58 軽い物、重い物。
とある並木道。そこで、まだ骨太過ぎる変装をしたままの天使ガサナウベルは、ただパンを買い入れた袋を持って歩いていた、晴己の居るホテルへと。
彼は敵か味方の接触が無いかと気にしてもいた。
そこへ――急に後ろから声が。
「そこ往く天使さん」
突然のことで、彼が勢いよく振り向く。
そこに居たのは、照神エデルエラだった。
いつも急だ。そして彼女の声が届く。
「調べ終わったわ」
「ほ……本当か」
「ええ。調査能力封じの宝石……まあアレ以外にも色々あるけれど、そういった物を持つ者をも――全部を調べ上げた。封じを突破する能力は難しかった、でも、それを二十年掛けて得て――やっと。言っておくけど、私が本当の目的を知ったからあの子達の調査にも影響が出たのよ、本当の所を知っている人は極少数だったしね」
「……! そうだったのか」
「ええ。タイミングからそうとしか。それにしても。長かったわね」
「……ああ、長かった」
「もう、調査の欠けもないわ」
そう言うと、またも女神は消えた。
「関わった連中全員のことが判ったらしい」
部屋に戻ると、まずガサナウベルは椅子に座り、ベッドに座っている晴己にそう告げた。
「じゃあ」
「あとは戦うだけだ」
最終段階と言えた。そんな状況だからこそ、晴己とガサナウベルは山の中の避難施設に移った。全員で対処するにはやり易い、人選もし易い。
恵力学園一年五組の面々も、同じ建物に居る。その一階の談話室で、晴己の能力で変装を解いて貰ったガサナウベルは外を眺め、もうすぐ終わると心に綴った。そして、つい言葉にした。
「……とんでもない切っ掛けだったんだな……」
晴己は出て行こうとしたが、それを偶々聞いていた。
「え、何? とんでもない切っ掛け? 何それ。どういう切っ掛け? 何の?」
晴己も変装を解いている。
晴己はガサナウベルの隣に立った。二人で外を眺める。
「うーん……。いや。それは今は言わない」
「ええ? じゃあなんで言ったの」
「口が滑ったんだよ、衝いて出てた、ごめんね」
ガサナウベルは、そう言って、近くの椅子に座り、背凭れに寄り掛かった。そして続けもした。
「一寸そういうトコがあるよな、お前はやっぱり。じゃあなんで、なんでなんで、って」
(聞いていないからまだ死ねない、そう思ってくれないもんかな、お前は)
ガサナウベルはそんな風に――想っていた。
「何それ、そういうトコがやっぱりって、口が滑ったのはそっちじゃん」
そう言って晴己も、その近くの椅子に座った。
晴己は、そんな一寸したことをも、とにかく知りたかった。縋りたかった。もし何も分からないまま全てが終わったら、そして知る機会が無くなったら。若しくは知ることなく終えることもできずに死んだら。……そんな無念を抱きたくなかった。
だが――晴己が拗ねただけに見えたのか、ガサナウベルは言わない。
「くっはっは。……それより。場所は肝心だ。あちらもこちらも、影天界の奴らにはかなり知られてる可能性がある。まあここは別だがな。それで、戦いの舞台は別の場所になる。アイツの力があればそこに全員を呼ぶのは一発だ」
(……アイツ? 誰だろ。神様かな)
晴己はそう思ってから、椅子に座ったまま窓の外を眺めた。
「じゃあそこで、全てが終わる」
「そう、そのための打ち合わせが大事だ。で、序でに、あいつらも戦うと言い出すだろうから――。どうする?」
「え?」
ガサナウベルもまた窓の外を見ていた。晴己の声だけを待っている。晴己の方を向かない。
「本当は戦ってほしいのか、それとも、戦ってほしくないのか。お前が決めたっていいんだ」
「でも味方、少ないんでしょ?」
「……まあな」
重過ぎる運命。何人の命がこれに懸かっているのか。ここでの決定は重い。重い舵取りだと晴己は思った。
晴己はさっき談話室を出て行こうとした、ただ外をブラブラしたかったからだが、そのために立ち上がり、また出て行こうとした。そして部屋を出てすぐの所で、
「実は少し聞いてたよ」
と声を掛けられた。
談話室の出入口付近の壁に寄り掛かって立っていた人物の声だった。花肌キレン。想い人。互いの気持ちをもう十分に知っている。
晴己は彼女のことを想った。そして皆のことも。
「僕は、みんなには……危険な戦いを、もうしてほしくない」
「ハルちゃんらしい」
行ってしまいそうになる晴己を、キレンは引き止めるように――
「私は――会えなくなるなら、それは、同じことだから。私にとっては同じだよ」
「……分かった、考えとく」
「本当に?」
「僕だって……会えなくなるなら、それは同じだから」
だが晴己は、その顔を、キレンに見せなかった。その建物の出口の方を向いたまま。それから、キレンにも聴こえない声で。
「だから……――」
(だから、僕の中では、決まってるんだ)
そして歩き出した。
(思えば最初から、場違いな何かだったんだと思うよ。僕の方が必要としてた。それに、みんなの方が、巻き込まれただけだったんだ。みんなを……。だから、みんなだけは……元の場所に、帰してあげないといけない……僕はそう思う。だから、僕は、これでいいんだ)
晴己は、言わずに建物を出、あの申し訳程度の広場の長椅子に寝そべった。空は晴れていても、それが心を晴らすとは限らない。晴己は、
(それでいいんだ)
と、ただ繰り返していた。
「場所について話しておこうと思う」
皆を集めたその避難所の食堂で、ガサナウベルが言った。そこには照神エデルエラも、しかも最初から居た。
「彼らを呼び出す場所は、鬼人界にした」
皆に向けてのその声のあとは、照神が続けた。
「一応話はしてあるけど、調査が終わったし、もう呼んでおこうと思う、協力者の鬼神をね。あなたの力でやってみて? それが一番早い」
彼女の指先は、晴己を示していた。
「僕?」
と自分を示す晴己に、照神は促した。
「あるでしょ、敢えて平仮名で決めた『かみをあやつる』っていう能力が」
「あ、ああ、うん……」
晴己は皆の前で目を閉じ、念じた。
(鬼神様、来て)
女性が現れた。分厚い筋肉。両眉の上から生えて斜め後ろへと――其々の側頭へと傾いて伸びた角。髪は黒く艶があり長い。それが鬼神。和風のような着物を纏っている。
「あなたが呼んだの?」
「あ、はい」
「そう……。私は鬼神のオロクガネア。でも……そいつ、頼りなくないか? 心配だな、勝てるのかどうか。私の土地で戦いを終わらせるための戦いをするとは聞いた。だが本当に準備万端か?」
その目がギラリと晴己を捉えた。
照神エデルエラは――
「取り敢えず、その場所を紹介しておこうと思って呼んだわ。あちらが知らずにこちらだけが知る、その状況を作れるんだから作りましょうってこと」
「なるほど」オロクガネアが。「ギガラグガラ山の廃モール、だったな?」
その時だ。
この施設の食堂に、万一を考えてテレビを設置していたが、それが騒がしいニュースを伝え始めた。
『何者かが天宮の中に忍び込んだとの情報です!』
「まさか……!」まずガサナウベルが言った。
「もしかしてこれも影天界の……!」
とはベージエラが言った。
「怖いのはそれだからってだけじゃない」ガサナウベルが皆に説明した。「封印の羽根を狙われている可能性がある。天獣の悲劇がここ天界で起こるかもしれない、影天界の者の手によって!」
そこで、更上磨土の声が、
「人間界では――」
とだけ。もうすぐ言葉が続くと思われた時、ガサナウベルが察して解説し始めた。
「あれは数を調節したんだ、お前達への試練のために。危なくないようにはしただろ? だが敵はそんな事考えない、狙われたらとんでもない事になる。二手に分かれよう、俺が儀式用具倉庫に行く、お前は天獣封印施設の前だ」
お前とは、晴己が言われた。
「私も行く。そいつの力をこの目で確かめる」
相変わらず鬼神は晴己を鋭く見た。
「じゃあ――」
ガサナウベルがそう言うと、照神も、
「私も行くわ、倉庫の方にね」
と。だからガサナウベルが、
「繋ぐぞ」
と言ったが、そこへ、
「私も。あの。新しい力も身に付けたので」
と、なんと、ベージエラが名乗り出た。
「俺も」
「私達も」
其々、エンリオットとタタロニアンフィだった。
ガサナウベルが空間を接続。まず天獣封印施設の前に移動した。天使ガサナウベル、照神エデルエラ、天務調査官の天使ベージエラ、晴己、鬼神オロクガネア、妖神の娘タタロニアンフィ、妖使オフィアーナ、元暗殺者エンリオット、計八名が。
そこは、何やら厳かな白い建物が規則正しく並んだ所だった。
目の前に天獣封印施設の大きな門らしき物と敵の姿が在るのが解かった。
それから別れる。
ガサナウベル、エデルエラ、ベージエラの三人は、ガサナウベルの空間接続で天宮儀式用具倉庫前へと移動した。
晴己の前に、相手は三人居た。
その一人は中肉中背、短い金髪の男。しかも白い翼がある。彼は今まさに、大きな門の前方上空に浮遊していて、その辺りにある封印の羽根を剥がそうとしていた。彼が使っているのは影天力ではなく天力。それによって剥がすのか、それには時間が掛かるようだった。
「お前達はあいつらをやれ!」
と、その男が結界を張って言った。
言われた二人の傍に、人が倒れていた。恐らく見張り。
二人が来る――!
その頃、施設のあの食堂では、シャダが、
「地図を――」
と辺りに目をやった。探した。アスレアは、
「分かるの? というか一緒に行けばよかったね」
と当然の疑問。何せここは人間界ではない、光天界だ。共に行けば手間は少なかった。
「あれ以上待ってもらうのは逆に危険かもって」
シャダのその判断もまた大事だった。
本が置かれた棚が端にあった。そこに地図があった。シャダはそれを机に広げた。
だが場所そのものを探すことになる。アスレアも知らなそうな反応を示している。
「天獣の封印施設よ、気掛かりなのは。空間……接続空間に見えたのは、伝統的な建物ばかりを並べた所に見えた、もしかしたら天宮っていう場所からそう遠くないかも」
シャダがそう言うと、シャダだけでなくほか数人も目を通していった。
白く髪を染めた背の高い男が、跳ねる前の屈む動きをしたあと、殆ど一瞬で晴己の目の前に移動した。
拳を出され、晴己が撥ね返し、後ろ回し蹴りをお見舞いすると――
「がっ……! 何!」
と、男は距離を置いた。
オロクガネアは様子を見ている。倒してみろと腕組みしている。
(ふうん? 今のはいい動き)
もう一人の男――黒い短髪のすらりとした男――が、扇子を生み出し、それを向かわせた。一瞬で。刺すように。
狙われたのはタタロニアンフィ。その前へと庇うようにオフィアーナが移動した。
オフィアーナが手を前に出すと、扇子はその手に払われ音も無く完全に消えた。オフィアーナの削る力。扇子を放った男は驚きの顔を見せた。
門の前で、向き合う。
晴己は彼らを逃がさないために念じた。
(封印)
×空間接続
×能力封印
×結界
×鏡から鏡へ
手の甲に浮かんだ刻印は一色ではない。『×結界』と『×鏡から鏡へ』は金色、『×空間接続』と『×能力封印』は漆黒の刻印。
晴己が解かり易く封印できればと望んだからこそだと自身でも考えた。そして白の刻印が無い――残り二人は封印しながら戦うべき相手――と晴己は考えた。
「三人は白い髪の奴を! 僕は二人をやる!」
そして晴己は空間接続で白髪の男とタタロニアンフィ、オフィアーナ、エンリオットを落下させるようにして別の場所に移した。
封印されても男の張った結界は消えていない。維持が必要ではなく置き型とでも言うのか。もう張れないのは確実。……それにしても。あの段階で結界能力への封印を発動できている――という事は、そこにあるのは物理的な結界というだけらしい。それを壊しダメージを与え拘束するために――
「結界崩しの剣!」
それを向かわせ、結界だけを刺す。一瞬で破壊。男を守る結界は消えた。引き寄せ、腕に剣を宿し直す。
「さあ来い」
そこにはもう四人しかいない。しかもオロクガネアは見定めようとしているだけで、動きを見せない。二対一。まあ相手はそう思っていないかもしれないが。
(戦うしかないか)
そう思った金髪の男は、門の上部から下り、首をコキコキと鳴らし、晴己を睨んだ。




