表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/26

5話 知らない世界に気付けば・上

 部屋に戻ったジルは、湯浴みをし、寝室にて少し早い夕食をとることとなった。

 身体に負担が少ないものを、ということで出されたスープを飲み干し、今は狼人間についてベルトルトに尋ねているところである。

 ベルトルトは消えかかっていた蝋燭に火を灯し、鮮やかな海色の瞳に、赤い光を揺らめかせた。


「古来、吸血鬼と狼人間は縄張り争いを行なってきた。森への人間の進出や、照明器具の発明、終わりのない戦いに対する疲労などから、少しずつ落ち着いてきているとはいえ、吸血鬼の時間感覚からすれば、かなりの頻度で小競り合いが行われている」


 ベルトルトの指先がツゥ、と蝋燭の煙を乱し、切り分けた。登る煙が狼のような形にぼんやりと固まり、消えていく。

 その様を眺めながら、ジルは口を開いた。


「もしかして、私が襲われたのは、花嫁を人質にして領地を強請ゆするため?」

「花嫁だと言われたのか?」

「ええ。彼等の話によると、この周辺の吸血鬼の間に噂が広まっているらしいわ」

「……なるほど」


 ベルトルトは指先で顎に触れ、冷めた瞳を床へと向ける。

 彼の長い指は人間よりも鋭く、狼人間よりも繊細な手つきをしていた。

 そして、死人よりも白い。……死人というものは、本来、白くはないのだが。これは例えである。


「理由があなたの言う通りなのかはわからない。けれど……俺たちの存在が怖いことは承知しているが、単独行動は控えてほしい」

「わかったわ」


 どこか苦しげで遠慮がちな彼に、ジルは迷いなく答えた。

 捨てられた子犬が拾われた時のような、困惑と嬉しさを滲ませた瞳でこちらを見つめてくる。


「……ここに、いてくれるのか?」


 心底意外と言いたげな表情の彼に、ジルは唇を尖らせた。


「不思議なことを言うのね。私をここへさら、連れてきたのは、あなたでしょう」


 どうして攫ったのか、と尋ねかけ、一呼吸置いて柔らかな表現に変換する。攫った張本人に驚かれる理由がわからない。


「君は、俺のことが……吸血鬼のことが、嫌いなのだろう?」

「えぇ、そうね。そうだったわね」

「そうだった?」


 ベルトルトはこてん、と、頭を小さく傾げた。その表情には不安の色が残されている。

 ジルが吸血鬼を恨んでいること。それを彼が知っていたことは、自身へ一方的な求婚をし、ここへ置いている理由の謎を深めた。

 しかし、その理由を知るのは、まだ先でいい。

 ジルはベルトルトへと向き直した。

 初めて真っ直ぐに捉えた彼の瞳は、恐ろしく、悲しいほどに美しい青色をしている。宝石のように煌めいていて、硝子玉のように透明で、青空のように澄んでいて、海よりも深い。幻想的な瞳。

 感じるはずがない懐かしさを胸の奥に隠して、ジルは深呼吸をした。


「助けてくれてありがとう。私、あなた達のことをもっと知りたい」


 まだ気を許した訳ではない。しかし、彼等を敵だと恨んでいいものなのか、今までの自分に揺らぎが生じているのだ。

 夜会まで時間の猶予はある。

 それまでに彼らを見定めたい。彼等が信頼に値する人物なのかを。

 自分が連れ去られた理由、花嫁に選ばれた理由も。


 ベルトルトはしばらくの間何も言わず、表情も崩さず、ただ静かにジルを見つめていた。

 不審に思ったジルは、覗き込むように彼の顔を見上げる。


「どうしたの?」

「……いや、その――」


 小さくはっと口を動かした彼は、しどろもどろに言葉を紡ごうとした。しかし、視線が逸らされ、扉へと向けられる。


「何が、きゃっ」


 ジルも釣られて顔を向けると、扉の狭い狭い隙間から、何者かの目がキラッと光った。目があった途端に奥へ引っ込んでしまう。

 次の瞬間に聞こえてきたのは、「あっ」という小さな叫び声と、扉にぶつかる大きな音。それこそあっという間に、ジルの前へ使用人達が転がり出てきた。広間で見た使用人たちと比べ、やや年齢が低いように見える。種族を考えれば、実際はジルより歳上なのだろう。しかし、見た目だけならば同い年に見える。人によってはジルより下に見えた。

 ふと、ベルトルトの深いため息が落とされる。怒りではなく、呆れのため息だ。


「……彼女がここに慣れるまでは、できる限り姿を現さないようにと言っていたはずだが」

「心配で心配で、つい」

「ベルトルト様の大切な方は、わたくし共にとっても大切な方ですから!」

「スープだけで足りましたか? オートミール、白湯、ホットミルク、何でもご用意致しますので、是非ともお申し付けください!」

「湯たんぽもできております!」

「毛布はいかがですか!?」

「えぇと、」


 ふと、呆気に取られているジルの前に、ベルトルトの腕がさっと上がった。


「彼女を困らせるな」

「あっ! すみません!」


 なんと息がピッタリなのだろう。使用人たちは一斉に頭を下げた。


「ふふっ」


 活発で、心温かな彼らの会話が微笑ましく感じられて、ジルは思わず笑みをこぼした。自分でも驚きながら、顔を上げる。

 すると、目を僅かばかり見開いていたベルトルトがこちらを見ていた。ほんの少し間を開けて、遠慮がちにふわりと微笑む。


「ど、どうしたの?」


 不覚にもドキリとしてしまったジルは、言葉を詰まらせながら尋ねる。

 ベルトルトは頭を振り、すぐに表情を引き締めてしまった。


「……いえ。それより、彼等が言っているように、何か欲しいものは?」

「湯浴みもしたし、スープは飲めたし、何も――」


 なかったはずなのだが、ジルのお腹がまたもや音を立てた。

 よくよく考えてみれば、今日の食事は先ほど食べたスープのみだ。

 恥ずかしさのあまり顔を覆うジル。その指の隙間から、ほんの少し頬を綻ばせたベルトルトの姿が垣間見えたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ