43 そして、ついに、それを。
「ふっ!」
初っ端、晴己は殴り掛かった。
それを素早く避け、跳ねて天界の信号機の上に逃げたのは、モモンガかムササビの顔無し天獣。そうだとは分かっていた、透視で見たからだ。
傍では女の子が泣いている。
よく見ると、大きなその天獣の胸元に大人の女性の姿が。
「あ――!」
「うわああんお母さあん!」
と、女の子の声。
(そんな……っ!)
そして脈打ち――それは変化し始めてしまった。
「あなた!」
そう言ったのは警察官だった。そこへ駆け付けた人物。天界の女性警察官の天人、ルアンダエラ。まあ晴己にはまだ名乗っていないが。
晴己は逃亡の一環として女に化けている。故の疑問を持った。
「ん? 僕だって気付いて――」
「天力探知機械でね!」
そして二人で見上げた。
「あの封印施設でしか生じないようにしているのになぜ?」
彼女がそう言った。だから晴己はこう思った。
(そういう事だったんだっけ、だからそれで封印の羽根が始まりで――)
「じゃあそんな所を誰かが増やした? そして出した?」
「あ……!」
それが変化を終えた。虎の空影の時と同じく人型化し、顔が出来上がる。
それが滑空し、交差点の中央に着地。そこを通ろうとする天界の車は、察した運転手により何台かは逆走。車を置いて逃げる者も。
もし封印されたら――そう思ってまずこちらから封印。
×能力封印
×瞬間移動
晴己の手の甲に浮かび上がった。
危うく封印される所だった。逃げる能力も同時に防いだ。そして。
「じゃあ早速。まずはアナタ達が食事だよ?」
手と足の間に滑空用の皮がある。喋る天獣。
女性を取り込んだその口で、食事――と言った怪物を、晴己は許したくなかった。
恐らくは子供を守ったその母。そしてその子のためにも。
「お前にそんなことはできない。そんなことより……命を返せっ!」
晴己は会いたい者の背後へ瞬間移動する力で背後に回った。すると天獣は天力で気付いたのか背中から――
「――っ!」
空気の塊。大きな見えない弾丸。晴己は目を閉じて後方に数メートル吹き飛ばされた。
着地には成功。
そしてすぐにまた敵の背後に。今度はそれをされても、
「切断!」
空気の弾さえも切る。そして、
「雷爪っ!」
背中に爪の傷と痺れを負いながら、敵が今度は数メートル前へ逃げた。
「ぐうっ」
ついでに封印。
×空気弾
手の甲に増えた。
瞬間移動で追う。右と左の爪撃。相手は腕で防ぎながら身を引いていく。
「何!」
空気の弾を出せなかったからこその声。そこへ追って連撃を繰り返す。
「ぎあ! ぐっ!」
敵の悲鳴が聞こえる。
(ん? ダメージが通り易い? 戦い易い。何だ? こっちの攻撃が滅茶苦茶通ってる)
敵が弱いとは思えない。身体強化もしていそうだ。
この天獣が何の力を隠しているか。それによっては封印を控えるのも手。今の状態のまま戦えば封印を楽にできる――何か解除しなければならない訳ではないから。警戒しながらの戦い。だが、意外にも通る。
互いに何発か浴びせ合う。晴己からは紙吹雪も。
そんな時だ、葉が敵を襲った。
「――!」
敵の動きが鈍る。後ろに回り――
「雷爪!」
「ぐっ」
攻撃を捻じ込みながら、晴己は思った。
(――まさか!)
辺りを見た。透視で。
少し離れた所の並木の影に――
遠見大志、不動和行、温地美仁、然賀火々末、大月ナオ、五人の姿が。
(みんな! みんなだ……! みんな……!)
懐かしさに浸り過ぎる訳には行かない。目の前の敵から取り込まれた女性を救いたい。今を逃したらそれはできないかもしれない。
彼らはこう会話していた。
「天界、どうなってんの?」とはまず火々末が。
「さあ、俺も知りたい。というかあの戦い方」大志が言った。
「多分また変装するだろうな」これは和行が。
和行はそこにいる四人に向けて更に。
「それよりお前ら出過ぎるなよ。俺達に会いに来ない、あいつにも何かあるんだ。すぐそこに警察の女もいるしな、俺達までやばくなるぞ」
ナオは自分を危険に曝してしまうからということを理由にはしたくなかったが、その前述部には同意した。きっと何か大きな事が関わっている――と。
「あいつの帰る方向を追えばいい」
大志がそう言った。
かなりの力を込めて戦っていたが、中々相手も倒れなかった。
よく見れば、自動治癒しているようだった。ならばと――
(封印!)
手の甲の字が増え、四行に。
×能力封印
×瞬間移動
×空気弾
×自動治癒
そして、地面に吸い込まれたかと思えば横の建造物の壁から出てきた滑空状態の敵に一撃を貰うも、能力で背後を取って、
「雷――刃!」
今度は手刀で。敵の背に横一文字の傷が。
「ちぃぃ!」
敵が悔しがった。もう一押しか。
そんな時だった。
「こうなったらアナタはどう動く? ふふふ」
「……?」
その天獣が地面に降り立ったかと思ったら、またどこかへ移動した。近くの物体のどこかの面に移動できるようで――その力で天獣は女性警察官の前に出た。
「やめろ……やめろ!」
晴己は急いだ。
ルアンダエラは突然のことに動けていない。
ニタリと笑った天獣の、その手がルアンダエラの腕を引っ掴んだ。
「やめろ!」
晴己が、物体の浮遊操作で急いで向かった。そこへ――
天獣は、ルアンダエラをただただ投げた。
「がっ!」
ぶつかる。晴己はルアンダエラと衝突し、そして、くっついた。
「な、何で!」
ついそんな声を上げてしまう。明らかに相手の能力。接着させるのであろう力。
「そのまま戦えるかな?」
天獣がほくそ笑んだ。対し、晴己は考えた。
(――やばい、この人を巻き込む!)
「動かないで!」
晴己は女性を抱えた。そして封印するものを変えた。
×能力封印
×瞬間移動
×自動治癒
×接着
そうなると、その場に女性を置くことができた。接着が一旦解けたのだ。
そして駆ける。そして打撃の応酬。
「ちっ。だがこれは?」
奴の手から眩しい光が。晴己は暫く目が利かなかった。直後連撃を喰らう。
「くっ」
こうなるくらいならと五つ封印しようと思った晴己だったが、数秒経ってもできなかった。故に――
×能力封印
×瞬間移動
×自動治癒
×閃光
(これで勝負するしか……!)
「ははは! ん?」
閃光を封じられたことに気付いたようだった。だが、敵は接着を使ってこない。それも封じられたままと思っている可能性が――
(まさか! でもそれなら!)
とにかく晴己は、強気に戦った。接着を封じているぞと言わんばかりに。
そして空気弾に吹き飛ばされた時だった。
天獣が、何かに気付いた顔をした。できなかったんじゃなかったか、という顔。そうなるとまた別の能力についても考えが及び――
晴己は決着を急いだ。背後に瞬時に移動し、手を振り上げ――
だが見抜かれていた。敵は背中から空気弾を放った。吹き飛ばされた。そして先に……物体間移動の幕が現れた。
それに入った晴己は対になった口から出た瞬間、またルアンダエラにぶつかった。そしてくっついた。
「くっ――」
「なるほど、四つネ。目くらましも嫌だったワケだ。最善でこれ。どうするぅ?」
晴己は、だったらと、自動治癒封印を解除し、相手の身体強化そのものを封じる手に。
×能力封印
×瞬間移動
×閃光
×身体強化
きっとこれで――と、ルアンダエラを背負いながら背後に瞬間移動し同時に手刀を放った。
「何っ……!」敵はそれまでのようには動けなかった。
そしてぐるりとこちらを向き、天獣は真正面から空気の弾を。
「反射!」
(危なかった)
だけでなく、逆に吹き飛んだと思われた天獣がすぐ目の前まで来ていた。右フックと前蹴りを貰ってしまう。
(え! なんで――!)
「なんでって思った? なんでだと思うぅ?」
と天獣が言った。晴己は考えた。
(身体強化は封じたのに、それくらいの動きを……。そうか! じゃあ似たような能力が!)
これ以上封印を操作するのは厳しいと晴己は判断した。このまま勝ち切らなければならない。女性一人を背負ったまま!
ルアンダエラ自身はと言うと、激しい動きの中で自分の能力を使うと逆に劣勢になる虞もあり、手を出せずにいた。
そして。一瞬の油断。敵が消えたと思った瞬間、横の壁から。
(物体間移動……!)
二人して転げてしまう。
「だいじょ――」
「大丈夫! 前!」
ルアンダエラの声のあとで、晴己が前を向いたが、そこからはもう、空気の弾丸が放たれていた。恐らく今までで一番凝縮された弾。
「反射!」
『来た物を撥ね返す』――その力で送り返したが、敵は避け、そしてそれが向かった先で物体間移動が起こった――
晴己の横の硝子窓から弾が。
(やば――!)
それを、駆けてきた男が防いだ。あの男だ。晴己が助けたがっていた、煙と炎の男。
「え」
男の手には、妖刀《ヴルエンカ》が。彼が二人を庇った。そして倒れた。
(そんな! そんな……っ!)
「さっさとあいつを、や……れ……」
男が気を失った。
晴己は思った。
(名前もまだ知らないのに! 助けたいのに! 助けられた! まだ何も知らないのに……!)
そして目を潤ませ、静かに、相手と自分に激怒した。
「おやおや」
天獣が言う。その男の傍にある妖刀《ヴルエンカ》を、ルアンダエラを背負ったまま拾うと、晴己は、そのまま――背後に。
そこからの動作は今までで一番速かった。
声もなく振り下ろす。限界かと思う程の力で。それからの。
「切断」
「ぎっ」
天獣はやっと真っ二つになった。
相手を倒したからか、ルアンダエラは晴己の背からずり落ち始めた。接着が解けている。彼女は自ら下りた。
その場に――天獣の骸が変形するようにして――女性が現れた。そこへ、女の子が駆け寄る。
ほっとした。取り戻せた。救えた。そう思った晴己は涙した。そして男に駆け寄った。
声で癒す。生きてほしいと願って。
助けられた女性とその子も、ルアンダエラも、晴己のすることを見ていた。
「なぜあなたのような人が追われて……」
助けられた女性が言った。
「……僕、誰かの邪魔らしいんです」それだけを言った。
「そんな事がまさか……ん? え……っ! あ……!」
「……?」
その子の母の反応は気になったが、晴己が今一番気にしているのは男の容態だった。そんな時、その女性の声が、
「あなた、なんで、天力と闇力を両方持ってるの? それに、妖力まで……」
と、晴己の心を揺らした。
「え?」
(な、何? 何それ。どういう事……)
言葉にもできずに。
ルアンダエラはその事に気付いてはいた。だがよく分かっておらず、どう言えばいいかも分からなかった。
晴己は、また、自分の事が、ひとつ分からなくなった。そしてそれから、男を担いで自分の泊まっているホテルへと急いで戻った――勿論、目的地がそこだとバレないように、工夫した道順で。
「あっちだ」
と、ほか四人に対して、遠見大志が言った。
部屋に入ると、そこにガサナウベルは戻っていた。
「おい、どこに行ってた」
「別に。人を助けてきただけだよ」
「あ、おい。またそいつも連れて」
ガサナウベルは晴己の背にいる男を指で示した。
「助けてくれたんだ」
「二人で行ったのか?」
「それは……最初は一人で」
「置いて行ったのか? 二人で出ても俺は反対だぞ、そいつが誰か分かって――」
「分かってる! でもこの人は! 助けてくれたんだ! 悲鳴が聞こえたんだからしょうがないだろ!」
「それは……まあ……しそうな事だな、お前が。というか、どうしたんだ。いつものお前じゃないぞ。って、おい」
晴己は話も聞かず、ベッドに男を寝かせると、妖刀《ヴルエンカ》を鞄に仕舞い、自分ももう一つのベッドに寝た。そして無言。
「……? おい。何から助けたんだ?」
と、ガサナウベルが問い掛けた。
「何でもいいじゃん、何からなんて」
「は? おい、さっきから何なんだその態度は。……おい、おいって」
「僕はおいじゃない」
「……晴己」
「そうだ、そうなんだよ、僕は晴己、そういう名前が付いてる……」
晴己は身を起こした。
「たとえば犬に、ダーリンって名前をつけたとするよね、それは、ダーリンっていう名前の犬だよね」
「ダーリンはどうなんだ。まあ……で?」
「ガサナウベルは、そういう名前がついてる。だから、ガサナウベルっていう名前の天使だ」
「そうだな」
ガサナウベルは、椅子に座った。ベッドに向かって真摯な態度。
晴己はベッドに腰を下ろした姿勢でガサナウベルと向き合っている。
そして。
「僕のは、晴己って名前。そういう名前が付いた…………そういう名前が付いた……何なの、僕は」
数秒間、何の返事もなかった。だからまた晴己から。
「ガサナウベルさんは天使だ。カッコイイ天使だよ。凄いよね。悪の振りまでして誰かのために、そんな人中々いないよ。僕は? 僕は何。何だかおかしいんだよ、僕は……僕は人間じゃないみたいで。これまでも色んな事があって怖かった。自分の事が怖いと思う時があった。僕は……天使とも違う。ガサナウベルさんとも全然違うんだよ、僕は。……僕は何」
晴己は、もう全てを知りたくなっていた。
「僕は何」
繰り返す。
久々に揺さぶられてしまった。自分という認識について。
不明瞭。だからハッキリと信じられる強さだと思えない時がある。
(――これは何。僕は何)
ガサナウベルも、言うべきか迷った。何が引き金なのかによっては、更なるトリガーを引くことになる。
だが、だったらもう解決に踏み出すしかないとガサナウベルは考えた。
「天力、闇力、妖力……」心に従って、彼は晴己に問い掛け始めた。「自分に三つがあるのを知ったんだな、そうなんだろ」
「……うん」
(――合ってた。よかった。そっちか。ホッ……当たってよかった。にしても、それかぁ……。なら……)
と、ガサナウベルは、晴己の隣に座った。
「お前はお前だ。晴己。いい名前を持った、優し過ぎるやつだ。急がなくていい。いつか本当のことを知れるまで、俺だって支える、誰だってお前を想ってる、だから、たとえお前がどんな存在だと知っても――どうにかできる――どうにかできるんだと、お前自身が今から思ってもいいんだ、思って、ドンと構えてみろ、お前はお前だ。できない気がするか? 嫌な感じがするか? きっと大丈夫だ、だから受け入れられる。そんな気がしないか? お前は、お前なんだから。ほら、やれる気がしてこないか? どうだ?」
「できる気が……してきたかも」
「そうだろ」
「そうだね、僕は僕。今までやってきたのは僕。あれをやったのも僕。あれも。今の僕がここに居ることができてる。ちゃんと居る。その僕を僕が疑うこと、ないんだ、そうだよね」
「……ああ。お前は確りとここに居る」
「……うん。……ありがと、ガサナウベルさん」
「ああ――。ただ、俺は、当然のことを言っただけだよ」
その夜。
目を覚ました男は、その日の出来事、戦いのあとの晴己とガサナウベルの会話をも、晴己から聞いた。
「そんな状態でも人を守ろうって――守るって言うんだな、本気か?」
「うん。だって、守りたいよ。守れるなら守りたいよ、そうじゃない? 僕はそうしたいよ」
男は、薄く、本当に薄く、微笑んだ。
「……これを見ろ」
「ん? 何?」
男が示したのは、彼が今している首飾りだった。黒い宝石の。
「能力封印を防ぐ。これが既に封じられているような事になるんだ。もしお前が五つ封じることができるなら、これを装着している者は三つ封印されるだけで済む」
「ああ!――あ! あの時の返事、今してくれたのっ? 何? 信じてくれたんだ?」
「……違う」
「ええぇ、違うの?」
「……本気なのは分かってる、大分前からな。そうではなく……自分を受け入れたくなった――かな。こちら側でいいってことだ、要は。もうああいう仕事はしない」
晴己は目を輝かせた。
「それで、僕ら側に付くの?」
「ああ。その方が……いい……気がしたから、な」
彼は顔を横に向け、口元を変に曲げ、顳顬を掻いた。
晴己はそれを見て、じんわりと笑った。それから、思わず大きく――
「はっは! じゃあもう仲間じゃん! やった!」
そう言って笑う晴己を、この男が、呆れたように、友人のように思ったのは、この時が最初だった。




