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最終話 私が助けたのは、大好きな吸血鬼

「さぁ、できましたよ」


 涼しげな風が吹く部屋の中で、ソフィアが紅筆をそっと離した。

 鏡の中では、化粧を施した自分が固い表情を浮かべている。それでも、いつもより煌びやかな見た目は、ジルに自然と笑みを溢れさせた。

 ジルが身につけているのは、真っ白なウェディングドレスである。ダイヤモンドや金糸が散りばめられた、美しいプリンセスラインのドレスだ。肩がしっかりと空いているため、少し恥ずかしい。

 ちなみに、部屋の後ろには合計七着のドレスが置かれている。王道のヒラヒラAラインドレス、彼の瞳と同じ夜空色のマーメイドドレス、麦畑のように黄金色に輝くエンパイアドレスなどなど……本当、死にかけた翌日に用意されたとは思えないラインナップである。どれだけお色直しをするんだか。

 呆れ笑いを浮かべたその時、金色の光が窓から飛んできた。


「やっほー! いいドレスだね」

「魔女さん!」


 椅子から立ち上がり、真っ黒なミニドレスに身を包んだ彼女へと歩み寄る。そして、頭を下げた。


「昨日は本当にありがとうございました。おかげで、すっかり元気になったわ。傷口も跡が残っているだけなのよ」

「でしょでしょ。私がつくった最高品質の傷薬だからね」


 魔女は白い歯をニッと出して笑った。

 昨日、確かにベルトルトはジルの首に牙を突き立てた。しかし、その前に彼女が現れて止めたのだ。『なんでも占い券』を擦ってモフモフが呼んでくれたらしく、「吸血鬼にして助ける前に、傷薬を使ってみないか」ということらしい。

 結果、ジルは助かった。盛大な吐き気と頭痛に見舞われたが、夜になる頃にはすっかり治り、その後はよく眠れたものだ。ちなみに、何を使っているのかは、知らない方がいいらしい。

 要するに、結局のところジルは吸血鬼にはならず、人間のままであった。今後のことを考えれば、すぐに死なない吸血鬼の身体を得た方が便利なのではないかと思う。しかし、次に死にかけた時の最終手段になるため、よしとした。そのような日は来てほしくないが。……寿命を延ばすためならば、喜んで首をベルトルトに差し出すけれど。

 ふと、呆れたような表情で魔女がクスリと笑った。


「それにしても、事件の翌日に結婚式を挙げるなんて驚いたよ」

「本当にね」

 ジルも釣られて笑う。

「他の吸血鬼たちに姿を見られてしまった以上、結婚という既成事実をはやく作り上げた方が安全だろう、ということらしいわ」

「既成事実ね……じゃあ、閨事はもう済ませたんだ?」

「そ、それって」

「うん。つまりベルトルトとはもうね――」

「いいい言わなくていい! 言わなくていいから!」

「モゴッ」


 ジルは慌てて魔女の口を塞いだ。楽しそうにニマニマと細められた瞳が、ほんの少し憎らしい。ベルトルトが彼女を避ける理由がわかった気がする。油断ならないのだ。

 あらあら、と微笑ましげなソフィアの視線にも当てられて、ジルの顔がみるみるうちに赤くなっていく。その時、誰かが扉をノックした。自ずと肩が上がり、心臓が激しく音を鳴らしだす。

 しかし、入室したのはベルトルトではなく、使用人だった。お手上げとでも言いたげに眉を下げている。ソフィアが彼の背中を軽く撫でた。


「そんなに息を切らしてどうしたの? アナタはベルトルト様の衣装係の一人に任命したはずよ」

「それがですね……」

 使用人は気まずそうに視線を逸らした。


「ベルトルト様のメンタルが回復していません」

「よし、叩き起こしに行くわよ」


 棍棒を片手に、ソフィアが部屋を出て行く。

 前々から思っていたが、彼女と彼はどのような関係なのだろうか。



◇◇◇



 今朝目を覚ましたジルが最初に目にしたのは、今にも干からびそうなほどに落ち込んだベルトルトの姿だった。ジルが起きたことに気付いた彼が口にしたのは、「本当に俺でいいのか」という言葉。

 ソフィアの捕捉によると、ジルを助けるためとはいえ噛みつこうとした自分に、自己嫌悪を感じているらしい。彼曰くそれだけではないらしいが、詳細は教えてくれなかった。

 それからありとあらゆる励ましの言葉をかけて気分を立て直してもらったのだが、また落ちてしまったらしい。ソフィアのおかげで、今は身体的にも立て直したようだが。


 人間と吸血鬼の両者にとって負担が少ない時間帯を、ということで、結婚式は昼過ぎに行われることとなった。ティータイムにぴったりな時間だ。明るすぎず、暗くもない会場の入り口で、ゆっくりと息を吐き出す。

 ふと、隣にやってきたフェルツが腕を差し出してきた。


「緊張しているのか?」

「もちろん。……そういうお父様も、ひどく緊張しているように見えるわ」

 フェルツの顔は強張っており、扉の先を睨んでいるようにも見えた。

「そりゃあ緊張するさ。愛娘の結婚式なのだからな」

 ギリギリと歯を噛み出したフェルツ。どうやら、緊張とは少し違うようだ。

 ふと、彼の表情が和らぐ。


「……不安はある。だが、なによりお前が選んだ相手なのだからな。信じて任せるとしよう」

「お父様……」


 母が亡くなり、葛藤しながらも育ててくれた父。彼の言いつけを破り、実験室を見つけ、挙げ句の果てには数日前まで恨んでいた吸血鬼と結婚すると言い始め。翌日には結婚式を挙げるなど驚かないはずがないのに、こうして受け止めてくれるとは。また、彼を半ば裏切るような形で結婚の宣言をしたにも関わらず、ジルに対する信頼は今も続いている。

 吸血鬼を倒すことばかり考えるようになったとばかり思っていたが、フェルツは変わらずジルのことを気にかけてくれていたのだ。


「お父様。今までありがとう、これからもよろしくね」

「ああ。共に、本当の平和を目指していこう……お前の夫も含めてな」


 殺気とは異なった、身震いするような視線を先に向けたフェルツ。彼は顔を引き締めた後、ついに開けた扉の先を歩いて行く。その様子がどこか嬉しくて、ジルはほんの少し微笑んだ。


 恨めしそうにしているフェルツから腕を離し、ベルトルトの隣に立つ。

 ベール越しに見えた彼の表情は、大勢の前だからか、非常に当主らしかった。一縷の隙も見せない、竹のような凛々しさと、森のように深く構えたオーラを放っている。

 しかし、ジルは気付いていた。

 目があった瞬間に、ほんの少し涙が滲んだことを。


 二人の前で、司会者としてフェルツに呼ばれたジルの叔父が、顔を真っ青にしながら言葉を紡いでいく。


「えぇと……汝、ベルトルト・パウル。良き時も悪しき時も、貧しき時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、長き魂の灯火が消えるまで、ジル・パウルに愛を誓いますか?」

「はい。いついかなる時も、……例え死が二人を分かつとも、永遠に、新婦を愛すことを誓います」


 何故か場内が騒ついた。

 予行練習はしておらず、また、ジルの希望により文章を吸血鬼側に合わせることにしたため、何がおかしいのかはわからない。ただ、何人かの来客(主に貴婦人と御令嬢)が、顔面蒼白になってフラリと倒れていったことは確かだ。

 どうしたのかとベルトルトにこっそりと視線を送るも、彼は神妙な面持ちで司会者を見つめている。

 司会者の咳払いが、騒つく人々を叱責した。


「……続けます。汝、ジル・パウル。良き時も悪しき時も、貧しき時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、長き魂の灯火が消えるまで、ベルトルト・パウルに愛を誓いますか?」

「はい。いついかなる時も、ベルトルト・パウルを愛すことを誓います」

「では、指輪の交換を」


 またもや騒つき出した場内に、司会者の声が響き渡る。

 やはり、ベルトルトと同じ言葉を返せなかったことが良くなかったのだろうか。

 今まで参列してきた結婚式では、ジルが言ったような言葉ばかりを聞いてきたため、まさかあれほどしっかりと愛の言葉を述べられるとは思っていなかった。そのため、覚えきれなかったのだ。ベルトルトとソフィアには「短くていいから、思ったまま答えればいい」とだけ言われたのだが、周囲の反応を見てみると――


「ジル」


 ふと、彼がジルの手を掬い上げた。

 はっとして顔を上げる。ベルトルトは、ふわりと花が咲いたような微笑みを浮かべていたた。

 途端、パウル家に代々伝わるという指輪が音を立てて燃え盛り始めた。更なる響めきが起こり、令嬢たちが次々に息を吹き返し始める。


「パウル家は変わる。だから、この指輪は必要ない」


 令嬢たちがまたもや床に倒れていく。

 ソフィアがリングピローを手にしてやってきた。その上にのせられているのは、ブラックダイヤモンドとサファイアがちょこんと並んではめられた、シンプルなシルバーの指輪。


「どのような服を着た時にも着けられるよう、主張の弱いものを選んだ。ずっと着けていてほしいから。……順番が逆になってしまったが、婚約指輪はどうか、あなたが気に入ったものを贈らせて」

「ありがとう。気に入ったわ」


 ベルトルトは遠慮がちだがスマートに、ジルは少し拙い手つきで、お互いの薬指に指輪をはめた。自然と頬が綻んでいく。

 二人の瞳の色になぞらえた指輪は、今まで見たどんなアクセサリーよりもジルの心に染み入った。


「では、誓いの……その前に、永血えいけつの誓約を」


 今までを凌駕するざわめきが、場内に走った。司会者と同じようにジルは首を傾げる。参列者たちの様子を見るに、かなり重要なものらしい。


「ジル。どうか、俺の薬指を噛んでくれないか」

「へっ?」


 思わぬ彼の提案に、自ずと間抜けな声が洩れる。すると、彼が子犬のような憐憫を誘う瞳で、こちらを見つめてきた。


「……嫌だろうか?」

「うっ!……わ、わかったわ」


 ようやく気付いてきた、というより、認めるようになってきたのだが、どうやらジルは、ベルトルトのしょんぼりとした表情に弱いらしい。うまく説明できないが、ひどく居た堪れない気持ちと愛おしさで首を縦に振ってしまうのだ。今回も同じである。

 ジルはそっと、指輪に触れないよう注意しながらベルトルトの薬指を噛んだ。


「次は、俺の首に口付けて。……うん、ありがとう」


 心臓がまろび出しそうになるのを抑え、襟元から露わになった、美しい首筋にそっとキスを落とす。

 彼の言葉にようやく終わったのかと安堵したその時、ベルトルトがジルの手を取った。


「大丈夫、痛くしないから」


 何故か残りの令嬢が全員倒れた。

 ベルトルトがジルの薬指に歯を立てる。じんわりとした痛みはすぐに消え、ほんのり赤い跡だけが残された。

 今にも頭が火を吹きそうなジルの後頭部に、ベルトルトの細く長い指が回される。

 危険なまでに怪しげな紅い瞳に、身体の奥がゾクリと震えた。

 吸い寄せられるように頭が傾き、ジルの首筋にベルトルトの唇が触れる。はくはくと口を動かしている間に唇は離れ、ベルトルトはジルの前に膝をついた。


「ベルトルト・パウルは、あなたに永遠の服従と愛を誓います。あなたの血涙のみを生きる糧とし、あなたが死する時は共に朽ちると誓います」


 ベルトルトがジルの手の甲に口付けた。途端に赤い光が二人を包み込んでいく。

 ジルの全身を駆け巡った光は天高く舞い上がり、ベルトルトの首に巻きついた。そして、首輪のように輪を描いたかと思うと、弾けるように消えてしまった。


「これで俺は、あなたのもの」

「え、ちょ、ちょっと待って」


 ベルトルトは満足気に微笑んでいる。それはいいのだが、先程の宣言が気になって仕方がない。


「私の血しか飲めなくなったの?」

「そうだ」

「私が死んだら、あなたも死んでしまうの?」

「そうだ。まぁ、一年はかかってしまうだろうな」


 残念そうに頭を下げたベルトルトに対し、ジルは首を横に振った。

 待ってくれ。そんな内容だとは、聞いていない。


「なんで誓ったの!?」

「なんでって……もともと人間の血を飲むつもりはないし、俺にとってあなたのいない世界に価値などないから」

「だからってそんな! そんな……えぇ?」


 司会者は魔力に当てられて倒れ、ソフィアが彼を支え、参列者たちは放心状態、当の本人は花が飛んで見えるほど嬉しげで。ジルは頭がクラクラとするような感覚に襲われた。

 その中で、誰かが立ち上がった。

 誰だろうかと顔を向けて見えたのは、涙で顔をグチャグチャにした父――フェルツの姿である。


「ブラボー!」

「えっ!?」


 彼は拍手を送りつつ、涙を拭った。


「正直、出会って間もないちんちくりんがジルと結婚するなど許せなかった。吸血鬼の事情は、彼から貰った資料のおかげで理解した。非常にわかりやすく、よく纏められていたと思う。故に、吸血鬼を無闇に殺さないと決めたさ。だが、愛娘の夫となれば話は別だ。少しでもジルを泣かせるようなことがあれば、切り刻んで焚き火に投げ捨て、灰にしてでも殺してやるつもりでいたさ。だが!」

 フェルツは鼻を啜り、またもや涙を溢れさせた。


「娘に命の手綱を握らせ、捧げるその心意気! しかと受け止めよう!」

「お父様……」

「あっ、お父様呼びはまだ飲み込めていないみたいだ。やめてくれ」

「わかりました」


 そう言って、ベルトルトはわかりやすく落ち込んでしまった。頭と共に垂れた犬の耳が見える気がする。

 二人のやりとりが、人間だとか吸血鬼だとかではなく、ただの父親と婿のやりとりらしくて、ジルは思わず吹き出した。

 面白いことに、二人して心配そうにジルを見つめ始める。


「ジ、ジル?」

「ふふ、この調子なら仲良くなれそうね。安心したわ」


 ベルトルトもフェルツも、ジルの言葉に目をキョトンとさせた。それがまた、ジルを笑わせる。

 すると、ようやく意識を取り戻したらしい司会者が起き上がった。


「ゴホンッ。……気を取り直しまして、誓いのキスを」

「待て。それはシナリオに入れなかったはずだが」

「あっ、すみません。今までは必ずしていたもので、つい」


 そう言って、司会者はシナリオ本を畳んでしまった。


「どうして抜いたんですか?」

「それは……」


 彼の目が逸らされる。

 本当に、彼は肝心のところで距離を取ってくる。ジルとて積極的な方ではないが、じれったさを感じてやまなかった。


――故に、ベルトルトのネクタイを引っぱった。


 フェルツの叫び声とは反対に、小さな音をたてて唇が離れる。

 呆気に取られたような表情でこちらを見つめてくるベルトルトの耳が、じゅわりと赤く染まった。


「……あなたのことが好きなの。だから、今度こそ触れさせて」


 ベルトルトの瞳が、微かに見開かれた。


「本当に、あなたに触れて、いいのか?」


 彼の言葉に頷く。

 恥ずかしさに耐えきれず逸らした顔は、彼によって引き寄せられた。

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