15 三十二人対三十二人。一人目。
黒とグレー系のタイル壁、同じく黒とグレー系のレンガ敷きの床、そんな直方形の部屋の中央部には、椅子が並んでいた。何人かはそこに座っていて――
『1』
と、呪いの字の如く白く浮き出た黒壁の下の透明なドアを、誰が通るかを、そこの皆は話し合った。
「弱い奴から行くか? 色々経験したからな、この中でそこまでじゃなくても相手よりは強いかもしれないぞ」
淡出硝介がそう言うと、不動和行が。
「俺が行く」
「ちょっと待って」
止めたのはアスレアだった。
「いくら何でも寝間着じゃぁね」
和行を含む、最後に見回りをしていない者のうち、急な動きに不向きな格好をした者の服は、アスレアが念じることで変わった。計九人。不動和行、ジンカー・フレテミス、富脇エリー愛花、花肌キレン、速水園彦、目淵正則、然賀火々末、木江良うるえ、そしてアスレア自身。九人は体によくフィットした深い黒のトレーニングウェアらしき姿に。吸着力の強い靴も。
それにしても――とアスレアは思った。
「ここ、闇界よ、人間界じゃない、空気が私に合ってる」
そこで、ジンカー・フレテミスが、
「じゃあ、あれは誰か、もしかしたら分かるのか?」
と、金髪を揺らしてアスレアに顔を向けた。
「あれ……って?」
「ほら、あれ」
と、ジンカーが示したのは――形快晴己も、林田ビカクも、遠見大志も、同じようなタイミングで気付いた存在――戦闘用広場を囲う黒い壁の上にある観覧席らしき椅子達の上の方……に座っている大男だった。
大志は見た時からそれが誰なのかを分かった。
遠くを見る能力は視覚的に本人さえ居れば使える能力らしい、だから『彼ら』は使えた。
ほかの者は遠目では分からなかった――アスレアを除いて。まあ、遠目で見覚えがあると思えた者はいささかいたが。
「――! ジャンズーロ様! なんで……!」
「じゃああいつが黒幕」
と温地美仁が言うと、声がした。
「お前達は、ここでのことを誰にも言うことはできない。勿論、私がやったのだと証言することもな。なぜなら、ここでの記憶を抹消するからだ」
それはもう肉声だった。ジャンズーロ本人の声。
アスレアは驚愕した。彼のここでの言動すべてを受け入れ難かったからだ。
この時、時沢ルイは複数回試していたが、外と空間を繋ぐことは一度もできなかった。そして晴己に問い掛けた。
「神様を呼ぶのは無理?」
「……神様、来て」
晴己は念じた。が、来なかった。
「届いてないみたい。さっきからこうなんだ……」
「すぐそこと繋げることはできるのにね」
と、ルイは言った。すぐ後ろの壁をすぐ隣の壁にルイが繋げることはできた。ジャンズーロの話は本当だった。その部屋の中で完結する能力は使える。だが外へは働き掛けられない。つまり本当に誰も外から呼べないし、外へ出られない。広場へ能力を使えるのは広場に入った者だけ。皆この時にやっと諦めるように理解した――隙を探したいという気持ちはあったからだ。
この有無を言わさぬジャンズーロの実験に、彼自身、条件を足してきた。
「あと十秒で始める。誰も入らなければランダムに誰かを殺す」
さっきの文言通り、和行がドア横の台にある首輪を着け、ドアを開けた。
彼が入り、ドアを閉めると、それからガチャリと音が。相手も一人。一対一。もう誰も入れない。
皆、見守った。
そんな中、和行は、ドアからすぐの数段だけある階段を上がった。
上がり切った時、広場の景色が変わった――まるで、荒廃した建物が中央にあるどこかの戦場でも切り取ってここに置いたように。
「一対一が始まる度に戦闘場のコンセプトを変える」ジャンズーロの声だ。「存分に発揮してほしいからな、発揮できる場へと変える。そして変化を合図とする。さあやれ」
そして和行は建物の壁へと急いで近付いた。そしてそれを背に、角へ行く度に壁の向こうを、顔の半分だけを出して確認。
ある時、敵と目が合った。敵も同じことをしていた。
そして、和行は知った。
(ブレザー! 人間界の人――っ?)
闇界の人間かもしれないが和行にとってその可能性は無視できなかった。
人を殺さなければならないのかという一瞬の油断を和行が見せると、敵は瞬時に彼に近付いた。そして敵の手が、拳となり、和行の頬に命中――
和行はほんの数歩分を転がった。
そしてその敵――少年が、自身の黒い髪を血の付いた手で掻き上げ、和行の胸へ、拳を振り下ろした。
残りの者がいる部屋の大画面に映し出される。顔の半分がえぐれた和行。胸元はアップの外ではあったが。
「いやああああ!」
木江良うるえ、海凪麦らの悲鳴。
首輪が台に戻ってきた。和行は恐らく医務室。もしかしたら死んでいる。
悟った氷手太一が叫んだ。
「こんなのやってられない! くそ! くそぉ! なあ形快! 俺に力をくれ! 肉体改造で与羽根を!」
必死な太一に、涙目で、晴己は念じた。できるのだろうかと思いながら。できなければ人がもっと……――そんなのは嫌だと思いながら。
船の上では『を』の紙を召喚しただけだった。ここでは作らなければならない。力が外に行かないからだ。無から作る必要がある。
できろと、晴己は念じた。長く念じた。そして。
『を』の紙が手に。作り出せた。晴己の目が更に潤む。
(よかった、よかった……!)
彼がそう強く思ったところへ、誰かが何かを差し出した。ペンだ。
杵塚花江は転移の際にペンを持っていた。そのペンと手。
太一は二人からそれぞれ受け取り、しばらく悩み、『を』の紙に書いた。
『凍っている物を操る』
晴己が念じると太一の手首に羽根が新たに刻まれる。晴己が祈り、書かれた紙が光となって太一に宿る。
「よし。これなら水分だけじゃない、色々できる! 生きてやる!」
「私も」
更上磨土が進み出た。
『土を操る』それも宿る。
花肌キレンも願い出た。
ただ、キレンはまだ決め兼ねていた。
そして、ドアの上の黒壁の、白い呪いのような文字が、変わった。
『2』
「次は誰が出る……? 誰が死闘をするんだ」
太一が言った。そこで、
「私、治療室に行ってくる!」
と、大月ナオが治療室へと向かった。
そこには寝台が三つほどあった。そのうちの一つに、傷付いた姿で横たわり動かない和行の姿が。
「不動くん!」
彼の傷をナオが治した。だが彼は動かなかった。
「どうして……」
彼の胸に手を当てたナオは、疑問に思った。
「そんな……なんで」
彼の心臓は動いていた。息もしていた。だが、彼は目覚めなかった。
彼女にとって、こんなことは初めてだった。
ナオは何度も呼び掛ける。
「不動くん! 不動くん! 不動くん……」
だが、彼は目を覚まさない。
別室。シュバナーも居る部屋――に共に居る彼の親は……涙を流した。誰もがジャンズーロを恨んだ。誰もが。そう。敵ですら。