34 溢れる想いと、手。
人間界。恵力学園一年五組の者達は、その日、帰ってこなかった形快晴己のことを、心配していた。
そしてとうとう夜になり、そんな時間に、鳴った電話に出て、不動和行は、聞き間違いかと思った。
「なんだって? もう一回言ってくれ、意味が分からない」
話し相手はバドミントン部の氷手太一。彼は猛烈な勢いで。
「だから! 形快の奴が捕まったんだって!」
「いや、だから、そんな訳無いだろ? なんでだよ」
「だーかーらー! 天界の人に捕らえられちゃったの!」
「え? なんでだよ! 散々協力させといて」
「みんなに連絡してるんだ、切るね!」
「ちょ、おい待て!」和行は、スマートフォンを見て、それは相手ではないのに、それに向けて。「はあ? もう夏休み返上だろ、マジでどうしろと?」
明日は終業式だというのに、その式に一年五組だけ出ない気なのかと言われそうだ――そう思いながらも、ベージエラは皆を集めた。学園の校門の前に。
そこで、然賀火々末が最初に言葉を発した。
「助けに行くわよ」
「待てよ」和行が、右手だけ腰に当て、苛立ちを明らかに見せるようにしながら、左手で何か示すようにしながら。「部活がやりてえ奴もいるだろ? そりゃ形快も大変だけど、大事だけど、分かってるのか? この年でやること、俺達それぞれだって大事なんだぜ」
「それは……そうだけど……」
火々末がそう言うと、
「俺も嫌かも」
と、サッカー部の速水園彦も和行に同調した。
「私もちょっと」
それは水泳部の富脇エリー愛花が。
すると太一は――
「は? え? マジで言ってんの? 本気?」
正気かどうかを疑った。
柔道部の和行は、
「そりゃそうだろ。じゃあなんで捕まってんだよ、しかも天界で捕まってるんだぞ、何だよそれ、何なんだよこれは。何か俺達にやれるのか? 相手は誰だ? 天の警察か? やれるのかよ、俺達に!」
と。
それは答えのための質問ではなく、ただの予想を聞くに留まる。
フィッシング部の花肌キレンはそこで、
「それは……捕まったのは何かの間違いで――」
と、希望的観測を述べた。
和行は、
「俺は、だとしてもって言ってんだぜ」
と、譲らない。耐え兼ねたキレンが声を荒げて――
「あ……あんた本気で言ってんのっ? それ!」
と切に言っても、和行の言葉は、
「え、うん」
だけだった。
「はあ……ちょっともう……呆れた」
救いたい気持ちが多過ぎたのかもしれない、それでもとキレンは思った。
そこへ、和行がまだ言う。
「あ? そんな全員が行かなきゃいけないか?」
キレンはもう我慢できなかった。
「じゃあ! あんたらの人生の夢ってのは一年ぽっち何かできないだけで掴めない訳っ? どうなのよ! 言ってみなよ!」
「まあまあ」
太一はキレン側だが、宥めた。そりゃ切なくなるよなと思いながら。
キレンはどうしても抑えられなかった。抑えたくなかった。口は動き続ける――
「人の命とか何かと、ただ部活やりたいから、それだけの……それって何! あんたらの夢と困ってる人の何かって、そんなに簡単に比べてしまえる訳っ? あんたらの夢や人への想いってそんな程度な訳っ? あたし達が貰った力ってそんな程度な訳っ?」
キレンは涙ながら。
「まあまあ。その時その時にしか叶えられないことってあるし」
と言う太一も、それが分かる立場だった。
そのやり取りを前に、和行は、気が変わった。薄情だとは言われたくなかった。
「……いや、分かったよ」
「…………本当? 本当に?」キレンは息と濡れた頬や眼、鼻を整えながら。
そこへ、和行の声。
「おう」
静寂が存在した。数秒。
太一はホッとした。
そこで、気が変わった和行は、
「でも行くんだったら、絶対助けたいよな。全員行くんなら欠けもせずに戻る、すぐに」
と、これを希望で終わらせるなと、そんな熱を伝えた。
だから木江良うるえは――心を震わせてただ見守っていたが――たった今、首を縦に振った。
「全員で行って全員で戻る」うるえがそう言った。
「そのままじゃ駄目よ」ベージエラもまた見守っていた。「あの子が捕まるようなことが起こってるのよ? ここから先は、とても強い人達がゴロゴロいると思わないと。だから……訓練を特別に……しなきゃいけない……けど」
「ど、どういう訓練を?」
と、海凪麦が問うと、ベージエラは首を振った。横に。
「それは……私もまだ……」
「こういう訓練はどうかな」
男の声が聞こえた。皆そちらを見た。
それは一年五組の生徒の声ではなかった。
「――!」
「なんであなたが!」とはベージエラ。
すると、大月ナオが声を上げた。
「マーシェルさん!」
マーシェルは、校門前から校舎の屋上に皆を移動させた。カーテンを扱うような空間系移動能力で。
そして、学校の屋上で、彼が言葉を。
「ここでの会話は外の誰にも聞こえないようにした。これから話すことは他言無用だ」
そして彼は、目の前の子供達が当然知らないカプセル薬を、まずベージエラに渡した。幾つもある。
「それは新しい薬。以前あった訓練装も、ある所ではこっそり新しくして使われてるが、それの効果をより高める」
「え、あれって復活してるの?」
ベージエラとだけ会話が進む。
「表ではそうしていない。裏で使われてるんだ。これまで君らに見せなかったのもそういうコトだ、バレたくない相手という存在があるんでね、今の――彼らには」
「彼ら?」ベージエラが質問した。
「こっち……いや、あっちの話だ」
「どっち」
それは真剣な問い掛けだったが、笑い所にもなりそうだった――が、今の彼らには笑えなかった。
「ていうかこれって」
と、時沢ルイが言った。かつて見た覚えがあったものに似ていたからだ。
これにはベージエラが、
「袴よ。そしてほら、上の着物に帯……これが訓練装。――にしても新しく作って隠れて使ってるの? ええ~、ちょっと欲しいんだけど」
と。最後はマーシェルに向けて。顔も向いている。
マーシェルの顔には、どう見ても、駄目だと書かれている。
「使う場所も限定する。そんな目をしてもあげない……あげないってば」
「青い。帯が白」
とは、千波由絵が言った。彼らにとって聞き覚えのある数単語だった。
「詐欺集団に関係あった奴は似せて作られてるのよ。これはそこをそんなに変えてないみたいね」
「あー」
由絵とナオは似た服で攫われた時のことを思い出した。それがその集団ではないが。
寧ろあの時の人が今目の前にいるのだが、それも終わった話で、しかも可哀想だった話。
(マーシェルさんの奥さん、元気かな)
話を遮るのが嫌で、麦は思うだけにした。
「本物は神聖なのよ」
と、ベージエラは言った。
「嫌な話だね、似せて作ってあんな……風に……ってさ」
林田ビカクがそう言った。
ベージエラが返事をし出した。
「そうなのよ、やめりゃいいのにね、ああいうこと」
「ホントホント」由絵がそう言った。
「訓練用新薬を飲みこれを着て使った能力の成長はおよそ三倍」
「んー? そんなでもない感じがしちゃわない?」
マーシェルの説明に、阿来ペイリーがそう言ったが。
「どれだけ使うかに依るさ。だから――付き合ってる振りをして全く使わなかったら……ついて行けずに死ぬ。やらないんなら最初からやるな。そのレベルに来てる。君達がこれから踏み込もうとしている領域はそういう次元だ」
ベージエラは、マーシェルを見詰めた。
「……何か知ってる? 知ってるでしょ、それ、もう」
「俺から知ろうとするな。知って行動するとあちらがこういった繋がりに気付く」
「あちら?」
ベージエラがそう問うと、生徒の全員が漏れることなく畏怖した。そんな者達を相手にするのかと。だからこそ目の前に対抗策があるのだなと。
「念のための行動は多い方がいい」
と、マーシェルが淡々と言った。
「答えてなくない? あちらって何? って――」
ベージエラは問い詰めるも。
「それについても、暗に、言えない、言うべきじゃないと言ったんだ。分かってくれませんかね、ベージエラ・テインゼナー天務調査官?」
「……はぁ……しょうがないわね」
地上での呼び方ではなかった。それが本当の名前。ベージエラ・テインゼナー。そして天務調査官。本当の役職名。天界の者だけの会話では違う言葉になるが、彼らにも分かる言葉でなら、雰囲気的にそんな感じになるのが妥当だった。
マーシェルは考えた。
(さて、どうなるかな。もう行動には出ている頃……探す場所を探すことになる。面倒だぞ、かなり。ただ、あちらにとってもこれは……一応、混乱の種にはなる……か?)
彼らは、一日で飛躍的に練熟した。
そして、形快晴己の家族は、この話を、訪ねてきたベージエラから聞くと、まず母がこう言った。
「何だか、とても……信じられないことばかりで。心配ではあるんですけど。何だかもう……次元が違うというか。そもそも拾い子ですし。あの……収まる所に収まりに行ったんじゃ……ないです……よねぇ……」
それを望んでいるかのように聞こえたベージエラは耳を疑った。
そして彼の父はと言うと――
「うちは私が支えてますけどね、たまにあの子のことが怖くて。それは、異能力のことがあってからで。私は、何かある訳に行きませんから、強く……出たくなかったと言いますか……そのぉ、触れ合う回数も少なくてですね、この子や、うちの――妻のことばかり、その、心配で。でですね、その……。あの子がいる場所、本当にここでいいんでしょうか……って」
まるで、仕方なく怖くなった何かを手放そうとしているだけのように。
彼の妹サヤは――
「別に異能力はいいんだけど、話が大き過ぎるし、夢みたいな事ばっかりで、ついて行けないっていうか……そもそもこの事があって、教えられて知ったけど、本当のお兄ちゃんじゃなかったし……大事な人がほかに……本当の人が見付かるんじゃないかって……その方がよかったりしません?」
彼が切なく戦う理由は、ここにもあったのではないかと、ベージエラは思った。
ベージエラが形快家を去る時、陰鬱な気持ちを振り払うのが難しかった。彼女は、ただ単純に、もうここには来たくないと思った。
晴己以外のそれぞれの家族が、子から話され覚悟した。終業式も既に終え、送られ、彼らは――
既に天界にいた。
そこで、ベージエラが彼の家の事情を説明した。
探そうとしている彼らは、彼の家のことについてを、
「会ったら話そう」
「うん」
などと話し合った。そして更に心身を引き締めた。
ベージエラの案内で、まずは天界のホテルへ。そしてベージエラが、
「嘘でしょ……牢にいないの?」
と、放心状態に。
「え、いない?」
と、まず、うるえが言った。
「逃げたって、天陽新聞に……」
すぐそこに、その新聞が置かれている店がある。少し遠くからでもまあまあ読めた。
「え?……はぁ?」
和行が頭を抱えてそう言った。
「助けに来たのに逃げてるって、じゃあ、どうすれば」
見状嘉烈がそう問うと、
「何が起こってるの?」
と、入荷雷が問い掛けた。
この場に問いしか無い。
誰も答えを知らないが故に、音の無い空間がそこにあるだけだった。
ここで、少し時間を遡る――。
彼は、声を聞いた気がした。
……――晴己。晴己。晴己。ああ、いい名前よね。いい名前なのに。なのに。ほら、ねえ。まだ――諦めては――早く起き――止ま――はダメ――――げるの――晴己――……
そこで夢から覚めた。
夢の何かが勿体ないというか、離れたくないというか、そういう感覚が彼にはあった。なぜか覚めてほしくない、まだ浸って居たい、そういう気持ちが。
なんでなのか本人でも分かっていないが、晴己の目からは涙が止まらなかった。
何かの繋がりが消えそうに感じた。掴みたかったのに何かを掴めなかった、そんな風に。
だからそこにいて、もっと手を伸ばす時間が欲しかった。その手が届いたらいいのにと感じた。なのにそれができなかった。悲しくて叫びたくなる。そんな何かを見た気がした。聞いた気がした。そこから離れたくなかった。
そして、その気持ちを、そっとでいいからどこかに置かなければならない、夢から覚めたから。
起き上がる。
その頃にはもう夢の記憶も薄れていた。涙も出なくなっていたが、そこにはあり続けていた。
目の辺りを手で拭いて辺りを見た。
そこは、牢の中だった。白い床。鉄格子だけ銀のような光を放っていて、窓も、かなり上にあるだけ。その窓の方を向いて右手の端に見えるのはベッド。左端に机がある。部屋の真ん中に椅子。
自分を見てみた。白い服。
そこは白一色の囚人服がスタンダードなのか。天界は温度が一定らしいから寒くないのはいいと晴己は考えたが、それにしても薄着だ。長ズボンと半袖。パンツは自前。裸足。
鉄格子を前に左右は白い壁。後ろにあるのが上部に窓のある白い壁。
「どこかで見たと思ったら」
晴己は思い出した。
「天使牢」
(僕は天使なのか。そういう扱いなのか。まあ異能者だし。能力を封じる牢。それでいいってことか)
晴己は鉄格子に顔を押し付け、左右を見た。だが、廊下があるだけ。何かの助けが来る気がしない。どこかから止められてしまいそうだ。助けに来ては駄目だと思った。あなたが危ないよと。
そんな自分の右手首には天界の淡青の空のような色のリングがある。細い腕輪のような物。寝ている間に嵌め込まれたのか。手錠ではない。
(何だこの輪。んっ……と……。取れない……。なんでこんな。なんで……。まあ、今はこの状況をどうにか……しないと……)
自力で出られないかと考えたが、能力を使えないようだった。与羽根によるどの力も。
「誰か! 起きたんだから誰か来てくれてもいいだろ!」
晴己の声は響いた。それは物悲しく話し相手がいないことを強調してくる。
「捕まってる理由も分かんないのに、こんな部屋だなんて。何なんだ……」
そう言ってから、ある言葉を思い出した。
禁忌。
何に触れたというのか。永遠に自分はここに?
(何がだ。なんでだ。こんなの嫌だ。何がなのか教えてよ、誰か)
窓を見た。そこに何かできないかと考えた。手が届かないかと考えた。が、やはり――
「力が使えない。くそっ」
はあ、と溜め息を吐いてから、また考えた。
(――禁忌……何だ? 与羽根のこと? それともそのあとの? 何なんだ。……僕の存在を許してくれないって? なんでだよ、前に神様は許してくれたよ? 許してくれたのに。許して……くれたのに……。会ったばっかり……なのに……っ!)
そこまで考えてから、勢いよく座り込んだ。
念じたが、神は来なかった。
「開けよ」
鉄格子に手を付け、能力で体を改造しようとするが、それはやはりできなかった。
「開けよ」
動かそうとして力を入れて、何度も唱える。だが動かない。
「開けよ」
それを繰り返した。だが、力も使えないし、開かない。
「開いてよ……」
晴己の顔と視界が、歪む。
(僕が何をしたって? 分かんないよ。何かそんなにした? したのかなあ……)
暫くしてから、また考えた。
(――キレンに会いたい……。みんなに会いたい……。もう会えない? そんなの嫌だ。学校のみんなにも。お父さんにもお母さんにも。サヤにも)
サヤは晴己の妹。
ほかにも様々な人の顔が浮かんだ。今まで関わった全て。やはり一番浮かんだのは花肌キレンだった。
出ようとしない訳には行かない。待つ人がこんなにも居る。そう思って晴己は首を横に振った。
(……たとえ、居なくても)
出たい。そう考え、前を見た。
鉄格子に近付いた所で、誰かの足音に気付いた。近付いて来る。
(大丈夫なの? こっちに来て大丈夫?)
というのは相手への配慮で、晴己は自分への心配をなぜか余りしていない。それを思い直した。もし敵だったら。
そして現れたのは――
「あ、が――ガサナウベル! な、なんでそこに」
確かに、彼は牢にいた筈。その証明という訳ではないが、彼もまだ白い囚人服姿だ。
「ふん、助けに来たと言ったらまあ驚くよなあ。くははっ。ん? 元気そうだなァおい」
「は? 助けに? なんで。益々意味が」
「まあ言い合ってる暇は無いんだよ。隙間から俺に触れろ、体の一部だけでも出すんだ」
「い、嫌だ。絶対何か――」
「いいから早くしろよ。位置交換の対象にするんだよ」
「なんでお前に」
「助けに来たのが本当だとしたら? くく」そこで、なぜかガサナウベルは声のトーンを落とし、耳障りのいい声で続けた。「この場所は照神から聞いた」
「え? えっと……えぁ?」
そこには大き過ぎる衝撃と、よく分からない熱があった。冷たいかと思えば温かいシャワーだったような。
「早くしろ。殺されるぞ。そうなったら手遅れだ、何もかも」
「……っ?」
手遅れの意味も、何もかもの意味も、何も分からず考え込んでしまった。殺される理由も、なぜ早くすべきなのかさえ。
そこで、彼の声がいつもの声量に戻った。
「死にたいのか? くく、利害の一致だな、俺の喜ぶことをしてくれる訳だ」
「よ、喜ばせたりなんか……! え……? お……いや……」
なぜ、この目の前の男は、奮起させることをわざわざ言うんだろう――と、晴己はそこに何かを感じた。
なぜ、わざわざ来たんだろう、なぜ、わざわざ促すような――なぜ、生かそうとするんだろう――なぜ、これらが本心に見えるんだろう、なぜ――なぜ――……。
晴己は、そこに、繋がりを感じた。
何かのピースがそこにある。そんな気がした。夢の中で伸ばした手の先――そこに見付けられたかもしれない何かのような。それがなんで天使ガサナウベルなんだろう、晴己がそう思わない訳がなかった。あんな事をした人だから。彼は恨まれるような人だ。なのに、何かが……。
「どうする? 死ぬか?」
彼の手が、そこにある。
晴己は、手を伸ばした。




