01 始まりと、形快晴己の力。
ある春の日。空から数枚の羽根が降った。
それは青白い光を纏っていて、明らかに異質だった。
形快晴己は実家の二階にある自室の窓から外を眺めながら、空想していた。通うことができる学校での良き生活。これからの未来。そうして外を眺めた時に、一つの光の存在に気付いた。
「何だ……?」
それを手にして確かめたいと思った晴己は、手を伸ばした。
もうすぐ触れられるほどの近さをゆっくりと落ちてきていた。
伸ばした手で、掴むことはできなかった。触れることさえも。
触れそうになった瞬間それは突如として光り、どこかへと消えた。
「あれからだ、絶対そう」
「何? 何か言った?」
自身の通う恵力学園の、一年五組の教室の窓際の席で、晴己はただ突っ伏すようにして嘆いていた。彼の左腕の手首の外側には、なぜか、数字のようなものが刻まれた羽根の絵のようなものが、浮かび上がっていたからだ。
「なんだってこんなものが僕の体に……」
こんな事では、何か勘違いされれば、妙なタトゥーを入れたヤンキー崩れのクヨクヨした奴というレッテルを張られ兼ねない。
カッターシャツやブレザーの袖でそれは隠れているのでいいとして……晴己は放課後になると、そそくさと帰ろうとした。だが学内掲示板にこうあるのを発見した。
『一年五組の全員は、4月27日の放課後、化学室へ』
その日が来た。晴己は放課後すぐ向かった。
化学室は盛況。ホームルームが終わってからの、なぜか始まった駄弁り場。ふと晴己の脳内を――なんでだっけ――という想いが過ぎった。
(普通、呼び出すのに理由を添えるよね、そもそも誰が…?)
そこには担任の姿もある。女性教師だ。ちなみに産休で入学式の時から彼らが見ていない岩洲という教師の代理。皆にそう教えた担任、天前ベージエラ本人が黒板の前にいるのだ。
(え、まさか先生が?)
三十代くらいで、黒い長髪の美人の教師。全員が揃った頃にその唇で告げ始めた。
「さ、揃ったね。あなた達にはある協力をしてもらう」
「何ですかぁ、先生ぇ」
早くしてよという顔をした五組の者もいる。そんな中で、ベージエラは告げた。
「あなた達は天使に選ばれた。この紙に、『を』の紙に、欲しい能力を書いて。私達に協力するの」
「は……? 何?」
「先生がふざけてる」
凄い物言いに聞こえるが、実際混乱を呼ぶほどの事だった。誰もが、こんな事は信じられないという顔をしている。
「ねえ、これ何かの予行演習? つまらなかったら――」
「黙ってコレに欲しい力を書きなさい」
ぎろっと睨むと、ベージエラはそれから生徒全員に向かって、また。
「あなた達は天の使いによってたまたま選ばれた。強引だとは思うが協力してほしい」
「さっきから何なんだよ、力とか天使? 天の使いとか……」
「とっととしなさい!」ベージエラはもう怒りに身を任せていた。「この辺りに天の世界から悪獣が逃げてきたと報告があったのよ! 儀式も間違ってたし! あんた達は選ばれたの! さっさと協力しなさい! 腕に羽根が刻まれたでしょ! ここを選んだのは話を聴かれたくなかったからで――! 他言無用よ、勿論ね」
腕に羽根が――と言われ、皆、一つの納得を顔に見せた。
そして確かに、この教室の前後は、部活の部屋としては空いていた。だから教室よりマシだとされたのだ。
晴己は配られた紙を見た。
『 を 』
なんだこれ、とまずは思った。――だからみんな書かないんじゃ?――とも。
「先生、あの……どう書けばいいかを教えてください……」
晴己が小声で自信無さげにそう言うと、ベージエラはようやく顔を綻ばせた。
「まあ、そうね。そうよね。分かった。まずはみんな落ち着いて考えて。その紙の『を』の前までは何かの名詞、対象名、とにかく対象を表現する言葉――長くてもいいわ、『を』にちゃんと繋がるなら――そういう言葉を入れて、そのあとには述部を入れるの。分かるわよね? 何をどうする力を得るかを書くの。何、と、どうする、という部分をよ? それと、『を』だけは一字たりとも書いちゃ駄目よ。いい? オッケー?」
「まあ……」
みんなが思い思いに紙と向き合い始めた。鞄から筆記用具を出し――晴己も。
(ぼ、僕は……みんなには言ってないけど、実はキュートなのが好きだし、でも人を守るような力には憧れるし…肉体改造なんかだといいなあ……)
『 肉体 を 改造する 』
そこまで書いてから、晴己の中で、ふと疑問が沸き起こった。
「力まで書くんですか? それとも、何々する、までですか?」
「何々するまででいいわよ。というかそうしないと駄目。長くなった時のことも考えて儀式して作られてるからね、ちからちからになっちゃうでしょ」
「あの」
海凪麦という女生徒は立ち上がりベージエラの方を向いた。彼女が言う。
「私、何かその……ごたごたに巻き込まれたくないです……。何か……その、酷い戦いの予感がして、嫌です」
「でも…あなた達は選ばれたのよ?」
「だったらさ」晴己は麦のすぐそばにいて、同じく立ち上がった。ただし麦に向けて。「前面に出るようなものじゃなくて……サポート向きの! そういう力にすればいいよ」
「そ、そう……?」
麦はベージエラの顔色を窺った。
「分かった」ベージエラは顔を一旦、緩めた。「空から逃げたのは天獣という悪いモノで、悪さや恐怖のエネルギーが集まってできた存在。天人や地上の人を食べてさらに恐怖を与えてくるし強くなる。だから戦わなきゃいけないけど……そうね、サポートも必要。戦い向きじゃない能力も少しはあってもいいから、よく考えて書いてね」
まだ半信半疑の者もいた。それでも、もし本当に自分が超能力を得られるのならという想いもあってか、皆の筆が進んだ。
そんな時だ、遠くから声が。
「ぎゃあああ」
「校庭にバケモノがああ。逃げろおおお」
遠くだったから晴己達にはそんなに聞こえなかった。
「誰か書き終わった人は!」
そう言ったベージエラの近くへ、晴己が一番に進み出た。
「先生、何をどう協力すれば――」
「紙を私に!」
「はい!」
その手に渡った紙を、ベージエラは祈るように持った。すると紙は白く光り出し、その光が晴己の手首に吸い寄せられた。
「さあ!」
言われて晴己は走り出した。
(いつもは、ひ弱な僕だけど、僕だって人を守りたい…あの通りの力を本当に得たのなら、今しないで、いつするんだ!)
晴己が走って校庭まで着くのに、ほとんど掛からなかった。――肉体が変わっていた。走るのに適した強靭な身体に。もちろん靴箱で履き替えたし、加えて運動場横の石段と駐車場が邪魔で道を曲がったが、それでもほとんど掛からなかったのだ。
そうして晴己の視界に入った――肝心の天獣は、人の首から上が狼化したような形をしていて、真っ白だった。
辺りには人がちらほらいた。倒れていたり、腰を抜かしていたり。
天獣は、「ぎぎっぎ」と奇妙な声を出しながら晴己を見付けると、彼に飛び掛かった。
(人が食われる前に倒せばいいんだろ……? だったら……引き裂く!)
それができる体に、自分を作り替える。走れる体にしたままで。そして向かって突き進みながら腕を振ると――
晴己は斬る感触を確かに得た。四本の爪で。
そして振り返ると――
そこには、残骸が転がっていた。
残骸は、ウズヴォヴォヴォ……と低い音を立てると、空へと昇るようにして消えた。
「守……れた……?」
辺りを見ると、そこには、晴己にとって、いつもと違う温かい校庭が、ただあった。
晴己の目の前には追い駆けた者がいた。同じクラスの、柔道部の不動という少年。
「やったな、やるじゃん」
「あ、あはは……たまたまだよ」
「へっ、まぁいい、さ、戻ろうぜ」
「うん」
ふたりが化学室に戻ると、ベージエラが晴己に聞いた。
「どうだったの?」
「倒しましたよ。そうしたら、ウグヴォゾゾっていう感じで消えました」
と晴己が言うと。
「音はちょっと違うかも、あれは――」
「先生! そんな細かい音なんかどうでもいいです! 細かい説明をしてくれませんか?」
とは、然賀という苗字の調理部の少女が言った。
「そ、そうね」
と、ベージエラは説明を再開。
「あなた達はその紙に書いた能力を、わたし達天使の力によって――」
「えっ、天使? 先生、天使だったの?」
「え~、嘘ぉ!」
「ねえ、階級とかあんの?」
「えっと…本当です、階級とかはちょっと個人的過ぎる情報というか…。というか、ね、中断させないで聞いて?」
「ねえ先生、普段これを隠したい時どう――」
「ああ、ええっとね……んぅぅう……薄長いリストバンドでも巻いてみて。ねえ、説明していい?」
「先生……先生は何か能力はないの?」
「まあ、私も少しは戦えます。でもひとりじゃダメだって神様が言うから」
「その神様偉いかも」
と、時沢という茶道部の少女が言うと、ベージエラは、
「どういう意味よ~」
と嘆いた。
「ねえ先生、こういう能力はダメだったりするぅ?」
「……」ベージエラは立山というヘラヘラした少年の紙を見た。「こんなエッチなのダメです!」
ベージエラは、なぜか、たまに生徒に振り回されるようだった。こんなことはここ数日でもう何度もあったという。
「あのね。その羽根は……あなた達に宿ったのは……人に力を宿す時に用いる与羽根という神聖な物なのよ。というより、そういうものだった、が正しいかな、今はあなた達の体に刻み込まれてる。もうあなた達の一部なの」
「ふうん、アタエバネ……」
と、遠見という少年が言った、理解を強くするためだけに。
「この羽根の文字みたいなものはどういう意味が?」
と、陸上部のシュッとした見状という少年が問うと。
「今までに何回かこういう事ってあったんだけど……与羽根で力を与える儀式が今回で二十四回目。そのあとのハイフンみたいなモノのあとがこの教室の何番目か、という数よ。三十二人いるから、三十二番までが示されてるはず」
「なんでこの学校がそんなことになったんですか? なんでこんなクラスが」
晴己がそう聞いた。そしてそれは核心を突いていた。
ベージエラは真剣な眼差しを皆に向けた。しかし表情はあまり変わってはいない。糞真面目過ぎるのだった。
「儀式を間違えたようだったの。天獣の生じる場所を強制して封印している施設があるんだけど、そこの天獣の封印に使われているはずの羽根がなぜか消えていて、気付いた時には天獣が逃げていたの。だから、探さないとって天のみんなが会議をしたわ。この辺に多く出没するからこの地域に与羽根をと、その儀式をした。でも、そこに混ざっていたのよ、封印の羽根が! だからだったのよ! どっちも羽根を使うからって、なんで流用できちゃうかなぁ~! もう~っていう問題もあったけど! とにかくそのせいで……。だからその封印の羽根も探してるの。それが無いと何十人もの天人で封印しなきゃいけなくて。誰の体に宿ったのがそうなのか。もしそうなら……抜き取ることになるけどね」
「え」
生徒一同が、それは残念だという顔をした。ここまで話しておいてそれなのか、という顔とも言える。
「でも」ベージエラの表情は曇った。「でもね、困ってるのよ。本当に誰のがそうなのか分かんなくて私天使クビかもぉおお!」
それが分かるまで、クラス全員が天獣というバケモノと戦う……そんな日々が続くのかもしれない。
「大丈夫ですよ」
と、晴己は笑った。
「だって、僕でさえ倒せたんですよ、みんながいたら楽勝ですよ! みんな僕なんかより凄そうだし! だってそうでしょ?」
そんな晴己に、そこにいる少年達は、照れ臭そうに笑顔を向けた。その中のひとり……氷手は言葉にもした。
「やってやんよ! なあ!」
すると、
「ふふ、そうね」
と、言ったのは富脇という健康的な体つきの水泳部の少女だった。
「でもね」
ベージエラがそう言った。彼女の顔には嬉しさの欠片もない。
「誰の体に宿ったのが間違えて使われた羽根なのか。それが分かって抜き取ったら、より一層慎重にしないとね……何せ、天獣は、封印されたくないから本能的にそれを狙ってここを襲うんだから」
「なるほど、だから」
とは、女子学級委員の木江良が言った。
「ここに通う誰かだということは、天獣には分かるみたいね――」
不穏なことを、ベージエラは悔しそうに、皆に伝えるべくだが小声で言ったのだった。
その日から、確実に生活が変わる。
予感が晴己達を襲った。良くも悪くも。