37 人と、移りと、闇と。
ある日。ある時。
もう何日、こうして逃げて生活しているのか。数えなくなっている。
変装を解かないまま。
前の追跡者と戦った時から、また格好を変えた。変装を解いたのではない。
形快晴己は、今度は女の格好をしている。
天使ガサナウベルは、今度は、優し気で、眠たげな目の、背は高いが戦わなそうな、そんな男性の姿。
随分前から、そういった姿に合わせるため、服も買っているし変えている。
ただ、天力が敵を呼ぶ。
そしてそれを抑え、気付かれぬようにしていた――買い物中だった――が、今回見付けられた理由は違った。その追跡者は――
「隠しても無駄だ、俺ならそんなのも見抜く」
と。
そして男が晴己に手を向けた。直後、男と晴己は、急に火山の火口上空へ移動した。
「え――」
相手は、空間か何かを操る者。晴己はそう判断した。
とある天界の煌びやかな街で、人の波を見て回る。店ではなく。
「どこだよ形快」
そう言ったのは恵力学園一年五組のジンカー・フレテミスだった。天界の衣服にかなり興味がある服飾部の彼だが、今はそれらに目も向けない。
彼は思い出していた。あの時。妖人界で、晴己がムルツァギオを助け切った時のことを。
近くで砂を大きく積み、固定し、盾にし、悲しき巨人の被害をそれで抑えていたのは彼、ジンカーだった。
「俺の記憶を天界のやつらに見せてやろうかってんだよ。ったく。どこだよ……晴己よお」
彼は初めてその名を呼んだ。
また別の場所では、花肌キレンが、その目で探していた。
(……ハルちゃん。ハルちゃん――)
声には出さない。出せば、彼の味方と思われ、それにより何かされてしまう虞があった。誰が何をなのかは、彼女自身はまだ分かっていない。その注意を彼女は今日し始めた。
天界の公園のベンチに座って、氷手太一が、拳くらいの氷に、晴己の居場所はどこか動いて示せと念じても、それは動かなかった。
その傍で、ベージエラは嘆いている。
「ううう、困ったわね。こういう時って多分、天舞警察も頼れないし……」
翼のある飛ぶ一車両のための――とある空駅前の広場で、不動和行はある言葉を耳にした。通行人の噂話だ。
内容はこう。
「――だよね、でさ、犯罪者を助けるためにさ、人間界の、恵力学園って所の人が来てるんだって?」
「そうそう。止めとけばいいのにね。天界で犯罪とか、ホント怖い。そんな人を助けるなんて人も、じゃあどうなの? って」
「嫌な人に手を貸してしまいたくはないよね……」
「そうそう」
「でもどこに逃げてるんだろうねー、怖いわ~。人を何人も殺してるんだってね、一生牢屋から出て来ないでほしい~」
「その、天界に来た人達も、どうなの?」
「よく知らずに来てそう~」
それを聞いた和行は――
「くっ……なんだあいつら……っ」
怒り心頭。それに対し、ウィン・ダーミウスが前で、壁になりながら言葉を掛ける。
「お? おー、よく抑えた。よく堪えたよ? 堪えた方なんだよ? もっと先へ行けると思うよ?」
「はんっ、冤罪なんだろ? そういうのを考えないのかっ?」
「まあ、分かるよ、そうだよな、同じ気持ちになるよ」
「なんで逃げてるかとか考えたこと無いのかあいつらは!」
「まあまあまあ。そういう気持ちになるよね」
「そうだよ、なるんだよ。だから探してんのに、どこだよあいつは」
更にそのそばで、能力『ケモノの言葉を理解し従える』を持つランジェス・ゲニアマンバルも困っていた。
天界の鳥に聞いてみるも、返答は――
「ごめん、分からないわ」
だったり、
「聞いたことがある。でもどこかは忘れた」
だったり、
「知ってる。でも教えられないよ」
だったりした。
最後の鳴き声だけは意味が分からず、ランジェスは頭を抱えた。
(教えられない?……じゃあ何が起こっているんだ、やっぱりそこだ……)
「本当にどこに居るんだよ、形快」
初めて天界に来た時の廃墟ホテルの前でのこと――その身を疲れさせてまで皆のために力を使った晴己を思い出しながら、見状嘉烈がそう言った。
「ハルちゃん、どこ。今どこで、何してるの」
待機組としてホテルのロビーに居て、そこで見掛けないかと目を這わせる大月ナオは、キレンが晴己を呼ぶ時の呼称が移っていたため、そう呼び、そしてハッとした。こう声に出すのもどうなのかと。何かに巻き込まれているのなら、私達も名を呼べば巻き込まれるかもしれない――とも。
そしてそんな時。
「……? え――っ!」
ナオはかつて見た人物を見掛けた気がした。そしてあり得ないと思った。ここは天界。人間界でもない。しかもその人物は人間界の者でもない。勿論天使のマーシェルでもない。
そこで、その人物が、ナオに気付き、ナオの座っている椅子の方へ歩いた。
「え! アスレア! なんで――」
「私達も居るわよ?」
驚いたナオが更に驚き横を見る。そこには立ち姿勢が美しい女性の姿が。
「タタロニアンフィさ――」
横にはもう一人。
「オフィアーナさんも!」
ただ、彼女らは翅を今は仕舞っている。ナオは、
(え、どうなってるんだろう)
とは思った。
そこへ、外から戻って視線を配る場所をロビーに変更しようとした佐田山柔が、翅のためか背の一部が大きく開いた服を着た女性二人に気付いた。
「タタロニアーナ」
「ふふ、雑ぜないで」オフィアーナは時を弁え控えめに笑った。
ガサナウベルの発言によると、対峙者は、恐らく天人、もしくは天使、もしくは影天人、もしくは影天使、それらの可能性があった。
追跡者。
彼は、念じた相手と自分とを――別の場所に強制的に移す。だから晴己は火口の上へ行かされたのだった。
そして彼は、すぐ下の岩場に着地し、自身の掌を今度は自分の胸に向けた。
瞬間、彼が消えた。
一瞬。自分に念じると自分だけで移動。どうやら空間系というより手で念じる直線系。
火口に落ちれば、晴己は死ぬ。
どこか冷静で、天界にもこんな所はあるんだなと晴己は考えた。もしくは影天界か。天界のほかの地では温度がほぼ一定だったが、あえてなのか、こういう空間もあるという事かもしれない。本当に影天界かもしれない。もっと言えば、これら天界や影天界というのは、もしや――とまで考えた。
ともかく。
晴己は落ちないよう浮遊した。焼死は免れた。そしてどうしようと考えたが、こんなのはどうとでもできる事だと気付いた。
能力『会いたい者の後ろへと瞬間移動をする』で晴己が思い浮かべたのは、天使ガサナウベル。
会いたい。晴己は純粋に思った。
そして移動した先は、どこかの広い部屋。スポーツ用にもできそうだし会議場にもできそうな、壁がベージュ色の明るい場所だった。
そこに、先程の相手とガサナウベルが向かい合っている――だけでなく、ほかに黒い何かが二十数体ほど蠢いているのが見えた。闇界から運んで来たのか何なのか――それは、
「闇這っ?」
そう見えた。念のため晴己が言うと、ガサナウベルも、
「そうだ! 影の力獣とも違う! 見た目もな!」
と。彼が言うなら本当にそうなんだなと晴己は考えた。ガサナウベルのことが好きだし信用している。但し人としてだ。晴己にはその趣味はないし、晴己が本当に愛しているのはキレン。
男を視界に入れ警戒しようとした晴己のその目に、男が自分に手を向けようとしたのが見えた。自分だけ逃げようとしている。
「させない」
数枚の、タオルくらいの大きさの紙を、生み、念じ、そして飛ばした。奴の腕を反らさせ、奴自身に向かないようにする。半ば縛り上げたようなもの。それ以上のことはしない。理由は、彼を殺す気がないから。
「ぐっ――」
そんな焦る彼の後ろへ、晴己は瞬間移動した。
そして『肉体を改造する』にて全身を強靭にし、一蹴りでほぼ隣へ移動。フックのような形で立ち上がり様に顎へ、拳。
ドサリと落ち、動かなくなった。
人を殺さず気絶させたがる、そんな晴己は、ガサナウベルと共にただただ戦う。
晴己は自分の胴体くらいの大きさの紙を生み、飛ばした。まず二体まとめて泡となった。
トゲの雨が降って来た。黒いトゲ。
「主導権を――握る!」
物体の浮遊操作。相手が念力的に操作をしてくるならこちらも、と――
晴己は操り返した。
黒いトゲが、今度は、梁の上に居る小型の熊のような闇這に向かう。刺さる。それらが泡となり消える。
前方から突撃してくる急速なものを晴己は全身で感じた。
避けなければ危険。避けないで防ぐなら――
「切断」
腕で受けた。腕で切る。能力『どんな物をも切断する』――それにより突進能力か何かの犀型の闇這は、来ることで自ら真っ二つになり泡状になり消えた。
後ろがそろそろ危ない――晴己はそう思い振り返った。
そちらから巨大な火の球。包まれれば地獄の苦しみを味わいそうだった。
それすら切る。
風の刃が来る。それを飛ばした腕の長い猿型闇這の後ろへ瞬間移動――避けた。
「雷打!」
拳に天力を凝縮。『肉体を改造する』にてデンキウナギのように。殴って痺れさせる。実際のそういった動物以上に。天の雷のように。
筋肉も強靭故に――数メートル吹き飛ばした。その地点でその闇這は痙攣。そして泡となり消えたのだが、それを特に晴己は見送らなかった、戦うのに忙しい。
火の球を吐いた人型の闇這が数歩先にいる。
そこへもう一体人型が来て――
闇這が急に分身した。二百体くらいいるように見える。
その中の一体、火を放とうとしているものだけは、また新たに生み出した胴体ほどの大きさの紙に命じ、その紙を向かわせ切断にて泡化させた。
恐らく、二百体くらいのうち、どれかが何かをしてくる――と晴己は睨んだ。
それらは一斉に飛び掛かって来た。
(全部……!)
だったら本体以外が攪乱用か。
『物体を浮遊操作する』
その力で猛速度で天井にぶつかるように、
「だっ!」
と念じた。操れなかったものは無視。念のため回避してもいいが――
分身が、全て消えた。その瞬間、天井に激しく衝突した闇這は、泡となり消えた。分身の本体だったということ。
(あと五体は自分で……!)
と、晴己はガサナウベルを気にした。ガサナウベルが晴己を守るように、晴己もガサナウベルを守ろうと。
そして右を見た。そこに一体居る。ゴリラのようなそれは、動かずその場で手を振り上げた。そしてただその場で振り下ろした。それだけだった。
すると、晴己の頭上に黒い石臼のような物が突然現れ、その瞬間、急速に落下。
「――! 切断!」
手で竹を割るように。切った。そしてゴリラのような闇這の後ろへ瞬間移動。
そして手で。真っ二つ。そこに泡が生まれた。
「おああ!」
晴己は手を前に出し、声を上げた。巨兎型と首から上が二つある人型の闇這、その二体が、浮き、この空間の左隅と右隅の地点から、中の方へと、互いに急速に近付き、衝突し合った。
闇這そのものを操った。
そして肉体を更に、恐ろしいほどに、限界だと思うほど逞しくし、走った。ある地点で悪魔のように跳躍。自分の体を横にし、宙に寝たような姿勢で脚をそこまで開くこともなく其々へ向けて伸ばし――到達の勢いによる蹴打。二体同時。
「はぁっ!」
その瞬間に、天力を全身にこれでもかと込める。強靭さが、また更に上がる。敵を蹴ったが晴己は殆ど跳ね返らない。吹き飛んだそれらは、どちらも壁にぶつかり泡となった。
皆の元に戻るために――
この戦いに勝つために――
何が何でも生き残る――
そのために。晴己は手を抜かなかった。
振り向いた先から電流が来れば、それを、晴己は、
「ふ!」
と前に出した手に念じ、能力『来た物を撥ね返す』にて反射。
電流を放った闇這は鳥型。
その鳥は返却された電撃を飛んで避けたが、そこへ、晴己は、掌大の純白の紙を無から生み出し、飛ばした。逃げようとするのが右だと分かる。そこの更に先を予測し、あり得る全ての通過点へ――
「吹雪け」
凄まじい紙吹雪。小さな紙片の。
生き残るために感極まる。涙の戦いの中、それは輝きながら闇這に中たった。中てられるとそれは落下し、泡となり消えた。
その瞬間を狙われていた。右後方から音。振り向いたが間に合わない。
風圧を受け、晴己は飛ばされた。耳が一瞬キンとする。壁が近付く。だが。
(ガサナウベルさん)
信じる者の背後に瞬間移動。そして目の前には敵。人の首から先が付いた獅子型。
「紙片――」生み出す。「舞え!」
そして念じた。
幾つもの『小さな曲線』に貫かれ、人首獅子が泡となる。
背中を預け合っている。
もう、残りは一体ずつくらいか――と晴己が考えた時、左前方に一体居るのが見えた。
それが放ってきた。巨大な杭のようなもの。黒いのは闇力を固めているからだと、晴己には理解できた。
そして連想した。妖人界でのこと。立山太陽が白い天力を固める力を使った。あの妖魔とのこと。
(――会いたい。みんな)
その気持ちには天力を込めなかった。まだ駄目だ。ここは戦う。戦い切る。
晴己は撥ね返した。そして、自分を包めるほどの紙を無から生み、飛ばし――
「切断!」
敵の武器より速い。たった一枚の巨紙。黒い巨杭ごと闇這をぶった切った。
そして全体を眺める。
そんな時、ガサナウベルは、指を伸ばし切った状態で空中を掌打した。その瞬間、ゴオッ――という音が鳴った。闇這の放った氷塊が彼の方へ、つまりは晴己の方へも飛んでいたが、それを、掌型の衝撃波が止めた。そしてその食み出した衝撃が、氷を放った闇這に中たる。それがたった一打。それだけでその一体が泡に。
その闇這が最後だった。
「大丈夫か」
と、ガサナウベルが言った。
「うん」
「よし。じゃあ――」
そこで、晴己は、自分が使えることを忘れていた能力について話したくなった。
「聞いてください、僕、会えるんですよ! みんなに!」
「何だ? どういうことだ」
「会いたい者の後ろへ瞬間移動をする能力! 僕、これを使えば会いに行けるんですよ! でもすっかり忘れてたんですけど。はは。……まあ巻き込めないなって気持ちもあったから――だから忘れてたのかな――なんて……」
晴己は首の後ろを掻いた。途中からごにょごにょとしていたが……それから手を下ろし、別の言葉を続けた。
「だから、誰かに気付かれたりしない範囲で――短い時間だけとか、会おうとすれば会えるんです、僕」
「……」
ガサナウベルは考えた。そんな力があるのはいい、喜ばしいが、今取るべき行動は何だろうか――と。
だから彼は晴己に訊ねた。
「その、後ろに瞬間移動できる力で、本当に友達に会いたいか? 今」
「そりゃ会いた――」
「今。今だぞ。今だとそれは危険な行為だ。危険を擦り付けてしまう、確実に。会うなら早い時期だったな、それも短時間だけ」
「え、そ、そっか……」
晴己は落胆を体中で示した。
ガサナウベルが彼に、更に言う。
「相手も段々奥の手を出してくるだろう。手強い奴が出てくるぞ、これから先はもっと」
「……気を付けないと」
「ああ。だったらますます影天界のマークをお前の友人に付けるワケには行かない、そうだな?」
「う、うん」
「まあ、もうすぐ終わる。それまでの辛抱だ。狙われる人を増やす必要は無いからな」
ガサナウベルは晴己の頭を撫でた。そしてその手を下ろした。
触れられて感じたものを大事に思ってから、晴己は口を動かした。
「そうですね。もう少しなら」
ガサナウベルの持っていた荷物は彼自身が回収し、彼はそれから空間接続を行なった。晴己は物を持っていなかったから手ぶらでいい。
その移動方式で、二人は、今回の相手をまずは警察署の前へとポンと置いた。晴己が念じて『この人は人を殺そうとしました、闇這に人を襲わせもしました』と浮き上がらせた紙も添えて。
「待っ――!」
誰かに呼び止められそうになったが、ガサナウベルの空間接続ですぐに移動。新しい居場所へ戻った。
そこで、晴己は、小ぢんまりしたテーブルと椅子を見ると、その椅子に座って考えた。
(早く帰りたい。みんなの顔が見たい。キレンと話したい。みんなと)
家族のことも考えた。何かとすれ違いがある家庭だったが、それでも。
(でも、もうすぐだってさ。もうすぐ。……待ってて)
晴己はそう思って頬杖を突いた。そして、小さな窓から外を――窓に近付かずに、座ったまま――眺めた。




