28 天にも届きそうなモノと、花。
城の朝。起きたばかり。知らない鳥の鳴き声。
バードウォッチング部の遠見大志は興味をそそられた。望遠鏡ではなく自分の能力で拡大視する。
「ほほう、ほうほう、桃色小型の丸い鳥。鳴き声はツピピッピチラ、ツピピッピチラ。興味深い」
「妖人界に残る積もりじゃないだろうな」
不動和行が大志に聞いた。
「今回は残らないけど就職先候補にはなったよ」
「マジで言ってんのか。ありえないだろ」
「ありえない……それは人を縛るだけだ」
「……そうか。まあそれでいいなら?」
彼らは目が覚めてから既に着替えている。そこへ誰かが呼びに来るものと考えていた。礼が終わればあとは人間界に帰るだけ。その案内がいつ始まるのかと。そうでなければ朝食への案内でもあるのかと。昨日は昼食と夕食でお世話になった、風呂も、着替えも。宿でも大抵は朝食が出る、それを全員が期待した。実際いい香りが漂っている。
「オムレツ……ゆで卵付き……んむ」
まだ寝ているベージエラの夢にまで影響を及ぼした。
四人の寝床がある部屋で、形快晴己は寝ていた。起床後すぐ、来た時の制服に着替え、しばし散歩。中庭に入り、近くの石の椅子に座ると、暫く風景を楽しんでから、紙を無から作り出した。それに天使ガサナウベルの居場所はどこかと尋ねた。だが字は浮かばなかった。
「移動中? いや、拒否? そうか拒否か」
そして言葉にせずに。
(そういうレベルなら能力の信号を拒否できる。神が――照神様が言ってたな……)
「じゃあ……。ん……くそ、やっぱり瞬間移動もダメか」
(背後に一瞬だけ行ってみるのもアリだと思ったんだけどな……)
晴己は中庭から眺められる空を見上げてみた。雲がちらほらあるだけ。いい天気で、温かく、浸りたくなる程の平穏。
目を瞑った晴己の前を、花肌キレンが通った。彼女は胸を高鳴らせて近付いた。
そこへ、横からタタロニアンフィ。
「アラあなた、御日向ぼっこかしら」
タタロニアンフィは晴己の左横に大きな歩幅で近付き、勢いよく座り、キレンを見た。そして首をぐんと捻ると。
「帰る時になったらあなたは少しだけ待って下さらないかしら。あ、そういえば名前を知らないのも変ね、なんて御名前だったかしら」
「形快晴己です、字は――」
説明を終えた頃には晴己の右隣にキレンが座った、タタロニアンフィを怪しむ顔でだ。
「ねえハルちゃん、前髪上げた方が可愛いかも」キレンは晴己の髪に触れ、言った通りにした。「ほら」
「あら、それはグッと来るわね!」
晴己は「じゃあ」と、能力『かみをあやつる』で前髪を伸ばし、上げて後ろへやった。
「……そんなことまで」
タタロニアンフィがますます笑顔になった。
「どういう積もりなのかをここで教えてくれませんか? ここで」
切なくなったキレンが強調してそう言った。
するとタタロニアンフィは、翅と口にすべき言葉を何やら整えたようで、それから。
「私はただ、夫の一人として迎え入れたいだけよ」
「だ……!」
(だけって話じゃないでしょ。でも、私が何かを言っても……だって私だってまだ……)
「そして、たまに……色んな顔を見たい」
「そうか!」晴己は考えていた。「拒否空間だ。見られてるかもしれない。結界。その中から一方的に及ぼすことはできるとしたら――!」
天使ガサナウベルの動向を気にしていた。
「はは」キレンは大きく笑った。「それは無いって、絶対聴こえてたじゃん」
「え、何?」晴己は二人を見た。
その時にはタタロニアンフィの頬が脹れていた。
「何の話でしたっけ。えっと……音? 楽団でも迎え入れるんでしたっけ?」晴己はまた左右を見た。「え、違った? 何の話?」
「ハルちゃんはそれでいいよ」
キレンはやはり笑った。そしてキレンはこう告げた。
「タタロニアンフィさん、人間界、特に日本では、一夫多妻制でも一妻多夫制でもないんです、なので、ハルちゃんは嫌がると思いますよ。やっぱり、こう、お互いに……だけ……じゃないと」
「……あ、そういう!」
晴己はそう言ったが、その言葉の本当の意味については、分かっていなかった。
そしてタタロニアンフィは腰から上を崩した。
「そう……気は無いのね……」
「遊びには来たらどうです? 人間界、いいところですよ」
晴己がそう言ったことで、また気の無さを感じたタタロニアンフィの落胆度合いは増した。
「しばらくは遠慮するわ」
「はあ……」
彼女の返事に晴己がどう言えばと迷った時だった――何か、ざわついている。
遠くを見ていた大志も、
「ん?」
と、鳥の前を何かが横切ったのを見た。
然賀火々末は朝起きてからやることを探し、思い付いて厨房を見学させて頂いていた。そんな時に、彼女もバタバタと走る音や話し声の騒がしさに気付いた。
晴己は、そういえば少年はどうなったのかと気になった。そこへ丁度サウェラナが通り掛かった。
「あ、王女さん」晴己が立ち、近付く。そして。「あの。彼を、あの子を、何かから引き離しても、あの子――あー、ムルツァギオ……でしたよね、ムルツァギオくんに向かっていたものが別の何かに向かうだけです。そちらも絶対に対処を、してくだ……さい……ね……?」
晴己は異変を感じた、それは、サウェラナが心ここに在らずという顔をしていたからだ。
「え、ええ、分かっています、それは。あの――」
「どうしたんです?」
「出たんです」
「出た?」
「また妖魔が! あの色の妖魔が! もういい筈でしょう? なのにどうして――」
「え」
と、キレンも近付いて聴いていた。タタロニアンフィも遅れて近付いた、その時サウェラナはまた。
「今度は城やその周りに! もう何体いるのかさえ――!」
(だったら……)
ムルツァギオがどれだけ傷付けられたのかと、晴己は悲しんだ。
彼は走り出した。少しあとで、こんな時にはアレだと気付いた。
あの子の後ろへの、瞬間移動。
念じると、とある建物の裏に移動できた。
そこはムルツァギオのいた学校付近のどこかの建物の裏だが、そこがどこかという認識よりもまず大事なことが晴己の目に飛び込んできた。
目の前の少年は倒れていた。
「約束し……から……」
とだけ言った彼を蹴る少年がいて、その少年が叫んでいた。
「なんでお前なんだ! お前だけ! あの時もこれも! いい御身分になれてよかったか? へっ、何だよこんなモン! 自慢しやがって!」そこで、少年は、ムルツァギオがしていた筈の――自身の手に既にある指輪を、遠くへ投げた。「なんでお前には与えられるんだ! 俺には無いのに! ええ? そうだろ! 俺だって頑張ってるのに!」
少年は、そこで晴己に気付き蹴るのをやめた。
「何だあんた!」
彼の背景に何かを見た気がした晴己は、彼をも守りたいと思い、言葉にした。
「キミも何かに苦しんでいて本当は何か欲しくても、そんなことをしちゃ駄目だよ」
「俺の何が分かるんだよ!」
「助けられるべきはキミもだったかもしれないよね、でも、どうせなら誰も傷付かない方がいいよ、何か悩んでいるなら、聞くよ。言ってあげる、ちゃんとキミを助けられる人に」
「お、俺は……俺だって、ちゃんと俺を見てほしかったんだ! ちゃんと見てほしかっただけだ! なのに誰も本当の俺を見やしない! どんだけ言っても! 俺はちゃんと、一緒にいたいって思いたかった! でも誰も聞いてくれない! 本当の俺を! なのにコイツばっかり! そんなのおかしいだろ! ずるいんだよコイツは!」
「辛かったんなら、解放されよう……外からどう見えても、苦しいことってあるよね……王女さんに言ってみる。ただ、でも、これから人を傷付けていくことはしないようにするって、約束できる?」
「…………う、うん……っ」
晴己は微笑み掛けた。名も知らない少年だが、そんな事は晴己には関係ない。――キミは微笑まれていい存在だ、世がそう言わないなら、言わなくなるまでキミは成長できる存在だ――晴己はそう思った。
「ムルツァギオくん、大丈夫? 痛かったよね、キミのこともちゃんと介抱するからね。手当てを受けよう」
「う……」
ムルツァギオの返事が途中で止まった、そんな風に晴己には聞こえた。痛みのせいもありそうだった。
「王女様の所に行こっか、治すからね、まずは」
そこで、ムルツァギオが、ぎこちなく身を起こした。表情は暗い。
さっきの今ではそれもそう――晴己は腰を落とし、また声を掛けた。
「手当てを受けよう、ね、ムルツァギオくん、みんなが……というか、僕はね、僕は、キミが無事だといいなって思ったよ。キミがだよ、キミが無事だったら嬉しい……って、この心で、そう思ったから。誰かが思ったことを僕が言ってるんじゃないよ、僕は僕が思ったから言ってる」
晴己は自分の胸を手で示した。そして続けた。
「ね。キミに無事でいてほしいな。これから先も。ね、もう行こっか。手当てしよう」
晴己はムルツァギオにも笑い掛けた。
その笑みと語り掛けが切っ掛けになったのか、ムルツァギオだけでなく、そこにいた少年も、一緒になって二人は泣いた。号泣だった。
「さあ行こうか」
と、晴己が言うと、ムルツァギオは立ち上がった。
(よし、よかった。本っ当によかった……。これから心も無事にならないと。体だけじゃなく心の手当ても。そうだよね)
晴己は、みんなならこんな時どう言うだろうか、どう言っただろうかと考えた。それは、皆への想いも馳せながらの心の言葉だった。それからさっきの投げられた指輪を、『かみをあやつる』にて紙に探させ、あそこだなと分かると、そこへ歩き出した。
その時だった――何かが晴己の後頭部に直撃したのは――。
壁に衝突。うつ伏せに倒れた。そして、晴己は動かなくなった。
城やその周囲、格子状の道路の所々に妖魔の姿がある。
気付いた大志や火々末、キレンなどの異能者が対応に忙しくしていた。
知らせを受け駆け付けた立山太陽は、早速、新しい力を使った。巨大な斧の形にした白い天力を腹の前で練り、それを繰り出した。
シャダも、花を生み出し、それによって妖魔の視界を遮った。尚且つ花弁を弾丸のように放つ。音を遮断し自分の気配を消しながら。一手一手を入念に。
だがそういった手が止まる。妖魔の動きが止まったからだった。
そして妖魔達は、肩や頭を磁石で吸われるかのように、急にどこかへと消えた。
直後大きな音がして、またそのあとで、さっきまでと比べ物にならない悲鳴が聞こえ始めた。
「な、何だ!」
「逃げろ! みんな逃げるんだ!」
「遠くへ走れ! 早く!」
妖精の男女が走っていく。その背の方へと、逆に異能者集団は向かった。
「えっ!」
「何だアレ!」
それは巨大な……空に手を伸ばそうとして体ごと太く伸びたような、ずんぐりとした、ほとんど首の無い何か。妖魔のようでもあるし、そうでないようにも見える。急に現れた大物。青紫の肌の部分もあればそうでない青白い部分も。
その存在にタタロニアンフィも気付いた。
「あれは何なんスか?」
剣をあれに向けた彼女に和行が聞いた。
タタロニアンフィは、目を白黒とさせながら、
「分からないわ。見たことも聞いたこともない――!」
と、焦りと恐怖を報せるのみだった。
目を覚ました晴己は、辺りを見て愕然とした。
名も知らないあの少年が傍にいない。ムルツァギオまでいない。
そして目の前に、十階建ての建物よりも遥かに大きな化け物にでも踏まれたような跡。
「な、何が……」
その跡の近くの瓦礫の向こうから、さっきの少年が空を見ながら出てくるのを、晴己は見付けた。そして問う。
「何が起こったんだ、ねえ、キミ、教えて」
「わ、分からない。分からないけど、急に大きな怪物が。振り向いたら、居て」
少年は、恐怖で強張り震えて上ばかり見ていた。
「怪物……。くそっ、妖魔が多過ぎて合体でも……?」
晴己は頭にやった手の滑りを感じて流れる血に気付き、酷い予感がしながら、少年に顔を向けた。
「とりあえずキミを安全そうな場所へ……まあ、城へ運ぶ。いいよね?」
少年は何も言わずに激しく首を縦に振った。
体を剛健にした晴己が少年を抱える。
そして紙に案内させ、向かった。
途中、確かに巨人を見た、左足だけ。それを避けながら走る。
念のため別の紙に命じる。
(あの指輪を引っ掛けて持って来て)
紙が生まれ、飛び、戻ってきた時は紐状に捻じれていて、その紙の輪が指輪を浮かしていた。それが目の前に。
それを手にしつつ、少年のために速度をある程度抑えて急いだ晴己は、城に入ると、その子をそこに置き、すぐに出て行こうとした。だがそこで、
「ハルちゃん!」
と、大月ナオに呼び止められた。
近付いたナオが彼の頭の傷を治癒。怪我に気付いたから呼び止めたのだと分かり、完治まで晴己は待った。
それが済むまでの間に、晴己は、
「誰かムルツァギオを見てない? 今どこにいるか。知らない?」
と。それには、
「いや……」
という言葉がまず返った。そしてナオや兵、誰もが首を横に振った。
故に晴己は思った。
(なんて状況で……。ガサナウベルは? これはアイツの何かっていう可能性もある。可能性大だ――なのに、くそっ、今、会いたくても移動しない……!)
それならと、晴己は背を向けて――
「あの巨人をどうにかしないと! 僕がどうにかする! 念のためムルツァギオを誰か探して! お願い!」
出て行った。
そう遠くない位置に巨大な何かはいた。それと対面するため、晴己は、道路から一足飛びで、その付近の建物の屋上へと上った。
見た瞬間、晴己は驚き、顔に絶望を広げた。
その巨人はとある模様を持っていた。その箇所は――額、右頬、右前腕、右脛。
少し遡るが――ムルツァギオは、立ち上がったあとで騒がしさを気にし、遠くの音に集中した。そして「妖魔」という単語を耳にした。
彼は以前も妖魔騒ぎを耳にしたのを思い出した。その時も心が傷付いていた。
彼は不思議な繋がりを感じ、すべきことだと思い、過去を振り返った。
殴られた時。罵倒された時。他人のことで責められた時。無視された時。大事な人を貶された時。馬鹿にされた時。呆れられた時。避けられた時。また他人のことで責められた時。間違えた時。気色悪がられた時。彼の見せた優しさへの返事が悪口だった時。ごみ箱扱いされた時。誰にも言えずに泣いた時。必要とされていないと感じた時。やっと言えたことを信じてもらえなかった時。除け者にされた時。また殴られた時。自分が思ってもいないことを思っていると認識されていると知った時。酷いことを言われた時や、言わされた時。また他人のことで責められた時。裏切られた時。蹴られた時。その全てのタイミングで妖魔騒ぎが増えたように感じていた。
偶然だと思っていた。
その奇妙な繋がりの謎が彼の中で解けてしまいそうだった。
そして封じの指輪。なんで? と彼は思った。
更には――
それを自分がしたタイミングでの宴。なんで? と彼は思った。
……そうでなければいいとムルツァギオは思った。そうだというのなら、それは起こらないでほしいと彼は思った。
腕に、強く爪を食い込ませた。
すると、周囲の騒ぎ方が、悲鳴が、戦いの音が、格段に大きくなった。
心と全身で涙しながら、もう一度腕に爪を食い込ませた。さっきよりも強く。
すると、また急激にそうなった。
なってほしくなかった。
やる毎により一層騒がしくなる。
何度自分を傷付けても、その度に、そうする毎に、余りにも悲鳴が増し、大きくなる。
外され遠くへ投げられてしまった指輪。それを晴己が取りに行こうとした時――
ムルツァギオは、悲嘆し、願ってしまった。
(もう増えないで欲しい。もう出ないで。もう誰の所にも出ないで。お願い。出ないで。消えて)
すると、青紫の妖魔達は、ムルツァギオに吸い寄せられた。
……そして、そのどちらでもなくなろうとしている。
その巨体を前に、煉瓦のビルの屋上から、晴己は叫んだ。
「ムルツァギオ! ムルツァギオってば! ねえムルツァギオ!」
くん付けで呼んでいたことさえも忘れ、彼に彼自身を取り戻させたい想いから、晴己はその名を呼び続けた。
彼に会いたいと思いその背後へ瞬間移動しようとしてできなかったのは、思い描いた姿ではなかったからかもしれない、あの小さいムルツァギオに会おうとしていたから――晴己はそう考え、そして想った。
(なんでこんな事にならなきゃいけない? 誰がこんな結末なんかを――)
ムルツァギオは多くの能力を繰り出した。まるで、吸い込んだ妖魔全てが彼であるかのように。
ある場所では。
「もう騙されないぞ! 妖精の振りをしてみろ! すぐさま叩き切ってやる!」
「これ以上酷いことはさせない!」
「待てって! 違うって!」
そんな言い合いもあった。さっきまでいた妖魔のうちの一体だけが持っていた力、振りをする力のせいで。
絶望と悲しみ。それが形になった。それは最低なことだと晴己は思った。
妖精の青白さと妙な妖魔の青紫の交ざり合った、その肌の所々には傷。それまでいた妙な妖魔の全ての能力を持つ、巨大で、最恐で――孤独な半妖魔。
急に、それは、タタロニアンフィに化けた。掲げられた巨大なその手から、彼に呼応した巨大さの一本の大剣が――
「待って! 待ってムルツァギオ! 待っ――!」
放たれた。
ムルツァギオはすぐに巨大怪物に戻りはしたが、
「止まれえええええええっ!」
晴己が強烈に念じた紙の盾でもどうにもできなかった。
塔より大きそうな剣は、城へ――
その城の前から、光線が空へと昇った。それが剣の鍔部分を爆破した。
阿来ペイリーが地上でホッとしていた。さっきの光線は、彼が新しい力で放ったものだった。
刀身とそれ以外に分かれ、それらが落下。
それを、ペイリーの傍にいた杵塚花江が操り、空中で止めた。
晴己も安堵。
しかしどんなに呼び掛けても無反応。今の彼は巨大なバケモノでしかない。
(あの子を戻したい! 元に戻したい! どうすれば!)
晴己は心で泣きながら考えた。
あの指輪は、もうあの子の指には嵌まらない。
(どうすれば……っ!)
風の攻撃、火の波、氷、手や腕による打撃、青紫の妖力らしき砲弾や斬弾、指の伸縮による刺突、炸裂する光線、飛び回る鋭い硝子、雷光、疾風、あらゆる攻撃をされ、時々中てられてしまいながらも晴己は呼び掛けた。絶えず呼び掛けた。だがムルツァギオが彼らしさを取り戻す気配は全く無い。零としか思えないほど。戻らないのではと思ってしまうほど。
幾度目かの光線で吹き飛ばされて立ち上がった晴己の耳に、近くの小道から見上げたとある少女の声が届いた。
「殺さないで! あの子を殺さないで!」
それはムルツァギオと同じくらいの歳の小さな子。
晴己は思った。
(そうしたいよ、殺さないで解決したい、いつもそう、だけど、その方法が見付からない……あるのかさえ分からない……!)
どうしたらと晴己は思った。
(力を永久に……)
「失わせることができれば」と、声にもなる。
(そして消す! でもどうやって!)
「やめて! あの子を消さないで!」
少女の声。なぜか彼女は晴己の胸中の言葉を知っている。
そうかと晴己が思ったその時、砂の壁が巻き起こった。嵐のように。竜巻のように。そしてそこに固定された。砂の壁が建った。
ジンカー・フレテミスが新しい力で作った盾。周辺の者が守られる。彼は古い方の力で巨体の足などを滑らせはしなかった、そうすれば住民が危ないからだ。
住民は守られている。
そう知って晴己の心が幾分休まった。それでもムルツァギオを想うと苦しい。そんな晴己は少女に近付くと、話し掛けた。
「大丈夫だよ。ムルツァギオくんを消す訳じゃない。あの子の力を封印して、守りたいんだ、もうこんな事がないようにって、守りたいんだ――っ」
「ムルツァギオは苦しんでる。自分がきっとそうだって気付いちゃった。もう苦しまないようにしてあげて。お願い」
「……うん、約束する。だからほら、キミも逃げて」
少女はコクリと潤んだ目で肯くと、背を向け走り去った。
晴己は『を』の紙を召喚した。腕に新たな羽根を、能力『肉体を改造する』で刻みながら、『を』の紙に字を浮かび上がらせた。
『物体を浮遊操作する』
それをその身に宿らせる。27-7に見える天界の文字が白羽根の上に――ブレザーの袖の中で現れた。
そして晴己は向かった――砂の壁の中にいるムルツァギオの所へ。晴己は宙に浮き、砂を突破してまた対面。
開いた部分はジンカーがまた閉じた。彼は常に砂を浮かせ固定し、皆の盾にした。
あえて自分の存在に気付かせ、空を背にして避け続けることで、晴己は、下への被害を減らそうとした。そのために浮いた。そのためだけに。紙に乗って何かあれば自分が死ぬ。ならばと自分が浮けるようにしたのだった。とことん守るために、守り続けるために。
浮いたままかなりの速度で横移動。変化も付けた。どんどん慣れていく。
そして念じた、念じ続けた、『特殊能力を封印する』という力で以て。
攻撃能力を封じようとしている訳ではない。狙いはたった一つ。元凶の能力のみ。故に攻撃は絶えず晴己に降り注ぐ。
避けられずその身を傷付けても晴己は念じ続けた。
すると、巨体は少々小さくなった。
(――よし! よしっ!)
これは一時的な封印。持続させなければ解ける。そうなるときっと彼はまた巨大になる。
(でも手はある! これなら! もっと! もっと……!)
晴己は念じ続けた。更に強く念じ続けた。
段々と巨人がそうではなくなっていく。代わりに引き剥がされたように妖魔が周辺のどこかへ次々と降り立っていく――そんな青紫の軌跡が生じた。
(くそっ、そうなるなんて……! みんなに対応してもらわないと。でも、もう信じるしかない! でもできる! きっとできる! みんななら! 守れる! 守れる! 絶対に!)
晴己はそう思いながら、種類の減った攻撃を避けながら、ムルツァギオとの再会を願いながら、攻撃が下に行かないようにしながら、念じた。
次第に小さくなるムルツァギオのその肌は、青白さの方が多くなっていった。
そして壁になっていた砂が全て落ちた。ジンカーの意識が飛びそうだったからだ。
最後の妖魔が引き離された瞬間、ムルツァギオは、目を閉じ、その場に浮いたまま一回り小さくなり始めた。そしてゆっくりと地面へ近付いていき、浮いたまま、止まった。
そこへ、晴己も降り立った。
目の前に、ムルツァギオがやっと現れたと晴己は思った。それまで目の前にいたのもそうだったのにだ。
(……こんなのは辛い。だからこそ、そんな事はもう無い方がいい、繰り返されちゃいけない)
晴己は『物体を浮遊操作する』にて、辺りに落ちていた庇用か何かの大きな布を彼に巻いた、彼が恥ずかしがらないようにと――それは封印のために念じながらだった。
そして更に念じる。
(封印を維持したまま……肉体を! 改造! あんな異変の素がその体に宿る前のムルツァギオの状態に! なれ! 今すぐに!)
強く、強く、切なく、心で泣きながら、震えるほど念じた。一人の少年を守りたいがために念じた。そしてそれが周囲への救いになると信じて。
自動的で不思議な異能力。怖くて切ない力。その素となった物が彼から消えるまで。その頃の体になるまで。晴己は切なく念じ続けた。
十秒ほどが経ってから――
ほんの僅かに背が縮んだ彼の頬や額から、傷さえも消えた。拵える前の状態にさえなった、そういう事だった。晴己は巻いた布を一部捲り、彼の腕や脚も見た。右前腕と右脛にあった傷も、もう無い。
(できたのか? できたのかっ?)
晴己はそれしか考えられないくらいに想いながら様子を見た。しばらく待った。
浮いていた彼が、ドサリと地面に落ちた。
「ん、う……ん」
声を聴けた。それだけで晴己の目は更に潤んだ。
(――救えなかったら)
そう思うだけでそれは溢れた。
念のため確かめる。紙に念じる。もしかしたら、できていないかもしれない。だが、『少年にその力は残っていない』と、浮かび上がった……!
晴己は歓喜で涙した。
「ムルツァギオ」
晴己は抱き締めた。その腕の中で、彼の目が開いた。
「あっ……なんで、僕は……」
ムルツァギオは、晴れた空を見たあと、泣いている晴己を見て、それから自分を守るように、自身の腕を抱えた。それは、自分を守りたいがためだけではなく、それによって誰かを守りたいがためだった。
「危ないよ……。だから僕」
「もういいんだよ。もういい」
「でも僕は……!」
「いいんだよ。あれはもうキミの中に無い。だから、もういいんだよ」
「ほん……とに……?」
そう言うと、堰を切ったように、彼は、嬉しそうに、切なそうに、苦しくなりそうなほど、泣き出した。
もう巨人のいない現場。その近くの雑貨屋の屋上。ジンカーはそこで膝を立てて座って見ていた。
彼は今、笑顔を湛えた。そして思った。
(やったな。やった。やった甲斐があったってモンよ。はあ……ドッと疲れた……)
半壊した建物などが目に痛い。だが、阿来ペイリー、大月ナオ、ほか何名かがそんな戦いの跡を直していた。
生じた妖魔を、仲間が、妖精が、妖使が倒していく。痛みを倒していく。
保護や治癒も。
全てが解決の兆しを見せた。
「さあ戻ろう、城に」
「――うん」
ムルツァギオは、晴己の腕によって横に抱えられ、晴己が浮遊移動することで、宙を動いた。そして城へと戻った。
入ってすぐの所に、さっきの少女の姿があった。
少女は避難のため誰かに連れられた、きっとそうだ――と、晴己は思いつつ、ムルツァギオを降ろした。すると、ムルツァギオは、自分を包む布の位置を整えた、脱げてしまわないように。
そんな少年の前へと、少女が歩いた。
「もうすっかり、あれは消えたんだね。よかったね、ムルッツァ」
渾名で呼んだあと、少女はにこりと笑った。
「…………うん。ありがとう、イリナ」
ムルツァギオは、心に、温かなものをやっと手にした気分になり、そして、恥ずかしそうに笑った。
読んでいただきありがとうございます。
自分で書きながら何度も泣いたし、読み返しても泣いたし、とにかく想い入れのある力作になりました。こういうのも書きたかったので、どういう所に特に力を入れたか伝わっていたらいいなと思ってます。
特に、苦しくなりそうなほど、っていうシーン。そこに向かって突き進めてよかったです。




