14話 見えない扉
「本当にありがとうございました!」
無事救出されて子供を抱き、涙しながら女性が告げる。
次々とお礼の言葉を告げる人々に会釈をして、ジルたちは馬車へと戻ることにした。
もちろん、コウモリは隣を飛んでいる。
(町の人たち、すごく喜んでくれたなぁ)
安堵と喜びを混ぜ合わせた、涙に濡れた顔を思い出す。
彼等を見て、ジルもまた子供を助けられたことにホッとしたものだ。今は胸の奥が温かくなっている。もしあのまま助けに行かず、子供が銃で撃たれていたらと思うと、恐ろしくてたまらない。本当に助けられてよかった。
ありがとうと言った子供の顔は、ひまわりのようだった。そのことに微笑ましいと、頬を綻ばせる。
その時、ある疑問が浮かんだ。
「作戦では、ベルトルト様はもっと先で合流する予定だったわよね? どうして出てきたの?」
「……あなたが心配で、ずっと陰から見ていた」
日はすっかり落ちてしまっていた。
青い夜空の下で、彼の白く細い髪が流星のように輝いている。
その姿が美しくも寂しげで、ジルは彼の服の袖を引いた。馬車へと向かっていた彼の足が止まる。
「ありがとう」
そう言ってベルトルトを見上げる。
彼の瞳には、困惑の色がほんの少し滲んでいた。
「あなたはいつも、私を助けようとしてくれているわよね。それは、私があなたの花嫁だから?」
「それは……」
彼は、困ったような表情で目を逸らすベルトルト。
その姿を見て、ジルはふっと笑みを溢した。
「気になるけれど、話さなくていいわよ。優しくて仲間想いなあなたのことだもの。何か理由があるんでしょう」
服の袖から手を離し、冷たい彼の手を取る。そして、ジルは再び歩き出した。ベルトルトは無言で引っ張られている。
「私、あなたと会えてよかった。使用人のみんなの優しさだったり、町の人々の活気ある生活だったり、仲間意識だったり。……プロポーズには驚いたけど、あなたと出会えなかったら、そのことを知らないまま、あなたたちを恨んでいたはずだから」
ちらりとベルトルトを視界の端で覗いてみる。彼はやはり、悲しげな瞳を地面に向けていた。また、何かに気付いたようにはっと口を開けている。
その理由を知る日は来るのだろうか。例え知ることができなかったとしても、今は、彼の花嫁として生きてもいいのではないかと――。
ここでジルははたと気づいた。
(プロポーズはされていない気が……)
ゆっくりと頭が横に傾いていく。しかし、理由は聞かないと決めたのだ。気長に待とう。
「ジル」
馬車に着き、離れたその時のことだった。
振り向いたジルの指先に、ベルトルトが触れる。
「どうしたの?」
「……夜空の中を歩きたいと思ったことは」
そう尋ねた彼の瞳は憂いを帯びていて、それでいて、どこか熱っぽい。
彼の熱に呼応するように、ジルの胸が跳ねた。
「歩きたい」
自然と口が動く。
途端、ベルトルトがジルの身体をふわりと抱き上げた。風の音も、重力もなく浮かび上がるも、ほんの少しの怖さに目を瞑ってしまう。
「目を開けて」
クスリと嬉しげに笑う声が聞こえた。
開けた視界いっぱいに、眩い星々が広がっていく。
「わぁっ……すごい、すごく綺麗……!」
髪を撫でる風、次々と流れゆく星達、いつもより近づいた大きな月。
ジルは、夜色の瞳に星を映し出した。
「私、私ね、ずっと空を飛んでみたかったの」
感動で言葉がうまく出てこない。
この美しい光景を、子供の頃に、どれだけ夢見てきたことか。
「知っている」
「えっ?」
感嘆の息を洩らしたその時。
ベルトルトがジルのヴェールを捲った。
太陽のように眩しく、月明かりのように神秘的な光が降り注ぐ。
「……綺麗だ」
幸せそうに彼は微笑んだ。
月明かりが二人に影を落とす。淡い光がベルトルトの髪を揺らし、あまりの神々しさにジルは思わず目を細めた。
少し潤んだ、求めるようなベルトルトの瞳。
彼も同じなのだろうか。
赤い満月に吸い込まれるように、流星群が見守る中で、そっと影が重なり合った。
「すまない」
しかし、重なったのは影だけで。
ベルトルトはジルの肩から手を離した。薔薇のように甘美な香りが、残り香のように漂って消えていく。
「ベルトルト」
「えっ?」
「俺のことは、ベルトルトと呼んで。……様なんてつけないで」
哀愁がこもった、縋るような目で見つめられる。
「ベルトルト?」
「……うん」
彼は満足感に微笑んだ。ジルはただ、言われた通りに名前を呼んだだけなのに。
冷たい彼の手を取って歩く夜の散歩道は、あっという間にも、長い夢を見ているようにも思えた。




