第二章 始まり
二(一)
私は懐から取り出した懐中時計を見遣って、君がその時間に現れるのを待ったのだ。夕暮れ時になっても、君の姿は約束の場所にはなかった。
君の突然の死を知らされた時、私は雷に撃たれた時のように、心臓が一瞬動きを止め、体の血潮がどっと身体の中心に向かって凝集するような感覚に襲われた。
と同時に、君の美しく、かけがえのない記憶の映像が、私の脳裏からぐるぐると脳全体を包み込むように行き巡った。
ひと時のうちにーー。
きっと、君のご両親は嘸悲しまれただろう。嘸かし、悔やまれただろう。君の父君は、私たちの交際を、最後まで許されなかった。
父君は、君を心から愛していた。
私が嫉妬してしまうほどに。
しかし、私は君の父君への愛よりも私への愛の方が強からんことをなんの疑いもなく、確信していた。そして、君は私の期待を裏切ることはなかった。
私たちは、誰もが羨むような愛を語る手紙を交わし続けた。私たちの自然を介する愛は、さも永遠であることを予感させるように。
父君から君の訃報を知らされた時、君が突然の高熱で魘され、激しい咳をして苦しみながら死んでいったことを聞いた時、私はそれが全くの嘘のような気がしてならなかった。きっと父君が私と君を会わせないための、作り話に過ぎないのではないかと疑ったのだ。
私の父君に対する猜疑心は、日に日に大きくなる出来物のように、私の頭の中で成長し続けた。いつの日か、その出来物が頭の皮を突き破って、膿のように出てくるのではないかと私はひどく恐れた。
何とかしてそれを食い止めなければと。
私は君の死の真相を知るためには、父君をもっとよく知る必要があると考え、父君の仕事を手伝たい旨を申し出た。
父君は他国との貿易取引に関する仕事をしており、約三百人の社員を抱える一経営者であった。私は独学で英語を学んだ上、貿易や商取引に関する書物を読み漁った。しかし父君は初め、断固として受け入れなかった。
「娘はもういないんだ。私と君との間になんの関係があろうか。全くの赤の他人じゃないか。慰めはもう必要ない。
君は、もう故郷へ帰り給え」
故郷に母と妹を残し、トランク一つで一人この村に来た私には、君がいなくなった今、確かに何の用もなさなかった。
けれども、たった一人の娘とその後を追うかのように精神衰弱の末、自ら命を絶ってしまった母君を、ほぼ同時に亡くしてしまった父君のことを思うと、いたたまれなくなった。
父君は心の寂しさを埋めるかのように、毎晩酒に溺れ、日に日に窶れていくご様子に、私は傍観者の立場ではいられなくなった。
ついに肝臓を痛め、床に伏すようになった時、私は君の屋敷に引っ越しを強行し、嫌がる父君を無理矢理に看病し始めた。
しばらくして父君の容態に回復の兆しが見えた頃、頑なだった父君の心が、少しずつ解れたように思えた。父君はベッドの上に仕事上の関係書類を広げ、これはこうだ、あれはこうだ、などと仕事を私に教えてくれるようになった。
医師の診察で完全寛解のお墨付きを得た父君は、本格的な職業訓練に本腰を入れた。私の物覚えの良さが一役買われ、父君は本場の英語を学ばないといかんとのことで、一年間の英吉利留学の費用を全額出してくれた。
一年間の留学を終え、少々英国の風になびいた私は、父君にかじりかけの英語を披露して見せた。父君は、私の英語力が以前よりも向上したと言って喜んでくれた。私はとても嬉しかった。私は実の父親を幼少の時に亡くしているから、父君という存在に愛を求めていたのかもしれない。
私は父君の仕事場へ同行させてもらえるようになった。仕事場での父君の仕事振りには、目を見張るものがあった。背の高く威厳のある西洋人に対して、流暢な英語を臆することなく話す。さらに戦略的な交渉力は、段を抜いて秀でていることは素人目にも明かであった。物事が順当に美しく、父君の考えの通りに動いていった。多額の財と多くの信頼を築いたのも、ひとえに父君の才と言わざるを得ない。
父君の仕事に早く追いつかんとする私の奮闘ぶりに、父君は気付かないはずはなかった。周囲は私が二ヶ月足らずでほとんどの仕事をこなせるようになったことに驚き、私を称賛した。その一方で、私を妬み嫌う者がいたことも事実である。
最初は真剣に仕事上の助言をしていた父君は、しだいに私に教えることを避けるようになった。
かなりの仕事をすでに任せられていた私には、もっと自分の可能性の光が、前途に控えているのではないかという希望が、一つの恐ろしい野望として、私の中に住み着こうとしていた。
父君は他の者とは異なり、私の業績を少しも喜ぼうとはせず、むしろ私が父君に近づこうとすればするほど、父君はどんどん遠くの方へ行ってしまうように思われた。
私は酷く打ちのめされ、悩むようになった。私は父君に一人前の職業人としての認をもらい、少しでも私の良さを理解してほしいと強く願っていた。その欲求は日に日に強力になるばかりだった。
そうした心の葛藤に悩まされる中、職場の内においても力を消耗させられることがよく起きるようになった。父君を主導する古来からのしきたりを重んじる伝統派と、新しい風を吹かせ様々な商取引のアイディアを立案していく若手派との間で軋轢が生じ始め、その攻防がついに、負傷者を出すほどの乱闘騒ぎに発展してしまうほどの事態となったのだ。
やっとのことでその場は収まったが、しばらくの間、皆互いに口を利こうとはせず、廊下ですれ違ってもそっぽを向くような関係になってしまった。
私は事態の収拾に力を注ぎ、再び皆を一致団結させ、森園貿易会社を盛り立てていこうと努めた。しかし、一向に両者の溝は埋まらなかった。
そんな折、諸外国の貿易品の取引に関するある国際上重要な会議において、貿易会社の総取りとして名高い、國広帝国貿易会社総会長、國広帝一は、私を同行させたいと申し出たのである。
当時としては、日本の経済の動向を一手に掌握していると言われ、誰も彼の前に立ち向かう勇気のある者はいなかった。彼は日本随一の権力者だった。私は父君に依然として十分に仕事ぶりを評価してもらえていないと苛立ちを感じていたため、この好機を決して逃してしまうわけにはいかなかった。國広会長に万一認められることにでもなれば、強情な父君でも何らかの反応をするだろうと思ったのである。それに、父君の会社の内部分裂はもはや、手の付けられないところにまで来てしまったという、半ば諦めにも近い気もあった。
だから、私はこの誘いをはたから断るつもりは微塵もなかった。二つ返事で受けようという心意気だった。父君にこの事を前もって話すことが、筋というものだろうということは分かっていたが、私は終に父君に黙って、國広帝一率いる國広帝国貿易会社の重役達と共に、国際会議が開かれる倫敦へ旅立った。