22 予感。負けてはならぬ時。そしてついに。
人界に現れた闇這という化け物を見回った時の、動き易い姿で――淡出硝介は気合を入れていた。そして考えていた。
(今思えば、見回りの件は、ここへおびき寄せるための布石の一つでしかなかったんだろうな――)
二十二人目としての戦闘のフィールドは石材工場に変化した。
(皮肉かよ。なんかそう思っちゃうじゃん)
硝介はそう思ってから、『そこでどう戦うか』を考えながら相手を探した。
この戦いで死ぬかもしれない、その怖さ以外に、形快晴己のことも彼は考えた。
「あいつ――まあ、いつものあいつじゃないとは言え――ふざけやがって。ここで相手に有利な能力と言ったら――」
その時だ、石が硝介の方へと飛んだ。
避けてからも、硝介は考えた。
(くそっ、ほら見ろ、燃えない物だ。分かってて俺の番にしたのか? 然賀のフィールドと相手の能力が栞だったことも偶然か? あれは相性が良さそうに見えて……気絶には不向き、あんな部屋に頼れなければ失血に頼る必要があった。これも? 更上がいつまでも逃げ回ってたのも? 見状も、手も足も出なかった。時沢も逆転できるかと思えば打撃のラッシュを受けて……。林田もだ。偶然な訳ない。実験を進めさせるために俺達が怖がるように仕向けてる。あいつ、俺達が苦しんでも相手を気絶させられるか、もしくは、恐怖を味わって俺達が気絶するのを計算して――。で、今回はこれだ。つまり俺に気絶しろと? 実験を進めるために最大限怖がってから気絶しろってことだろ、で、次の奴の恐怖をすら煽れと。相手を気絶させて作戦なんて無さそうな振りをするのもいいかもしれないけど……なんて作戦を考えやがるんだ、絶対に不利になるようにしてやがる)
硝介は晴己の別人格を責めた。怒りを込めて。
そしてそれを抑えると。
(しょうがないか……。俺も、打つ手は見えね――あ、あぶねえ!)
と、横っ飛びをして避けたりなどしながら――
(……ちっ、しゃあねえ。やってやる! 隙を作ってやるから気絶させろよ、俺を殺すなよ、絶対だぞ!)
だが、もし、ここで人生が終わるとしたら。
そうも思い、硝介は恐怖した。
「くっ……くそっ! くそおおおっ!」
どんなに凄まじい火の球を放っても、火柱を立てても、石には全く傷を付けられなかった。
爆発的な火によって、もしくは水に落として冷やして――もし割れても、相手の武器が増えるだけ。相性が悪過ぎた。
「ふざけやがってジャンズーロ! 俺が死んだら呪ってやる!」
絶え間ない恐怖が彼を襲った。降りかかる石の雨も、どんどんと勢いを増した。
そして避け切れなくなり――
「ぎ、ぐああああ!」
押し寄せる石の雨と恐怖。
だから出た大きな悲鳴――のあとは、声の無い苦しみの中で、硝介は、暗闇の中に落ちる感覚を得た。じんわりと目を潤ませながら。
控え室との境にある透明ドアの上の壁の表示が、
『次は23戦目(『羽』の気絶者数:14、『羽』の死者数:1)』
に、切り替わった。
「次は――」
木江良うるえが、手にあるメモを見た。そこにジャンズーロに見られたくない情報が三行だけあるのを知られないよう、一瞬だけ。
「形快」
「了解した」
ほとんど自分で決めた戦いのことを頼まれた風を装った晴己の別人格は、晴己に人格を明け渡した。
晴己が首輪をし、透明ドアを開ける。ガチャリと音が。そして広場に出ると、そこは、古びて崩壊した物ばかりの廃病院へと変わった。
治療室では、硝介が目を覚ました。
傷の治療には、大月ナオの能力『キズをなおす』が、気絶からの復活は由絵の癒しの楽器の能力が効果的だった。
別室では、さっきまでハラハラしていた彼の両親も、兄も、弟も、ホッとするばかりだった。
「今誰の戦いなんだ。それとも終わったのか?」
治療室で問う硝介に、彼の気絶を知って見舞にやって来ていた然賀火々末が、そばにある椅子に座ったまま答えた。
「今は形快くんが、出てすぐ。まだ終わってないよ」
そしてその一戦は――
廃病院の壁を背に、二人が、互いの気配を探り合っている途中だった。
晴己は尋常ではないほど意気込んでいた。なぜなら、ズガンダーフの作戦のために、晴己だけは気絶する訳に行かないからだった。
ただ、晴己は、どうせ相手を気絶させるなら、序でに、ほかの者の負担を減らしたい、そんな風にも思っていた。だから難しそうな相手を引き受けてもいる。
ビカクからの情報により、相手の男性の能力は見た能力の真似だと晴己は知っている。これまで幾つか『羽』側からも能力を見せた。その全部を彼は使える。質は落ちても不意さえ突ければ強いという能力が多くある。
晴己は意志を強くした。
(引き延ばして恐怖を煽って今回は相手を気絶させる――わざとに見えないように、ジャンズーロにバレずに! 自分をも恐怖の中に置く!)
晴己には、相手から漏れ出るようにして相手の周囲にだけある力の帯のようなもの――闇色のそれが見えない振りをした。『黒い何かが』と言ってしまっていた晴己は、ジャンズーロがそこから晴己の中の何かに、特に、ズガンダーフの気配に気付かないようにと、それ以上隙を見せまいとしたのだった。そして飽くまで探すのは相手の体そのもの。
一分ほどが経過した頃――
巨大なルアーが飛んできた。恐らく眠らせるもの。花肌キレンの能力。
「え!」
晴己は驚いて見せながら、能力『かみをあやつる』で紙を無から生み出し、それを飛ばした。体のどこかで触れる訳に行かないからだ。
そして、紙の端がルアーに真っ直ぐ触れた瞬間、晴己は新たに念じた。『どんな物をも切断する』を、紙が刃になるイメージで発動――ルアーは断面を見せることになり、それから消えた。
晴己は思っていた。
(もしこんな対応ができなかったら……!)
背がゾクリとする。
そんな晴己を、すぐに、透明なコップが襲った。
ならばと、能力『肉体を改造する』で視覚と聴覚を高め、運動、格闘に必要な筋肉を強靭なものにし、コップを操る本人を探して回った。――もしかしたら相手は『透視』の能力も使っているかもしれない。であれば遠く――と思考も続いた。
やはりフィールドは狭く、一階と二階しかない。
数秒後。
目の前の壁の向こうに相手がいる――全ての感覚で晴己はそう理解。ほんの一秒で会うと同時に薙ぎ倒すこともできる――というその時。
気配と危機を感じ取った相手は、透明なコップを消し、防御に臨んだ。そのために、相手は目に注力。
相手の視界に入った晴己は後ろへ吹き飛んだ。晴己が着ているパーカーの左ポケットの部分が爆発したのだ。
それは視点爆破能力。
ただ、耐えうる肉体へと晴己も自身を改造していた。
(相手の視界に映らないように……!)
思いながら晴己は走った。
そして相手の気配がする辺りの壁を殴り、それを相手にぶち当てた――そのはずだったが、相手はそれを空間面接続による転移でそもそも当たらないようにした。――それは時沢ルイの能力。
そしてルイの能力を相手が解いた時、お互いが対戦相手を視野に入れた。
晴己はとんでもない速さで右フックを相手の顎に放った。
だが相手も必死に腕で防御。その瞬間、晴己の右手は、血飛沫を上げ、皮の剥がれ掛けた肉塊となった。――林田ビカクの能力だった。
控えの部屋では短い悲鳴が幾つか上がった。
その瞬間、相手が何かを放つのを晴己は見た。酸の弾丸だが、そうと分かるより早くに――何か液体が飛んできたとしか認識していない段階で――咄嗟に避けた!
その反射的速度から更に加速し、晴己は壁をすら走り、壁を蹴り、相手の背後へと。そして深くしゃがみ込む。そこへ相手が振り向くと――
晴己は、なぜかバケツの中にいた。犬井華子の能力『芸術的に爆発するバケツを出し操る』という力を真似た彼の仕業。
咄嗟に手刀を向け、切る動作をし、念じた。
「『どんな物をも切断する』――!」
バケツを切断した。せざるを得なかった。バケツではなくなったそれは芸術的に爆発することは無かった。だが、間が開いた結果、相手はもう目の前にはいない、ルイの空間移動技で既に遠く。
手から血を流しながらも晴己はまた相手を探した。
相手も感覚を研ぎ澄ませて晴己を探した。晴己のようにとまでは行かないが、かなりの肉体強化までをも彼は真似た。
血は至る所にあり、見付けられる根拠にはならず、二人は目と耳で探した。ただ、相手はルイの力を使えて空間移動ができる。そちらの方が有利だった。
そして相手もまた、壁をすら走り、晴己を背後から殴る――と見せ掛け、ウィン・ダーミウスの風の能力で触れもせずに攻撃した。そこへ速水園彦のように水も出し、その勢いまで足した。
晴己は物の見事に流し飛ばされた。
廃病院のフィールド、薄汚れた床とはいえ水で滑り易くもなり、晴己は抗えなくなっていた。壁に激突し、辛うじて意識がある程度で立ち上がった晴己は――無意識に相手の所へと走り出した。
相手の男性は、こう思っていた。
(そんなんじゃ俺を気絶させられないぞ。さっさとやれ! 作戦があるんだろう!)
そんな相手が今度は巨大なペーパーナイフを空中に生み出し放った。
無意識だったのが、意識的になった瞬間、晴己は、
(あっちの力!)
とだけ、まずは思った。そして天井に背中が付くほどに跳躍。それを避けた。
(何があるか分かったもんじゃない)
そう思ってからも走った。相手の所へ。
そんな時、相手は氷を無から創造しそれを放った。野球の球よりも速そうな氷球。
それを晴己は走りながら――
「だっ!」
と、両手を出して切断するよう念じた。すると氷は微塵切りになり、その箇所からは、氷のシャワーのように、ほぼ害なく舞った。そして晴己の腹に。当たったが、それは、全速力で投げたサイコロと同じようなもの。
また晴己は念じた。今度はデンキウナギ、もしくはデンキナマズのような肉体を想像し――
手を前に差し出した瞬間。
「ざっ!」
気合の声。電流が迸った。手から。
奥の手だった。つい先日の夜中にこっそり編み出したもの。
その手から放たれた電撃が、相手を数秒間痺れさせた。
そして目の前まで近付く。
晴己が無意識に走り出してからここまで、ほんの数秒。
こんな状況だが、相手にも、何かしようと思えばできるかもしれない、余裕さえあればだが。
何かをやられるより早く。飛び上がるように晴己は殴り掛かった。下から。相手の顎を上へと押し上げるためだけに。中たれと願って。
そしてそれは――
躱されなかった。相手は実際、どう避ければいいか分からなくなっていた。
脳が縦に揺れ、男性は倒れた。
そして消えた。相手と晴己の首輪が。
晴己は息を整えた。
晴己はゾクゾクしっ放しだった。今見た以上に多種多様な手を持っているであろう相手との戦いがこれ以上続いていたらと思い、その先のジャンズーロとのやり取りで失敗する可能性までチラついて――自分を今抱き締めるほど――恐怖していた。
その気持ちを振り払ってから……手を心配しなければならないことに気付いた晴己は、急いで控えの部屋へと戻った。
晴己の手を、大月ナオが治した。ただ、毒となりそうな物質が治った箇所に入っている場合を想定し、海凪麦が、毒となる成分を体外へと移動させるべく念じてもいた。
「よかった」
それはシャダ・ウンムグォンの声だった。晴己は察して人格をズガンダーフに明け渡した。
「怖い戦いだったが、まあ、あとはみんな次第だ」
別室では、晴己の両親と妹がホッとしていた。
ただ、あれは本当に晴己なのかということを、それぞれが思っていた。……皆のために戦ったのは晴己だったのに、だ。
『次は24戦目(『羽』の気絶者数:14、『羽』の死者数:1)』
表示の切り替わった壁の下の透明ドアへと、次は、ジンカー・フレテミスが向かった。爆発する可能性のある首輪をした彼に、晴己の声が。
「自分が気絶するか相手が気絶するか、今回はどちらでもいい」
首を縦に動かしたジンカーは、透明ドアを越え、広場に出た。そしてそこは家電量販店のフィールドへと変わった。
ジンカーはこう思った。
(相手は電化製品でも操るのか……?)
一方、待機の部屋では、晴己の口を借り、ズガンダーフが問い掛けた。
「おいジャンズーロ、ちゃんと忘れさせるんだろうな。俺達を殺すつもりじゃないだろうな」
ジャンズーロは間、髪を容れずに。
「そんなことをしたら天界が騒ぐだろう、そうなったらその時期の前後でのアスレアの調査、そちらの現役天使である代理教師からの証言、様々なことから、闇界が怪しまれる。そうなると私に行き着く可能性はある訳だ、だから殺さないと言っただろう、いい加減にして信じたらどうだ、こんな一時の夜のことなど忘れさせてやると言ってるんだ」
「本当だろうな」
「しつこいと言っている、何もおかしな所は無かっただろう。信じてやられろ。くく、こう言うとおかしな響きだな」
ジャンズーロが自分に酔い始めたのは恐らく最近のことですらない。彼は今、より一層酔っている。
晴己の中のズガンダーフは、
(これで恐らく騙せた)
と考えた。
大画面では――アスレア指定の服を着たジンカーが、フィールドの二階へと真っ先に向かっていた。
晴己は自分の体を操るズガンダーフの目を通して、相手の纏う黒い帯が濃く大きくなっていることに気付いた。恐らくそれは自分達にとっての天力と同じようなもの。そうでなければ、そういった闇界の力による何か――と晴己は考えた。アスレアに問う訳にはいかない、声に出してはいけない、ジャンズーロに余計な情報を与えてしまう、だからただそう考えた。
そんな強そうな相手を迎え撃たねばならない。
とにかく怖がり、仲間にも恐怖させる。ジャンズーロに都合のいい実験を進める。それを終わらせるために。階段を上がった先の棚の陰から左右、後方、階段へとジンカーは目を配った。
そこへジャンズーロの声が。
「相手は階段を上がった先だ」
「おいまた!」
「お前らは実験に協力させられているだけの身分だと言っただろう」
わがままな王のような態度に、ジンカーは恐怖よりも憤慨した。
(実験のために大いに準備してやっているのはこっちだぞ。俺ができるだけ長持ちして……ニ十分以内にどっちかが気絶するように……そうじゃなきゃ死ぬから! そんだけ怖がって戦えば、全員が戦わなくても結果は出るんじゃないか? そうなんだろう? 強いてる癖にふざけやがって!)
その時、階段から上がってくる『頭』が見えた。
ジンカーは自身の能力『質感を変更する』で二階に上がってすぐの床や壁の質感を変え滑り易くした。が、それは浮いて飛んできた。
巨大化したドライヤーと、それに乗った相手の女性だった。さっき見え始めたのはその女性の頭部。ジンカーはそこで相手が女性だと初めて知ったが、控えの部屋で見ている者は違い、ジンカーは女性を相手にどう戦うのかと最初から考えていた。
だったら――と、棚の陰に隠れたままその巨大ドライヤーに念じたジンカーだったが、女性はぬるっと落ちたりしない、いつまで経っても。
(何かに引っ掛かるように座ってるのか?)
思いながら、ジンカーは、今度は、棚の下の床を滑り易くし、棚を丸ごと押した。
棚が相手に襲い掛かる。
「ひぎゃっ!」
横からぶつかられてやっと転げ落ちた、その女性が頭を打つなどして気絶すればそれで終わり――だったが、そうはならなかった、立ち上がった。ドライヤーは小さくなってその辺に転がった。
ふと、ジンカーは考えた。
(自分が気絶した方が早いかぁ?)
ただ、運悪く死にたくもないとも彼は考えた。
ジンカーはまとめて床を滑り易くし、棚自体も滑り易くし、押した。
幾つもの棚が一斉に同じ方向へと動き出した。すでに巨大化させたドライヤーに再度乗った女性の方へと。
ただ、今度は女性は更にドライヤーごと上へ浮き、棚はその下を素通りするだけ。当たりもしない。
その『口』がジンカーの方を向いた。すると女性は切なげな顔をした――
瞬間、ジンカーは背がゾクリとするのを感じた。そして思った。
(怖がればいいんだろ怖がれば)
ジンカーは、女性の頭部のさらさらな質感を、痒くなるような油まみれ、汚れまみれという類の質感に変え、集中させまいとした。すると女性は急に頭を掻き始め――
「何これ嫌痒い痒いぃぃ!」
そしてまた転げ落ちた。床にぶつかる。
だが、頭を掻くため上げていた腕がそのまま彼女の頭の盾に。
心のどこかでホッとしながらジンカーが逃げ出し背後に残っていた棚の陰に隠れようとする――と、ジンカーの能力による痒さが消え、女性はすっくと起き上がり、睨んだ。
すると、ジンカーの前、左右、後ろにも、一般的な大きさのドライヤーが大量に浮いて現れた。
これ以上何をされるのか――しかも質感を変えることとはかなり相性の悪い相手――それを思うと、ジンカーは恐怖した。恐怖の中で念じた。
女性は大量のミミズや虫の入った風呂に浸かったような質感を太腿から下の肌の表面に得た。その部分だったのは、ジンカーが念じた先がニーハイソックスだったからだ。
怒りや辛さで能力をミスするかと思いきや、女性は形振り構わなくなり――
「ひやああああっ!」
と、叫びに乗せ、どのドライヤーからも、ジンカーに向けて激しい熱風を放った。
「がああああ!」
ジンカーは火傷しそうなほどの感覚を得て蹲り、そこへ、大量のドライヤーによる殴打をされ、昏倒。直前、ジンカーは、内心では、
(やっとかよ)
と思っていた。
別室では、ジンカーの両親と兄と妹の顔に、心配の二文字が浮かんでいた。当たり所によってはジンカーは危ないのではないかと……。
『次は25戦目(『羽』の気絶者数:15、『羽』の死者数:1)』
透明ドアの上の表記が変わった時、治療室から時沢ルイが出てきた。復帰後初めて。目は見えていないから、その様子に気付き、すぐに駆け寄った杵塚花江と花肌キレンが、手や腕を支え誘導した。
「別に大画面の前まで行かなくてもいいよ」
目が見えないからだった。
もう何とも思っていない声――に聞こえるが、その実、ルイはそれまで静かに泣いていた。能力に疲れたら過去〇・一秒の視野すら見えなくなる。
ひっそりと恋をしていた相手の微笑む顔をすら。
もう見られない。
だがルイは受け入れるしかなかった。
もしものことを考え、ルイはその力を今は使わずにいる。
ズガンダーフがシャダ・ウンムグォンに託し、シャダから託された紙を、木江良うるえがちらりと――ジャンズーロに気取られないように見て予め近くに座っている今屋村キンに目をやった。
キンは、自発的に進み出たように見せ掛ける手段を考えた。まずは声。
「俺が行くよ」
そして首輪の載った台へ近付き自ら手に取った。そして装着。
キンは動き易い寝間着姿だったが、靴だけは借りた、アスレアの術による靴を履いた速水園彦にだ。
キンが広場に出る。と、そこは森へと変わった。一部に池や大岩があるようなフィールドだ。
キンは大木を背にしてまず向こうの気配を探った。大丈夫そうだと思えば前の隠れられそうな樹の裏へと足を運んだ。
その繰り返しで、ある時、何かが飛んでくるのをキンは見た。
救命胴衣だった。
飛んできたそれが、キンの目の前でフェルト布化。
別室では、彼の弟達が――
「僕達のための!」
「そうだ、俺達のために使ってる力……!」
「う、うん……」
と、ハラハラしながら言い合っていた。
キンは、位置をほぼ確定されたと考え、後方へと下がった。あまりよくない状況だと感じた彼の中で、恐れは増した。
別の樹の陰で、策を練った。
(相手が生み出し攻撃できるなら、フェルト布化させても疲れるだけ。疲れ合戦か? でももっと確実な方法は……?)
そして彼は思い付いた。
太一がここに居ればな――と思いながら、キンは姿を晒した。
その頃、待機の部屋では、晴己の視界にルイが入り、ズガンダーフが『ジャンズーロめ、なんてことを』と思っていた。彼はただ思っただけだったが、晴己は違った、そして『二人』は交代した。
だから、これは晴己の言葉だ。
「ジャンズーロ! このまま時沢ルイの目が見えないままだったら、そこからも誰かが嗅ぎつけるかもしれないぞ、記憶を消してもだ、そんなのは嫌だろう、追っ手を来させないようにするなら、万全を期すべきなんじゃないか!」
できるだけズガンダーフに寄せ、本当の人格としての晴己が表に出ていない振りを、わざわざ晴己はした。
すると。
「ふぅむ……まあ、それは確かに。よし……さあ、目を開けろ」
ルイは、見えもしない目を開けている必要がないから閉じていた。その目が開かれる。
そして。
ルイは光を感じ、それから、視界が瑞々しく歪むのを感じた。
ふう、と一息吐き、晴己は人格をまたズガンダーフに明け渡した。そして彼は思うことで晴己に伝えた。
(本当によくやった。だがその分この責任は重たいぞ)
それに対し、晴己は、こう伝え返した。
(分かってる。ごめん。ズガンダーフさんの負担……増えたよね。もし僕らがこの先の作戦をうまくできなかったら……。僕はジャンズーロの味方をしたようなもの。でもやらないと、時沢さんは……)
だから、ズガンダーフは想いで返した。
(ふっ。その勇気。ならば私も振り絞らなければなるまい。必ず成功させるぞ)
来たる時に備えて、ズガンダーフは、観察しながら半ば瞑想をした。
一方、広場では、キンに向かい飛翔する救命胴衣をフェルト布化させ、その軌跡から計算し、相手の位置へと、キンが全速力で向かった所だった。
相手は池のそばの大岩の陰にいた。男性。
見付けると、キンはすぐに全力で天力を込めた。
『冷気を出し操る』
その力により竜巻ほどの突風を冷気で起こす。相手は一溜りもないのでは――とキンが思ったその時。
キンのシャツが救命胴衣へと変わった。
「――おわ!」
集中が途切れゾッとする。キンは相手をしっかり捉え直し、すぐに込め直した。
だが空中へと投げ飛ばされるようにキンは浮いた。救命胴衣を装着させられているからそれごと操られて――
上空へ。
キンは、放物線の頂点に達するまでもない頃から、空高くから落ちる予感に満たされていた。
「嘘だろそれだけはやめろ!」
キンはつい涙目で懇願した。
そして、相手はこう思っていた。
(溺れさせれば……楽に気絶させられる。できるだけ恐怖しろ。ジャンズーロを欺くために。大丈夫、叩き付けるようにされてから溺れれば――その方がきっと――)
だが、最悪なことに、キンの放った途轍もない冷気で、池は凍っていた。
キンは、ジャンズーロの言葉を思い出した。余計な話をしたら殺される。言葉にしてはならない。なのにさっきしてしまった、次はもう許されないかもしれない、気紛れなアイツに殺される――と思ったキンは、だからこそ心の中で懇願し直した。
(気付いてない……? 嘘だろ! 待て! 止めろ! 止めてくれ!)
救命胴衣を操ることで、相手は、直接叩き付けるようにキンを池へと――溺れさせるために向かわせた。
猛スピードで落下したキンは――
「うああああああああ!」
叫びながら冷気を放った。さっきのような冷たい突風をあえて凍った池に叩き付ける。凍り加減は増す訳だが――
冷たい突風で少々速度が落ちた。その時、漸く相手も気付いた。
(凍ってる……!)
相手は、急いで込める力を弱め――たりなどしなかった。そうすればジャンズーロの怒りを買い、自分達が殺されるという直感が彼の中に生じた。
結局、キンは強く胸から打ち付け、その反動で――手で幾らガードしても――頭も強く打った。その体のどこにも、もう、力が入っていない。動かなくなる。
「キン! そんな! なんでだ!」
「そんな……嘘でしょ……? どうなるの? これ。ねえ……うちの子は、どうなるの……、あれは治るの……?」
別室では、彼の両親が、それぞれ、涙を流した。
この数秒で、大画面を前にした晴己の視界では、救命胴衣を操った男の全身から湧き出る闇色の何かが、急激に大きくなり、その帯が多くもなり、黒々さを増やした。
だからか――ジャンズーロは言った。
「よし、ふふ、いいだろう」
「待て!」晴己の口で、ズガンダーフが言った。
「何だ、余計な話なら――」
「さっきと同じことだ。今の戦闘でこっちの一人が死亡か気絶をした。その負傷が残っているとジャンズーロにとって調査の手が伸びることに繋がる、よくないだろ?」
「ふうむ……そうだったな」
治療室に一瞬で移動していた今屋村キンは、そのままでは、首と側頭部、胸部の骨が幾つも折れていて、死ぬのは明らかだった――いや、死んでいるかもしれなかった。だがそのやり取りの甲斐あって、治療する時間だけは生じた。
そして大月ナオや千波由絵が治せばいいかと思いきや、ジャンズーロが治した。
「ん……う……」
彼は生き返った。
とはいえ奴は奴の思惑があってやっただけ。そのせいか、感謝の気持ちは誰の心にも余り湧かなかった。多く湧いたのは、それほどまでして悪事に走るジャンズーロへの怒りと、キンが大丈夫だということへの安堵。
彼の両親も別室でホッとしていた。安心さえ涙の元。
そして――
「よし、お前達を元の場所に還す。服も元通りにしないとな」
アスレアの術を解くようなプロセスなのだろう――ジャンズーロがそう言うと、服装が変わっていた者が、動き難い服へと戻った。キンが借りた靴は本当の持ち主である園彦へとジャンズーロが特殊な力で返した。
用意が整うと。
「記憶も無くすから安心しろ。ではな」
そう言ったジャンズーロの高笑いを最後に、全ては元に戻った。
「あれ? いつの間にこんな怪我が」
と言ったり思ったりする者も中にはいたが、その程度。
事は無かったかのように。
ズガンダーフさえもが、強制転移をさせられたあとにその身に起こった全てを忘れた。
アスレアも例外では無かった。
「もう闇這の気配は無いのか?」
阿来ペイリーが問い掛けた――その相手は形快晴己。
「……」
「大丈夫そうじゃない?……ん?」入荷雷は不思議に思った。「何泣いてんの? 急でしょ。何か能力を使われたの? 闇這に」
それに交苺官三郎が続いた。
「別に前に出過ぎなくてもいいぞ、見回りなんて……これだけ人がいるんだ」
「形快の体に何が起こってるのか俺にも分からないけど、でも、どうにかなるさ、きっと!」
それは遠見大志の言葉だった。
夜の街灯が照らす中、周りの全員が、あの戦場でのことを忘れ、笑い合っていた。
「なあ形快」
そう言った淡出硝介も忘れている。だから次の言葉は――
「かなり頼りにしてるんだぜ、これでも」
日常の中のものでしかなかった。
戦場にいたのに。
頭の中のズガンダーフもまた、それらを語らない。忘れているから。そして、どうしたんだ、と思っているだけ。
そんな頭の中と彼らの様子から、晴己は泣いた。泣いている。
「あれ? もうこんな時間?」
という者もいた。それは、見回り休息日のアスレアや別班とその家族、見回りに行った異能者の家族だった。
晴己だけが覚えていた。晴己だけが。そして泣いている。
このままでいい等という事にはできない。ジャンズーロはあんな実験をしてしまえる存在だ、きっと悪用する。
そうでなくとも、経験したこと全てを、晴己は、無いことにしたくはなかった。もし取り戻せなかったら。そうも思う晴己の頬を、自然と、目に溜まった雫が伝った。
さて何をしたのかと言うと。
ズガンダーフの人格は、晴己の人格の記憶だけは守っていた。
食事室にて、ビカクと話していた時に、実はこうも話していた。
「催眠……記憶操作の類は、来ると思えば守れる。だが、私が守れるのは自分を含めて一人分程度。誰かを守れば自分を守れない。どうせなら私は私を守らない、晴己を守る、鍵は彼の力だ」
あの部屋では別人格を装うために俺と言っていた彼も、隠す必要のない場所では私と言った、これ以降もきっと私なのだろう、ただ、晴己はそれを知っていたし、ただ一人、忘れなかった。
そして、守られた晴己が為すべきこととは。
予め練られていた作戦。
「神様、来て」
「え、なんで今神様――?」
目が一度見えなくなったのを忘れた時沢ルイがそう言った時、晴己の胸は切なく痛んだ。
「神様! 僕達は酷い実験に付き合わされた! 忘れさせられた! お願いだから来てよ! みんなを助けて!」
何を言っているんだという顔を、その場にいる全員が晴己に向けた。
神様は来ない。来なかった。
忙しいのか拒否できるからなのか。
そして、
「何を言っているんだよ」
という話を何人もの戦友からされて、晴己の涙目がもっと潤んでから……十数秒が経った。それから。
「ごめん、遅れた。……何があったの?」
現れた。神々しい女神。
ここにいるのならと、晴己は周囲を気にしなくなった。きっとジャンズーロの手の者がいても対応できる、そう信じ、込み上げるものもある中――晴己は言葉にした。
「闇界の、ジャンズーロの実験に付き合わされた。みんな死に物狂いで戦ったのに、ここ数時間の記憶をみんなの中から消されたんだ、全部! 全部消された! みんなの記憶! みんなの家族の分も! 僕らが戦った相手の記憶の分も! その家族か何か……相手の……そう、相手の脅しに利用された人の分も! 記憶を取り戻させて! それからジャンズーロと戦わないと、闇界が危ない!」
そこで晴己は思い出した。同じことをいつか言った人物のことを。
「シュバナーっていう人のことも助けて! 見回りをしたアスレアの記憶も!」
(多分これで全部……!)
と、晴己が思ったその時、周りから声が。温地美仁の、
「お、おい、思い出したぞ! え、どうやったんだ!」
を皮切りに。そこにいる皆が、口々に、あの死闘を思い出した!
(できた! できた! 取り戻せた! 僕が!)
もう何重の想いが降り積もっているのかも分からないくらいに、晴己は泣き続けていた。
女神にできなければ別の誰かに――と思っていたことが目の前で為されたのを見て、晴己は、痛いほどの嬉しさを噛み締めながら涙を拭った。
「じゃ、じゃあ、神様――」
晴己が言おうとしたが、女神が、古めかしくも美しい服装のまま、やはり美しい声で。
「なるほど――記憶を読んだわよ、そこへ飛ばせばいいのね」
それには怒気があった。
そして、彼らは、あのドームに戻った。
今度は結界の施された部屋の中や広場の中ではなく、ジャンズーロのいた観客席か実況席の――とにかくそのエリアに。
ジャンズーロは驚愕の顔をせざるを得なかった。
「どういうことだ!」
「お前のしたことは許されない!」
死闘をした相手の誰かがそう言った。最初に戦った相手だと確信を持って認識したのは不動和行だけだった。
そこで神の声が。
「私さえも欺いたわね、ジャンズーロとやら、ズガンダーフは今や形快晴己の頭の中。そうなっていなければ私に処理をさせたようなもの」
「――! そういうことだったのか!」
そう言ったのは立山太陽。
神の声は続いた。
「気に入らない。あなたの能力を今ここで全て封じる!」
女神は、彼の結界を全て解除し、新たに、このドームに結界を仕込んだ――ジャンズーロの力を全て封印した上で逃げられないようにしたのだ。
「せいぜい彼らに……あなたが玩具にした彼らに、お仕置きされなさい」
神はそう怒り、まだ消えず居座った。――その時、なぜかジャンズーロはシュバナーの姿に。
この場にはシュバナーも居る。アスレアも。だが、そのシュバナーは、なぜかジャンズーロの姿になった。
計六十七名対ジャンズーロ。だが、その位置関係はなぜか急に変わったのだった。
その戦いが、今、始まる。




