56 今のうちにできること。希望を呼ぶ者。
空影が暴れたニュースはほかに無く、形快晴己が紙に問い掛けても、
『全て泡と化した』
と字が浮かんだことで、今回の大量空影出現事件の幕は下りた。そして晴己は思った。
(多分、みんなのうち誰か……対象が限定的な念力の能力者が、同じことをやってる筈)
実際その通りだった。白天舞ホテルの一室で、皆に向けて、
「もういいらしいな」
と、氷手太一が言った。彼は氷を出し、『もういいなら動け』という条件付けをし、動いたことを確認した。そして念のため『もういいなら動くな』という条件での動かない氷をも確認した。
部屋で、不慣れな影天力を派手に使った。晴己がだ。故に――
「ホテルを変えよう」
天使ガサナウベルがそう言った。嗅ぎ付けられる虞がある。
二人は、また別の変装をした。晴己は、今度は筋骨隆々な女性に。ガサナウベルは筋骨隆々な男性に。晴己の能力『肉体を改造する』にて。
そして移ったホテルの一室で、
「そういえば」
と、晴己は、あることが気になったため、話し出した。
「ああいうのが喋るようになるのって、取り込むからだけど、取り込むことをしない個体もいるよね、その差って何? 分かってなかったりする?」
影天界から寄越された怪物である空影や、光天界の天獣、闇界の闇這、妖人界の妖魔。それらのことを言っているのだと理解してから、ガサナウベルが口を開いた。
「いや、これは最近になってからなんだ、明らかに人為的、これも奴らだよ。何かを植え付けた筈だ、人為的と言えばあれもそうだったろ、少し前の空影、光天界になぜか現れたし都合よく取り込む個体だった」
「ああ、そっか、うん、じゃあ何かやってるんだな……」
「だと思うよ」
それをさせないために、させている者を叩く。それはもしかしたら、もう済んだかもしれない。晴己の眼を一度は引き抜いた男だけがそれをしていたのだとしたら。
一応は、もう、この争いが終わればいい。晴己はただ願った。
『もうすぐ』とガサナウベルは言っていた。
もうすぐ……どんな風に終わるのか。晴己は、自分の中の何かに答えがある気がしてならなかった。
自分が与羽根を人に宿らせるのと同じことができるだけでなく、最近は、そんな事を自分にしなくとも目覚めた力まである。空間接続。結界。会いたい者の後ろへと限定しない瞬間移動。白い蘇生羽根。消炭色の欠失部復活羽根。炭のような色の能力封じの長布。そしてあの声。
――そうよ。それがあなたの本当の力――
また聞こえた気がした。
ガサナウベルは、あの灰色の羽根を見ていた。それを晴己に話したが、そんな力をなぜ晴己が使えるのかという事に関して、まあ晴己から訊きはしなかったが、ガサナウベルは話さなかった。今も話す気配は無い。
(多分、言うタイミングを考えてる)
晴己は思った。
(僕が衝撃を受けて支障が出るのは困るから……なのかな。でも、僕はもう……大丈夫だよ)
そんな時だ。
女神がこの部屋に現れた。ドアに近い所でもない、窓に近い所でもない、丁度中間に。周囲への警戒心もあるからなのかもしれない。
そして女神――照神エデルエラは、二人に向けて。
「あの子達が狙われてる。あの山へ運んで守ってあげるのが一番いいと思うわ。任せたわよ」
「そうか。解かった。少し話しておく必要があるな」
「じゃあ私は行くわね。調査が終わる時は近い、準備しておいてね。特に、晴己」
「え」
その声や言い方に、晴己はやはり何かを感じた。ただ呼ばれただけではない、そう感じた。
「うん――」
晴己は、心のどこかで、何かを嬉しがった。何をかは自分でもよく分からなかった。そして友人のことを思った。自分にできることがまだある、そう心で言葉にした。
女神は消えた。そこで、ガサナウベルは晴己に向き直った。
「ついでに食料や備品の量が大丈夫か、見ておこう」
そして向かった。ガサナウベルが空間を接続することで。
山の中に作った施設。影天界のブルゼビウス一派からの脅しから逃れることができた者達の保護をしている。ここに運べば、助かりたい者を一箇所で保護できる。そしてここはまだ外部の誰にも知られてはいない筈。……一応、食料などは十分なようだった。
「ここに運ぶのって、大丈夫なの?」
晴己が訊くと、ガサナウベルは、何も心配要らなそうな顔で。
「お前、自分が助けたかった人達だぞ」
「でも元は」
「心配しなくていい。エデルエラはな――ああ、ジャンズーロの時に騙されたから不確かだと思うだろうが、大丈夫だ、それがあったからこそ、あいつなら同じ失敗をしない、それに、ちゃんとあそこに居るみんなの心を読んでああ言ってるんだ。駄目ならここに呼ぶよう言わないさ」
「そう……? そっか、それなら」
「ひとまずホテルに行くぞ、お前の友達のだ」
「後ろに飛べば早いよ。そうだ、まず僕だけでホテルに戻るように言ってみる」
晴己は花肌キレンを選んだ。もし狙われているのなら。一番守りたい相手。序列を付けるなと言われても晴己には無理な話だった。真っ先に浮かんだ。
『会いたい者の後ろへと瞬間移動をする』
与羽根によるその力を使い、キレンの背後へ。
キレンは、蛙型から人型化した喋る空影と晴己が戦ったホテル――バマシロウェルホテルのすぐ近くに居た。地図上ではかなり北東。恐らくあの事件が終わってからの見回り、兼、探している振り。何かに気付いていない振り。
「キレン」
呼ばれて、彼女は振り返った。
キレンは理解した。変装していても、その眼差しは晴己のそれだと。呼び掛け方も。そもそも後ろに急に現れたのだからと。その全てが示すのはと、
「ハ――」
解かりながらも声を掛けるのを止めた。誰かが聞いているかもしれない。
「どうして名前を」
その振りに、晴己は付き合う形で話した。
「皆を集めなさい。あなた達の居るあのホテルに。これはお告げなのです」
「はあ……では」
キレンは、変な人に話し掛けられた振りをして、何事も無かったかのように、向きを変えて去っていった。
そこで、晴己は一つの気掛かりを思い出した。救えなかった人物の事。
念じてその背後に現れてみた。女性が一軒家で庭をぼうっと見ているようだった。
「……? ひっ!」
(そりゃ驚くよね)
だから晴己は言葉を選んだ。
「私は、あの時、空影からあなたを解放した者です」
「え。で、でも……なんで今になって。あの子はもう」
「どこですか?」
「え?」
「その、あの子というのは」
「あ、ああ……。あの子なら、別の部屋に……あの子の部屋に……そこを遺体安置室に……ほんの……あれっぽっちになって……!」
女性は頭を抱えた。鮮烈な悲しみが大きく過ぎったから。
「あの……私をそこへ案内してください。私も、その子に会いたいんです。その子のために」
会いたいと言ったからか、連れて行ってくれた。
よく冷えた部屋に入った。そこのベッドの上に、頭部の一部や指先の一部だけを見た。ほかは空っぽ。それが今は『あの子』の全て。
晴己は、そんな状態からでも救いたかった。
灰色の羽根を無から生じさせ、触れさせた。撫でさせた。そして全力で念じた。
初めは、女性も、
(何を……して……るの)
と思った。息子のための何かをしてくれているのかと考えると、見守り始めた。
中々、理想の結果は出なかった。だが、晴己は諦めず、胸に手を当て、さっき以上に念じた。強く。切なく願って。祈って念じた。羽根は何度も往復した。そしてずっと願っていた。自分の手足から力の感覚が無くなるほどに。念じ続けた。
徐々に、徐々に、肉が付いていく。
「あ……っ!」
女性も声を上げた。
そして、生えるように、少年の全てが、繋がって構成されていった。爪の先までも。
欠失部復活羽根は、遂に、その子の肉体を完全に復活させた。
「あああっ! ああ! ああ! ザウェル! あああっ!」
名を呼ぶ以外に、彼女は、叫ぶことしかできなかった。
「ありが……ふうぅ……っ」
だが、晴己はそこで終わらなかった。白い蘇生羽根を生じさせ、向かわせた。
それが撫でる。少年ザウェルの頭から爪先までを。そして天力を、とにかく込めた。この女性の大事な子……ザウェル本人が、魂から、ここに甦れと、そう願って、一心に。
なぜか金色の光が下りて来た。かつてタタロニアンフィが会いたがったエリッティオの魂めいたあの大きな光のように。
すると。
「う、うーん」
「ザウェルっ!」
「お母さん泣き過ぎ。もう泣かなくていいよ、僕ここだし。それよりここ寒いよ」
それから、女性がどれだけ泣いたか。それは愛の証。
晴己はとにかく悲しみそのものに広がってほしくなかった。とにかく守るために。だったらと、助けられるものは後からでも助けたい、そう思った。
(タタロニアンフィさんの会いたがったあの人にも肉体があったら)
そう思ってから、晴己は、あと数人には伝えようと思った。シャダ・ウンムグォンや担任の天前ベージエラには伝えようと。何かを指示する側になっていそうな二人だった。
恐らくは息子、その子を抱いて泣く女性に微笑んでから、晴己は瞬間移動した。
二人は、キレンと同じような反応をした。特に重要な話を聞いた訳でもない振りをして、とにかく話した場を去った。
白天舞ホテル。その、入口前の上空に、空間接続。今度は晴己の能力で。
新しい潜伏先のホテルに戻ってすぐのことだった。そしてガサナウベルをそこに連れる。
そこに初めて変装姿で来た時のことを晴己は思い返した。
(あの時は中に入らなかった。入れなかった。衝撃音がして、何かが関係している気がして……誰かが無事か、気になって。凄く時間が経った……。錯覚……かな。数日前だもんな。変な感じ……)
二人はそもそも変装している。キレンかシャダかベージエラが見掛けて晴己に気付けば、それから合図をし合えばいい。が、三人は中々姿を現さなかった。
「ねえ」晴己は小声で。「誰かに近付いて本人だと分かることを言って信じて貰うしか」
(もし信じてもらえなかったら――)
一応、怪しまれないように、ロビーの椅子に座り、待ち合わせの振りをしながら。
「人の目がない所で、仲間の前でだけ変装を解くのが一番早いよね」
晴己はそうも言った。ガサナウベルも小声で。
「じゃあ通路の方がいい、カメラの向いてない時に。それか話した三人を探す」
それもそうだと――どの方法でも接触できるようにと幾つかの通路を歩いた。
上の方の階まで歩いてから、また二階の廊下を歩いた時だった。そこにベージエラが居た。
近くの椅子に晴己が座ると、ベージエラは、
(あ、さっき会った)
と勘付いた。
「来て」
接触に成功し、ある部屋に通された。大部屋だ。
彼らは、空影の大量出現事件を受けて、ベージエラから渡された天界の簡単な連絡道具を持っていた、腕時計型のだ。既にその部屋には全員が集まっていた。晴己にとっては意外なことに、そこには、タタロニアンフィやオフィアーナ、アスレアまでもが居た。
全員が居なければ集める積もりだったが、これならあとは話すだけ。
まずは晴己が、変装を解いた。そして。
「みんなが狙われてる。僕に協力しようとしているからだと思う。ある場所に、絶対に見付からない避難場所がある。そこに、みんなには移動して貰いたい」
「こいつの言ってることは本当だ」ガサナウベルは変装中の厳つい声で告げていく。「これは照神が手配したことだ」
「照神様が……っ?」
驚いたのはベージエラだった。
そして、ガサナウベルは晴己に言った。
「俺の変装も解け」
晴己が能力『肉体を改造する』を使った。ガサナウベルが元の姿に。
すると、ジンカーが叫んだ。
「っておい手前!」
そこで、晴己が、ガサナウベルを庇うように立った。
「駄目! 話を聞いて」
腕も広げた。
「そいつは犯罪者だろ、なんで一緒にいるんだ」
園彦が訊いた。するとまず晴己が。
「僕も犯罪者だよ」
「お前は違うだろ」
と、硝介が当然のように。
すると、ガサナウベル本人が。
「俺も……犯罪者の振りをしていただけだ。悪人で居ればあいつらの目に留まらないからな」
「え……?」
タタロニアンフィも驚いていた。一度は攻撃したことのある相手だからそれも当然だった。
「だが途中から、そうは言っていられなくなったが」ガサナウベルは、そこで一旦、深呼吸した。「それと、お前達が育つのを待っていた。特に、晴己の成長を」
「なぜそんな」
タタロニアンフィが訊いた。
目を丸くしたのは晴己とガサナウベル以外。詰まり全員だった。
「というか」硝介が話し出した。「さっきの『あいつらの目に留まらない』って……じゃああいつらって誰なんだ?」
「影天界の暗殺者だ」
「え、影天界ですって?」
ベージエラが今までにない顔で恐れを表現した。
「何だよ、またあれだろ、別に知らないけどって」
「知ってる」
「え」茶化した和行本人がそう言った。
ベージエラは詳しく言うべきだと思った。
「影天界……。私達が居る天界はそもそも本当は光天界。前にクーデターがあった時も、その名が持ち上がった……って聞いたことがある。でもその集団の動き自体が偽りの正義によるものだった。大混乱を招いた。まさかそれと同じ事が――」
すると、ランジェスが言い始めた。
「でもあれだろ、跡目争いだろ、まあだから関わってんのかな、何かの勢力が」
「え?」晴己の声。「跡目……争い……?」
「なるほどそういう事か。過去もそうだったのかもしれないな」
ガサナウベルがそう言った。そして続けた。
「ところで、ここのチェックアウトをお願いしておくぞ。ベージエラが払ってるのか?」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。詰まり? 誰かが何かの座に就くためには形快くんが邪魔になるから……?」
言われたベージエラ自身がそう訊いた。
「……ああ、そういう事になるんだろう」
と、ガサナウベルが。
「だろう?」
とは、オフィアーナが訊いた。
「ただの侵略だと思ってたんだ。昔も、今回も、被害は大きい。昔も誰かが逃げていたが故――だったのかもな。それか、侵略も狙っている上での跡目争いなのかもしれない」
「それなら」
晴己はそう言うと、ガサナウベルに向き直って、
「じゃあ、ぼ、僕が狙われてるのって……」
と。すると、ガサナウベルが――
「そういう事だな。まさか、だからこそだとは。とりあえず、移動してから話そう。話したいことがある」
ガサナウベルの空間接続にて、山の中の避難施設に向かった。三十余名を引き連れて。
「自然豊かな所」雷が言った。
「余りいい所ではないぞ。自然の娯楽しか無い」
ガサナウベルがそう言うと、
「それもまた良し」と立山太陽が。
「もうすぐ全てが終わる。……とはいえ、もう、終わってからしか帰れない」
ガサナウベルはそう言って、歩き、案内しながら続けた。
「お前達は狙われてる、だから呼んだ、もう普通に出歩くのは駄目だ。だが……くっくっく、皮肉だな、お前らは今夏休み、丁度いいタイミングじゃないか」
「その笑い方、癖になってない?」
晴己がにこやかにそう言った。
「くはは、若干な」
対して、ガサナウベルも、晴己に笑い掛けた――晴己の肩に手を置きもした。
その触れ合いに、
(本当に味方なんだ……)
(あんな風に笑うんだ……)
などという事を、何人かは思った。
山の中と言っても、物理的に中という訳ではなかった。強化した赤天石と青音天羽の結界によって守られた幾つもの建物が山の深い所にあるというだけだった。その地帯そのものも巨大な赤天石で護られてはいる。
一つの広い食堂に、まずは全員を導き、座らせ、皆と向き合うようにガサナウベルは座った。晴己は遠く――窓の外に居る炎と煙の使い手エンリオットと偶々目が合い、笑みを交わしてから、ガサナウベルの隣に座った。
そして、ガサナウベルが、話し始めた。
「これは――もう二十年くらいの計画になる。ある時、影天界のそれなりの地位を持つ者の血を引いているであろう者が、光天界、つまり天界のこちら側で生まれた。ただ、そんな事だけでこんな大それた事が起こっているとは思ってもいなかった。これが跡目争いだとするなら、狙われるのはそういう事だ。今、照神エデルエラが全ての調査を終えようとしている。調査し切った時、最後の戦いが始まる。その時には、何としても終わらせるため勝利を手にしたい。それはつまり、酷い悪政や暗殺を仕向けるような――跡目争いをするような輩を全て根絶し、侵略をしない、善い神や王を据えたいということ」
「それが――」
と、ベージエラが晴己に視線をやって言った。だからガサナウベルは、
「それは晴己じゃなくてもいいさ、善い者が別にいるかもしれないしな」
と。
「あ、そっか……」
ベージエラがそう納得すると、
「え?」と、ナオが。「待って。じゃあ、ハルちゃんって」
「……ああ。多分、そういう血を引いてるんだ」
「多分?」とは友拓が。
「影天力を使えることが確かではある」
「ああ……そんな程度って事か」
と友拓が言うと、少し間があってから。
「まあそういう事だ。……そういう訳で、お前らは、暫くここから動くな」
タタロニアンフィは、調べても中々本当の所が掴めなかったガサナウベルの謎が、晴己を助けたいという状況下で解けたことに、だからこその納得を心に満たしていた。同じ目的のために本人が本当の本人らしさを隠すために行動していたからだと。
そんな折、当の本人と晴己は、その施設に共に居るのでもなかった。
新しいホテル。
「とにかく、手筈が整うまで逃げる。俺達はどこにも隠れ家が無い、あんな施設なんて無い、と――あいつらに思わせる必要がある。友達とはまだ別行動だ、いいな」
「うん」
泊まる一室で、晴己は、強い意志で肯いた。
(キレンに、絶対にまた、生きて会う。全てが終わっても)
そう誓いながら、ベッドに置かれた訓練装に目を向けた。




