08 青天石と聖なる天花の飴、そして千波由絵の力。それと遠見大志、ランジェス・ゲニアマンバルの力。
朝の教室。
脇から上を、開けた窓から出し、そこを机のようにして頬杖突いて外を眺めながら、形快晴己は思っていた。
(直接的に天獣を殺すためだけの力にしなくてよかったかもなぁ。昨日の南班の今屋村くんみたいな力でさえ、時間が掛かってた。きっと強い力はそれなりに条件とかが強くなるんだなあ……。僕は……僕は、僕の力を磨いて磨いて鍛え上げるのみ! だな)
五組の皆に目を向けると、晴己は、皆に負けないようについて行きたいと思いながら席に着いた。
その朝のホームルームで、ベージエラが言った。
「実は今日、ある発見があって、それを試そうと思います」
天前ベージエラ数学教師は、青い宝石をフレームに散りばめられたサングラスをバッグから取り出し、教卓に置いた。
「これは青天石黒眼鏡と言われるもので、天の世界の銀霊鳥のエネルギーに反応するものです」
「そんなものがあったんなら」
と、不動和行が聞こうとしたが、
「いや、これはね」
と、ベージエラは遮った。
「これは、聖なる天花から取れる蜂蜜と合わせないといけないの。青天石黒眼鏡で確認できるのはそれらの反応で――私はこんなの知らなかったのよね、面目ないんだけど」
「……なるほど」
和行も納得した。
ただ、新たな疑問が生じた。晴己が聞いた。
「その銀霊鳥っていうのの羽根はそんなに取れないんですか? 多分その羽根なんですよね?」
「珍しいから無理よ。それに、封印に組み込むための調合に長い期間が必要なの。だから取り戻す方がよかったのよ」
「そうなんですね……」
「じゃあ、みんなに配ります」
それは飴だった。
前から後ろへと手渡しで送られた小包みの中のものを、皆、とにかく口に入れた。
皆、身体が若干温かくなるのを感じた。
舐めたりかじったりされて、この教室の皆の口の中にあった飴が、それぞれの胃に入り、全身に何かをもたらしたのは明白。そうなった頃合いを見計らったベージエラは告げた。
「じゃあ見ます」
ベージエラは、青天石黒眼鏡を掛け、それを通して皆を見た。
見られる生徒の側には、どことなく祈るような顔がチラホラしていた。
ベージエラの見た景色の中で、五組の皆の手首の外側が、白く淡い光を纏う。その中で例外だったのは……千波由絵だった。彼女だけが朱色に輝いていた。
「千波さん……あなた――」
「あの。私、この力を手放したくないです。これでもっとできることがある!」
由絵は、教室の後ろの方の席にいて、椅子を後ろに勢いよく押してその場に立った。
「それを夢見させておいて、取り上げるなんて、そんなコトしないで……!」
切実な想いが籠もっていた。
ベージエラは心打たれ目を潤ませたが、どうにもできないことだと諦めていた。
そこで、ウィン・ダーミウスが声を上げた。
「ほかに方法は無いんですかっ?」
「無いのよ。また私が知らないだけかもって? これだけは確実よ、残念だけど」
「そんな! そんなのって……」
と、由絵は、机に立てた腕を振るわせた。
この五組の教室に今いるほとんどの者が、掛ける言葉に迷っていた。間違って使われた封印の羽根は剥ぎ取られる。そうすると、由絵の能力は消える。由絵だけが。
由絵は思っていた。
(なんで私だけ。なんで私なの。勝手に持たせておいて。夢を持たせて! 力を研究して、やっと、やっと、お婆ちゃんを治せると思ってたのに……! なんで……!)
由絵の机は、大きな水滴の受け皿となった。何滴も何滴もそれは落ちた。
鼻を鳴らした由絵の近くから、声を届けた者がいた。
「お婆ちゃんのことは、病院がきっと治す、そう信じよう」
犬井華子だった。
「でも」
「難病の研究は難しいだろうけど……でもみんな治したいと思って研究してる……でしょ?」
「……うん……」
その話を聴いて、心を震わせた形快晴己は、自分にできることが無いかと考えた。それができなければ嫌だとも彼は思った。
そして思い付いた。
「あの!」
教室の皆の興味を引いた。晴己は皆に、特にベージエラに目を向け、声高に言った。
「僕の力――『肉体を改造する』ってやつで、千波さんの役に立てませんかっ? こう……僕らの羽根のコピーみたいなものを、肉体改造で千波さんの体に作るんです!」
ベージエラは、とんでもない発想を突き付けられ、言葉が出なかった。口が開いたままになる。
晴己は続けた。
「そうやって作った所に、あの先生の儀式で能力をやれば……やろうとすれば、できるんじゃないかって……。どうなんですか? 僕らの体って、与羽根に改造されたようなものなんじゃ……――」
「それ――」
ジンカー・フレテミスが明るい顔で言葉を発そうとした。称賛しようとしたのだった。
そしてベージエラも顔を輝かせた。
「なんて凄い……!」
そこでベージエラの顔は落ち着いた。
「そんなことを言うと思った? そこまでのことは私に決められない! あなたが言っているのは人間を書き換えることよ! 恐ろしいことを言っているのよ!」
「でも夢を見せたのは天使で、神様で、神様は『僕らに悪いから与羽根用の羽根をちゃんと使った方は残す』みたいなことを言っていたんでしょう? なんでダメなんですか! じゃあ僕らからも取ってください!」
晴己は由絵のために必死だった。
「そうだ先生! 試させてやれよ! じゃなきゃ俺達からも取れ!」
それは速水園彦の同調だった。
「そんな訳に行かないでしょう! 天獣をどうにかしなきゃいけないのよ! あなた達の力は必要なの!」
「じゃあ試すのはダメなんですか? どうなんですか?」
と、木江良うるえが尋ねた。あくまで冷静に。
「いい! もう許可は要らない! 神様は僕らには持たせてるんだ! 僕はやる!」
形快晴己は千波由絵の横に立ち、その手首に手を添えた。
由絵は目に強い意思を宿らせ、その袖をめくり、皆に見えるようにした。そうしたのは自分でも見たいからでもある。
そしてそれは、「やって」ということだった。
晴己が集中すると、そこに、もうひとつの羽根のマークが浮かび上がった。その羽根印に刻まれた文字らしきものも。今回のそれは24-33に見える。24-7らしき天の文字がある羽根印の隣に、24-33。
晴己がそう見えるように願ったのだった。ただ、願っただけで、なぜかできてしまった……ということなのだろうかと、本人は半信半疑だった。
「先生、これ……」
と、由絵自身が、ベージエラに目を向けた。
「ああ、なんてことをしてしまったの!」
ベージエラの顔は、蒼白。その耳に掛かった青天石黒眼鏡を通して、ちゃんと光っているのが――ホンモノを晴己が作ってしまったのが――解かってしまった。
「そんなにダメなんスか?」
不動和行がそう聞いた。
「ちょ、ちょっと確認するわ……」
ベージエラは青い宝石の光るサングラスを外し、教卓に彼女自身が置いたバッグの中にそれを戻し、そのバッグをまた漁ると、スマートフォンのようなものを手に持ち、操作した。そして耳に当てた。
「あ、神様?」
「そういう感じなんかい」
見状嘉烈がひっそりとツッコんだあとで通話が終わり、ベージエラが皆に、暗い顔を見せた。
「これをやった形快くんのことを、神様は……褒めてた。いいんだって。ただ、神様と私だけの秘密にはするけどって……」
「やっ……た……!」
そんな一番の喜びを見せたのは、由絵本人だった。
ベージエラは信じられなかった。
由絵は、その手首を前に差し出しながら、教室の前方へと進み出た。
「さ、先生、いいよ。封印の羽根の方は取っちゃって」
「う、うん……」
ベージエラが何やら手拭いのような物をバッグから出し、それを由絵の手首に当てた。そして目を閉じ、念じた。数秒待つと、その手拭いを裏返し、確認。そこには一枚の羽根が。
その――天の数字が消えた『宿る前の封印の羽根』は、銀色で、青さの欠片もない。
ベージエラはそれについてこう告げた。
「みんな、見たのは青白かったでしょ? でも違うの、与羽根は元々少し青いんだけど、封印の羽根は、この銀色なの」
「じゃあそれ、早く天界に届けないと」
由絵自身がそう言った。
するとベージエラは、今度は、にこやかな顔で。
「ええ、そうね」
昼には、ベージエラは千波由絵を職員室に呼び出した。
「何の用ですか?」
「……あのね。忘れてるワケ? 自分のことでしょ」
「あ、書かせてくれるの?」
ベージエラは、
『 を 』
の紙を差し出した。
由絵はそれに同じものを書いた。
ベージエラがそれに祈るように念じると、その白い紙は、由絵の手首の――以前とは違ってやや肘に近い位置に向かって吸い寄せられ、そして消えた。
その肌に、能力として入った……かどうかを確認すべく、由絵は念じた。
『癒しの楽器を出したり消したりそれで癒したりする』
右の方の字は小さくなっていた。
その力で彼女は自身の祖母の難病を治そうとした。そして天獣との戦いで傷付いた同級生がいたらそれも治したいと思った。そのための楽器、ベースギターが彼女の手に、出現した。
「ちょっと狭いトコだから危なかったわね」
そう言うベージエラに、由絵は微笑みながら。
「よかった。ありがと先生」
「私……最初否定したわ。ダメだ、って。私こそ、ごめんね」
「ううん。それに、この期間、顧問として役立ってもらうからね、天使センセ」
「そうだったわね、岩洲先生も早く戻ってこれたらね。そうしたら私はフリーであなた達に協力できるのに」
天前ベージエラは、岩洲沓会という産休の女性数学教師の代わりに選ばれて遣わされた天使。沓会が軽音楽部の顧問をやっていたからベージエラが頼まれ、担当し今に至っている。
「そうなっても、聴きに来ていいからね」
「ふふ……そうね、あなた達の音楽、私も好きよ」
その夕方。
ベージエラからの一斉送信。
『北東と東、天獣』
それぞれの班が動いた。
北東班は、それぞれがほぼ同時に塀の内側の北東角に到着した。
ランジェス・ゲニアマンバルがほか三人に目を向けた。
「協力してほしいことがある」
『ケモノの言葉を理解し従える』
ランジェスは調理部で、動物のための食事を作ることが多々あった。その言葉を理解したいという想いがあったが、それを天獣にも流用できないかと考えた能力だった。
そのことを彼が言うと。
「よし、分かった。じゃあ、もし時間稼ぎが必要なら、カンザブ、お前が――」
遠見大志にそう言われたのは、交苺官三郎。彼が返事をする。
「俺がうまくやればいいんだな、了解した。もしもの時は、千波」
「任せて」
『物を交換する』という力を持っている官三郎は、和行と組んで天獣退治を既にしていた。今回もできそうだという感覚がその全身にあった。
千波由絵はというと、複数の意味で任されたつもりで臨んだ。
塀の向こうに官三郎が出てから、交換能力でほかの数名も外に出た。
すぐそこの電柱のそばに白い天獣を発見。カンガルーのような脚が付いたカモノハシのような姿。象くらいの巨体。目鼻はないように見える。
ランジェスはすぐに睨み、念じたが、天獣は大口を開けて白い弾丸を放ってくるだけだった。
「お、わ……!」
と、驚きながらも、官三郎がその辺の草とその弾丸とを交換した。弾丸は近くの木へと当たった。天獣自体も近付いてくるが、そこでも交換だ――天獣と遠くの生け垣の葉を。
これを繰り返すと。
いつしか――
「ぎっ……ぎぐ……ぎゅ?」
戦意が鈍っていった。そして何度目かで。
「ぎゅ」
ランジェスに懐いた。
ベージエラは見ていた。
「え、そんな事まで……?」
「天獣と戦ってくれるか?」
ランジェスはとんでもない事を訊ねたが、カンガルーの脚の付いたカモノハシのようなその天獣は、身体全体で肯いた。そして。
「ぎゅるぅ」
と、可愛らしく鳴いた。
ベージエラは悩んだ。
「これはそういう能力だからこそ、よね……?」
実際本当にその力の賜物だった。そうでなければ天獣は人や天使になど懐かないのだ。
そこで、もう一体のことが気になった北東班とベージエラが東班の所へ向かおうとした、その時だ。もしものために待機していた南東班が北東部へと駆け付けた。
「何だ何だ」
と、ランジェスが言うと、ウィン・ダーミウスが焦った顔を見せた。
「東班が……一人連れ去られた!」
「え、だ、誰が一体!」
ベージエラが問うと、
「大月が!」
と、温地美仁が声を張り上げた。泣きそうな声だった。
その瞬間、何か白いものが数人の視界を猛スピードで動いた。同時に、千波由絵がその場からいなくなった。
そこへ、北班と、ほぼ無傷だが腕や顔を打撲で負傷した東班とが、駆け寄った。そしてすぐに北班のジンカー・フレテミスが、
「大月が!」
と叫んだ。
「それはもう分かってる。一体どこへ……」
と、官三郎は、考えもしょうがないことを考えたが、そこで叫び声が。
「千波がいない!」
気付いたのは遠見大志だった。
『遠くを拡大視する』
その力で辺りを見、サポートに回る、そのつもりで選んだ力だったが、大志は、千波由絵と大月ナオを見付けることができなかった。由絵誘拐に関してはたった今の出来事だったのにも関わらず。
「これ!」
と、林田ビカクは手紙を差し出した。『感覚を鋭くする』の能力で感じ取っていた――何者かの落としたメッセージだった。
そこにはこうあった。
『三十人全員とベージエラで天界の地見慈山にある廃ホテルに来い、二十四時間以内に』
そこにいる皆が、皆の顔を見合った。
東班は、妙な着物――の恐らく男――を目撃していた。フード付きの青い着物、青い袴に白い帯、仮面。時沢ルイが先日に言っていた姿だった。その人物と天獣とで、大月ナオは連れ去られたのだ。