14 絶望へと誘う声。恐怖の死闘場。
形快晴己は心だけが疲れていた。
天使に近い存在になってしまい、自分はこの先どうなるのかと。思い悩み、だが動けず、自分自身を怖がった。
人間の世界に帰って来てすぐ次の日の昼休み、互いに席に着いている時、更上磨土がこう言った。
「私なんかは羨ましく思うけどな。だって天使だよ? なんか、誇れそうじゃん」
その言葉は晴己の心にストレートに響き、
「いいのかな」
という言葉に変換された。
だから磨土はこう言った。
「いいんだよ」
晴己にはそれが何よりの光だった、涙が出るほど。
そばにいた花肌キレンも、彼に語り掛けた。
「形快くんはさ、難しく考え過ぎだよ。なんだよ、人がひとり人間じゃなくなっちゃうくらいでさ。でも形快くんは形快くんだから。そこは変わんないでしょ?」
「……うん」
だったらと、晴己はこう思った。
(もうあんなこと、起きないといい。だってもう……僕が戦うと……相手を、相手が誰であっても、殺しちゃうかもしれない。そんなのは嫌だ、だから――)
それから数日間、特に何もいざこざはなく平穏な日々が続いた。迷子の老婆を助けたり、取れないと嘆く少年の紙飛行機を取ってやったり、恐喝の現場を見てやめさせたり、窃盗逮捕に協力したり――という事はあったが。
そして、中間テストが終わって、体育祭も。
彼ら五組は、能力を競技には使わなかった。当然だ。
そして更に数日が経った頃。
それは夜だった。九時頃。空は晴れていて星がチラホラ見えた。
こんな時に空を見て、晴己は、たまにあの船の上を思い出してしまうのだった。
そしてそこへ。
「何か気配がする。音じゃない」
(なんで僕はそんなことが分かってしまうんだろう。本当に僕はもう……)
晴己は玄関へ行き、動き易い靴を履くと、外へ出た。
『肉体を改造する』でこれ以上なく、手足や腹、走るのに必要な筋肉を、そして全身を、強固なものにし、向かう。気配のする方へ。迅速に。
近所の公園。
そこに黒いモノがいた。どこかで見た、と晴己は思った。
ランジェスが従えていたものだった。
「闇這……。なんでそんな気配が――音でじゃなく気配が、なんで……」
それが飛び掛かってきた。それは接近してから瞬時に三体に分身したが、それでも晴己の敵ではなかった。
少し速く動き、撫でるようにし、触れた部分に念じれば、それだけで。三体すべてが真っ二つ。そして一体に戻った。
そこで晴己は思った。
(天獣の気配って、こんな感じなのかな。でも、なんで僕が気配を感じられるんだ――)
また数日が経った。
そしてある日の朝のホームルームに、黒いシャツとスカート、黒ハットの冥泉アスレア・アンシュレアリーが来ていた。なぜと思う者ばかり。だが彼女が闇界から来る理由といえば、調査すべき何かが人界にあったからだ。
彼女が言う。
「このあいだの、マッドサイエンティストの濡れ衣をシュバナー・ルッツに着せた何者かが、まだ捕まっていないかもしれなくて、それから――人間界に闇這がお邪魔している可能性があるの。とんでもない被害が出るかもしれない」
晴己は手を挙げた。
先日退治したのが事実だし、彼は隠したくないと考えた。誠実に言おうとした。
「ハルちゃん、何」
アスレアがそう言った。
その呼び方をされ、晴己はなぜか理由も分からず嬉しくなった。
そしてそれを彼はこう解釈した。
(きっと、こんな僕だけど、親しみを込めて呼ばれたから、それでいいって言われたみたいで嬉しかったんだ)
元気を少し取り戻して、晴己は言った。
「このあいだ、夜に近所で見たよ。僕、その気配が分かる。だから追えるよ」
「え、でも……」アスレアは戸惑った。「強化された闇這で、とても危険だって――」
闇神候補のズガンダーフを倒した晴己からしたら、そんな強化は微差だった。だが、
(態度に出すと悪いかなぁ)
と思った晴己は強く出なかった。
むしろどんな相手にでもどんな自分であっても戦い抜こうとする皆のことを、晴己は尊敬していた。晴己はもう、本心では戦いたくなかった。
「サーチは、するよ。できる」
すると、そこで、ベージエラがまたも驚いた顔をして。
「ちょっと……形快、それはおかしいのよ。どうして? なんでそっちが分かるの? 私にもサーチできないのに」
晴己は、また、心の底から何かが狂っていくのを感じた。
場がしんとした。誰も喋らない。
しばらくの無音のあと、声を出したのはアスレアだった。
「闇界で何か、ハルちゃんがしたこと……ハルちゃんだけがしたこと……ってないの?」
「ぼ、僕は……! その、ズなんとかっていう闇神候補を倒したくらいで、それは関係ないよねっ?」
「え、ええ……」
じゃあ何が理由なのか。
嫌な気分が胸に増えるのを感じると、晴己はいささか乱暴に座った。
また場が静まり返った。
答えが出ないからか、アスレアは話を変えた。
「とにかく! これからは、夜、巡回をします! ご協力よろしくね!」
晴己は、人を喜ばすことを夢見ていた。晴れやかな者達に憧れ、誰かを救い、そして自分もそうなれたらと。なのに、今の晴己には、そうするだけの晴れた心は、なかった。
巡回は班を意識した。五組半分、四班がまず見回り、次の日は昨日見回らなかった班が――という風に。
晴己が見て回れる班構成の時はアスレアは付かず、晴己がいない時の見回りではアスレアがサーチした。
そして数日後の夜。
「こっちだ……」
晴己は気配の方へ行きながら見回り仲間に通達。
ほかが到着した頃には、晴己はもう強化闇這を倒していた。何か闇色の砲弾を放たれたが、それを熊手で裂いたかのようにぶった切り、そして本体をすら一瞬で。
「なんだ、もういいんじゃん?」
淡出硝介がそう言った。
そこに現れたのは、ほかに、学園警護の時の北東班ランジェス・ゲニアマンバル、遠見大志、交苺官三郎、千波由絵の四人と、南東班ウィン・ダーミウス、更上磨土、温地美仁、犬井華子の四人と、南西班入荷雷、佐田山柔、海凪麦、時沢ルイの四人と、北西班淡出硝介、阿来ペイリー、見状嘉烈の三人だった。皆、動き易い私服。
もしかしたら、こんな戦闘の場から意外な誰かに出会い、アスレアの調査が進展するような出来事でも起こるのでは、という事だったのだが、特に何も……――と、息を吐く者すらいたその時だった。空から光が降ってきた。
「何だこれ!」
と大志が叫んだ。
「何!」柔も。
一面真っ白になったかと思うと、次の瞬間には、別の場所にいた。
そしてすぐに、そこに、その日の見回りを担当しなかった班とアスレアも姿を現した。ある者はパジャマ姿だった。
そこは横に長い直方形の部屋だった。照明はほんのり。寒くはない。
壁は黒や灰色系統のタイル、床は同系統のレンガで作られている。
前に大きな窓が填め込まれた壁と、ただ一つの透明なドアがある。左横と右横には巨大画面。後ろには四つのドア。二つはトイレのドアのようだった。貼り紙がある。下手な字で「男はこっち!」と「女はこっち!」と。
残りのうち一つは食事処へのドアだと晴己にも分かった、肉体改造で鼻を利かせたのだ。勿論、林田ビカクにも分かった。そして晴己とビカクには、最後の一つの先が医務室のような部屋だとも。薬品臭さを感じ取ったのだ。
そして透明なドアの先には、闘技場らしき広場が。全体で一つのドームよりやや大きいくらいの広さに見える。
更には対岸に自分達がいるのと同じ部屋とドアがある。それは、晴己や遠見大志、林田ビカク、目淵正則にはよく分かった。
その情報を皆で共有すると、直後、今屋村キンが窓の向こうに目をやり疑問を口にした。
「よく分かんねえな、誰がなんでこんな。何かと戦わされるのか?」
すると声が響いた。
「デスゲーム的実験だよ」
それは部屋の左上の角にあるスピーカーからだった。ロボットの出すような声に変換されており、誰の声かはアスレアにも分からなかった。
「デスゲーム? ざけんな! なんでそんなことするんだ! 実験って何だ!」
淡出硝介が聞いた。
返答はあった。
「詳しく君らに話す義理はないよ。そうじゃないかい? 君らはきっと断ろうとする。話すことに意味はないじゃないか」
それを受けて、不動和行が舌打ちをした。そして言った。
「じゃお前が俺達にやってほしいことだけでも言ってみろ!」
「その威勢のよさ、この先どうなるかな?」
「何をしてほしいのか言ってみろって言ってんだ!」
和行が叫ぶと、声は。
「君達はとにかく戦え。こちらには人質がいる。紹介しよう。このあいだ君達が助けたはずのシュバナー君と、そして君達のご家族だ!」
暫くは間があった。そして。
「なんてことしやがんだテメェ!」硝介はまた怒鳴った。
「あっ……!」
と、アスレアが驚いた。この部屋の、広場への透明ドアを前にして左右にある壁には、一面が画面となったモニターがある、それにシュバナーと皆の家族――親兄弟までが本当に映ったのだ。そして映っている場所は、そこと同じような部屋。人数が人数だけに、大きい部屋ではある。
「ははは! 助けたはずなのにこんな状況になるとはね、そんなシュバナー君を見て君らはどういう気持ちだ? ふふ、本当に滑稽だよ。それに君らは戦うしかあるまい」
晴己は怒り出した。
「なんでこんなことをするんだ……みんなを解放しろ!」
「解放はしない。理由は言わないと言っただろう。君らは戦え。いいか? 君達が勝ってもいい、実験だからね。それに、成果が出たら途中でも解放する。なぜかって? そう、実験だからね! 君達に選択肢はないだろう?」
そこで、屋根の証明が点いた――広場がより明るくなった。そのせいか、向こうの部屋は見辛くなった。向こうからこちらを見る際もそうなのだろうとビカクは理解した。
「で、どういう風に戦えって?」
交苺官三郎がそう問うと、声が。
「闘技用の広場に出る者は透明ドアのすぐ横の台に置かれている首輪を付けろ。それをした者でないとドアは開かない。そしてそれを付けた者が入って三秒以内にドアを閉じなければ付けた者の首輪が吹き飛ぶ、首ごとな」
「な……!」
見状嘉烈が驚いて声を上げた。
説明は続く。
「別の者が一緒に入っても首輪は吹き飛ぶ。もし爆発したら、再構成されてそこの台に復活する。戦って、相手を気絶させるか殺すかすれば、その状態を感じ取り、首輪は外れ、ドア横の台へ移動する。気絶者――もしくは死者は、治療室へ転移する。その広場での異能力とその効果は広場の外へは届かない。その控え室での異能力とその効果はその外へは届かない。一対一の勝負をしてもらう。一人一回。誰を出すかじっくり悩むといい。そしてただじっと見守れ。つまり、三十二人対三十二人、三十二回の試合の予定だ。だが、成果が出たら途中での解放をしてもいい」
そこまで聴くと、直後、透明ドアの上の黒い壁に、恐怖を誘う字体で、白い数字が出た。
『1』
一人目。
「だ、誰が行く……?」
と、皆に問い掛けたのは羽拍友拓。
行かざるを得ないことを皆が理解していた。
阿来ペイリーが、そこで。
「それより今の。三十二人対三十二人……って言わなかったか? もしかして相手、人なのか……?」
誰もが、鏡のようになった向こうの窓を見た。