9話 暖かい心と冷たい手
「(吸血衝動を)抑えられなく……? わ、わかったわ」
こくこくと頷く。その時、誰かが駆けてきた。
「久しぶりだな」
「はい、お久しぶりですね!」
知り合いだろうか。足音へと振り向いたジルは、前へ出たベルトルトの背中から顔を出す。
そこには、緑色のエプロンをつけた茶髪の青年が、カラフルな花束の積まれた箱を手に、立っていた。太陽のような笑顔をベルトルトに向けている。海のように深い瞳はキラッキラだ。
ふと、青年の視線がジルを捉えた。「おっ!」と分かりやすく目を見開き、次いで期待するような目でベルトルトを見上げる。
「もしかして、ついにお嫁さんを見つけたんですか!?」
「……静かに。今はまだ誰にも話さないでくれ」
「わかりました!」
吸血鬼とは思えないほど元気な返事だ。中身も若いように思える。
「あっ! そうだ、お祝いにこれを!」
青年は思い出したように箱を漁り、一際目を引く薔薇の花束を取り出した。ソフィアがひとまず受け取り、次いでベルトルトへと渡す。
そして、ジルの前にやって来た。華やかな見た目に似合う、豊かな甘い芳香がぶわりと広がっていく。
「二人は知り合いなの?」
「はい! ぼくがこうして祖父の仕事、花屋を継ぐことができたのは、ベルトルト様のおかげなんですよ。他にも、ベルトルト様のおかげで守られたお店や業種はいっぱいあります。新しく職を得た者もいるんですよ」
「へぇ、そうなのね。何をしたの?」
「それはですね!」
ベルトルトに尋ねてみるも、返事はなく、代わりと言わんばかりに青年が意気揚々と飛び出した。
「実は、パウル家はもともとか――もごもごっ」
「話さなくていい。それより、このあと仕事があるんじゃないのか?」
「あっ! そうでした!」
青年は片手で頭を掻き、次いで勢いよく頭を下げた。重そうな箱を片手で持つ辺り、やはり彼は吸血鬼らしい。
「式場の花はぜひうちに任せてください! 全力で、最高の会場にしてみせますから。では、失礼します!」
ジルに追加の花束を渡し、青年は走り去って行った。
「あなたって、町の人たちに好かれているのね。こんなにいっぱい貰っちゃったわ」
ジルは大きな大きな薔薇の花束を「ほら!」と言わんばかりに抱えた。色も、王道の赤やピンクに加えて、白、黒、黄色など様々だ。
「嬉しそうだな。薔薇は好き?」
「そうね、最初は血のようで怖かったけど、今は……どうしたの?」
ほんの少し彼の指先がピクリと動いたように見えた。
尋ねてみるも、読みが外れたらしい。ベルトルトは首を踏った。
「何でもない。それより、花束を馬車の中へ入れよう。これから歩くには邪魔になるだろうから」
「あぁ、確かに持ち歩くには多いわよね」
どれだけベルトルトに会えたことが嬉しかったのだろうか。ジルはクスリと笑みをこぼし、花束を座席の上へ置いた。
ベルトルトの元へと戻り、はたと気付く。
彼の存在に気付いたのか、町民の何人かがこちらへチラチラと視線を向けているのだ。嫌な視線ではない。花屋の青年のような、好意と好奇心とが混ざった、羨望の眼差しだ。
(いったい、何をしたらこれほど尊敬されるのかしら)
しかし、彼は聞いて欲しくなさそうである。
困ったものだと頭を捻ったその時、ジルの鼻先が甘い香りを察知した。
釣られるままに歩いてみると、コーヒーカップの看板が目印の、レトロな雰囲気を纏うカフェがあった。
透明なショーケースの中には、ガトーショコラやショートケーキ、イチゴタルトや、薔薇の砂糖漬け(瓶)が飾られている。お土産用として、コーヒークリームを挟んだダックワーズ、ショコラやコーヒー味のマカロンも置かれていた。
(それだけじゃない。レーズンバターにチェリーボンボン、オランジェットまであるわ!)
その中に、琥珀糖のようにツヤツヤと光る、赤い何かが透明なグラスの容器に入れられていた。
薔薇を飴でコーティングしているように見える。
(とっても綺麗だわ。美味しいのかしら?)
「それが気になるのか?」
ジルの隣に、ベルトルトの美しい横顔が並んだ。
「あっ、ごめんなさい。急に離れてしまって」
「いや、後ろについていたから大丈夫だ。気にせず好きに見て回っていい」
「後ろに?」
まったく気配がなかった。足音も聞こえなかったように思う。
「さっそく買って来ましたよ」
「わっ!」
不思議に思いながら首を傾げてショーケースを眺めていると、ソフィアも隣にやって来た。顔を上げたジルの前に、キラキラと輝く宝石のような薔薇が差し出される。
「凄い綺麗……!」
思わず嘆息を洩らしてしまう。
(どうしましょう。今食べるか、帰ってからのお楽しみにするか……うーん、悩ましいわ!)
四方八方から薔薇を眺める。すると、ベルトルトが店の中へ入っていった。ジルも遅れてついていく。
中に入ると、彼がちょうどケーキ箱を……五箱も受け取っている姿が目に入った。
「おや、いらっしゃいませ。素敵なレディー」
店主らしき、エレガントな紳士がこちらへと微笑む。キッチリと着こなしたシャツとベスト、柔らかく撫でつけたグレーヘア、穏やかな目元の皺が、熟成された魅力を醸し出している。
レディーと呼ばれたのは初めてで、その粋な呼び名に内心ドキドキとしながら、ジルも今できる限り美しい所作で礼をした。次いで、ベルトルトの隣へ着く。
「ベルトルト様のお連れ様でしたか」
「……ああ」
いつから見つめていたのか、ベルトルトの瞳がジルから逸らされた。
彼を見て、店主が微笑ましそうに笑う。
「黒い髪が美しいレディーですね。肌も雪のように白く、温かそうです。頬紅がお似合いですよ」
「えっ、あ、ありがとうございます」
ぽっ、と頬に熱が集まる感覚がして、ジルは思わず両頬を挟んだ。
途端に、ベルトルトの背によって店主の姿が隠れる。顔を出そうとするも、上手いこと動きを合わせられてしまい、出来ない。
「……予定があるので、今日はここで」
そう冷たく告げて、ベルトルトは出て行ってしまった。
「では、また!」
ジルは店主に再び礼をして、ベルトルトを追うように外へ出た。
「ねぇ、どうしたの? 仲が悪いようには見えなかったけれど」
薄い氷の膜で箱を包んでいるベルトルトへ尋ねてみる。
全て包み終わると、彼はソフィアへ箱を渡し、ジルへと振り向いた。
「んむっ」
ジルの口に何かが触れる。
ベルトルトの指先から落とされたそれを掴んでみる。あの薔薇の花弁だ。唇がほんのり甘い。
「食べて」
「えっ」
いきなりどうしたのだろう。
困惑を露わにしてベルトルトを見上げると、彼はスタスタと歩いて近くのベンチへと座った。近くに川が流れているのか、後ろには大きな噴水が水音を響かせている。
彼は隣を開けたまま、ジルをジッと見上げた。
(私が食べ歩きを嫌がっているように見えたのかしら?)
ベルトルトの隣に腰を下ろし、訝しみながらも花弁を口に含む。
カリッと音を立てて噛んでみると、薔薇の香りが口内を満たし、鼻へと抜けていった。綻んでしまうような、甘くて、まろやかで、ゆったりとした香り。
目を閉じ、味わうように、嗅ぐように、ゆっくりと飲み込んでいく。
(うん、美味しい。……だけど、)
どこかで食べたことがある気がする。
きっと、沢山食べた訳ではない。今のように、小さなカケラを摘んだ程度だろう。
ただのデジャヴなのか、本当に食べたことがあるのか、どちらなのか分からないほど微かな懐かしさが感じられる。
最後の甘露を飲み干して、ジルは目を開けた。
「わっ」
ベルトルトがこちらを見つめており、思わず驚いてしまう。
彼は身体を傾けて、真剣な表情を浮かべていた。観察するような目付きが、ひどく落ち着かない。
「味はどう?」
「美味しかったわ」
「……そうか」
ベルトルトは目を閉じ、ふっと笑った。
次いで開かれた彼の瞳は、どこか嬉しそうに見える。
「あなたがこの町のものを好きだと言ってくれたなら、俺はそれだけで充分だ」
「あなたが育てた町だものね」
ジルとて、自分の町を褒められたら嬉しいものだ。
「だから、好きなものを買って、食べて、楽しんでくれ」
「本当にいいの?」
「もちろんだ。次はどこへ行きたい?」
「そうね……あっ!」
ジルは辺りを見渡した。そして、はっと目を見開き、勢いよく立ち上がった。
「あれ! あそこに行きたいわ!」
ベルトルトの手を引き上げ、走り出す。
「待って」
くんっと後ろに身体が傾き、ジルは後ろを振り返る。
そこには、呆気に取られた表情でこちらを見やるベルトルトの姿があった。顔はのぼせたように赤い。
「その、手」
「この方が迷子にならずに楽しめるでしょう?」
「……怖くないのか?」
「あなたのことを信じるって決めたから」
ニコッと微笑んで、ジルは今度こそベルトルトの手を引いた。




