47 それら宿りし者と三十余名。その三。
バマシロウェルホテル。今、身を隠しているホテルとも違うそのホテルに、どうやら影天界の化け物、空影が居る。
晴己は、ロビーに入ると、そこにあるテレビから聞こえてくる声を耳にした。
『人間界の恵力学園の者が戦っているようです! 警察も出動しました! 皆さん避難――』
つい顔を向けた。
「みんな……!」
(ありがとうみんな! でも無理しないで。生きてほしいから)
各階を見て回る訳ではなかった。吹き抜けがある訳でもなかったので、まず外に出た。能力『かみをあやつる』に依る紙の案内で外から階を特定すると、窓を切り、そこからその階の廊下へ。
(僕は、ここの奴を倒す。それから……こんな事をやった奴のことも、倒してみせる。光天界の人達を守るために)
奥から何かが現れた。蛙が人型化したような空影――手足のバネと吸着力が凄そうな。
そしてもう顔を持っている。それは既にその空影の体内に人が取り込まれている証。犠牲者が出た証。
(だったら救い出す! 絶対に倒す!)
そんな時、その空影から声が。
「餌発見。お前とは戦うのも楽しそうだな」
(人を喰わせもしない)
切なくなる程に意志を強め、倒すための姿勢を取る。まず敵の能力をできるだけ封印。逃がさないために。
×視野内転移
右手の甲に浮き出たのは一つだけ。まずはそれだけでも。
空影はこちらに跳んでくる素振りをした。その瞬間、目の前に。そして胸を強打された。
「ふ――っ!」
殆ど声にならない悲鳴。晴己は壁に背をぶつけた。体勢を整えなければならなくなる。
(やばい! だったら――)
封印を重ねる。恐らく何か体を強化するもの。
×視野内転移
×身体強化
手の甲に封印の証が増えた。一瞬だけそれを確認。
(なるほど。でもこれでやり易くなった!)
晴己の手には、輪状妖刀《ヴルエンカ》。力を増幅してくれる妖刀。天力を込める。そして能力発動。
『会いたい者の後ろへと瞬間移動をする』
まず、その空影の後ろを取った。
「雷刃っ!」
振り下ろす。妖刀《ヴルエンカ》がその背に傷を付ける。
「切断」
天力を込めると、空影の背の傷が広がった。バッ――と、黒に近い濃灰色の血が舞う。
「ぐっ……! 封印しやがったな!」
空影はそう言って数歩だけ歩き、晴己の方を見た。
しかし直後、この怪物は晴己の目の前にまた一瞬で移動した。
(く……っ!)
『肉体を改造する』
焦りながらも体を剛健にする。
だが、殴りや蹴りのやり取りがあるかと思いきや、敵がしてきたのは、指を差し出すことだった。
その空影の右手の指が、晴己の左胸に、深々と刺さった、何の抵抗も無く。
「あああっ!」
つい悲鳴を上げてしまう。そして勝たなければと強く思う。そうしなければ取り込まれた誰かを救う事ができない。
(負けられない! 危険なら封じる!)
×視野内転移
×身体強化
×貫く指
その時には敵が廊下のかなり遠くに居た。
(視野内転移を封じたのに。視野外への何かなのか?)
「――」
とにかく声で、癒しの声で、傷を塞ぐ。治す。
空影は、恐らく、まだ貫く指を使える積もりでいる。
生じるであろう隙を、晴己は見逃さないために集中した。
(それにしてもどうやって一瞬で。瞬間移動の類なら封印しようとしてる。でも封印されないってことは、奴の能力にそれは無いのに)
そうも思いながら。機を窺う。
その時だ。また一瞬で目の前に来た。予備動作が短過ぎる。最初よりは遅いようにも思うが、それでも速い。
そして指が差し出されてきた。
ならばと。その手首ごと切り落とそうと《ヴルエンカ》をそこへ押し出す。だが何かに弾かれた。
(何に)
決まっていた。結界。防壁。そういう類。
相手が距離をまた取った。そのタイミングで、晴己は封印。
×視野内転移
×身体強化
×貫く指
×結界
ただ、もしかしたらと晴己は思い始めていた。封印対象を変えようとしてみる。例えば――跳んでくる速度に関わる能力。身体強化されても不意を打たれるよりはマシだからと試すと――
×視野内転移
×貫く指
×結界
×超速跳躍
となった。これが最善策かもしれない。そんな時だ。空影の声。
「色々やってくれてるみたいだな。だったら――これはどうだ」
白い何かが飛んで来た。その速度も凄まじい。通路の右側を占めた攻撃。だから左に避ける。
若干体勢が崩れた所へ、火が放たれた。
(じゃあ後ろへ――!)
瞬間移動。避けるついでに攻撃。
(雷――)
「刃!」
また空影の背に傷を付けることができた。痺れさせもしながら。そして、
「吹雪け!」
能力『かみをあやつる』による、紙吹雪。
「ぐおおおお?」
だが大したダメージではないらしい。雷刃の方が効いている。何か一撃で決められる手は無いかと熟考――していると、飛び掛かられた。
だが、身体強化でのそれなら、さっきより格段に遅い。
ただ、目の前に白い壁が現れた。浮いた白壁。そしてその周囲から、火が襲い掛かる。
(だったら!)
能力『来た物を撥ね返す』。一歩下がりながら、自分は燃えたりなどしない。
白い壁が消えた。空影と数メートルの距離感で、ホテルの廊下で向き合う。
そこで、ふと晴己は考えた。
(そういえば――僕は天力以外に闇力も妖力もあるんだった。それで何か――)
できたらいい。できたらいいが、できるかは不明。
とりあえず、とにかく強く念じてみた。すると。
急に空影が後方へ吹き飛んだ。風だ。突風。風圧。ズガンダーフの能力と同じ。
(僕の中に、宿ってる。大事な力。できたんだな)
感傷に浸りたくなる。だがそんな暇は無い。
多分、目でそれは生み出された。闇力による風圧の力。
「滅茶苦茶やってくれるじゃないか」空影は、遠くから数歩だけこちらへ来ると、また。「ムカついて来た。お前は絶対に喰ってやる!」
(じゃあ、こっちはどうだ!)
晴己は妖刀《ヴルエンカ》を持つ右手を相手に向け、念じた。
すると、青い剣が出現した。迫って来る空影に向いた、三本の、青一色の剣。浮遊している。
「迎え――撃て!」
それらが飛んだ。
「何だと!」
驚く空影に剣は刺さらなかった。相手も避けようとする。身を翻している。
晴己はそこへ、これでもかと妖力を掛け、風圧を放った。
敵がすっ飛んでいく。そこへ、後ろへの瞬間移動。しかも。
「切断!」
その瞬間、敵は、その背と、右肩、左腰を結んだ線で、分断された。二つに分かれた空影は、
「喰い足りねえ……のに。ガキは、美味しか……ったなあ……」
と、言ったあと、動かなくなった。
(そんな。子供が……! そんな……!)
晴己は、そう想って、目を潤ませた。
その廊下の二箇所に泡が生まれた。炭色の泡。それがどこかへ向かった――のと同時に、女性が片方の箇所に現れた。
「……あれ?」
取り込まれた場所からは離れているのかもしれない、女性はなぜここにとキョロキョロしている。
「ここは――」晴己は声を掛けた。「寧ろここは安全かもしれません、この近くで、どこかに避難してください」
そう言って去ろうとする。切って入った窓から出ていく途中、声を聞いた。
「ザウェル? どこ? ザウェル? どこ! ザ――どうして、服だけ……。え……? なんで! そんな! いやああああああ!」
女性はエレベーターの前で、血塗れの服と頭部の欠片を抱き締めた。
晴己は涙を流したが、振り返らなかった。
許せない。影天界の、こんな事を引き起こした使者を――
(僕は許さない)
晴己はそう思ってから、胴体ほどの黒い紙を生み出し、黒い飛行機にして念じ、それに、対処の遅れている空影の場所へ導けと命じた。
ベネティエシェラ交差点。時沢ルイの力でそこへ移動したのは、木江良うるえと温地美仁の二人だった。
(形快くんは大丈夫かしら。それと、ここの人達も――)
うるえはそう思いながら辺りを見た。美仁もそう思わないでもなかった。二人はまず様子を確認。
その交差点から延びる道全てが既に封鎖されていた。
天界の警察にもそこまで戦えない者はいることだろう、そういった者の対処であるなら、中々早い対処なのではと思われた。
その道の一つに、発見する。灰色の怪獣。縞馬のような空影。煤色の部分と濃い煤色の部分がある。顔は無い。目も鼻も無いが、ただ、口はあり、それが今、開いた――!
その縞馬の舌が、果てしなく伸びた!
「壁!」
木江良うるえはそう言って念じた。すると、目の前で空気が壁となり固まったかのように、舌はそれ以上彼女の方へ行かなかった。
ならばと方向転換される。
「温地くん!」
「分かってる!」
美仁は、ホースを無から生み出した。目の前へと幾つも。それを、向かって来る舌の前へ、自分用の盾にしながら向かわせる。だが舌は潜り抜けて来た。
(ならこうだ!)
美仁は、ホースを舌に絡ませ、それを押し戻すように念じた。
「くおおお!」
根比べをするかと思いきや、舌は急に引っ込んだ。
「え?」
縞馬の空影は、絡んだホースごと舌を全て口に戻し、異能力で作り出されたホースを飲み込んだ!
「マ、マジ? それならあのホースから湯を出すけど、火傷して倒れて泡化――で終わりじゃね?」
美仁はそう言って念じた。だが空影はピンピンしている、いつまでも。
「んー」
「飲み込まれたらこの世から無くなるの――かも!」
うるえがそう言った。舌が迫っていた。空気の壁を建てる。今度は二人ともが守られるように。
うるえは更に念じた。その瞬間、空影は微動だにできなくなった。奴の周囲の空気を固めたのだった。
そこへ――空気の壁の向こうに――美仁が、ホースを新たに生んだ。
それを向かわせる。空影の頭上へ。
そのホースの片方の口からは、百度ほどの湯が。
それを見たうるえは、空影の上の空気にだけ、念じるのを止めた。
「ぎいいぃぃっ!」
だが、その開いた部分を、跳ねることで出てきた。そして舌が来る。だが空気の壁を前に、舌は無力。
美仁はホースをまた別に生み出し、一本は空影の胴に巻き、押さえ付けるのに使った。空影が目の前で伏せ、
「ぎ……ぎっ」
と呻く。そこへもう片方の一本で、湯が当てられる。
「ぎいいいっ! い………ぃ……っ……」
空影は気を失ったのか動かなくなった。ただ、泡化していない。まだ終わっていない。
美仁はホースを空影の首に巻き付けると、きつく絞めた。数秒後――
開いた口から舌が伸びた。
「え」
美仁に絡み付いた。そして口に戻ろうとする。
うるえは壁を消してしまっていた。油断。うるえは後悔の念に苛まれながら、それ以上口が開かないように空気に命じた、動くなと。
「そこも閉じろ!」
美仁も念じた。ホースが空影の口を。絶対飲み込まれてなるものかと。
二人掛かりで。そして美仁は首も絞め続ける。ホースが食い込む。搾り出すように天力を込める。
空影は激しく藻掻いた。寝た体を跳ねさせる。命のやり取り。どちらかだけが生きるための。数秒の後に、再度動かなくなり、やっと炭色の泡となり、どこかへと向かって消えた。
「はぁ……はぁ……」
息を整えた美仁に、うるえが――
「ごめん、空気の壁、解くのが早過ぎた」
と謝意を。
「しょうがない、そういう事もある。次油断しなきゃいいだけの話だ」
美仁はそう言うと、晴己の事を考えた。
(これ以上の敵と戦ってんのか……? 本当に無事か……?)
天角家エデンズデパート。
そこには見状嘉烈と佐田山柔が向かった。
一階から見て回る。二階にそれは居た。人型の顔無し空影。二メートルほどの。
まずは様子を見た。
二人の頭上に氷の柱が現れた。それが落下し、押し潰される。
「大丈夫!」
柔がそれを軟らかくし、ダメージを極限まで抑えた。二人が起き上がろうとすると、ぷるんと後ろへ跳ねる氷。異能力に因って物理法則を無視したそれは、一階への階段へと落ちた。柔が解除すると、氷は変形した形で固まり、段にぶつかる度に砕けながら殆ど一階の床へ。
「氷ね、了解。それより」
「そうね、まずは私が」
柔は立て看板を軟らかくし、自重で折れ曲がった瞬間、解除した。それが壊れる。その消耗度を、嘉烈が空影そのものの消耗度と交換する。立て看板が直る。空影が拉げる。
「ぎっげぎぎっ!」
二人がそんなことを繰り返すだけで、その空影は大怪我を負っていく。
人型のその空影には口だけはあり、それが今大きくニタリと開かれた。
「何だ?」
その瞬間、氷柱が、嘉烈と柔を閉じ込めるように立った。二人は氷の中。
動けない状態で戦わなければならなくなった。
(私が――!)
柔が軟らかくし、氷が自重で動いた瞬間、解除し、割る。真ん中で真横に切れ目が走り、氷の柱は上と下に分かれた。上を脱ぐことができそうになった。だがそれだけでは、二人は氷に囚われたまま。未だに動けない。
やってくれたなと言わんばかりに、
「ぎぎぎ」
と空影が歩いて来た。
柔は、その敵の足元を軟らかくした。
「ぎっ」
歩き難くなったところで空影そのものを軟らかくする。それには時間が掛かるが、柔はとにかく念じた。
嘉烈はと言うと、何か損傷した物は無いかと探した。
氷では駄目だった。なぜなら、氷は、結晶の繋がりが切れて割れるなり砕けるなりしても、壊れた其々でさえ氷と言えるからだ。損傷を何かから氷へは移せるが、氷から何かへは移せない。
(何か別の――それでさえなくなる物――!)
体が冷えながらも、嘉烈は目に集中した。天力を込めた彼の目では、物の消耗度合いが解かる。
「アレだ!」
奥に見えた何かの店の人形が倒れていて凹んでいる。その消耗度を下半身を封じ込める氷とすり替える。人形が綺麗になる。
バキンッ――!
と、激しい音がして、腹から下を包む氷が砕けた。
瞬間、彼らがしゃがむと、腹から上を包んでいた氷が階段の方へ落ちて行った。自由になる。
空影は、その時、手足が軟らかくなっていて、上手く歩けずに膝で立つ姿勢になった。それと同時に、手を前に掲げることもできず、それを不思議がっていそうな態度を見せた。
「解除!」
柔がそう言って念じるのを止めると――
「ぎっ!」
空影の手足は、曲がったまま。骨折。
そこで嘉烈はとんでもない事を思い付いた。
「ごめんな、人を喰ったり傷付けたりするバケモノ、だからお前をやっつける――」
その時、それでも二人に本能で攻撃する空影は、また氷の柱を出した。二人はそれにまた閉じ込められ、身動きできなくなった。
柔はまた氷を軟らかくしようとするのに必死になる。が、嘉烈は違った。
彼は、思い付いてからずっと、空影の手足に念じていた。念じ続けていた。その手足が治る。
すると空影は倒れた。
それが泡となる。黒に近い灰色のそれが、どこかへと行きながら消えた。
……氷から出たあとで、柔は訊いた。
「見状くん、何をどうしたの?」
「……手足の消耗度を、あいつの脳の消耗度とすり替えたんだよ、少し時間は掛かったけど」
「そっか。だから」
「佐田山さんの御蔭だよ」
二人は微笑み合った。
そして嘉烈は思った。
(形快……お前が居なきゃ俺達はそもそも生きてない。……どこでどうしてる? 俺達も戦う。だから無事でいてくれよ)




