07 不穏な動きと、時沢ルイの力。それと然賀火々末、今屋村キン、木江良うるえ、シャダ・ウンムグォンの力。
ほぼ一週間が経った。
そして月曜日の朝のホームルーム。
五組の皆を前に、ベージエラが神妙な顔で。
「今朝確認したら、守護結界の赤天石の、一部……南の塀の所が壊されてた。とんでもない力が掛かって壊れたはずよ。しかも小さな赤い石を探した上で。天獣がわざわざそんなことするとは思えない。それに、もしやるなら、周囲で目撃例やら何やらあるはずで、被害があってもおかしくない、天獣はそのために行動するはずで……そんな目撃や被害はなかった。もしかしたら別勢力があるかもしれない」
「別勢力ぅ?」
口を尖がらせて、立山太陽が訝しがった。
シャダ・ウンムグォンも不安を掻き立てられた。彼女は黒い頬にふんわりとした髪を引っ付けて怯えた。
「ヤだなぁ、酷いことになりそう。誰か大怪我しちゃったり……」
「天獣だけ気を付ければいいだけだったけど、そうじゃなくなるの?」
とは、よく手入れされた爪が特徴的な千波由絵が、手を挙げて聞いた。
ネクタイを着崩した彼女に、ベージエラが言う。
「まあ……そうかもしれない。で、実は……その……誰かが天獣を逃がしたという説が、どうも持ち上がってきているのよ」
「マジですか。え、それって事件じゃないスか。その誰かをどうにかしないと」
と、柔道部の不動和行が焦点を絞った。
「そうなのよ。天界の争いはなくなったはずだったんだけど……もしかしたら何かあったのかも」
形快晴己が、そこである連想をした。思わぬ所に答えがあるんじゃないかと。
「なんか……思ったんですけど」晴己は整理しながら話した。「途轍もない力で、その……結界のための赤い石が壊されてるだけ、っていうのは……僕達みたいな能力を試しているようにも見えませんか? 誰にも襲い掛かってないんですよね?」
「うーん……まだ分からないけど、それはありえないとは言い切れない。でも、あえてこちらが分かるようにやる必要はないわね」
「そっか…」晴己は残念がった。役に立てなかった。
「そもそもおかしくないですか?」
と、淡出硝介が聞いた。
「え?」
と驚くベージエラに硝介が言う。
「なんで天獣は一斉に掛かって来ないんですかね。どのくらいいるのかは分かりませんけど」
「五十体くらい逃げたと思うけど……」
「もっと多いと思ってた」
とは、更上磨土がホッとしながら言った。
「俺も三百体くらいだと思ってたっスよ、ただの想定ですけど」
氷手太一がそう言った、彼は磨土のように安堵するのでもなく、敵が多くとも自信があるようだった。
富脇エリー愛花は萎えた。実に萎えた。
「夏休みも戦うの嫌過ぎん?」
「確かに!」
同意したのは温地美仁。
そんな時、シャダ・ウンムグォンが怖がりながら尋ねた。
「その……先生。五十体だとしてもですよ、なんで最初の頃に一斉に来なかったのか。それって不思議じゃないですか?」
「そう言われれば、そうね……今や何かの勢力を疑っているワケだけど、『そこ』の判断で少しずつにしたのかも」
「あ。ハイ、先生」
と、挙手した者がいた。学級委員の木江良うるえ。
「ハイ、何?」
「えっと……天獣自体が、何か階級みたいなものを持っていて、誰かが指示を出して、私達を様子見していた……とかはないんですよね?」
「天獣自体には理性はそこまでないのよ」
「そっか……」
晴己は、そこで聞いた。
「じゃあ『誰か』が様子見していたってコトですか? そういうコトになりません?」
「そうね……。という訳だから――話は少し膨れたけど――南の塀の赤天石の所を、調査したいと思ってる。放課後、部活のない形快くんと目淵くん、当然残っててくれるわよね?」
「はい了解でーす」
「もちろんです!」
形快晴己の答えは意欲的だった。自分の時間を大事にすることもあるが、とにかく近頃はこの件に熱い想いを抱いている。
「それと、時沢さんは、茶道部に遅れると思うけど、残っててくれる?」
「はい」
時沢ルイは、自分がなぜ指名されたのかを一瞬で理解した。
放課後まで何もなかった。昼に襲われることも。
時沢ルイ、形快晴己、目淵正則の三人は、天前ベージエラ数学教師と共に、南の塀に新しく設置された赤天石の前に立った。
「壊れてたから私が新しい物を置いた。作動はしてる」
「私はこれから茶道」
「……そうね。さあ時沢さん」
返答に困ったベージエラに言われてから、ルイは少し離れ、少ししょんぼりした気持ちを切り替え、その場を見詰めたまま力を使った。
『過去を見る』
彼女は戦闘で前に出るのを怖がり、そんな自分でもできることを探し、サポートの道を選んだ。調査の力を得る人は少ないかもしれない。その彼女の予想は当たっていた。
時沢ルイが念じると、彼女の視界でだけ、そこの光景は過去へと遡った。
そんな彼女が言う。
「犬が……飼い主を引きずって行ってる」
「え、その人、怪我とかは?」
ベージエラが問うと。
「大丈夫。茶太郎くんはいつも加減はしてるっぽいから」
ルイは更に遡った。
傍らで、晴己はこう思っていた――いつもなんだ、と。
「あ」ルイがまた見たものを伝え始めた。「青い和服に白い帯……袴? を着ている人が……」
「なんですって!」
ベージエラが驚く中、ルイは続けた。
「赤天石の所に手を伸ばして……弾かれて持つことができなくて……」
「設置した私以外が持つことはできないからね……私が遠くに行ってしまわない限り。天界くらい遠くにね」
なるほどと三名が思う中、ルイの説明は続く。
「その人物が、何か……何か力を使った。それで壊した。ヒビが入って……。その服装のまま、その人は去った……あっちに」
校舎と塀を前にして、南の住宅街をルイは指差した。
そして続けた。
「顔は見えない。終始和装っぽい服に付いたフードを被っていて、中も仮面みたいなもので……」
「仮面……というのが微妙だけど……その格好からすると……天界で以前、詐欺で騒がれた偽ボランティア集団の衣装ね」
「天界でも変な人がいるんですね」
と晴己が言うと……ルイは力を解いた。
「もういいですか?」
「ええ。ありがとう。二人も、もういいわよ。また明日ね、今日何もなければ」
「そうですね、何もなければ」とは正則が言った。
時沢ルイは、そのまま、茶道部の部室となっている空き教室へと向かった。凛とした姿勢で。
晴己と正則は残ることにし、陸上部が走る運動場のトラックの南にある石段の観覧席に座って駄弁っていた。
そんな時、ベージエラは職員室に戻って危惧していた。
「まさか……いや、そう思わせようとしている誰か……」
ベージエラはさっき言った心当たりが気になっているのだった。
そこへ――
「あ! 天獣――!」
先日決めた通り、ベージエラは携帯電話で一斉送信。
『南天獣気配』
どんどん簡略されていくメッセージに次はどうなるのかと思いながら、南班が動いた。南東、南西の班ももしものために動いた。
塀の内側に、書道部の木江良うるえがまず現れた。そこへ漫画ゲーム研究部の今屋村キン、調理部の然賀火々末、囲碁・将棋部のシャダ・ウンムグォンが、この順で到着した。
塀の隙間から外を見ることができる。見やり、そこにいるのは首長の人型と巨大な犬型の天獣一体ずつだと、この四人は理解した。
「二体……いける?」
と、うるえが聞いた。するとキンも尋ねた。
「どういく?」
「私達の能力だと一番はうるえ」
指示し始めたのはシャダだった。
「私?」
「そう。うるえなら一定空間から身動きできないようにできる。そうするだけでいい。前後に手を通せる穴くらいあれば。で、その穴をここまで伸ばす感じで」
「なるほど」と、うるえは納得した。「じゃあそれで――」
そんな中、既に力を使っている者がいた。それは指示したシャダ自身だった。
『音を遮断する』
彼女は囲碁の試合や勉強に集中するため音を遮断したがった。天獣との戦いの際、前に出たくはないが、サポートならできる、そしてもしかしたら指示も……と彼女は思っていた。
ここでの会話を、シャダは、天獣やそのバッグに居そうな何者かに届かないようにと、『この場にいる者にしか聞こえないように』した。
そして南班の最初の攻撃。木江良うるえの力。
『空気を操る』
彼女は書道部の作品を濡らしたくなかった。雨天の時も自分の身の回りを守れるよう、空気を壁のようにすることで雨を弾き、抱えた作品や文具を守る。自分自身濡れたくもなかった。
そして、それは、天獣を封じることに近い効果を発揮した――!
塀の向こうにいる天獣の二体は、周りの空気がそこから動かなくなった影響で、そこより外へ行けなくなった。しかしその空間の前方と後方は小さな見えない穴が開いている。シャダの指示通り。
そこへ――然賀火々末の力。
『可燃ガスを出す』
彼女は調理部で、何かあった時でもサバイバルで調理ができるようにと、その能力を選んだ。それからはいつも持ち歩いているものがある。コンビニで買えるライターだ。これはかなり戦闘向きだと彼女は自分自身をよく理解していた。
左手の前でライターを構えた。その右手の親指で擦る。
そして火が出ると、そこへ、左手で念じ、可燃ガスを放出。
ライターの火はもういい。親指を離し、しまっても、あとは左手次第。
火々末は小さく叫んだ。攻撃のために念じるあいだ、抑えた声で叫び通しだった。
その声もシャダが遮断していた。誰にも戦術のヒントは届かない。
巨大な瓢箪の一部のような形状の空気の壁の中で、天獣の一体は、燃え盛り、奇声を上げ、動かなくなった。
これが痛々しく感じて、目が潤みながらも、ウズヴォヴォヴォと奇妙な音を立てて天へ昇るように消えた天獣を見て、火々末は勝利を噛み締めた。これで勝てなかったら恐ろしいことが待っているかもしれなかった。
そしてもう一体の方へは、今屋村キンが手を伸ばした。
『物をフェルト布化させる』
彼はゲームが好きで漫画ゲーム研究部に入っていた。兄弟や仲間とその楽しさを共有する手段のひとつに、特定のキャラクターの人形を手作りする、ということをたまにした。これからもやっていくだろう、それを戦術に活かせるならと、石や落ちた枝で力を試していた。それで手にした布は人形の一部になった。
彼自身、問題点を抱えてはいた。念じる時間がかなり必要なのだ。
数十秒が経った頃――うるえが突然、
「やばい、もうダメ……!」
と。その頃には、火々末は、一体を倒していたので、気遣うべきだと悟っていた。
「こっちは倒せた! こっちはいい!」
うるえは一方だけに集中した。
シャダは常に音を遮断していた。漏れないように。
火々末は急かした。
「今屋村、まだなのっ?」
その時、彼が念じた対象は、真っ白な布と化した。瞬間、ウズヴォヴォヴォと奇妙な音を立て、その布が空へと帰るように消えた。
「終わった!」
と、今屋村キンが伝えた。
「ぷはっ! はぁ……はぁ……オッケー?」
ヘロヘロになりながら、うるえは綻んだ顔を見せた。
「オッケー、終了だよ」
と、キンが、ほか三名に笑い掛けた。親指も見せてやった、自身も疲労度が凄まじいという状況でだ。
途端、火々末も安心で腰を落とした。そしてその口を動かした。
「その力、時間掛かり過ぎ」
「いや……そんな仕様に……なるとは思わないじゃん」
肩で息をするキンを見て、火々末も、言い過ぎたかな、と思ったのだった。
「……まあね。お疲れ」火々末は、その目をシャダにも向けた。
「シャダちゃん? もういいよ」
「ん?……ああ、そっか」
シャダは、この作戦で行けると思っていたからか、その場所から音が広がらないようにしたまま、さっきの部活中の棋譜を頭に浮かべ、脳内で勉強していたのだった。音を遮断し続ける――力を使い続けることにいつの間にか慣れていたシャダにとって、キンやうるえがまだそこまでではなかったことは念頭になかった。それでもギリギリやれた、今後はもっと強固な連携になるかもしれない、とシャダは思ったのだった。
内心、キンは残念がっていた。
(せっかくフェルト化できたのに、消えやがんの。天獣のだと無理なんだな)
彼らは塀の中から出なかった。
出ずに勝ってしまったのを見て、ほかの班やベージエラは驚いた。見物に来た晴己や正則も。
「なんて事なの……敵に姿を見せずして勝つ? 急いで与えた力で、連携して、二体もの天獣を相手に――?」
ベージエラは、ゾクリとしながら、こうも思っていた。
(なぜ、何者かは、こんな状況を『用意』しているのか……。時沢さんが見た衣装は一体……)