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第三章 我が故郷

三 (一)


 うだるような真夏の空の下、四つの車両をつなげた汽車が山の合間を勢いよく走っていた。二日間寝台車に揺られながら、記憶の中にある我が故郷の様子を想像していた。いつの間にか、心地よい眠気が規則正しい汽車の揺れと連動するように、徐々に眠りの世界に引き込まれていった。


 気が付いた頃には、太陽の光が燦々(さんさん)と輝く朝になっていた。窓の外を見ると遠くの山々の稜線(りょうせん)がくっきりと眺められ、木々の青葉が目に刺さる程に(まぶ)しい。反対側の窓からは、遠くまで広がる田園地帯が眺められた。


 それは(まぎ)れもなくわが故郷であった。


 駅に到着しホームに降り立った。ほっとする、懐かしい匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


 ああ、とうとう帰ってきたのだ。


 故郷の風景は昔とほとんど変わっていないように感じ、ほっとした。


 ホームに立つ人々の中で、こちらに視線を向けている者がいることに気付き、目を()らして見るとそれは自分の妹だった。妹は私に駆け寄って来るなり抱きついた。久しぶりに見る妹時子の成長に驚くとともに、こんなに時間が過ぎてしまったのかと驚いた。


 時子は九つ年が離れているせいか昔からとても可愛がってきたが、あどけない少女から、もう立派な十七の美しい娘へと変化を遂げていた。


「大きくなったな」


 私は時子の頭を()でようとした。すると時子は、私の手を振り払った。


「お兄様はひどいわ。お母様はお兄様の帰りを心から待ち望んでいたのに」


 時子はそう言って、泣きながら私の胸をどんどんと叩いた。私はされるがままにそこに立ち尽くすしかなかった。


 近くの停留所で車を頼んで私は妹と車に乗り込み、五年ぶりに実家に帰ってきた。


 故郷の家は昔と変わらない様子であった。小さい玄関から入って、左側にあるガラス戸を開けると茶の間がある。その奥の部屋とは(ふすま)で仕切られている。


「お兄様が帰ってきました」


 時子が襖の奥へ告げると、「入れ」という兄の静かな声が聞こえた。


 私は麦藁帽子を取り、襖をゆっくり開けた。


 そこには一枚の薄い敷布団に眠ったように横たわる母の遺体と、すぐそばで(うつむ)いて座る兄の姿があった。


 妹はどこからか座布団を持ってきて、母の頭を挟んで兄と反対の位置に座るよう促した。私は指示されるがままに、茶色の革製の鞄を膝の上に置いたまま薄い座布団に腰を下ろした。


 母は本当に死んでしまったのかしら、と思うほどに穏やかな顔をしていた。母の死に顔を見つめて考えていると兄が言った。


「仕事は大層成功しているようだな。お前のことは、遠くの俺のところまで話が届いているよ。


 母上はお前の活躍ぶりを心から喜んでいた。次郎が新聞に載っているってわざわざ俺のところに葉書をよこしてきたんだ」


 遅れて部屋に入ってきた時子は、うつむき加減で兄の隣にそっと座った。


「母上は肝臓の病気だったんだ。症状が出てきた頃にはもう手遅れだった。医者を呼んで診てもらった時には、あと三日もつかどうかと言われた。


 しかし、奇跡が起きた」


「奇跡?」


「母上は次郎が帰って来るまで死ねないと言っていた。それで頑張られて、終に十日も命を保ったんだ。医者は大層驚いて、母上の生命力にいたく感動されていた。死に際にはもう意識は朦朧(もうろう)としていて、痛いとも苦しいともおっしゃらずにそのまま息を引き取ったんだ」


 兄は母のこれまでの様子を事細かに教えてくれた。妹は黙ったまま涙を流していた。


 兄は突然、「ついてこい」と言って母の書斎へ私を連れて行った。


 書斎には本がびっしり整然と並べられており、多種多様な書物があった。(ほこり)一つ付いていないその貴重な品々は、妹が大切に管理していることの証拠であった。


 一つ一つ見るうちに、母との思い出が一瞬のうちに目の前に広がってくるようだった。


***


 父は時子が生まれてすぐに病気で亡くなってしまったらしい。私は写真でしか知らない父親は一体どんな人だったのか知りたくて、母にしつこく尋ねた。母は「優しい人だった」と言うばかりで、私が質問するのを嫌がっていた。そして私に父との思い出が何一つないのは早くに父を亡くしたせいだと、母は言い聞かせた。何故か兄も時子も父親については口にしなかった。


 母は三人の子を女で一つで育てなくてはならなかった。裁縫(ほうさい)の仕事や卵を売る仕事、瓦屋根の清掃、小さな料理屋の女中の仕事など、大変な仕事でも何でもした。多忙な母に暇な時間などないと思うのだが、少しでも時間ができると一人書斎に入って、本を読んだり小説を書いていたのだ。母は昔から本が好きだった。


 兄弟のうちで一番の怖がりであった私は、寝るのが怖いと言って母に本を読んでもらうことがよくあった。母は書斎からチェック柄の布に包んだ一冊の本を持ってきて、私に読み聞かせてくれた。「何のお話ですか?」と聞くと母は、「母のお話です」と言った。その後も母は、自分で作ったお話を読み聞かせてくれるようになった。


 母は本当は作家になりたかったらしい。当時としてはかなり珍しい仕事だったが、母の父上は母の物書きの才を認めていたため、その道で生きることに反対はしなかった。けれども、その後の人生で作家を生業にすることは一度もなかった。


 母の父上は絵描きだった。油絵を売ったり生徒に教えたりして生計を立てていた。初めの頃はなかなか絵が売れず、安い賃金で絵を教えていたため生計はかなり苦しかった。母の母上も絵描きで、共に同じ苦しさを理解しながら生活していたという。でもその暮らしはただ苦しみばかりではなく、貧しさの中に愛と喜びが(あふ)れていたと、母は穏やかな顔をして当時を語っていた。


 しかし他国との戦争が酷くなっていた頃、戦争に協力しない彼らの生活は周囲から避難の的となった。非国民だと言われ、家に石を投げつけられたり警察に連行されたりした。


 家族は離れ離れになっても、心の中で一致し互いに繋がっていた。けれど父上は刑務所内の劣悪な環境のせいで、重い肺炎とチフスにかかり命を落とした。


 母と娘は深い悲しみの中で、なんとか生き抜いてきたのだった。


 母は作家になる道を諦めた。母と娘で暮らすためには仕方のない決断だったのだ。その後、一人の男性と結婚し子どもが生まれた。それから三年後、一人の若い女性が母のもとを訪れることになる。

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