38 灰色の獣と清き者。
「警察の追っ手との戦闘は避けたいんだけど!」
「何を! まるで本当は警察の味方みたいな言い方して!」
言い合っていた。
それは追跡者との会話。しかも女性警察官の天人。
形快晴己は、照神に呼ばれて天使ガサナウベルを牢に見た日に、天界の警察の制服を見ている。これまでも、隠れて生活する中で、ガサナウベルに言われ、散々、制服には注意を払った。だから、それがそうだとはよく知っているのだが、変装しているためバレないと高を括っていた。
(トイレのために少し待ってただけなのに! しかも警察とか勘弁してよ!)
筋肉のアピールが強い男性に変装中の――そんなガサナウベルが隣に今居ないのは、彼が天界の都市のデパートでの買い物中に、小用を済ませたがったからだ。晴己はそれを待っていて――今は、髪の短い少年の姿をしていて――そして走っている。
バレたのは天力探知機械が原因。
晴己は抑えるよう努めていたが、戦闘をするとどうしても溢れ出る。そして残る。それだけはどうにもならない。掻き消えるまで時間が掛かるのは、能力で使う天力が多い証拠。相手も強いからそれだけ使うということ。これはもう仕様が無かった。
その力素とも言えそうなモノの幾つかを女性天人がセットし形快晴己を調査し始めたのがつい最近ということだが、晴己は知る由も無い。
晴己にとって、この女性天人の足の速さは意外だった。彼女も身体強化などができるのだろう。晴己はそう思いながら走った。そして既にデパートの外に出ていた。
「天舞最上警察を舐めるな! 大人しく捕まりなさい!」
女性天人はとにかく叫ぶ。
「どうしてそんなに逃げるの! しかもなんか余裕そうだし!」
「だって犯罪者じゃないもん! それこそ僕は助けたい側だし!」
晴己がそう言うと、女性は、
「えっ……」
と、言葉を詰まらせた。
「あれ? 話分かっちゃう感じ?」
晴己は、それはまぁあり得ないよね――と分かっていながら振り向き、訝しがり、そして走るのを止めた、女性が晴己を見ていないからだ。そして女性の目線の先――遠くに、晴己も何かを感じた。
「あ……あっ……!」
女性が何かに驚いている。
(何だ?)
女性の目線の先を見る。能力『肉体を改造する』にて超視力にした目でやっと見えたが、その視線の先には砂場と滑り台しかない公園があり、そして公園には、消炭色の化け物の姿があった。
ハッキリと存在感のある、濃灰色の顔の無い虎のような存在。
ガサナウベルは晴己に、影天力による悪獣・空影の存在と特徴を教えていた。
(輪郭がぼやぼやしてもいない、色も違う、全然違う、天力の白でもないから天獣でもない、あれが――!)
「そ、空影……。な、なんで」
女性がそう言った。
(やっぱり!)
しかもこの女性は、天界が真に対抗しなければならない危険な集団の動きを恐らく知らない、知っていれば報せられていてもいい筈、どちらの立場だったとしても――と晴己は考えた。
敵でもなさそうに見える。多分、普通の警察官なんだろう、そう見える。
だから晴己はこう思った。
(この人までこの事を調べ始めちゃったら! だったら……!)
晴己は人の心配ばかりして、よく、自分を心配することを疎かにする。
「あの!」
晴己は形振り構わなかった。女性に近付いた。そして。
「アレが何かと繋がってるかもしれなくても、調べないでください」
「え? な、なんで――っ」
「関わると碌なことが無いからですよ! 僕が行く!」
能力『会いたい者の後ろへと瞬間移動をする』を発動させる。
あの空影の後ろに出る。
空中に出たから、まず踏むことになった。だが、顔無し虎は気付いて自ら避け、晴己と距離を取った。
そして。
晴己の方を向いた虎の空影の側面を見て、晴己は愕然とした。
女性天人は、少年の言葉と態度を受け、やはり身体能力を強化し追い掛けながら、呟いた。
「なんであなたがそんな事を……あなたは犯罪者じゃ……」
そして彼女も、現場に着いた。
彼女は空影を刺激しないようにゆっくりと少年・晴己の方へと歩み寄りながら、聞いた。
「なんであなたがこんな事をするのよ」
目の前の、顔の無い、深い灰色の虎は、八歳から十歳くらいの一人の少年を、胴の側面から取り込もうとしている。これは女性天人からは見えない側のこと。
晴己は駆け出そうとしたが、その瞬間、飲み込み終わった。
少年が、空影の中に。
晴己の心の中に、大きな悲しみが生まれた。
そんな時に言われた。
「なんであなたがこんな事をするのよ」
「助けられなかった……。助けられなかった……!」
女性は晴己の言葉と態度に、謎ばかりだと心の中で言葉にしてから視線を空影に移した。そして思った。
(何をそんなに見ているのよ、一体)
晴己は悲しい目をし、そしてその目で、虎の空影そのものが心臓のように鼓動するのを見た。
「……え……? 何が……え、まさか――」
晴己は、警察官の女性天人が声を掛けたあとほぼ隣にまで近付いて来たことに気付きながらも、嫌な予感と、一つの謎が解けそうになっている予感を抱いた。
だからその様をただ見た、見続けた――あの子をお前はどうしたんだと思いながら。
目の前の化け物は、晴己と同じくらいの大きさの人型になり、立ち上がり、縞模様の尻尾をくねらせた。それは灰色の髪の毛を持ち、そして……顔を持っている。それが口を開いて――
「これでもっと喰えるぞ! よし! さてどうしようか――」
と、喋り出した。
喋る消炭色の空影。それはまるであの妖魔のよう。
(――ってことは……! タタロニアンフィの……あの人は、あんな風に……! じゃあ、もう、あの子……。あの子はもう……。あの子はもう……っ!)
晴己は目に涙を溜めた。
「な、なんて……」
晴己は言葉にしようとして、自分の喉に詰まるものに邪魔された。確りと息を整え、そして。
「なんてことするんだお前! お前は人を喰うのか! さっき言ったな! そうする積もりかホントに!」
すると、その空影は――
「ああ、そうだよ?」
「それは……駄目だ。やっちゃ駄目だよ! やらないでどうにかしてくれよ!」
「それは無理な話だね。何なら、そこの女も美味しそうじゃないか」
空影がニヤッと、気色悪く笑った。
隣の女性は、臨戦態勢になった。
そして、晴己は、涙目で。
「ふざけるな」一旦弱々しく言ってから。「ふざけるな! あの子の命を返せ!」
目には涙が溜まったまま、それの後ろへと。瞬間移動。
取り込まれた男の子をどうにか救いたい。
晴己の心にはその想いがあった。
だがどうにもできないかもしれない。絶望。それもまた晴己を突き動かした。
そして、だからこそ繰り出されたのは――手。
まず晴己は思った。この空影の背中から、救い出せたらいいのにと。だから初めは優しく触れた。
そして。
「――雷爪ッ!」
能力で肉体を改造。爪を長くし、頑強にし、鋭く抉りながら引っ掻く。同時に雷撃。
人喰いの化け物はそれらをもろに受け、
「――っ!」
と、喉を詰まらせながら、背後に移動した相手から離れた。
涙を拭き、言い放ちたくなった晴己は口を動かした。
「お前が喰らうのは人じゃない。とことんお見舞いしてやるよ。攻撃ってやつを!」
晴己は助けられなかった少年の事を思った。だから負けられないんだと思った。だから倒すんだと。
そして全身の力を解放。
天力の圧を人が気にならない程度に抑えながら――極限まで全身を改造した。ほかの命が奪われないことを願って。
地面を蹴ると体はもう空影の前に。
「ふん……だが……。何!」
「封印しようとでもしたな」
晴己の右手の甲には、浮かび上がっていた。ガサナウベルとかつて運命的に戦った時のように。
×反射
×防御結界
×能力封印
その手で、
「雷――打!」
殴った。渾身。全身。全ての、今できること。天力もありったけ。
晴己は、叩き込むことを誓った、あの少年に誓った。
そして、十メートルほど吹き飛んだ相手に向けて、話し掛けた。
「お前は取り込んでおいて、人のことを封じようとするのか! あの子の命、返せるもんなら返してみろ!」
晴己は、我を失ってはいないが、怒り、泣いていた。
「あの子を返してよ」
「できないね」
「そうやって命を弄ぶのは趣味か何かなの?」
「もう無理なんだよ~」
その声に、晴己は流石に呆れた。
この化け物をここに放った影天界の誰かが近くに居るかもしれないが、晴己は、目の前の仇をとにかく許せなかった。
「最後に聞く、お前は人を喰うのか。喰うのを、やめないのか」
それでも何か変わるならと、許す気になろうかとも思った。
「え? ああ。だってそれが主食で――」
「や、め、な、い、の、か?」
「……やめてあげないよ~」
もう、許す気も消えた。
「お前が…………お前が喰われてみろ!」
空影は、飛び掛かった晴己に対抗し、身体強化だけは確実に行なっている、動きはほぼ同等。
右拳、左拳、互いに出したそれらを躱し合う。
蹴りも。こちらからも入れるが相手もやってくる。
ガードした瞬間に――
(――切)
「断!」
相手の脚が削げ落ちまではしなかったが、左の足首から膝辺りまでが深く切れた。
「うげっ」
相手はそう言うだけ。その反応の、痛みの無さそうな感を受け、晴己は、どこまでも、目の前の何かを、怪物だと思うだけだった。
次に晴己が使ったのは、能力『会いたい者の後ろへと瞬間移動をする』――
(――今もみんなに会いたいのに)
思いながら敵の後ろへ。
そして。
ただ殴打。但し尋常じゃないほど強靭な体に改造した状態で。しかもそれは四発は入った。
「ふっお――!」
そんな声を上げながら、元々灰色の虎だった空影が転げ、そして立ち上がり、脚をぶらぶらとさせる、それはさっき切れたからで――
晴己はもう体勢を整えるのを待ってなどやらなかった。
掌ほどの大きさの紙を生み出し向かわせる。
「あがっ!」
何十枚もの紙だった。全てが空影に突き刺さる。首から下のあらゆる箇所に。頬にも掠っている。
ここまでと思わなかったのか、相手の顔に怒りが表れた。
刺さったものを、空影は、体をぐるりと回して払った。そして。
「この野郎……」
「こっちの台詞だ! この野郎って言いたいのはこっちだ! やめろって言ってんだよこっちは!」
「何ぃ? 何の話ぃ?」
晴己はもう許さないことにした。
(妖魔の時と同じだ。……狂ってる。あれは本能に何かがくっついただけの獣。元が力獣――悪獣なだけに)
「もう言葉はいいよ。お前のそれは言葉じゃない。僕には言葉に聞こえない」
「ははは、挑発に乗っちゃおうっと!」
拳と拳のぶつかり合い。蹴りも。相手から膝が来たりこちらからも出したり。連打の応酬。
その直後は、距離を取った相手からの、
「これも受けてみろ」
空中に作り出された純白の三叉槍。それが四本。
そんな時、晴己は思った。
(挑発なんてしてないのにね。悲しんだだけだよ。やっぱりお前のそれは言葉じゃないよ。理解じゃないよ)
晴己は、悲しみを込めて紙に祈った。巨大な紙に。
あの男の子は戻らない。それならもういい――そう思いながら放った。
三叉槍四本に対し、紙八枚。二枚ずつで溝を受け止めようとする。だが止められそうにない――だったらとその瞬間――
「切断」
それらはただの槍と化した。落ちた部分は白い泡となりどこかへと行こうとするのがチラリと映るが、そちらに気はやらない。
ただの槍が来る。
「反射」
瞬時の判断で、それは、元は虎の空影という怪人に、真っ直ぐ撥ね返された。『来た物を撥ね返す』その力によって。
「何っ!」
三叉槍ではなくなった物に刺される前に横へ動こうとする化け物を――
後ろへ瞬間移動してその場に抑え付ける。伏せさせるわけでもなく。
「こ、この――!」
抵抗するも、晴己の尋常じゃない力で動けず、空影には純白の槍が刺さった。
そして晴己は離れ、様子を見た。
「もう許さないんだよ、僕は。お前を倒すまで止めない。お前を逃がさない」
「逃がさないだと? 逃げる? 俺が?」
敵が晴己に近付き、瞬時に間が縮まった。晴己が拳を出す。相手は避ける。相手がカウンター。晴己は――
「反射」
敵の拳が撥ね返る動きをした。
「あっがっ――!」
敵が純白の三叉槍を出す。
そこで、その白さを見て、晴己はあることを思った。だから問い掛けた。
「その真っ白なミツマタ、お前には似合わないよね、それ、誰の」
「ああ、これならさっきのガ――」
晴己は、答えが分かった時点で、空影が先を言うのすら止めようとした。紙を奴の口元へ。巻いて塞げるほどの大きさの紙を。
「むぐっ!」
「それ以上先を――さっきの言葉の先を、あの単語で言っていたら、それがお前の最後だった。まだ気は変わらないの?」
晴己は飽くまで、その選択肢を与えた。だが。
「だからなんで俺が」
もう――晴己は、何もかもが違うなと思った。この怪物は生きていない。死んでいるのと同じだ。優しくしたら優しくされるかも、そんな事をこいつは知らない。知っていたら何かいい反応がある筈で、そんな反応をしたようには感じられなかった。じゃあ知ったら変わる? だがそれも感じられなかった。晴己はそう思った。だから――さっきの少年のために、どうしても。
「じゃあもういい。お前を倒す」
そして晴己は思った。
(横にできた明るい道に、お前は行かなかった、進まない道にも行かなかった)
全身の天力を。もう加減もしない。
それからは一方的だった。
晴己は何もかも防いだ。そして叩き込んだ。爪撃で切り、そして拳を捻じ込み、何度か攻撃されても避け、
「雷――爪!」
痺れさせ、ダメージを深く、深く、芯にまで与えた。
三叉槍が来ても。
「それはもういい! お前のでもない!」
巨紙を向かわせ、反射。敵に刺さる。
「うぎっ、ぁっ!」
そんな戦いを――それまでの流れを――天界の警察官の女性天人は、ただ見ていた。次元を超えていたから。そして、追っていた相手が、想像と違ったから。
自分に刺さった三叉槍を消し、苦しそうにしながらも、まだ向かって来る。
そんな相手に向かって、晴己がまた、尋常ならざる頑強さの腕を振り被り、そして――
「あああ!」
と叫び、繰り出した。相手も拳を向かわせる。
だが、そんな時だ。
身体中に激痛を感じ、晴己は倒れた。
「う……! が……っ! あ……え? な、何が……ぐっ……!」
晴己は煉瓦敷きの道に這い蹲った。そして起き上がれる気がしなかった。
「ど、どうやっ……て……!」
晴己自身、こうなるとは思っていなかった。全身が痛いが、特に左脚が、なぜか尋常じゃなく痛い。
そこへ、今の視点では顔も見えないあの敵の声。
「じゃあな」
「待ちなさい!」
女性警官の天人が手を構えた。そこから何か撃てそうだが、敵う相手ではない、そのことを晴己は分かっていた。
「お? 喰っちゃおうか?」
「に、逃げて――」
晴己はどこまでも、他人の心配ばかりをし、他人の悲しみばかりを見ていた。そして、いつかの夢を一瞬だけ思い出し掛けた。既視感とはすぐにさよならをした。
「そんな訳に――!」
と彼女が言った時、そこに、現れたのは――
「こんな所で何してるかと思ったら」
天使ガサナウベル。
筋骨隆々の男性に変装中だが、サーチに引っ掛かりでもしたんだろう、女性警察官が、
「ガサナ――! い、一緒に逃げているのは分かっているわ! 大人しく――」
と、まだ先を言おうとした。そこへガサナウベルの声。
「言ってる場合か! まあお前らみたいなのは喰われた方がいいのかもしれないがな!」
その時、晴己は思った。
(振りを……この先のこともあるからか……。でもガサナウベルさん、僕はあいつを倒したい。あの子のために戦いたい。変な繋がりに見えたらどうしよう。やれば助力したい人を近付けさせちゃう。演技は誰かの裏を掻きたいから、でしょ? ねえ。どうすればいい? 僕はこれだよ。どうすれば……)
ガサナウベルは、晴己の顔を見ると、すぐにその意志を理解した。
「ふん、そんな状態の癖に奴を倒したいのかよ。まあ、お前がやる分にはいい。くっくっく、俺がこいつを持って来たからな。一人でやってみるんだな」
手元に置かれた。鞄から出された状態の――
輪状の妖刀《ヴルエンカ》。
手に取ると、晴己は、あらゆる力が帰って来た気がした。倒れたまま、喉に、天力を込める。全身の回復力そのものにも命令する。
女性警官は、目を疑いながら、口を半開きにしたまま、黙って見ていた。とんでもない力が目の前の少年から放出されたからだ。
彼女の前で、楽器か何かから出たような、ただただ高い音が、晴己の喉から――
まるで女神達の大合唱のように――それは数秒間鳴った。
そして。
治癒。完全復活。更に。
「封印」
「あん?」
元は虎型のその空影は、どんな追っ手が増えそうかと見ていたが、
(またさっきの奴か、一度倒れたのに?)
と肩を竦めた。
晴己の右手の甲には、印が増えていた。
×反射
×防御結界
×能力封印
の下、手首側に。
×損傷転移
「よし、やれ、俺はいつものあそこに逃げるぞ!」
すると女性警察官の天人は、
「あ! ガサナウベル! うご――待て!」
「追跡したいならもっとちゃんと追うんだな!」
最後に鼻で笑うと、ガサナウベルは、空間接続により現在拠点としているホテルの一室へと。その接続をすぐ切る。そしてそこから、空間接続で床と上空を繋げ、身体強化した目で観察。
「ちゃんと見てるからな。頑張れ晴己」
女性警察官が、
「ああもう! どうなってるの!」
と喚いた頃、晴己は――
「さあ来い」
まだ可愛げがあるが――ただ煽っていた。
「来いだと?」
右手には妖刀《ヴルエンカ》。晴己は、ゆったりと構えた。
「ふふ、そうだよ。もう僕は、お前に、何の容赦もしないからね」




