネージュは足に力を込めると全力で走りだす。間に合うように、自分の恩人を死なせないために。


「仁!」


 大通りには水触婦ニンフエッテとボロボロの仁の姿。辺りのガラスは全て破壊され、削れた建物の壁からは普通の少年では逃げ出したくなるほどの破壊があったとわかる。

 それでも、仁は立ち向かったのだ。ただネージュを守るために。


「今度は私があなたを助ける」


 同時に魔法陣が輝いて水の散弾がネージュに襲い掛かるが、身を低くして駆け抜ける。その速度は人間とは思えないほど速く、すぐに水触婦ニンフエッテに肉薄。

 水触婦ニンフエッテは触手を振り回しながら後ろに飛び、大きく距離をとる。


「仁、血を止めないと」


 その隙にネージュは仁に駆け寄り傷口を押さえようとするが、仁はそれを制止。


「ネージュそれより先にまずはあの怪異を倒さないと……痛ッ。この剣で左胸のコアを突き刺せば倒せるはず。頼む」


「わかった」


 短く返答し、剣を受け取るネージュ。頼られていることが少しだけ嬉しい。

 ネージュは剣を構えて水触婦ニンフエッテに向けて突撃。今度は水の散弾による攻撃は飛んでこない、代わりに澱んだ青色の巨大な魔法陣が展開する。けれど、ネージュは怯まない。


「何が来ようと突き進む!」


 避けるつもりはない。ただ最短距離を駆け抜ける。

 (ほとばし)る魔法陣の光。目が眩むほどに明るくなったかと思うと、大通りすべてを押し流す巨大な荒波の壁が出現。街路樹が凄まじい力によってへし折られ、あらゆるものを飲み込みながらネージュへと迫りくる。が、彼女を止めるには役不足もいいところだ。


 天災を思わせるほどの魔術。ネージュはその手を振るう。


 ずっと前から知っていた。知らないフリをしていた。ただ、恐ろしかったから。でも、誰かを助けるために使えるのならネージュはその力を肯定する。


 腕に触れたあらゆる超常を無に帰し世界を壊す力、その片鱗を。


 触れた瞬間に波は静止し、その表面には無数の亀裂が走る。そして小さな破片に変わり、崩れ去った。後に残った破片も溶けるように光り輝く粒子になり、消えていく。

 その幻想的な光景の真ん中をネージュは駆ける。光の目くらましの中を走り抜けて。


 水触婦ニンフエッテのコアを全力で貫いた。


 最後の甲高い不愉快な咆哮が耳を揺らすが、ネージュにとってそんなことはどうでもいい。剣を強引に引き抜くと、すぐに仁の元に走る。


「仁、早く傷の手当てを」


「大丈夫、もう血は止まってる。運よく内臓は避けてたらしいから問題ない……はず」


 唸りながら立ち上がろうとする仁を押し倒すネージュ。


「えっと、ネージュさん、いったい何を……」


「無理するなって言ったのは仁でしょう」


 そういうとネージュは仁の首と太ももに手を回して持ち上げた。


「これなら仁も痛くない、そうでしょ?」


「なんでこうなるのかなぁ!」


 夜の街を出会ったばかりの美少女にお姫様抱っこされ、連れまわされることになった仁。ネージュが親切心でやっているのも分かるので断ることもできなくて。


「これからどこに向かえばいいの?」


「まずは次の通りを目指して進もう……怪異と人に出会いませんように」


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