51 救うために。
晴己は、自分を別空間へ押しやった誰かと戦う積もりで相手に話し掛けた。そして目の前を見た。そうして脳に伝わったのは、ガッシリした女性に変装中のガサナウベルが目の前に居るという情報だった。
「えっ……まさか! また成り済ましか! 僕の偽者にもなった奴だな!」
飛び掛かろうとすると。
「待て本当に俺だ!」
その声には確かに嘘が無さそうだった。
訳が分からなくなった。とりあえず考えようとして、晴己は、警戒を解かずに辺りをチラリと見た。
そこは最初に訪れた所とも違うが、隠れ家のような場所ではあった。
(本当に……ガサナウベルさん……? ぽい……)
そう思えても、何か事態が変わった訳ではない。晴己は焦った。そして考え続けた。
(本当なら――じゃあ――)
「今日の朝食、美味しかった?」
「……ちょっと考えものだったよな、持ち寄った物で作ってもいい店だったとはいえ」
「ごめん。ちょっと踏み込んだ挑戦しちゃったから」
(本当にガサナウベルさんだ)
晴己はそう考えた。間違いない。
「でもなんであんな――!」
「あれ以上進んだら駄目だったんだよ、トラップ用の結界に衝突する所だったんだぞ。そうなったら何をされるか。それだけで死ぬことだってあり得た。相手もそういう事をする。寧ろし始めた」
「そ……そう、だった……の……」
それを回避できたのだとしても、事態は余りにも良くない。
「聞いて! キレンを助けないと駄目なんだ! 連れ去られたんだよキレンが!」
掴み掛かりそうな勢いで、晴己は言った。口も歪む。悔しくて。
ガサナウベルは、なるほどそれか、という感じの顔。だが。
「助けたいのは山々だが今はこっちなんだよ」
「え?……今はこっち? 訳分かんないよ。なんで『今はこっち』なの」
晴己の目に涙が溜まる。これは何の涙なのか。自分でもよく解からない部分があると晴己は思った。
「助けるための道具が要る。今必要になるとはな」
「道具……? 間に合うの? ねえ、キレンは今危険なんだよ! 今! だから助け――」
「アレを使うなら!」ガサナウベルは強く遮った。「アレを使うなら、時間はあるけど無いようなものなんだよ。そして証明もされてる」
ガサナウベルの口調は、遮った時以外は、優しいものだった。
「え? どういう事……」
「いいから来い」
(その筈なんだ)
ガサナウベルがそう思いながら晴己を連れて行った場所は、白や暖色で纏められた、広々とした清らかそうな部屋だった。
中央の奥にあるペールグレーの机を前にして、誰かが、背凭れの長い白革の椅子に座っている。
女神。照神。
(前に、ガサナウベルさんは神様を……照神様をエデルエラって呼んだっけ)
二人は歩いて近付き、机の前に立った。すると、ガサナウベルが言い始めた。
「期待はできなかったアレの話をしに来た」
ガサナウベルは、こうも思っていた。
(十八? 十九年前か、アレに取り掛かったのは……)
晴己は別の事を思い、そして言葉にした。
「あ! 神様が結界をどうにかしてくれるの? ジャンズーロの時みたいに」
「私は今は出られないわ、そこに……その部屋に居るのは異能機器の映像よ。今は念話で話してる」
「ホログ……ホントに?」
近付いて肩に触ろうとした晴己の手が空振った。
(じゃあ本当に別の所に。瞬間移動して来る力はあっても、今は無理なのか)
そしてなぜか神の念話の声に、晴己はどこか奇妙な感触を得た。何かに似ているような。
そこで、ガサナウベルが女神に告げ始めた。
「お前が動けない可能性も考えてた。それにお前が行けたとしても相手が能力封印を使う虞はある。完璧に行く。今あるならアレを貰う積もりだったんだ。すぐ使う」
「なるほどね」女神は少々間を置いた。「ギリギリ作れたけど、アレを使えるのは一回だけ。一往復だけよ」
「よし、いいぞ、できてなかったら『それでも作れ』と言うところだった。で、試しはしたのか?」
「試験はしたわ、並行して幾つか作ったから。完璧なのは二つだけ」
「十分だ。どこにある」
「机の右の壁にある隠し箪笥の上から三番目よ」
ガサナウベルは、その壁に近付くと壁に手をやった。ややあってから壁から箪笥が出てきた、生えてくるかのように。
何か二人だけが知っている異能力現象の起動部でもあるのか、彼はそれを起動したのだろうと晴己は考えた。さっきも、異能機器の映像と言われたくらいだ、隠し箪笥も天力で動くのかもしれない。
その、上から三段目の抽斗から、ガサナウベルの手によって、二つの襷が出てくる。
「この襷か。で、なるほど、ここの摘みをこう――」
「でも、その手に戻せて初めて成功だからね」
「分かってるさ、行ってくるよ」
「連れて行く、でしょ?」
「……ああ、そうだな。でも間違ってはないだろ」
「まあ、そうね」
晴己は、二人の会話を聞きながら、連れて行くのは自分の事だと感じ取った。
「お前も、最後には、無事に――」
「……私も願ってる。でも相手が相手よ、約束はできないわね――」
照神エデルエラは影天界に居た。調査中だった。
かなり根深い組織への潜入をしていて、そこの者に気付かせずにすぐにキレンの所に行くなどという事はできない状況だった。下手しなくとも察知される可能性が高かった。そしてもし察知されれば、全てが無駄になる。
だからホログラムを通しての念話だけで済ませる。それも、そこの音を結界で漏れないようにしながら。
そして神は考えた。
(でも私には分かってる。あのあと感知されなかった。それは成功したから。やったのはあなた達。手にしたのもあなた達。……だと思うんだけどなぁ、私は)
会話は終わった。ホログラムはそこにあり続けてはいる。
影天界から光天界へどこかで繋がっているとはいえ、細い道を通して念話で済ませられるのも神故かと晴己は考えた。
ただ、一度だけそんな事が過去にあった。それを晴己は思い出した。
(そっか。そういえば闇界の城にいる時にも。あの時はジャンズーロにしてやられたけど――)
そんな時の事まで――と晴己は考えてから、最初の天獣との事――天界の廃ホテルでの事――を思い出した。
(もしかして! あの時あまり呼ばないでって言ってたのって、裏でこういう事が……あったから……?)
「移動するぞ」
ガサナウベルが言って空間の一面をどこかへと繋げた。それを通る。
どこかの巨大な建物の上。平らな屋上へ出る扉がある塔屋の屋根の上に二人は移動した。近くには真っ白な城がある。晴己はそれに見覚えがあった、町並みにも、昼の巨大な月にもだ。
眺める晴己に、ガサナウベルが、
「妖人界だ」
と、念のためという意識で教えた。
「まあ、だよね――」
しかも妖精国。そうだと城が言っている。
「でもなんでこんな方法で」晴己が訊いた。
「誰かの手に渡る前に自分達が持つ。それが一番だからさ。計画は絶対に狂わせない」
晴己は、何の事かと思った。眉に力が入る。
「あの時のこと、憶えてるか?」
「え……っと、ムルツァギオが巨大になっちゃって――」
「そのあとだ」
「それなら……王様の体に封じられてた妖魔を出して……退治して。それを出したのが」
「そう」
「ガサナウベルさん」
「じゃなくて物だよ。あの時俺は何を使った?」
「え……っと。ああ! じゃあ――」
「そう。あれは封印を破壊する剣なんだ。だからあんな事ができた。だからそれで――いつまでも封じていたりせずに退治できてよかった、そういう話だったな?」
「うん」
「そんな風に使った剣だったんだ。種類としてはあれは封じの結界とも言えたからで……――まあ細かいことはいい。で……あれは結界も壊せる。だからそれで付いた名が――結界崩しの剣」
名前の意味も教わる。封印結界破りと釘が由来だと。
(妖魔を封じた結界をも壊す……)
晴己は、そう心で綴ってから、口に出した。
「結界崩しの剣……そっか、それを……相手の結界対策に――」
「ちなみに光天界の宝剣であり唯一無二だ、しかも全世界であれ一つしか無い」
(一つしか……)
と思ってから、晴己はハッとした。
(先生! 何かを天前先生が『忘れてるような……』って言ってた! その事だ! あれ、結界崩しの剣の事だったんだきっと!)
「でも」晴己は首を傾げながら。「なんであの時に回収しなかったの? そういう動きは無かったよね」
「……あの時、ゼフィリオには悪いが、この方法しか策が無かった」
ガサナウベルは、過去を思い出しながら。
「だから使ったが、回収の暇も無かったからな。俺は悪人の振りをしてたから――まあ今もしてて余計な者を近付かせないようにしてるが――回収するならお前らと戦わなきゃならなくなるだろ? 不慮の事故で俺が死ぬことは許されなかった。できなかったんだ。で、そんな場にあった――あの剣を回収する。安全に。今回が時の止め時なんだ。だから俺はその力を得た」
「なるほど……でも、城にあるから、どうすれば」
「誰かに渡る前に自分達で持つって言ったろ。そのためのコレだよ」
ガサナウベルは、襷を一つ、その身に着けた。
「名付けるなら――あいつ名前を付けたのかな、まあいいや――時跳びの襷だ。使うぞ、もっと近付いてろ」
その襷には掌くらいの大きな文字盤が付いている。それを調節するためであるらしい摘みも付いている。
時跳びの襷を右肩から掛けたガサナウベルに、晴己は引っ付いた。
ガサナウベルの天力を感じる。白く、円柱状に満たされる。温かい。
(早くキレンを救いたい……そのための……)
晴己がそう想ってすぐ、景色が変わった。
「予め摘みは調節しておいた。あの時に移動した筈だ」
晴己は離れて辺りを見ようとした。だがガサナウベルはそれを――
「おい待て離れるな」
と止めた。そして続けた。
「俺に触れてろ。お前をパートナーにして時間を止める」
「あ、ああ……はい」
晴己はガサナウベルの手に触れた。やっぱり温かい。
そして、城の、あの空間の右の白壁の上部にある斜めの天窓の数ミリメートル内側にガサナウベルは傍の空間を接続し、暫く待った――あの状況になるまで。彼はその接続した面に視線をやり、目でタイミングを計った。
城から何人か人が出てきた。酷い状況になったから逃げてきた、そういう者達。
数人の兵が中を見守っている。一人はどこかへ駆け出した。
杵塚花江がサイコキネシス的能力で夕闇色の巨大刺突剣を動かして抜いた。それが彼の目に映る。
また暫く待ち、何かあっても戦闘音で誤魔化せるというタイミングを狙って――
(そろそろいいな)
ガサナウベルが目を閉じた。念じる。
鳥の声すら止まる。二人以外の全てが。
「よし、時間を止めたぞ。今動けるのは、俺に触れていたパートナーのお前だけだ。さあ取ってこい、お前が念じればアレは右腕に宿る」
「お前が念じれば……?」
「細かいことを気にするな、早く行け、俺はここでずっと発動してなきゃいけないんだぞ」
「あ、うん」
そして晴己は向かった。自分を浮かせて城へ。
塔屋の上で、空の下で、ガサナウベルは考えた。作戦をここまで熟せた、と。そして彼は敢えて声にしたくなった。
「お前だからこそだ、アレは。お前はこれを終わらせてくれる。光になる。頑張れ。お前ならできる。お前こそ相応しい。守るためにしか戦わないお前だからこそ。ま、少し心配だけどな。人のために泣き過ぎだ……ったく」
(お前らは生きろよ。そのために戦ってきたんだから)
辺りは静か。時が止まっているから風も無い。ただ、動ける二人だけが干渉する。
入口から城へ。途中、走っていく軽装兵を見て、晴己は思った。
(あの時の兵士さんかな。あの時はありがとう。あなたの御蔭だよ。まあ……今ならまだだけど)
入ってすぐ右前にある広い場所。皆が集まっている。
そこに、喋る青い妖魔とあの時の全員が居るのを、晴己は確りと見た。過去の自分さえもそこに居る。
(タイムパラドックス……僕は起こさないようにしたんだきっと。まあ今、何かしてる暇は――え?)
晴己はゾッとした。結界崩しの剣が、倒れた王の――今の晴己から見て右横辺りにある筈だったが、どこにも無い。
(なんで! 一体何が)
代わりに、動く者が前に居る。背丈は晴己とそんなに変わらない。目付きの鋭い短髪、細身の男。半袖のその男の腕に、夕闇色の細長い剣の刻印のようなものが。
(奪われた! そんな! なんで動けるんだよ! キレンのために必要なのに!)
恐らくは敵。
驚く晴己に向けて、相手は口角を強く上げ、ネックレスに指を掛けた。それを見せびらかしながら。
「来て正解だったよ。じゃあな」
「ま、待て!」
(このまま逃げられたら――っ!)
ゾッとしながら追う。
相手は、晴己から見て右前方にある裏口のような所から外庭に出て行こうとした。
飛び掛かるように、晴己は追い駆け始めた。
相手も速かった。
晴己への対策か何かの意味もあるのか、晴己を狙う者達は、身体強化の能力の有無をかなり重要視して集められている節がある。彼も恐らく――。
外庭。そこで中々縮まらないレースが始まった。
(あの屋上からどんどん離れてる!)
その時だ、相手が急に姿を変えた。晴己だ。目の前の晴己を見ているのも晴己。
「――っ! そうかあんたが!」
晴己はつい叫んだ。
これでもかと天力を込め、走った。
「雷――!」
その背後に瞬間移動すると。
「刃!」
妖刀《ヴルエンカ》を敵の背に減り込ませる。殴るようにしたあと滑らせ――
「切断!」
バッと血が舞った。
「今すぐ治癒、このような傷など。どんな傷も。治り塞げ」
相手がそう言った。その背が一時だけ光った。
そこは城からかなり離れた位置にある河原沿いの草地。そこで、向き合い、静かな止まった時を感じながら、
(あいつの背、凄い速度で回復――)
と晴己は考えた。
いつの間にか、相手もその右手に妖刀《ヴルエンカ》を持っているようだった。服装まで。全てコピーする能力なのか。ただ、その首には晴己に無いネックレスがある。その口が動いた。
「くくく……ずるいなあ、こんなに力を隠してるなんて……なあっ!」
(まだか? おかしい。なぜこんなに遅い。俺はここを動けないんだぞ。まさかこの影響を受けない力を持つ者でも居たのか? 同じ物を狙って?)
ガサナウベルは焦りを口にしそうになる。だが、下手に言葉にできないとは思っていた。誰が聞き耳を立てているか分からない。そこはしかも過去。影響を最小限にはしたかった。
(もしあってもそれが故の未来だとは思うが……)
ただ、静かに、彼は時を止め続けた。
「おあああっ!」
右拳、それはつまり妖刀《ヴルエンカ》による殴打でもある、それから左拳、右の蹴り――
晴己から放ったら相手も防ぎ、似た動きで放ってくる。喰らわないよう晴己も防ぐ。
(時間はどうなる! 時間が――! キレン! 助けたいのに!)
晴己は焦っていた。
突風が吹く。
「あっ――!」
だが。相手の後ろへ瞬間移動には成功。
「ら――」
放とうとした、その右手を、撥ね返されてしまった。
「いっ……くそっ!」
(最悪だ! こんな――! でも勝つために! キレンのために! 絶対に取り戻すんだ! 絶対に!)
晴己は目を潤ませながらも、全身から力を解放した。
「お、おい、それは反則じゃないか?」
相手がボソボソと言った。晴己には聞こえなかった。ただ、何となく相手が弱気になったのは分かった。
(本人の力はそのまま? だったら全力で行くっ!)
晴己は、とんでもなく長い一歩を踏み出した。ほんの刹那の内に相手の目の前に。
右手を動かす振りをして、闇力による風圧。
相手は吹っ飛んだ。フェイントがあったからこそ、コピーした能力『来た物を撥ね返す』を相手が巧く使えなかったのだろうと晴己は考えた。
そして、その感覚的理解の間しか置かずに、背後へ瞬間移動。
「――っ!」
直後の斬撃。無言且つ最速の。だが空振った。
(後ろ!)
身を捩るように振り向き、すぐ妖力で、青一色の一本の剣を雷のように、
「ダッ!」
放った。それは相手に刺さらず撥ね返った――
だから晴己は一瞬で距離を取った。
「あ。はは! そういや忘れてた!……封印っ!」
×能力容姿コピー
×浮遊
封印の証が右手の甲に現れた。
すると、相手の姿が、あの目付きの鋭い男に戻った。その手から妖刀《ヴルエンカ》もなくなった。
「いや、ちょ」
「影天界の人なんでしょ」
「うん? まあ……嘘はバレるか。そうだ。何だ? 助けてくれるのか?」
「返してくれれば捕まえるだけで済むよ」
「それは嫌だなあ」
男は逃げようとした。走った。身体強化は使えるからか、まあまあ速い。
「でああっ!」
晴己は追い駆けた。彼の前に回り込むのは割とすぐだった。
「くっ――!」
そして回り込んでいるにも関わらず敢えての背後へ。晴己はそこから右足刀を、
「ふんっ!」
と放った。男は前方へと数メートルも吹き飛び、その一撃で沈んだ。
「腕のあれ、どうしたらいいんだ……?」
近付き、考える。
(腕を合わせたら移らないかな、左腕は与羽根の印があるから……)
晴己は、しゃがみ、自身の右腕を、男の右腕と合わせてみた。何も起こらないから、移るようにも念じた。
(……何も起こらない。とりあえずガサナウベルさんの所へ)
『会いたい者の後ろへと瞬間移動をする』その力で、彼の背後へ。膝を地に突いたまま男の腕に触れていたら、男も移動した。
するとガサナウベルの声が。
「時間が掛かったな。まだ一応時間は――そいつは何だ」
(そりゃそんな反応するよな)
晴己はそう思ってから、立ち上がらず、男の右腕をただ指差した。
「なぜか動けた、奪われてる。ほら、見て、腕」示した意味を言い終えると、指を引っ込め、晴己は続けた。「そういやネックレスをこっちに示してきたんだよ」
「ああ、なるほど。そうか……。相手も嫌な物を――開発してきてるって事だな。使い所がもう無いといいが」
「危なかった?」
「ああ――そうだな、危なかった」
「ねえ、どうすれば僕の腕に移るの? これ」
「その、相手の腕に天力を込めて、近くに出すイメージをしろ。そいつが寝てるならできる。今の主導権は込める人物にある、寝てるからだが」
「なるほど」
(まずは出すのか)
そう思ってから、晴己はすぐそこの塔屋の前の空間に念じた。
そこに、現れた。
夕闇色の刺突剣。結界崩しの剣。
晴己は塔屋から下りた。そしてそれに触れ、念じた。
すると、晴己の右腕にそれが宿った。男の腕にあった時と同じく手首から肘辺りまでの刻印になる。――それを、長袖を捲って確認したら、ガサナウベルにも見せ、そして袖を直した。
晴己が塔屋の上に浮遊移動で戻ると、ガサナウベルが、
「よし」
と、話し始めた。
「これで、誰の手に渡ることもなく――というのはできなかったが、とにかくお前の腕には宿った」
二人は晴己のその袖の中の腕を意識した。
「うん。これを使えばキレンを助け出せる。誰の結界だって破れる」
「ああ。ただ、出して放ったらすぐ回収することを忘れるな」
「はい」
ガサナウベルは、そこで、時を止めるのを止めた。そして男の首に指を触れさせた。何か妙な顔をすると、彼は、今度は男の胸元に耳を当てた。顔を上げると。
「こいつ死んでるぞ」
「えっ。もしかして、僕が――」
「……」
念のためか、ガサナウベルは、男の衣服を確認した。どこかに自殺の跡が無いか。晴己は気絶させるように戦うことはあれど、無駄に殺すようなことはしない。殺す時は相手を選ぶ、人を殺したり喰ったりする化け物が相手の時だけ。晴己は守るために戦ってきた。ガサナウベルはそのことを考えた。もしやってしまったら自分から言うだろうとも。そして男のベルトを見た時――
「こりゃアレだ、毒針だ、特殊異能機器……敵の近くで危険な状態になったらこうなるように仕向けられてる。えぐいやり方だな……」
「そんな……」
「とりあえず、こいつは警察に引き渡す。テロ犯死亡の扱いで処理して貰うことになる」
だがそんな相手にさえも、晴己は――蘇生羽根を這わせた、官三郎にしたように。念のためベルトを取り外した上で。そして胸元に手を。脈が――復活した。天力を抑えられただろうかと思っていると。
「お前は優し過ぎる。でもま、お前を尊重するよ」
男は小型リュックのような物を背負っていた。
晴己をコピーした時にはそれはあるようにさえ見えなかったが、変身が解けているからだろう、これが彼の本当の所持品。晴己は紙を数枚生み出すと、一枚には穴を開け、その紙に、
『影天界からのテロ犯』
と文字を浮かび上がらせ、そして、もう一枚で、そのバッグのトップハンドルに括り付けた。
そして男の首から念のため時間停止対策らしきネックレスを取り外した。重要過ぎる物だった。それを指で『切断』し、紙に包んで潰した、天力が全く漏れないよう注意しながら。それを手にまだ持っておく、今捨てたくはない。
「よし、じゃあ――まずは戻るぞ」
ガサナウベルは、晴己の仲間の異能力を思い出し、念のため小声でそう言った。そして空間を接続。目の前に、急に、開いたドアが生じたかのように、別の場所と繋がる。そこから見えたのは古い隠れ家だった。
ガサナウベルは男を運んだ。晴己はついて行く。
空間を閉じると。
「じゃあ未来へ戻るぞ。……少し前に行った方がいいな」
ガサナウベルはそう言って時跳びの襷の文字盤を調節した。
また円柱状に白く包まれる。
辺りの雰囲気が変わる。裸の樹の枝が一瞬で茂った。
そして、襷がボロボロと崩れて消えた。白い泡が、どこかへと向かった。照神は言っていた、『一往復だけ』と。限界故の現象だと理解。
そこら辺の地面に、紙に包んでいた壊したネックレスを、そのまま埋め、厳重に土を被せた。そして晴己は思った。
(これでいい、壊してもいるし)
「一旦、警察署だ。――おっと、その前に……俺の変装を解け」
「ん」
なんでだろうと思いながら晴己はガサナウベルの変装を解いた。
自前の鍛え上げた体の男性に戻る。短髪。目は鋭い。
その姿で彼は空間を接続した。
天舞最上警察署の前。
毒針が仕掛けられていたらしきベルトを添えて犯人を置き、去ろうとした時――
「あ、あなた待ちなさい! 話をっ!」
天人の婦警に言われた。が、ガサナウベルはいつも通り。
「お前達にはこんな事はできないだろうな!」
そして空間接続で、落下するように移動した。すぐに蓋をする。婦警は落ちてこなかった。
なんであんな事を言ったのか――なぜいつまでもそんな態度なのかと晴己は考えた。
答えは出た。
『やれるならやれ』『できないならやるな、追うな』
そんな事を伝えたかったのかもしれない。ガサナウベルを悪人と思って追うだけなら、考えなしの善良な警察官か、あるいは影天界の駒に見える。あちらの手の者同士に見えれば、警察官同士でさえ互いに手を出し辛い。気付いたことに気付かれると危うい。安全をできるだけ確保してあげたかったのかもしれない、完全な安全ではないが――晴己はそう考えた。
移動した先はどこかのビルの上だった。
「俺は俺で対処に動く。俺をさっきの変装に戻せ」
「はい」
それは数秒で事足りた。
ガッシリした女性の声で、ガサナウベルが言う。
「お前も――お前は、それを使って――」
「うん。……大丈夫。戦い抜くよ。キレンのためにも。誰のためにも」
意志を強く持つ。
ガサナウベルは、晴己に、
(それならいい)
という意味を込めて頷くと、行こうとした。手を前に出した。
「ねえ、もしかして僕って――」
「ん?」彼は手を下げた。
晴己は問おうとした。自分の事を。大事な事を。自分は本当は――? という事を。
「……いや、僕って結構、強い?」
聞き辛かった。また次でいいか――晴己はそう思った。
「まあな。相当頑張ってるぞ」
「そっか」
「じゃあ俺は行く。……お前も生きろよ」
「うん」
ガサナウベルはまた空間を接続し、足を運び、その場から消えた。その様子を見て、晴己は思った。
(ガサナウベルさんみたいに、僕も、空間の接続をしてみたい)
……それは、叶った。目の前と、右手前の空間が繋がっているのが見える。与羽根を使ってもいないのにだ。
(やっぱり)
そう思ってから、
(じゃあ――)
思考内容を変える。どこへ行けばあの時間のキレンを救えるのか。今の自分がやるべきことは何なのか。
考えがハッキリとする。
(まずは――あのタワーの前へ。あそこをこの場所から特定する)
そんな時だ。
敵が現れた。目の前に。それは、少し前の変装中の晴己の姿をしていた。晴己の前に居るのが晴己。自分も晴己。




