表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/26

1話 隠し隠され・上

『きみのおかげで、ぼくはじぶんのことが少しだけ好きになれたよ」


 耳にたこができそうなほど繰り返される、この言葉。声はもう思いだせないはずなのに、やけに頭から離れない。

 初めて会った日に見せた泣き顔も、いたずらされて泣かせてしまった時のすね顔も、プレゼントを渡した時に見せた笑顔も、すべて、噓なのに。

 なのに、今でも心が、その時の記憶に残されたままの気がしてならない。

 吸血鬼は、人間を惑わせ、残虐非道に捕食する殺人種だ。ろくでもない噓つきだ。

 そう、必死に自分に言い聞かせてきた。


(吸血鬼といえば、私はさっきーー)


「はっ!!」


 ジルは勢いよく上体を起こした。突然目に飛び込んできたカラフルな視界に目を細める。

 どうやらジルは、立派な金の椅子に座っているらしい。デザインは、自国の両陛下が使うものに近いだろう。


「きゃ」

「――静かに」


 恐る恐る隣に視線を移したジルの口を、例の美青年が塞いだ。

 青い宝石のような瞳が、ジッとこちらを見つめている。森の中での記憶では、紅かったはずなのに。これでは、彼と同じではないか。

 苦悶の表情を浮かべたその時、青年がジルの耳元に唇を寄せた。視界の端で、白い髪がふわりと揺れる。


「……命が惜しいなら、静かにしていて」


 小さく頷くと、納得したのか、青年の手が離された。

 ジルは引き続き恐怖に震え上がりながら、視線を逸らす。

 その先には、使用人の服に身を包んだ者たちが、ズラリと並んでいた。瞳の色は、青と紫が多いだろうか。パッと見たところ、紅はいない。


「ベルトルト様」

「ムッ」


 突然、年長の執事らしい人物が声をかけてきた。ほんの一瞬見えた牙に、思わず声をもらしてしまう。

 慌てて自分の口を塞いだジルへと、執事の視線が向けられる。そして、再び青年へと戻った。


「こちらの方が、先ほど仰られていた方ですね?」

「ああ、そうだ」


 なんのことだ。そう視線で訴える。

 すると、青年はジルをまた見つめだした。威圧さえ感じられる美しさに、たじろぐ。

 整った目鼻立ちに、涼し気な目元、頬に影を落とす長い長い睫毛、柔らかそうな薄い唇。陶器のように白い肌には、毛穴一つ見つからない。あどけなさと、大人っぽさ。アンバランスな美しさと、危うい儚さ。人形のような冷たさを持つその顔立ちは、まさに人外。

 彼が吸血鬼でなかったならば、見惚れてしまっていただろう。


(でも、それはもしもの話で、今は恐怖と嫌悪しか感じないけれど)


 負けじと青年を見つめ返す。しかし、彼はすぐに立ち上がってしまった。そして、ジルの手を取りーー


「俺は、この女性――ジルと結婚する」

「はっ、はぁ!?」


 広大なダンスホールに、ジルの盛大な声が響き渡る。おまけに、こだままで。

 気絶から意識が覚め切っていない頭に、突然ハンマーを容赦なく叩き落された気分だ。

 拍手をするつもりだったのか、使用人たちは両手をみっともなく前に突き出したままである。その様子を気に留めることなく、ジルは口をパクパクとさせながら、青年を睨みつけた。

 その頭を、青年が愛おしむように抱き寄せる。ぽす、と音をたてて、額が彼の胸元に当たった。


(ギャーーッ!?)


「すまないが、今は――」


 言葉の先は、二度目の気絶によって掻き消された。



◇◇◇



「う、うぅん」


 まだ揺れる心地がする中、ジルは目を覚ました。

 あまり時間は経っていないらしい。ぼんやりとした視界の先では、青白い月光が床をほのかに照らしている。


(いったい、何が起きているの?)


 明らかに自室のものとは違う、やけにフカフカでいい香りのするベッドから起き上がる。

 その時、脇で何かがうごめいた。


「ジル様。お身体はどうですか?」

「キャーー!?」


 突然現れた白髪の婦人らしきメイドに、またジルは叫び声をあげた。女性は「あらあら」と言わんばかりに眉と頭を下げている。


「驚かせてしまいましたね、申し訳ございません。わたくしはソフィアと申します。ベルトルト様からジル様のお世話係を任命されましたので、どうぞよろしくお願いいたします」


 ソフィアは顔をあげ、柔らかに微笑んだ。


「皆様には『ソフィア夫人』と呼ばれていますが、お好きなようにお呼びくださいな」

「ジル様……」


 ぽそりと呟き、ソフィアへと僅かばかり目を向ける。彼女は穏やかな微笑みを浮かべたままだ。

 人畜無害そうな婦人に見えるが、彼女も吸血鬼なのだろう。

 よく見てみれば、彼女は白ではなく、淡いクリーム色の髪をしていた。だが、髪色からはどのみち年齢を推測することはできない。


「お嬢様がパウル家に嫁がれて、わたくしは嬉しいです」

「嫁ぐ……? パウル家に……?」

「はい。パウル家は由緒正しき吸血鬼の家柄なのですよ。そして、ベルトルト様は、若くして新当主となられた有能な方ですわ」

「由緒正しき……きゅ、吸血鬼の……当主……?」

「はい」


 よりいっそう人のよさそうな微笑みを向けるソフィアを前に、ジルは内心頭を抱えた。もちろん、表にはいっさい出していない。

 どうしてこうなったのだろう。ベルトルトというあの青年とは初対面のはずだ。パウルという家名も聞き覚えがない。

 第一、ジルは吸血鬼ハンターで、彼は、彼らは、吸血鬼の名家らしいのだから。

 プロポーズされた記憶など、人間を相手にしてもない。


「そういえば、」

「な、なに」

「正式発表は一週間後の夜会で行われるとのことですが、寝所は本日から同じにしておきましたよ」


 ジルの思考が止まった。

 鼓動は変わらず鳴りっぱなしである。


(ど、どういうこと? 本当にあの青年は私と結婚する気なの? 何を企んでいるの?)


 そんなの、冗談じゃない。


「えぇと、その、人違いじゃないかしら?」

「合っている」

「ヒッ!?」


 突如聞こえてきた声に、扉の方へと顔だけ振り向けば、青年が壁に寄りかかっていた。不機嫌そうな真顔で、腕を組んでいる。


「でっ、出た……!」


 青年は鼻から小さく息を突き、壁から離れた。つかつかと歩み寄ってくるその圧力に後退する。吸血されるどころか、このまま刺殺されそうだ。

 迂闊に武器に触れるわけにはいかず、ジルは彼をただ見上げ続けた。


「……ついて来て」


 青年はジルの手に触れることなく、出て行ってしまった。戸惑いながらも後を追う。

 ソフィアが差し出した寒さ避けのショールは、もちろん断って。

 名前しか知らないソフィア夫人よりも、恐らく自分を助けたのであろうこの奇妙な青年の方が、同じ吸血鬼でもまだいいように思えたのだ。どちらとも二人っきりになりたくないことを前提として。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ