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8話 ベールを被っていざ町へ

 枯葉に覆われた、気持ちばかり整えられている林道の上に、黒塗りの馬車がわだちを残していく。


「町は本当に遠くにあるのね。お仕事の時にたいへんでしょう?」

「ヴァンパイアにとって……少なくとも俺にとって、距離はあまり関係ない。だから、領地が遠くても問題はないんだ」

「転移魔法が使えるから?」

「そういうこと」

「転移魔法が使える吸血鬼はごく僅かなんですよ」


 ソフィアの素早い付け足しに、ベルトルトは静かに頷いた。


「あなたって、凄いのね」

「……別に」


 いきなり鬱々とした雰囲気を纏ったベルトルト。何が彼を不快な気持ちにさせたのだろうか。


 屋敷を出ると、鬱蒼とした森が広がっていた。窓の外では、蜘蛛の巣が道を塞ぎ、巣の中で眠っていた烏達がジルたちを見下ろしている。

 かれこれ、一時間は馬車を走らせているように思えた。いくらソファがフカフカだとしても、限度がある。

 ジルは痺れてきた足を小さくパタパタと動かした。

 ふと、ある疑問が頭をよぎる。


「さっきの言い方だと、いつもは転移魔法を使っていたのよね。どうして今日は馬車なの?」


 今思えば、使用人に紛れ込んでいた御者ぎょしゃが、馬車の前に呼び出された際に、「何十年ぶりだなぁ」というような言葉を洩らしていたような気がする。

 今になって不安を感じると、ベルトルトが不思議そうに首をほんの少し傾げた。

 本当に端正な顔立ちなので、このように可愛らしい仕草をされると、変な気分になってくる。また、人形ドールのようで怖さが引き立つ。


「あなたが魔法酔いしてしまうかもしれないから」

「……確かに、今まで耐えられた試しがないわね」


 気絶するか、倒れるか。そのどちらかだった。

 ということは、つまり、彼はジルを気遣って馬車を選んだということだ。嬉しいのか、気不味いのか、ジルの胸がざわつきだす。


「魔法酔いって、慣れることはできないの?」

「……どうだろう。魔法がまったく使えない人は、あなたが初めてだから」

「つまり、吸血鬼はみんな魔法が使えるってことね」

「うん、そう。指先に炎を宿らすことしかできない人もいるけれど」

「なるほどね……」


 どうりで、吸血鬼による何らかの事件が起こった際は、奇妙な現象が起こるはずだ。

 もちろん、毎回ではない。しかし、部屋の鍵が溶けていたり、夏なのに死体の一部が凍っていたり、足跡が部屋の外に残っていなかったり、そういった事象が高確率で起こるのだ。

 吸血鬼を相手取るのは、人間達が思っているよりもずっとハードなのかもしれない。


(そもそも、倒そうとするのが間違っているのかしら……ん?)


 再び窓の外を向うかと思ったその時、ベルトルトが動いた。ジルは顔を正面に戻す。

 彼は白いリボンの結ばれた黒い箱を取り出していた。


「それはなぁに?」


 身を乗り出して尋ねてみる。

 その時、窓の外がパッと明るくなった気がした。同時に、馬車が減速していく。


「町では、これを着て顔を隠してほしい」


 ベルトルトが取り出したのは、黒いレースのベールだった。

 顔を覆う部分は頭から鼻あたりまでしかないが、何重にも重ねられているため、どのような目をしているのかは分からないだろう。


「パウル家は穏健派だ。町も同じ考えをしている者ばかりだが、万一のことを考えて、顔を覚えられないようにした方がいい」

「わかったわ。目元を隠すだけなら仮面でもいいと思うのだけれど、何か理由があるの?」

「……この方が印象がぼやけるから」

「なるほどね」


 ジルは大人しくソフィアに頭を預けた。ジルとしても、多くの吸血鬼に顔を覚えられることは避けたいのである。


「もしかして、今日着ている私の服がお下がりなのも、何かの意図があってのこと?」


 そう尋ねると、ベルトルトは瞬きをした。


「夫人から聞いていなかったのか?」

「いえ、朝食の前に話しましたよ」

「朝食の前……あっ」


 浮かんだ朝の光景に、ジルは思わず声を出した。

 空腹で仕方がなかったジルは、目の前に置かれていく朝食に夢中で何も聞こえていなかったのである。唯一聞き取れた単語が、お下がりだったのだ。

 今日のメニューは、ベーコンとトマト、チーズのサンドウィッチに、フルーツ、ミルクたっぷりのほろ苦コーヒーだった。ボリューム感たっぷりのサンドウィッチの、美味しそうなことといったら。思い出しただけでお腹が鳴りそうである。

 ジルは心配そうに見つめてくる二人を前に、顔を逸らした。


「その、朝食が楽しみで、聞いていませんでした」

「まぁ! 食事を楽しんでいただけてよかったわ」


 ソフィアは嬉々とした声で手を叩いた。ベルトルトも笑みをこぼしたような気がする。

 ジルがゆっくりと顔を上げると、やはり彼は微笑んでいた。瞳が生温いように思えるのは、気のせいだろうか。


「その服は、わたくしが若い時に着ていた物ですわ。洗ってはいるけれど、ほんの少しにおいが残っているはずですよ」

「また狼人間に出くわすかもしれない。その時に人間だとバレれば、むしろ危うい状況になりかねないから」

「た、例えば?」


 喉をごくりと鳴らして、聞いてみる。


「……攫われて、屋敷はおろか、あなたの家にも帰れなくなる」

「そ、それって」


 ベルトルトの返答に、ジルの顔からサッと血の気が引いていく。

 その時、ソフィアがベルトルトの手を軽く叩いた。彼の肩が微かに跳ねる。


「こら、坊っちゃん。そのように怖がらせてはいけませんよ」

「……坊っちゃんはやめてくれ」


 ベルトルトはむっと唇を尖らせた後、ため息をついて言った。次いで、ジルへと振り向く。


「……すまない。怖がらせすぎた。あなたのことは俺が守るから、安心して町巡りを楽しんでほしい」

「わかったわ、ありがとう。あなたは二度も私を助けてくれたものね」


 信頼していると言わんばかりに、ジルは微笑んだ。

 しかし、ベルトルトはまたもや死人のような陰鬱な表情を浮かべ、押し黙ってしまった。慌ててジルは話題を変える。


「そういえば、『坊っちゃん』って呼んでいたということは、二人は、昔から続く仲なのね」

「ええ、そうですよ」

「あの屋敷のみんなも?」


 ソフィアは朗らかな微笑みを、困り笑いに変えた。「うーん」と小首を傾げている。その姿にも気品が漂っている辺り、彼女も名のある家の出なのだろう。

 彼女はベルトルトへと視線を向け、次いで口を開いた。彼は無機質な表情でジルのどこかを見ている(というより、どこも見ずに固まっている気がする)。


「私を含む一部の者は昔からの仲ですが、使用人のほとんどは新参者ですわ。働き始めて五年も経っていないんじゃないかしら」

「吸血鬼にとって五年はかなり短いんじゃない?」

「そうですわ。というのも、ベルトルト様が主人になられた時に――」

「ソフィア夫人」


 いつもより一オクターブほど低い、はっきりとした声で、ベルトルトが呼んだ。


「着いたから行こう」


 怒ってはいないのか、ソフィアにもジルにも視線を向けずに馬車の戸を叩く。

 すぐさま御者によって扉が開かれ、ベルトルトは外に出てしまった。そして、ジルに彼の手が差し出される。


(彼は何をしたのかしら?)


 また、なぜ、隠そうとしたのだろうか。

 疑問に思いながら、ジルは彼の手を借り、馬車から降り立った。


「わぁっ……!」


 目の前に広がった町の景色に嘆声を漏らす。

 狩人すらいなかった森とは反対に、町は買い物をする吸血鬼たちが行き交っており、太陽の下であるにも関わらず非常に賑やかだった。

 人間の町よりはやや色味が抑えられていれるような気がするものの、深紅や深緑、群青など、色とりどりの看板が掲げられている。石やレンガ、漆塗りの木など、建築物の素材も様々だ。レンガが少し多いだろうか。温かみのある茶色がかわいらしい。

 ベールのせいで、どれも見えにくいが、まぁ大きな支障はないだろう。


「やっぱり、太陽の光に弱いという話は嘘なのね」

「どうだろう。……ほら、あの店」


 ベルトルトが指したのは、日傘とベールがずらりと並んだお店だった。


「ヴァンパイアの瞳は、人間と同じで青が多い。あと紫。だけど、人間より光に弱い。少し痛む程度だけれど」

「言われてみれば、サングラスをしていたり、帽子を被っていたり、私と同じようにベールを着けている人が多いわね」


 キョロキョロと辺りを見回してみる。

 店で売られているベールは、レース製や、完全遮光など、色も素材もさまざまらしい。何人かの女性たちが、商品を手にああでもない、こうでもないと話し合っている。

 なるほど、これならばジルがベールを被っていても怪しまれないだろう。


「あ、瞳といえば、私を助けた時は紅くなっていたわよね?」

「興奮状態や、力を行使している際は眼が赤色に光るんだ」

「不思議な瞳ね」


 ジルはベルトルトの瞳をまじまじと見つめた。

 本当に、見れば見るほど美しく、不思議な瞳である。

 青いかと思えば、紫、黄、水色が幾重にも重なったような虹彩をしており、太陽の光を反射して、万華鏡のごとき絢爛けんらんさで輝いているのだ。紅く変色する際は、これまた違った美しさを放つのだろう。月の光や、シャンデリアの光の下でもまた異なった味を出すに違いない。


(恐怖の対象であった彼の瞳を、これほど美しいと思う日が来るなんて)


 連れ去られた日には思いもしなかったものである。

 引き続き魅入るように観察していると、彼はパッと顔を逸らしてしまった。

 尖った耳の先をじゅわりと赤らめ、口元を手で覆っている。


「……その、あまり見つめないでくれ。抑えられなくなる」

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