つまり犬になりたいんですね
「ふう……満足満足。朝から良いものを見させてもらったよ、その男前の店員さんに感謝しないとね」
ヘッドホンを外しながらミノルがうっとりとしている。髪型は気にしないタイプなのか寝癖みたいにはねた茶色の髪の毛をなおそうとしない。
「大当たりの面白い映画を見られたみたいな感想だな」
「昨夜ダイチも使ったんじゃなかったっけ」
「そんなことより、そろそろ昼だからなにか食べにでも行かないか?」
都合の悪い台詞は聞かなかったことにして提案をしてみたが。
「ビザージュ以外だったら良いけど。今日はあたしがつくってあげようか?」
ウミノさんのいるビザージュに食べに行きたいわけでもないのにな。
「ここで食べるなら母さんがいるだろう」
「おばさんは急に仕事が入ったとかでいないはずだけど。気づかなかったの」
そういえば玄関の母さんの靴が消えていたような記憶がある。ミノルのブーツのせいで見落としてしまったのか。
「料理できるのか?」
「あたしの女子力の低さをなめるなよ」
「頼むから食べに行かせてくれ。ビザージュ以外で良いからさ」
「そんなにあたしとデートしたいとはダイチも可愛いところがあるね」
「そうだな」
コミュニケーション能力の差か、ミノルに言葉で勝てそうにないのでさっさと降参してバンザイをする。
「ねえ」
「なんだよ?」
部屋から移動し、スニーカーを履き玄関の扉を開けているとミノルが声をかけてきた。
「やっぱり今日はビザージュでデートしたくなってきちゃった」
「気まぐれだな。昨日……泣いちゃった店に行きたくなかったんじゃないのか?」
「ダイチのほうが行きたくないんじゃない」
「泣かせた本人と行くのはな」
なにか意味がありそうで、全くなさそうな笑みを浮かべながらブーツを履いたミノルが玄関の扉を通り抜けていた。
幸いかどうか分からないけどウミノさんは休みだったようでビザージュにいなかった。
それとおれの取り越し苦労だったのか制服姿ではないから別人だと思われたのか、後ろ指をさされずビザージュで昼食をとってから自宅に戻ることに。
「はあ。やっぱり我が家が一番だね」
「他人の家でそれを言われてもな」
「ダイチの部屋だから落ち着くのかなー」
「においを嗅がないでくれ」
ベッドの上で寝転がったミノルが鼻をひくつかせる。おれもカーペットの上であぐらをかいた。
「ミノル?」
あお向けになったままで動かないミノルのほうに立ち上がり近づいていく。眠っているようで寝息が聞こえてきた。
「告白をした男のベッドで眠るなよ」
ミノルにとって都合の良い夢でも見ているのか女の子が恥ずかしがりそうなだらしない顔つき。無防備というか呼吸と連動している腹の動きがどことなくなまめかしく見える。
眠っているのはただのやわらかい物体だと思いこみ……ヘッドホンをしてクリア目前のテレビゲームの続きをすることにした。
テレビのラスボスとの戦闘中だが、トイレに行きたくなって。ゲームのコントローラとヘッドホンをカーペットの上に置くと。
「彼女でもないのに放置プレイかよ」
ベッドから声が聞こえた。やわらかい物体もとい不服そうな表情のミノルがベッドの上で女の子座りをしていた。
「眠るほうが悪い」
「眠かったんだからしかたないでしょう」
「だからって男のベッドで眠るな。おれ以外だったらなにをされていたやら」
「お姫さま抱っことかされてたんじゃない」
「はいはい。そうかもしれないな」
トイレに行くため部屋を出ようとすると。
「さすがに相手は考えているから」
独り言だった可能性もあるけど、背後からそんなミノルの声が聞こえた気がした。返事はしないでおいた。
トイレから戻ってくると、ゲームのコントローラを握っているミノルが中断をしていたラスボスとの戦闘を勝手に再開している。
怒るほうが多数派なんだと思うが、すでに今回は個人的に負けを確信していたラスボスとの戦闘だからかスルー。
ラスボスに勝てそうな戦闘だったとしても放置プレイのお詫びだと思ってそうだな……と自己分析。
確かこのゲームはターン制コマンドバトルなので、コントローラを激しく動かす必要はないのだが。
「うむむ……えいっ」
なぜかミノルはボタンを押すたびにコントローラを上下左右に動かしている。わざと、やっているのかとも考えたけど目が真剣。
もちろん、声を出す必要も全くない。
ヘッドホンをしてないのに部屋の扉を閉めてもミノルはこちらに気づかなかった。
面白いゲームではあるが、これほどまでに熱中してもらえるなら制作した方々もうれし泣きをするだろう。
なんとなく声をかけることさえも悪い気がしたので部屋の扉の近くのカーペットの上であぐらをかく。
「あっ。あー」
ラスボスの攻撃でこちらのキャラクターがやられてしまったらしくミノルが声をあげている。
どうやら攻撃役のキャラクターがやられたようだな。それなら回復をさせればなんとか立てなおすことも。
回復させるのが得意なキャラクターがラスボスをぶん殴った。
「非力だな。この子」
魔法を使うのがメインのキャラクターに、ぶん殴るように命令しているからな。
とか頭の中でつっこんでいる間にラスボスの必殺の全体攻撃が発動してしまい、ゲームオーバーになっていた。
「やばい。ダイチに怒られるかもしれない」
「勝手にゲームしたぐらいで怒ったりしないわ。そこそこ面白かったし」
ミノルがこっちを見ている。なにを言っているのか分からないが動揺していることだけは確実だと思う。
「手が、勝手にゲームのコントローラを」
「なるほど。それでコントローラのボタンを押すたびに身体が動いていたんだな」
「そ……そのとおり」
ミノルが顔を赤くした。声がでていたことについても言及したいが泣かれてしまいそうなので自粛。
「ゲームしたことなかったっけ?」
目を泳がせているミノルに、四つん這いで近づいていく。
「あることはあるけど。最先端のゲームとかはしたことない感じ」
「最先端でもないがな、このゲーム」
レトロゲームというほど古くもないけど。
「怒った?」
「怒ってないって。それにミノルのゲームをしている時の姿を見られたわけだし」
「コントローラが勝手に動いただけで」
「口も勝手に動いちゃうんだな」
あっ……しまった。
すでに、色々と限界だったであろうキャパシティを超えてしまったのかミノルが叫んでいる。
オスとしてさらに成長した可能性もあるが今の目の前のミノルを不謹慎だがいとおしく思っていた。
きちんと釣り合っているのかどうかはあやしいけど、お互いに黒歴史を誰にも話さないということで問題は解決した。
「抜き差しならない関係になっちゃったね」
「そこまでじゃないような」
細かいことはさておき。ミノルが納得しているなら、これ以上やいのやいの言う必要もないか。
「で、あの化けものはどうやって倒すの?」
「ああ、ゲームの話か。今のレベルで倒そうと思ったらよっぽど運が良くないと勝てないんじゃないかね」
と言ったのにミノルはキャラクターの育成をするつもりはないようで、またラスボスに挑んでいる。
「レベル上げをしたほうが良いと思うぞ」
「そんなの面白くないじゃん。それにこっちが修行している間にこの化けものが強くなる可能性もあるでしょう」
システム的にそういう風に敵やボスが強くなるゲームもあるが、これは違ったはず。
どちらにしても、レベル上げみたいな単純作業をしてまでラスボスに勝つより。ミノルはゲームを楽しみたいタイプらしい。
「おっ。かっこいい曲だね」
そういえばヘッドホンをしてなかったからラスボスとの戦闘中に流れている曲をミノルは聞いてなかったっけ。
「できれば聞き飽きないことを祈るよ」
とりあえず……それぞれのキャラクターの特性を横でミノルに教えながらラスボスとの戦闘をすすめていく。
「ラスボスがこんなにかわいそうだと思ったのはじめてかもしれないな」
まさかラスボスに弱体化させる類いの魔法が効くとは思わなかった。
「なんで、ダイチは敵を弱らせる魔法をこの化けものに使わなかったの? こんなに便利なのに」
「先入観だな。普通こういうコマンドバトルのボスとかには弱体化させる魔法は効かないものだと考えるし」
「ゲームのプロが引っかかる罠ってことか」
「おれはゲームのプロじゃないけどな」
なんにしても初心者だからこそラスボスをこれほど簡単にやっつけることが。
「えっ? えー、そんなのありかよ」
隣におれが座っているのを忘れてしまったのかミノルが不満そうな声をだしている。
「これもゲームあるある?」
「そうだな。大体ラスボスは最低でも一回は変身してくるパターンが多い」
さっきまで人間に近い姿のラスボスが巨大な化けものに変身した。点滴を打っているのがなんともオシャレだった。
「さっきよりも強いよね?」
「わざわざ変身をして弱くなるほうが珍しいかと」
「確かに」
笑えることを言ったつもりはないのだが、ミノルがにまにまと笑う。さっきと同じようにラスボスを弱体化させようとしたが、魔法そのものが効かない形態のようだ。
「お手上げだね」
「こっちのキャラクターを強化させる魔法があるだろう」
「どれ?」
「これこれ」
気のせいかもしれないがミノルの勘みたいなものが悪くなったような。というか正解を分かっているのにわざと間違えている感覚。
「ミノル。なんか騙してないか?」
「騙してはないよ。ダイチにあれこれ指示をされるほうが面白そうって思っただけ」
それに女の子はいつだって男子にリードをされたいって気持ちがあったりするんだよ、とミノルが右肩にもたれかかってきた。
「あんまり男に」
「頭が痛くなってきて、たまたま近くにいたダイチにもたれかかっております」
やっぱりミノルに言葉では勝てなさそう。
ベッドで横になったほうが良いんじゃないか、なんて言えば看病か添い寝のどちらかをさせられることになりかねない。
「普通の男子は、頭を痛がっている女の子を後ろから抱きしめてくれるとか。聞いたことがあるなー」
「どこの国の常識だよ、その話」
「ダイチのおばさんから聞いた気がする」
「そんなハウスルールは教えてもらった記憶がないな」
両親ののろけ話を聞かされるなんて夢にも思ってなかったし。
「いたたたた……頭をピストルの玉が貫通をしちゃったみたいに痛い」
「命を落とすレベルじゃないか」
「うん。だから願いを叶えてほしいね」
本当にどうでもいい情報だと思うがやっつけたラスボスがさらに変身をしようと、不発だったようだな。
「頭が痛かったとしても、そういう関係じゃないのに抱きしめるのは駄目だと思う」
「ダイチくんは真面目だな」
「だから、これくらいで勘弁してくれ」
おれの右肩にもたれかかっているミノルの頭を左手でなでる。一応……いたいのいたいのとんでいけ、と心の中で唱えておく。
「あんまり女の子の頭は触らないほうが良いかな」
「そうだな。わる」
「あたし以外はね。だから、この大きな左手はあたしの頭をなでることだけに使って」
「日常生活に支障が出るから却下」
それにおれとミノルはカップルじゃない、という台詞を言うことはできなかった。
けど、ラスボスを倒すことはできてゲームの世界は平和になっていた。
「感動のエンディングだったね」
「結末しか見てないやつが言ってもな」
「そんなやつでも感動してしまうクオリティだったということで」
「まあ、それでも楽しかったのなら制作した方々も喜んでくれているはず」
「ダイチは楽しくなかった?」
ミノルが不安そうにおれの顔を見上げつつ口にしている。メンタルが強いのか弱いのか判断しづらい女の子だよな。
「おれも楽しかったよ」
「同情だったりして」
「女の子とゲームして楽しくないやつのほうが少ないかと」
「おっ。おおう」
予想外の台詞だったようでミノルが慌てていた。違うゲームをするつもりなのか彼女がディスクを入れ替えようと動いている。
「あたしは女の子ですか?」
「おれとは違う性別だからな」
「なるほど。誰もが納得する答えだ」
ディスクの入れ替えが完了したのか、またミノルが右肩にもたれかかってきた。ホラーゲーム特有のおどろおどろしい曲が、部屋の空気をどんよりとさせていく気がする。
「こわいのは苦手じゃなかったっけ?」
「ダイチがいるから平気」
本人も顔を赤くしているので、とくに反応しないほうが良さそうか。
「恋人じゃない女の子に優しくするから……こんなことになるんだよ」
「そんなに心配をしてくれなくても、ミノル以外の女の子にも優しくしているつもりだ」
「そっか」
可愛らしい返事とは裏腹にどこか不満そうな顔つきのミノルが、コントローラを力強く握りしめている。
今から苦手なホラーゲームをするから集中しているんだと思いこんでおいた。