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22話 あなただけでも

「ジル……お前、どうして、ここにいるんだい? それに、結婚、とは」


 フェルツに向き直したジルは、深々と頭を下げた。


「お父様、言いつけを破って、外に出てごめんなさい。地下の実験室も見たわ」

「……見てしまったか。でも、わかってくれるだろう?」


 フェルツの目が見開かれた。頭に手をやり、後悔したと言わんばかりに深いため息を吐く。

 彼の姿を見て、ジルは少し落胆した。微かに顔を横に逸らし、彼の言葉を否定する。


「吸血鬼を捕まえて、拷問をして、実験をして、根絶やしにしようと企んでいるお父様たちと、人間を無惨に吸い殺してきた一部の吸血鬼たち。私の目にはもう、どちらが悪いかなんてわからないわ」

「だが、吸血鬼を殺すためには、母さんの仇を打つためには、必要なことだったんだ。なのに、どうしてお前は吸血鬼と共にいる?」

「彼は、お母様を殺していなかったわ」


 今にも錯乱状態に陥りそうなフェルツ。それほどまでに、彼は追い詰められていたのだ。

 故に、ジルの言葉にただ表情を脱落させ、静かに首を横に振っている。


「お父様。お母様が病を患っていたことを、私に隠していたのね」

「どうしてそれを……」

「あの雪の日、お母様は病によって倒れたの。……確かに、私達が助けたベロールは吸血鬼だったわ。でも、人間の血を吸ったことは一度もなかった。だから、なかなか回復しなかったのよ」

「それで、母さんの血を吸ったというのか?」

「お母様が、それを望んだから」


 フェルツの目がはっと開かれた。否定するように必死に頭を振り、次いで、力なく地面に両手と両足をつく。ジルの言いたいことを察したのだろう。

 母は超がつくほどのお人好しで、優しかった。

 故に、死ぬ間際に「せめて誰かの役にたってからがいい」と、彼に願ったのだ。ベロール、つまりベルトルトの正体に気付けた理由はわからない。

 もちろん、虫のいい話だと思う人はいるだろう。あくまでこれは、日記帳に書かれた内容なのだから。

 ふと、ベルトルトへと目を向ける。彼もまた、微かに震えながら瞠目していた。

 大丈夫だという思いを込めて、彼の手をそっと握る。


「お父様も、本当は、気付いているんでしょう?」


 ベルトルトから一度手を離し、フェルツの元へ、仲間達の前へと近付いた。

 よく聞こえるように、今ここにいるすべての人の心に届くように。真っ直ぐに彼らを捉える。


「大切なのは種族ではなく、相手がどのような人物なのかを考えて行動すること。決して、同じ種族だからと一括りにしてはいけないわ」

「私は、私は……」

「あのね、お父様」


 フェルツの震える手を取り、ジルは微笑んだ。


「私はこの一週間、このお屋敷で、吸血鬼の彼や使用人達と過ごしたの。そしてわかった。全員じゃなくとも、吸血鬼だって、大切な人を守ろうと、喜ばせようとする温かさを持っていると」

「私を置いて、そちら側につくというのか?」

「ううん、違うわ。人間も、吸血鬼も、どちらも大切にしたいの」


 ああ、ようやく、父が父に戻った。

 唖然とした表情で見つめるフェルツの瞳から、涙が溢れていく。はくはくと口を動かす彼に抱き着くと、彼は小さく嗚咽を漏らした。


「私は、私はずっと、母さんの死を見つめなくなかったんだ。……彼らを恨んでいる間だけは、悲しみが和らいだんだ。でも、」


 嗚咽が一段と大きくなった。ふと、笑みを溢す音が耳に届く。


「……母さんらしいな。真相を知ってしまったなら、もう、これは使えないではないか」


 フェルツは銃から弾丸を抜き取った。ふと、彼の瞳がベルトルトを捉える。


「もしかして、あの青年がベロールなのか? 顔つきがとても似ている」

「本名はベルトルトだけれどね」


 警戒心はまだ残っているが、消えるまでは時間の問題だろう。

 ベロールだと認識しても、撃ち殺そうとしなかったのだから。


「……彼からも、きちんと話を聞いてみよう」


 フェルツの表情からは、憎しみは消えていた。次いで、銃を完全に下ろす。


「撤退だ。……帰って、今後の方針を立て直そう」


 安堵しつつ顔を上げると、仲間達が複雑な表情でこちらを見つめていた。しかし、誰も否定はしない。


 人間と吸血鬼が共存すること。

 それは、茨の道になるかもしれない。ジルの寿命が尽きた後にも続くのかもしれない。

 それでも、人間がいたずらに殺されないために、殺された者を持つ者が吸血鬼を殺そうとし、恨んだ吸血鬼に殺される、悪循環を断つために。行動し、歩み寄り続けていきたい。もちろん、初恋の人と共に。


 そのためにはあともう一つ、言わなければならない、いや、確認しなければならないことがある。


(ペーター、あなたが――)


 突如、辺りに銃声が鳴り響いた。

 ジルの目の前で、白い髪が揺れて、落ちていく。

 ドサリと音をたてて倒れたのは、ベルトルトだった。

 顔を上げて見えたのは、苦しげに顔を抑え、煙の上がる銃口をこちらへと向けるペーターの姿。


「銃を下ろせペーター!」


 仲間達がペーターを捕らえる。

 ジルはベルトルトに駆け寄り、名前を呼んだ。虫の息のような彼の手が、みるみるうちに冷えていく。

 服を破り、探し出した傷口に当てるも、血はどんどんと溢れてきて。

 どうして。ペーターから見て、自分がベルトルトを遮る位置に立っていたはずなのに。

 撃たれるとしても、それは自分だったはずなのに。

 どうして、どうして、


「どうして止まらないの!」


 そう叫んだ瞬間、ジルの頬に、血で濡れた冷たい手が触れた。

 はっとして顔を上げる。

 ベルトルトが、穏やかでいて泣き出しそうな表情で、微笑んでいた。


「……どうして、結婚、するのか、だった、な」

「話さないで! 今血を止めるから!」

「聞いて。これは、助からない」


 彼の言葉にジルは息を呑んだ。


「まさか、ペーターはヴァン――」


 腹部に、熱い痛みが走った。

 少し遅れて認識したのは、二つ目の銃声。

 気付けば、ジルはベルトルトの隣に倒れていた。


「こいつ! 予備の銃を袖口に隠してやがった!」


 腹部に触れると、赤い血が指にべっとりとこべりついていた。

 薄らぐ視界の中でペーターを探す。彼は、怒りに震える身体を仲間達に抑えられながら、ブツブツと何かを呟いていた。

 だめだ。彼は、仲間達では抑えきれない。

 だって、彼は――


「だめだ!」


 ペーターが、仲間達を鋭い爪で押し退けた。


「ジル、君だけは、君だけは、吸血鬼と結ばれてはいけないんだ!」


 乱れた集まりの隙間から、ペーターが人間離れした速さでジルの元へと飛んでくる。

 彼は、吸血鬼ヴァンパイアを唯一、簡単に倒せる存在――ヴァンピールだった。

 身体に鋭利な爪がジルに迫る――その前に、ジルはベルトルトへと口付けた。

 血で濡れた、真っ赤な唇で。


 瞬く間に眩い光が視界を覆い尽くし、ペーターの短い断末魔が弾けるように鳴り、消えた。

 チカチカとする中でようやく認識できたのは、ジルの目の前で空を睨むベルトルトと、キラキラと輝き降り注ぐ、赤色の粒子たち。

 綺麗だと呟いたジルの髪を、ベルトルトの震える手が撫でる。


「どうして、俺を助けた」


 彼の問いに、ジルはただ微笑んだ。

 賭けだった。長い間血を飲んでいない彼に、少しでも血を与えることができたなら。今まで以上の回復力を彼は得るのではないかと、予想したのだ。


「助けられるとわかっていながら、放っておくなんて、できないから。……それに、あなたのことが好きだから」

 だから、死んでほしくなかった。あれは、ほぼ反射だ。

「言葉の続きを聞かせて?」


 だめだと首を振るベルトルトの手を握る。

 死を悟ったのか、彼は震える唇をそっと開いた。


「……俺は、あなたに嫌われるこの世界から、はやく消えたいと思っていた。あの夜、あなたに出逢った時、最後の夢を見てからにしようと決めたんだ。それなのに、」


 彼の涙が、雨のようにポツリ、ポツリと落ちてくる。


「それなのに、今は、あなたがいるこの世界で、あなたと共に生きたいと願ってしまった。……いかないで」


 ベルトルトはジルの手を握り、ただ静かに嗚咽を漏らす。気付けば、周囲には屋敷と組織、両方の仲間達が出てきていた。ああ、血の匂いに釣られてはいけないからか、吸血鬼側はソフィアと料理長だけか。

 ふわふわする心地と、申し訳なさ、悔しさをひしひしと感じる。

 ペーターは、吸血鬼による連続殺人事件の真犯人だった。狼人間の何人かが目撃していたらしい。グリフィンに乗って飛び去る前に、あの頭が教えてくれたのだ。理由まではわからない。ジルを撃った理由もわからない。

 自分が、彼をもっと警戒していたなら。人間をターゲットにしているのだと思い込んでしまったのが、間違いだった。

 そう、絶えかけた息を吐き出した時、フェルツが隣に膝をついた。

 ベルトルトを真剣な眼差しで捉えている。


「吸血鬼にしたいと願いながら失血死するまで血を飲めば、人間を吸血鬼に変えることができるのだろう?……君なら、娘を助けることができるんじゃないか」

「できません。俺には、俺には……」


 ベルトルトがキツく唇を結んだ。

 残った力を振り絞り、彼の手を強く握る。

 はっとした表情を浮かべたベルトルトは、ジルと、フェルツ、仲間達、最後にまたジルを見つめて、眉間に皺を寄せた。


 小さく何かを呟いて、彼はジルの首筋に牙を突き立てた。

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