62 輝きと、色褪せ。その二。
彼が捕まったあの時の真実には続きがあった。
「――逃げたいのなら油断しないことね」
エデルエラはそう言った。そのかなりあとで、神の従者の声。
「ご兄弟を捕まえなければならないだなんて心中穏やかではないでしょう、よくお休みください」
「……そうさせて貰うわ」
その施設の端で――誰にも聞かれない場所で――二人だけの場所で――晴己は、あることを意識し、つい、声にした。
「――え。いや、いやいや、マジか、そうだったの……かぁ……」
傍には天使ガサナウベルが居る。
二人は自然が作った石の椅子の上。
ガサナウベルは、唯々目の前の緑を見ながら、
「そうだったんだよ」
と優しく言った。だが、その表情を崩し、ガサナウベルは晴己の様子から、
(何を考えてるんだ?)
と不思議がった。それほど晴己が変な顔をしていた。
「ん? 何だよ、何か嫌な所でもあったか? さっきまでの話で」
「だ、だって……」
「だって?…………だから何だよ」
「だって」
晴己は中々先を言わない。ガサナウベルは待てなくなる。
「んん?……ほら、だから、だっての先、早く言えよ」
「ん、いや、だってほら……僕、お母さんを呼び出してたんじゃん。実の。母親を。だって、それって、なんか……やっぱりさぁ。ねえ?」
ガサナウベルは、気が抜けた笑顔を作った。それから意地悪く笑い、可笑しさから、抑えられなくなった。
「はっはっは! ああ、そうだな。照神エデルエラはお前の母親。能力で何度も呼んだもんなぁ……大事な人を。この、お母さんっ子め」
「だからだよ、もう、なんか恥ずかしいし」
そう言うと、晴己はその目を遠くの光る木の葉に向けた。
晴己の――自分に纏わるピースが、ほぼ全て填まった瞬間。
唯一つ、晴己は疑問に思ってガサナウベルの方を見た。
「あ、ねえ、《ヴルエンカ》は僕に……って、おじちゃんじゃ駄目だったのはなんで?」
「約束を守ろうとしたんだよ。それはエデル――お前のお母さんとの約束だ。本当の意味で全部知りたきゃ、そこを言わないと納得しないだろお前、『なんでそれが重要な約束なの』『その約束をしたのはなんで』ってな」
「うわ、確かに、僕言いそう」
その二言三言に、フッと軽く笑ってから、ガサナウベルが口を動かした。
「もし深く知りたくなかったら……別の道を本当はお前が望んでいたら……そういう事を俺も思ったんだよ。色んな事を考えた。だから、『これは言わないでおこう』と選んだこともあったんだ」
一旦納得してから、晴己は笑って、前を唯々見た。
「でも……そっか」
少々間があってから、ガサナウベルがそれに対して、
「ああ、そうだったんだよ」
と、言うと、また晴己は、
「……そっか」
ただその納得感を、味わった。
そして今までの、出来事を振り返る。不思議な声のことも。
「僕、声を聞いた気がしたんだ。何度か。お母さんみたいな、優しくて、温かい、そういう声」
「エデルエラは念話が使える」
「……そっか」
キレンを助けたくて照神エデルエラの異能機器の映像を見た時を思い出した。
また納得を味わってから、晴己は、それなら、それはこういう事だったなと、言葉にした。
「ずっと近くにいた」
少し間を置いて、ガサナウベルが、
「そうだな」
と言うのが、晴己の心に、心地よく響いた。
「ずっと……見守られてたんだなぁ」
それをガサナウベルに届ければ、彼がそうだと応えるのは解かり切っていた、そして、晴己は、天界の女神――照神――エデルエラ――母の事を、そう言えばもっと教えて貰える気がした。
そこへ、ガサナウベルが届けたのは。
「よそ見くらいしたかもしれんぞ?」
「えぇー? もう、そういうのはさぁ、言わなくてもいいんだよ?」
「失礼しました」
二人は、大自然を前にして、二人だけで、くすくすと笑い合った。
九時頃。晴己が食堂に皆を集めた。
「ハルちゃんが? 何なんだろ」
という声等々、様々な声がそこにはあった。
晴己が、彼らに向けて――
「こちらガサナウベル。僕の家族だ。おじさん。お母さんのお兄さんらしい」
そう言うと、硝介が、
「マジ……? そうだったのかよ」
と。キレンも口が開いたままだ。そのあとでシャダの声が。
「母親は誰なの? 先生から聞いたよ、養子だったって。で、今、お母さんのお兄さんとしか聞いてないけど」
「ああ、そっか」晴己は、肝心な事が抜けていたと思ってから。「照神、エデルエラさんが、僕のお母さん」
「え!」ランジェスが驚いた。
「そ……マ……?」
言葉にできずに、キンはそんな声を届けた。
「幸せそうじゃん」
この時の晴己の顔を見て、そう言ったのは正則だった。
「僕が、どんな風に生まれて人間界に下りたかを、さっき、おじちゃんから聞いたんだ。僕、影天界と光天界、両方の神王族なんだって」
ベージエラが口をあんぐりと開け、そしてそこから、
「道理でぇー!」
と響かせた。
ふと、晴己の頭の中に気になる事ができた。
それは最初の頃を思い返したからで――エデルエラ――母を晴己は探した。食堂内に居はした。
「ちょ、一寸、いいかな」
「なぁに?」
その話し方に親しみ易さが最初からなぜかあったのは、
(そういう事だったんだよね)
と、そう思いながら、手を引き、皆の居ない建物の外に出た。そこで話した。
「なんで最初、あんな風に言ってたの? えと……お、お母さん」
「んー? どれのこと?」
今は、照神エデルエラはいつもの服装ではない。少し前から――共に行動するようになってからそうだったが、今、晴己の母は、それらしくという意味もあってか、今風の衣服を着ている。そして今は晴己の言葉を待っていて、当の晴己はたった今言い方を思い付いた。
「あの、廃墟のホテルでのこと。マーシェルさんと居た、あの屋上での――」
「……ああ、あれは演技よ。バレないために」
バレないため。
言われて晴己は、そうかと納得した。自分がどこに居るか、誰がハルキヴィエルなのか、影天界から狙う者にバレる訳にはいかないのは当然で。『あなたはこんな人よ』なんて言う訳に行かないから。
エデルエラの言葉は続いた。
「それと、神王族の体に戻さなきゃいけなかったから……戻っていたから……強くしようとして却って天使以下のグレードになる……というのを避ける考慮もしたかった。結局、あなたは、神王族の体をどうにかしているだけだったけどね」
「そっか……雷打、雷刃の、デンキウナギ化的な肉体改造も?」
「そうできる神王族の体にしているだけ――だったわよ?」
「……そうなんだ……」
本当に全ての謎が、晴己の中で解けた。
そこで、エデルエラは、実子に自ら言葉を掛けた。
「あなたは私にとって、当然、大事な子よ、晴己」
優しい響き。年上の女性からそう言われたのはいつぶりだろうかと晴己は思った。念話では聞いていたが、肉声ではと。それが嬉しかった。しかももう肉親だと知っている。
「生き残ってね。そして守るの。だからあなたは強い。そんな何かのためなら強くなるあなたを見てきた。晴己、生きてね。ただ生き残れば、それで終わる。いい?」
「うん」
そこに居たのは、ただの親子だった。
同じ日、朝十時。
「よかったのか」
ガサナウベルがあの自然が作った石の椅子の所で――この施設を囲む結界自体の端でそう言った。彼は念のためか、いつも妖刀《ヴルエンカ》を入れている鞄を、足元に置いている。
「うん」
晴己の返事はそれだけ。
もし晴己が友人達をこの戦いに呼ぼうとしているなら、出発時間は十時半だった。
だが、晴己は呼ぼうとしなかった。その場合は出発時間は十時にする――と、ガサナウベルと晴己は実は話し合っていた。その決定を照神と鬼神は知っていて、そして受け入れているからこその会話だった。
ガサナウベルは、まだ晴己と二人だけという状況だからと、話したいことがまだあったことを思い出し、それを話し始めた。
「お前の中の黒い力。闇力だけではなかったな。ちゃんと継いでた。心配はしてたんだ。その事でまたお前が悩むんじゃないかと」
「……そうだね。もし訳も分からないままだったら、そうだったかも。でも、大丈夫。嫌な力じゃない。僕は全部を否定はしない。悪いのは悪巧みをする人だしね。エンリオットさんが証明してる。それに、影天力に限らない。何があっても僕は僕、そうでしょ? もうハッキリ分かったよ、もう直接的な謎は零だしね。僕を惑わす物は、もう無い……無いんだよ」
「……そうか」
納得してから、ガサナウベルは、また言いたくなった。今度は力ではなく心について。
「よかったと思うよ。お前が、ハルヴァントの力も受け継いでいて。あいつはお前の中に居る。ここに」
ガサナウベルが、晴己の肩に手を置いた。そしてすぐに離し、その手で、晴己の背中を、ポンと叩いた。それは胸の裏でもあるし、翼を生やす部分でもあった。
「うん」
(その御蔭で、色々と、できたよ……お父さんの力の御蔭)
晴己は胸に手をやった。あの鼓動を思い出す。そしてそこに、繋がりを感じた。
「晴己、翼を出してみろ。今のお前ならきっとできる」
「え」
ガサナウベルの突然の言葉に、晴己は面喰らった。
「出してみろ」
晴己は念じた。すると、背に、白い右翼。左翼は消炭色。
「はは、ホントだ」
晴己は、そこにも愛の証があったんだなと思った。自分の父の存在感を、滲む視界の端で見た。
「ホントだ」
(こっちがお母さんので、こっちが、お父さんの。二人のが、ここに。ここに)
その翼を仕舞ってから、涙を拭く。
服は破けていない。脱走する時のガサナウベルの服が破けていなかったのを晴己は思い出した。
(同じだ。同じ)
晴己はそのことも嬉しいと思った。
「本当に、泣き虫だな」
「だって嬉しいんだもん」
「嫌じゃないぞ、そういうのは」
ガサナウベルはそう言ってから、
「それにしても」
と、話を変えようとした。それは、これで晴己が泣き止めば精神が今より安定すると考えたからでもあった。ハルヴァントを意識したからでもあった。詰まりはそれは愛のためでもあった。
「厄介な強者になるからだと思っていたが……実際に血筋に問題があったんだな、奴らにとって。色んな者が狙われたから、てっきり戦力を削ごうとしていると思っていた、強くなる要素もあったしな。前からだから侵略だとも。その時もだったんだな。そして度々こういう事が起こり、そして今はお前なんだ」
「……こんな手段に出る人に、影天界を任せられない」
「そうだな」
そこへ、鬼神がやって来た、照神――晴己の母エデルエラも一緒に。
「さあ」エデルエラが話し出した。「晴己、闇神も呼びなさい、今なら彼も来る筈」
「あ……うん!」
(ズガンダーフさん、ここに来て)
思い出しながら念じた、あの時の一体感を。あの時だからこそできたこと。借りた力があった時のこと、アスレアから聞いた彼の温かい話、それらを思い出しながら。
現れた。懐かしいズガンダーフ。四つの腕。彼の角はそんな風に生えたんだなというのを、晴己は初めて見て思った。
「ふむ、時間か」
彼がそう言った。彼に、晴己は、ガサナウベルに向けるのと似た笑顔を向けた。
「さて。あともう一人」
「もう一人?」
エデルエラに晴己が訊き返すと、
「妖神も」
と彼女が。
面識は無いが、話が通っているんだろう、そう思って晴己は念じた。
(妖神様。来て)
すると、目の前に、翅を持つ背の高い女性の姿が。白基調の厳かな衣、水色の帯。薄桃色の長い髪、とは言っても鎖骨くらいまでの。彼女が言う。
「準備できたのね」
妖神は、視線を、全員にやったあとで晴己に向けた。人数を確かめる意味もあったんだろうと晴己は考えた。
「ええ」照神エデルエラが。「彼が晴己」
言われて晴己は頭を下げた。
エデルエラは続けた。
「こちら、妖人界の神、ララヒャトレフィ」
「ララと呼べばいいわ」本人が言った。
「どうも。えと、ララさん」
と晴己が言うと、
「タタロニアンフィから聞いているわ、死力を尽くすと約束します、光天界と影天界の未来のために。延いては私達の世のために」
と、妖神ララヒャトレフィの意気込みが言葉に。そして彼女は微笑んだ。
「お願いします」
そう言って軽く会釈した晴己に、ララヒャトレフィが、
「こちらこそ」
と。そして手を数秒だけ握り合った。
ただ、すぐにその顔は引き締まる。ズガンダーフの顔も。
ガサナウベルが、そこへ、もう二人呼び寄せた。かつて晴己を眠らせた女性。ブルゼビウス一派を捕まえた時にも会った。その手に白い籠がある。その横には、ガサナウベルほどではないが背の高い男性。
「どうせ呼ばないと思うけど一応――私の名前はネモネラ。でもやっぱりほら、一度に覚えられないでしょ、この人数を」
「はは、確かに」
晴己がそう言ったあとで、隣の男性が自己紹介を始めた。
「この施設のための色々と、空影なんかには対応した。ゾリイェルだ」
彼とも晴己が握手。すると、ガサナウベルが、
「これで……このレベルで戦える仲間は全部だ。さあ、生き残り合うぞ」
と、そう言った。
エデルエラが頷くと、それを見た皆も、晴己も、頷いた。




