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3話 散歩という名の敵情視察

(あの言葉はいったい、どういう意味だったのかしら?……私のことを攫ったのは、あなたのくせに)


 泣きそうな声で呟いた彼は、あの後、また寝室から去っていった。そして、朝になった今も顔を見せていない。

 ジルは重い体を起こし、疲労でかすむ目を擦った。

 父はいつまでも子どもが心配なようで、なかなか認めてくれなかったが、徹夜は野営で慣れている。少なくとも、今より遥かに動けていたはずだ。


(それほど強いストレスがかかったのね)


 床へと足を降ろし、ベッド下からレッグホルスターを取り出した。弾が減っていないことを確認し、太ももへ括り付ける。

 その時、ノック音が部屋に響いた。


「おはようございます。お目覚めになりましたか?」


 声の主はソフィアだった。


「え、えぇ。おはよう」

「着替えをお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?」


 直前まで気配がなかったことに驚きながら、慌てて残りのホルスターを装着する。


「もちろん、いいわよ」

「では、失礼いたします。……あら、ひどいくまができていますわ」


 ソフィアは心配そうに眉を寄せ、ジルへと近付いた。ジルは思わず一歩、後退ってしまう。


「昼から庭を案内するようベルトルト様に頼まれておりましたが、明日になさいますか?」

「いえ! 大丈夫よ。むしろ動いた方が、夜眠りやすいと思うの。行きたいわ」

「かしこまりました。ですが、あまり無理はなさらないでくださいね」


 吸血鬼だとしても、同族同士なら心配し合えるのかもしれない。

 ソフィアの言葉に微笑んで、ジルは着替えを受け取った。

 時間は限られているのだから、案内してもらわないと困る。


「お着替えの後は、朝食と湯浴み、どちらを先になさいますか?」

「そうね……湯浴みだけさせて貰おうかしら。緊張しているのか、今は食欲がないの」


 嘘というものは、本当のことを混ぜると真実味が増す。

 緊張をしているのは本当だが、それが理由ではない。彼らから出された食べ物を極力とりたくないのだ。とはいえ、今にもお腹がなりそうなので、遅くとも明日には何かを食べることになりそうである。

 本当は、無防備な姿になる湯浴みも避けたい。しかし、汗や土がべっとりと身体についていて気持ちが悪いのである。

 また、吸血鬼の嗅覚は人間より敏感だと聞く。逃げた際に居場所を特定される原因になりかねないものは、できる限り対処しておく必要があるだろう。


「本当に大丈夫ですか?」

「えぇ、大丈夫よ」


 ジルは精一杯の作り笑いを浮かべ、着替えの表面を撫でた。



◇◇◇



 緊張しているでしょうから、とソフィアが気遣ってくれ、ジルは誰かに裸を見られることも、事件が起こることもなく、湯浴みを終えることができた。武器を側においたまま手早く身体を洗い終え、こっそりと屋敷の外を伺うことが出来たくらいである。

 そして分かったことだが、この屋敷はどうやら深い森の中にあるらしい。窓の外に広がる景色からは、家はおろか、なんの建築物も見つけられなかった。高い木々が延々と生い茂っているだけ。

 古めかしい石造りの屋敷を囲む、黒い鉛のような格子たち。森の上には、セージの煙を燻らせたような曇天が、太陽を覆い隠している。この広さは、屋敷というよりもはや城だ。


(……そして、深紅の薔薇が咲き乱れる庭園。まさに、吸血鬼の根城といった感じだわ)


 ジルは風に靡く髪を抑え、視界いっぱいに広がった薔薇たちを見つめた。

 長い道の先には、蝙蝠コウモリ羽を持つ奇妙な化物の、やけに大きな噴水が構えている。色はよくある白塗りだが、デザインが実に禍々しい。透明な水ではなく、血が出てきた方がお似合いだろう(もちろん、そんなことはなかったが)。


「お気に召しましたか?」

「えぇと……すごく、広いわね。薔薇たちも立派で、先が見えないわ」


 本来、薔薇は美しく、ロマンティックな花だ。しかし、血の色と重なるからか、今はむしろ恐怖でしかない。

 苦し紛れの褒め言葉を告げると、ソフィアはふふ、と笑みをこぼした。


「少し前まではこの先が見えていたのですよ。薔薇の花だけが、ほんの一部咲いているだけでした。先代は花を愛でるお方ではありませんから。それに、」


 ソフィアが、はたと足を止める。

 どうしたのかと彼女に振り向くも、「なんでもない」と首を振られてしまった。

 そして再び歩き出す。


「この庭園は、ベルトルト様が指示されて出来上がったのです。中には、あの方が一から育てられたものもあるのですよ」

「そうなのね……」


 何が目的なのだろうか。もしや、花を愛でる心があるのだろうか。俄かに信じがたい。

 逃げ道が見つからないか、辺りを見渡しながら噴水の横を通り抜ける。

 すると、ソフィアがゆっくりと指を上げた。


「例えば、あのスノードロップ。ベルトルト様が一番大切にされている花です」


 花の名前を聞いたジルの胸が、ドキンと跳ねた。

 ジルは、初恋の人にプレゼントを渡したことがある。その内の一つが、どこにでも売っている日記帳。

 二つ目が、スノードロップの押し花を使った、手作りの栞であった。


「そう、なのね」


 眉間の皺を取り除き、ソフィアの指先を追う。

 真っ赤な華々しい薔薇の先に、白くこじんまりとした花が、これまた小さな花を垂れさせていた。そららへと近付いて行ったソフィアの後ろに立ち、視線は地面へと向ける。


「もしかして、お嫌いでしたか?」

「えっ、そんなことは……ないわ。むしろ好きよ」


 あの頃は。

 心の中でそう付け足し、他の花へと目を向ける。

 よく見てみれば、今来たゾーンには薔薇以外の花が咲いているらしい。黄色やピンク、水色など、カラフルだ。名前まではわからない。いや、忘れてしまったと言えばいいだろうか。花を愛でる時間など、とうの昔に捨て去ったのだから。今では、武器を眺める日々だ。


(久しぶりに花を見たのが、この屋敷でなんて)


 ジルは小さく息を吐き出し、先へと進んだ。

 どうやら、庭園はかなり入り組んだ構造となっているようだった。

 道が四方八方へと伸びている上に、七、八割が薔薇の生垣なのだ。もはや迷宮である。


(奥の薔薇たちは、随分と昔から植えられているみたいね……あら?)


 素人目でもわかるほどに高い、薔薇の壁。甘い香りに惹かれるように、萎れそうになっている薔薇へと手を伸ばす。

 その時、


「いたっ」

「大丈夫ですか!?」


 ジルの指先にピリッとした痛みが走った。

 自分が予想していたよりも、棘が鋭く、長かったらしい。

 慌てて駆け寄ってきたソフィアによって、指を布でグルグル巻きにされる。


(……襲わないのね)


 血の匂いに我を失ったソフィアが、自分を襲ってくるかもしれない。痛みを感じた時にはそう、浮かんだのだが。

 実際のソフィアはというと、バケット並みに厚くなったジルの指を見て、ほっと息を撫で下ろしている。

 同族の血には反応しないのかもしれない。ジルのことを吸血鬼だと思っていることが、嗅覚を少し鈍らせたか。

 処置が大袈裟な気はするが、吸血鬼と話す気になれないジルは、そのままにして庭園視察を続けることにした。


(……それで、今のところ言えるのは、柵が高すぎるということね)


 図書室へ移動したジルの口から、深い深いため息が落とされた。


(まぁ、無理ではないでしょうけれど)


 高い上に、先端が鋭いことは気になる。しかし、突起がところどころにあること、柵を登る訓練をしてきたことから、逃げる方法としてはこれしかないと言えるだろう。

 問題は、逃げる時間帯と、どの方角から柵を越えるか、だ。

 図書室へは、それらのことを考えるべくやって来た。吸血鬼の習性が書かれた本があるのではないかと踏んでいる。

 このパウル家がかなりの家格ということは、ソフィアが言っていた通り、屋敷の規模の広さ(ただし内装はどこか古ぼけている)、ということから歴然だ。人間でいう貴族に当たるだろう。

 となれば、吸血鬼向けの医学書なり、歴史書なり、家系図なり、何かしら有意義な書物が置かれているはずだ。本にお金をかけていることは、棚に堂々たる面持ちで連なった本の数からも察することができる。


(それなのにどこかカビ臭いなんて、不思議だわ)


 カーテンを常に締め切っていることが原因かもしれない。今は、ジルが使うということでカーテンを開けてくれてはいるが。ここは二階だというのに、なんとも日当たりが悪い。

 そういえば、曇り空とはいえ、ソフィアは難なく外に出ていた気がする。太陽の光にさらされると灰になる、という噂話は間違っていたらしい。


(うぅーん……彼らを殺せるのか、ますます不安になってきたわ)


 これは、いい書物を探す他ないようだ。馬鹿正直に尋ねることなど出来ないのだから。

 取り敢えず、本を探そうかと足を踏み出す。

 その時、ソフィアの名を呼ぶ、しゃがれた男性の声が聞こえて来た。

 振り返ると、ソフィアが入り口で何かを受け取っている姿が見えた。相手の姿は、ちょうど壁に阻まれておりわからない。


「ジル様、お身体はどうですか?」


 彼女が持って来たトレーの上には、ハムとトマト、レタスのサンドイッチと、紅茶と、ただの林檎がのせられている。


(林檎……皮肉かしら)


 いや、それはいくらなんでも考えすぎだろう。空腹のせいで、思考がネガティブになりやすいのかもしれない。

 机の上に置かれたトレーへとほんの一瞬だけ顔を向け、ジルはお腹が鳴らないよう腹筋に力を込めた。


「せっかくだけれど、まだ食欲がないの。食事は……そうね、夜で大丈夫よ」

「そうですか? 念のためここに置いておきますので、お腹が空きましたら、ご自由にお食べくださいね」

「わかったわ」


 そう言って頷くと、ソフィアは心配そうに眉を下げた後、背後へと控えた。


(……さて、まずは大まかなジャンル分けを把握しましょうか)


 一つ一つタイトルを確認するには、量が多いのである。



(錬金術に、召喚術、魔物図鑑……怪しげな本はいっぱい見つかったのに、肝心の吸血鬼に関する本が一冊も見当たらないわね)


 ひんやりとした図書室の最奥を、ジルは棚を見上げながら歩いていた。まだ関連があるものと言えば、つい先ほど見かけたパウル家の家系図ぐらいか。

 歴史書の類は幾つかあったため、その中には何かいい情報が書かれているかもしれない。これらは、棚を回り終えた後に読む予定である。

 ちなみに、ソフィアには机付近で待機してもらっている。このひっそりとした空気の中で彼女が背後にいるなど、恐怖で気が触れてしまいそうな気がしたのだ。


(そうして正解だわ。この辺り、薄暗くてとても気味が悪いもの)


 床がギシギシと鳴るのも、気に入らない。

 ジルはこの詰まるような空気から逃げ出したく、近くの窓際へと移動した。

 琥珀色に輝く木枠を慎重に押し、外の空気を肺に吸い込む。どこにいても、森の香りは変わらないらしい。家の近くと似た匂いがする。


(……家か。お父様、きっとひどく心配しているに違いないわ)


 壁に背中を預け、小さく息を吐きだす。

 その時、ギシリ、と何かが軋む音がした。

 床ではない。背後からだ。


「オマエ、弱そうだな。新入りか?」

「むぐっ!?」


 耳元から、囁きに近い、興奮を滲ませた声が聞こえてくる。それと同時に、口元を抑えられてしまった。

 身体がグンと後ろに引っ張られる。胃が浮かぶ感覚と、吐き気と、冷や汗。

 先程見たばかりの曇り空が、やけに明るく感じられた。

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