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五話『化け物の狩庭』

「こっちは……大丈夫そうか。早く動かないと怪異が来る。それまでにはこの区画から脱出しないと」


 後ろをついてくるネージュに合図を送って安全を知らせる。仁にとっては見慣れた通学路だが、怪異のいる今は地雷原の真ん中を歩いているような気分だ。曲がり角の向こう側から急に怪異が飛び出してくる想像が頭の中から離れない。

 剣でコアを壊して怪異を殺すことはできるはず。しかし安心は出来ない。


「ここまでは小さな路地だったけど、この次は大通りに出る必要があるな。視界が通るからあまり通りたくはないが、仕方ない」


 が、後ろでドサッ、と物音がして振り返る仁。


「——ッ、大丈夫かネージュ!」


 突然倒れこみ、頭を抱えて苦しそうに喘ぐネージュ。肌にはうっすらと汗が浮かび、短い呼吸とともに吐き出される熱い吐息が痛ましい。

 仁の差し出した手を握るネージュの体温は灼けた砂を思わせるほどに熱くて、彼女の身に起きた異変を知らせてくる。


「ごめんなさい、仁。もう収まったから……大丈夫。はぁ、はぁ……先を、急ぎましょう」


「いや、何言ってんだ。どう見ても大丈夫なんかじゃないだろ」


 肩をつかんで引き留めようとする仁だが、ネージュはそんなことなどお構いなしに先を急ごうとする。

 彼女の足元には汗が滲む。それでもその足が止まることはなかった。が、その足取りはどんどんと不安定になっている。彼女の虚勢が長くは続かないものであるのも確かだ。

 ネージュの強情さにため息を吐くと仁は彼女の背負う。


「な、降ろして! 私なら」


「人に迷惑かけないために強がるのもいいけど、本当に辛いときには人に頼ってもいいんじゃないのか。それに、いざってときのためにも体力は温存すべきだし。このままネージュのペースに合わせるよりも俺が背負って歩いたほうが早い」


 申し訳なさそうに唸ったネージュだが、すぐに倒れこむようにして仁に体を預ける。

 細く白い腕の感触が首に触れる。それは仁にとって想像でしかないが『普通のどこにでもいる少女』と何も変わらないように感じられた。たとえ、背中の少女がどんな特殊な出自であったのだとしても一人の人間であることに変わりはない。


「なぁ、ネージュ。これからさ、何かしたいことってないのか? 行きたい場所とか見たいものとか」


「それは、今話すこと、なの? 今は、そんな状況、じゃない」


「でも、楽しいことを考えてた方が人生うまく行く、って俺の尊敬する先輩がそう言ってたからさ」


 ネージュは少し押し黙る。少しの間、熱い吐息だけが聞こえる。


「そうね、やりたいこと。……学校に通って、みたいかな。友達を、作って、一緒に泣いて、笑って、楽しく過ごして、みたい」


 それは仁にとっては当たり前のことで、夢と言うにはあまりにも小さく感じられる。でもネージュにはそんなささやかな幸せでさえ、夢だったのだ。


「学校かぁ。帰りにラーメン食べに行ったりするのとか楽しいな。ネージュも今度一緒に行かないか?」


「私は、スイーツを食べて、みたい。きっと今までで一番、美味しいと、思うから」


「やっぱり女子はラーメンよりスイーツの方がいいかぁ」


 ネージュの吐息は変わらず苦しそうだが、少しだけ楽しそうだ。


「でも、友達ができるか、心配ね」


「ネージュはその……見た目がいいから注目されるだろうし、優しく相手に接すれば好かれるタイプだと思うけどな」


「そう、かな。ねぇ、仁の尊敬する先輩、私も会って、みたい」


「もちろん。カレン先輩は明るい人だし、信頼できる。頼れる姉御って感じの人だからネージュのこともすぐに気に入りそうだし」


 小さくネージュは笑うと、耳元で小さく呟く。


「はやく、生きて、帰らないと」


「そうだな。こんな所じゃ死ねない」


 もう一度足に力を込めて、仁は歩く速度を上げる。ネージュがかなり軽いのもあって普通に歩くのと変わらない速さで進む。

 道中は最大限の警戒をしながら進むので神経がすり減るが、それでも順調に想定したルートを進めていた。


「ここから先は大通りか。うまく切り抜けられるといいけど」


 目の前に広がるのはこの区画最大の通り。歩道に街路樹が植えられているが、それ以外は真っ直ぐに広がるかなり開けた場所だ。通りに沿うように沢山のカフェや学習塾、各種アミューズメント施設が並ぶところは学生行きかうこの区画らしい。

 怪異は主に視覚で獲物を探すものが多い。この大通りのような場所は怪異にとって格好の狩場ということだ。


「仁、前の通り、嫌な気配が、する」


「……ネージュ、俺が先に言って様子を見てくる。五分で俺が戻らないなら……その時はここで助けを待って欲しい」


「待って、そんなの」


 ダメ、とネージュが言い終わるより先に、仁はネージュを壁に縋らせるようにして降ろす。

 ネージュが足を掴むがひどく簡単に振りほどけてしまった。なおも手を伸ばすネージュを置いていく。


(これでいい。ネージュを背負ったままだと、間違いなく二人とも死ぬ。まずは怪異を俺が殺して、ネージュを運ぶ。これしか方法はない)


 仁は見慣れた大通りに足を踏み入れる。いつもは明るい光に包まれているこの通りも今は真っ暗。が、目を凝らせば深紅の光の粒が建物の隙間からいくつも仁を見ている。

 ピリピリと肌を刺すような気配が次々と襲い、じっとりとした汗が背筋をつたう。夜風に乗せられて微かな野生の息遣いが聞こえてくる。


(数は……全部で七体か。コアを砕くことだけを考えろ。何より絶対にネージュの所へは行かせるな)


 ゆっくりと剣に手をかける。一瞬の静寂が辺りを支配して、激突が起こる。

 グルル、と吠えた一体が仁の元へ駆ける。その動きは怪異の姿も重なって黒い風のように見えた。


黒妖犬(ブラックドッグ)か。ならコアの位置は首の付け根にあったはず)


 鋭い牙による噛みつきが仁の喉笛をめがけて飛んでくるが力任せに剣で殴り、地面へと叩きつける。バキバキッ! と骨の砕ける音が剣を通して伝わってくる。

 普通なら怪異と言えど、殺すのを思わず躊躇ってしまう感触が手に残るが、仁は無慈悲に剣を振り上げ、


「死んでくれ」


 淡々と殺意を込めてコアを刺し貫く。

 コアを失った怪異は赤い目の輝きを失い、二度と動くことはない。人を食い殺す恐怖の怪物も死んでしまえばただの死体に過ぎない。


(初めてにしてはイメージ通りにやれたな。さぁ、次はどう動く、怪異ども)


 一匹で襲い掛かった仲間が殺されると、残った怪異たちは仁の周りを距離をとって回りはじめる。剣が届きそうで届かない絶妙な距離で仁の攻撃を誘う黒妖犬(ブラックドッグ)

 しかし、その狙いは外れる。


 仁は転がる死体を勢いよく黒妖犬ブラックドッグの一体に投げつけた。

 大きくひるむ一体とそれに気を取られる群れ。その瞬間、仁を囲む檻の中に大きな隙が生まれたのを彼は見逃さない。それは一瞬だったが生死を分かつ戦いの中では十分すぎる時間だ。


 仁は死体を投げた方とは反対の黒妖犬ブラックドッグめがけて突撃。切り上げるようにして首元を捉えると、硬い感触と共にコアを両断する。

 そのまま、右隣の黒妖犬ブラックドッグの頭を回転斬りで刎ね飛ばし、戦闘能力を奪う。振り向きざまに背後の黒妖犬ブラックドッグの胸に剣を突き入れ、引き抜くと同時にコアをえぐり、そのままの勢いで首無し黒妖犬ブラックドッグのコアを体ごと斬り潰した。


(あと三体か)


 仁が構えなおすと同時に、跳びかかってくる三匹。足を狙う一匹を斬り払い、首へと飛び掛かる一匹を剣の鞘で殴り地面に叩き落とす。

 が、あと一匹。鞘を持った左手へ噛みつく。


(ぐ、ああああぁぁぁッ!)


 痛みに叫びそうになる喉を黙らせて、黒妖犬ブラックドッグが左手を嚙みちぎるよりも先にコアを破壊する。残り二体。

 足元の立ち上がろうとする黒妖犬ブラックドッグを踏みつけて、串刺しにしてとどめを刺す。


「集中しろ」


 最後の一体は同じく首狙い。であるなら、タイミングは知っている。


「終わりだ」


 仁の一閃がコアを捉えて切り裂く。


「これで終わりか。はやくネージュの所に帰らないと……痛ッ」


 剣を納めた仁は血を流す腕を押さえて、ネージュを置いてきた建物の影へと向かおうとした、その時だった。

 ヒュン、と短く鋭い風を裂く音がして、咄嗟に仁は身を屈める。一瞬遅れて仁の髪を掠めるように、鋭い何かがガラスの割れる音と共にやってきた。


「今度はなんだ!」


 怪異は人を喰らう。だが、それは人間にとっての食事とは本質が異なる。化け物たちにとって捕食とは人間を、そこに宿る記憶を喰らうことによって情報を取り込む学習行為。取り込んだ情報から怪異は身体を変質させ生物的に進化し、技術を習得。そして、個体の取り込んだ情報は共食いによって共有され、ゆっくりと怪異全体へと巡り、人類との生存競争を経て最適化される。

 つまり、人類が進歩するほど、また怪異も強くなる。ゆえに今日も人類は最先端の情報を与えないために都市の中に引きこもり、終わらないマラソンを続けていた。


——つまり、『怪異』とはすなわち『文明の敵対種』。


 仁が視線を向けた先にいたのは闇の向こうから現れた一人の人影。

 しかし、それは人の形をしているだけで、人ではない。女性的な体つきにエナメル質のテカテカと光るライダースーツを着ているようで、頭の代わりに触手の生えた怪物。そして辺りを薄明るく照らす青い魔法陣の光。

 先ほど仁の倒した最弱の『五級怪異』とは格が違う、最低でも軍人数人に匹敵する戦闘力を秘めた『四級怪異』、『水触婦(ニンフエッテ)』。魔術師の情報を喰らったのだろう。魔術を駆使し、本当の怪異と称される、真の化け物がそこにはいた。


「やるしかないか……不味ッ」


 顔を剣でガードする仁。光を放つ魔法陣から拡散しながら飛ぶ水の弾が体に小さな切り傷を次々と入れてゆく。背後からは通りの建物が細かく砕かれる音した。


(——距離を詰めるしかない)


 水の弾幕が止むと仁は駆け出す。魔術の弱点、詠唱中の無防備な状態を狙って仕留めるしかない。仁は迷わず突き進む。

 が、仁の脇腹に鋭い痛みが走り、気が付けば小指ほどの太さの水流が貫通。赤黒く染まり始める。


(怪異のクセに多重詠唱だとッ!)


 動きが止まった仁の腹に水触婦(ニンフエッテ)の鋭い脚撃が叩き込まれ、肺を押しつぶされるようにして息ができなくなる。そのまま触手で捕まれ、勢いよく投げ飛ばされた。


(冷たい。あの感覚だ。死ぬのか……俺?)


 意識が遠のき、ゆっくりと目の前が暗くなっていく仁。


「灰…仁、君……択しなければ……ない」


 目の前には頭部に隠された捕食器官を露わにして迫りくる水触婦ニンフエッテ。頭の中で響く声に気付く余裕などない。

 抵抗できずに仁は捕まえられ、捕食されようとしたその時。怪物は突然、仁を投げ捨てた。まるで、心など無い人食いの化け物が何かに怯えるように。


(なんだ、何が起こってる)


 助かったことを喜ぶよりも先に、仁はこの理解できない出来事の原因を探していた。

 そして見つける。白銀の髪に透き通った青眼。色白の肌に芸術品のような肢体を備えた天使の如き少女を。


(ネージュ⁉)

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