漢皇、色を重んじて傾国を思ふ
サブタイトルは、お察しの通り長恨歌からとなります。
キャラも、この時代の歴史の人物に着想を得ているものが多いです。
タグ通りハッピーエンドとなりますので、長恨歌通りの展開にはなりませんのでご安心ください
「あー、疲れた」
部屋にやってくるなり、麗霞の第一声である。
「お疲れ様でした」
としか、明玉は言えない。
やはり、身体検査が長くかかったのだろうか。
「そんなわけないでしょ」
よほど、疲れているのか麗霞が頬杖をつく。
「武恵妃への挨拶に、ただただ待たされたのよ…」
予定としては、麗霞が暮らすことになる王徳妃への挨拶だけだった。
しかし、武恵妃と皇后が、麗霞の前評判を聞きつけて、拝謁を受けると言ってよこしたのだ。
つまり、挨拶に来いというわけである。
ちょうど、麗霞たちもそれなりに装いを整えている。
受けて立つ、とばかりに、”拝謁賜りたい”と返した。
当然、すぐに応諾の返事が来て、麗霞は明玉以外の世話役と一緒に、皇后の住まう宮へと足を運んだのである。
ところが、多少は予想できたことだが、皇后と武恵妃が、その日の予定を変えて支度を整えるという名目で麗霞たちを待たせた。宮の外で、太陽が高い位置から陰りを見せるまで、延々と、である。
流石、後宮。
気候は悪くない季節なので、その程度で、表情を変える麗霞ではないが、皇后と武恵妃に優雅に挨拶を済ませたあとは、部屋でふてくされるぐらいがしたいのである。
今日は、昼ご飯を食べる時間なかった。お腹が空いたので、麗霞の部屋ではただいま厨房から、夕食のお取り寄せ中である。
他の世話役も皆疲れているだろうと明玉が行こうとしたが、なぜか、麗霞の前に座らされている。
「内廷の門から、後宮まで歩いた時に、結構人が見てたでしょう? 印象に残った人はいる?」
と言われても、明玉は貴族でないため、貴族の顔と名前が一致することがほとんどない。
しいて言うなら、
「紫の衣の貫禄のある人達が、3人もいて、ちょっと驚きました……じっと見てたけど、見とれてるって感じでもなかったので、わざわざ、名家当主格の方が、麗霞を見に来たのだと思います」
年齢的に60近い人ばかりだった。
とするなら、想像するに皇后の実家である趙家か、現在の寵妃の実家である武家の人だろう。
「やっぱり、そこから連絡行って、牽制してきた感じか」
と麗霞は小さく呟いた。
そして、にんまりと――楊家の中でも滅多に見せないような悪い笑みを明玉に披露する。
「私、よっぽど皇上好みなのね?」
すでに、勝利を確信している顔だった。
「早く、皇上の目に留まる機会を捉えないとね。楽なり舞を披露する機会があればいいのだけど…」
と麗霞は、思案を巡らせる。
そして、唖然としている明玉に視線を戻して、ふふ、っと笑った。
「私はもう、ここから出られないもの。なら、やることは一つでしょう?」
後宮に送り込まれた女として、使命を果たしに行く覚悟はあった。
この国は広大な領土を抱え、今や異民族も集まる場となっている。他国の風俗、宗教に寛容である一方、それをたった一人の皇帝を頂点する強大な官僚組織によって公平に統治する制度だ。同じ宗教で緩くつながった小さな王国が併存して牽制しあったり、あるいは王の力こそ強いものの奴隷が後宮で次代の王を生むような仕組みの地域とは間違いなく異なるのだ。
この国の政治は、間違いなく、後宮の――その裏にある、妃たちの実家の影響を色濃く反映している。
そう、口にする麗霞は、普段より口が軽い。
余程疲れているのだろう。
ようやく運ばれてきた食事に、麗霞が口をつけ始めた。
胡桃と芋の炒め物や、魚のあんかけなど食材は豪華だ。時間が遅くなってしまったので、冷めてしまっているが、それでも麗霞の表情が和らぐ。
「明玉から見ると、オカシナ生き方よね」
黙って話を聞いていた明玉は、そこで答えを求められていたことに気付いた。
(確かに…)
ど庶民の明玉の生き方は、逆に麗霞には自由すぎて雑に見えるだろう。
「生き方…というか、国のあり方という意味で不思議に思うことがあります。なんで、この国には後宮が必要なのだろう、と」
麗霞は、家に求められた生き方を極めているのだから、それを不思議に思ったことはない。
しかし、アンドリューに聞くと、そもそも後宮という制度を宗教上、持てない国も西にはある。
他国でも、ここまでの規模を持つことは少ない。
漢皇、色を重んじて傾国を思ふという詩が、国外に出回るほど、この国の後宮は大きいのだ。
ぶっちゃけていいなら、この国に皇族ってそんなに色欲が強いのだろうか…と聞きたい。皇帝一人のために、二千人余りの女性を集めるというのは、合理性を欠いている気がする。
(でもそれで、強いとか言われても嫌だな…)
色欲王に支配された国なんです! といったら、大陸の覇権を握る幻唐国の格のようなものが台無しではないだろうか。
と、小声で答えた明玉に、麗霞が噴出した。
「ちょ…色欲王って……その発想はなかったわ…」
麗霞の肩が震えている。
余程、ツボに入ったのか、目尻に浮かんだ涙を拭って、茶を飲んでからようやく口を開く。
「確かに、そうよね…二千できくのかしら? それに、漢皇、色を重んじて傾国を思ふ…って、そんなの出まわっちゃってるの…あらぁ…って感じね」
庶民は皇帝を知らないから、余計に想像が膨らむのだ。殷の紂王が、美女を侍らせて酒色に耽り、悪政を行ったという故事が知られている影響も大きい。
実際は、今上の皇帝はまだ29歳なので、おとぎ話で流布されるような老人ではないし、酒色に耽っている話もないし、悪政に民が苦しんでいる事実もない。おそらく、今までで一番豊かな時代を民は享受している。
「皇上って、どんな方なんでしょうか」
と、明玉は麗霞に尋ねた。楊家はそれなりに高級官僚を輩出している一族だから、皇帝を見る機会もあるだろう。
「政の場では、言葉こそ少ないが、官僚たちからの直言を重んじ、民を思い天下を治める名君と聞くわ。美丈夫だとも」
だから安心して後宮に行けと、麗霞は送り出されたのである。
皇帝は後宮では一際音楽を好み、自ら作曲した今日を披露することもあるほどだというので、その好みに合わせて麗霞は一通りの楽器と舞を叩きこまれた。
「私、琵琶と舞には自信があるのよ」
箸をおき、食事を終えた皿を下げさせる。
天女が肩にかけるような薄い布の飾りを、披帛というのだが、その中でも普通より長く、普通ならば床を引きずる長さのものを麗霞は手に取った。幅も広く、一見、実用的な長さではないそれをかけたまま、腕を広げてくるりと回る。ふわりと披帛が舞った。
明玉が広げておいた空間が役に立った。
そのまま、麗霞は舞い始めた。
手を大きく前に振った反動で披帛も前へと投げ出される。小刻みに後退りながら手の振りの何倍もの大きさの弧を描く布の軌道は、空に絵を描いているかのようだった。麗霞が掲げた手首をくるくると回すと、まるで、薄布が生き物のように空に静止した。何かに気をとられたかのような麗霞の視線の移動に合わせて、大きな円を描いて布は後方へと引き寄せられ、天に引き寄せられるかのように上昇する。
すべて麗霞の手技だが、麗霞の身体全体の動きは緩急に富んでいて、全身をくねらせるかのように角度を変え、あるいは大きく身を逸らし、美しいポーズを決めているのである。やたらめったらに、腕を動かしているように全く見えない。まるで薄布が生きて、纏わりついているようだ。
普通、宮廷舞踊は数多くの女官が、動きを合わせて踊る。
だが、誰も麗霞にはついて来られない、と舞に疎い明玉ですら分かった。
身をくねらせた時の腰の動きや、身を大きく逸らしたときの角度が、そもそも常人離れした柔軟性と体幹に支えられている。そこに、指の先よりさらに遠い位置にある布を操る膂力と技術となると、もはや余人をもって代えがたい。
ただただ圧倒される明玉に、満足げに麗霞は笑いかけた。
「やっぱり踊るとスッキリするわね」
明玉を言葉を失うほどの舞だったというのに、麗霞にとっては全力ですらなかったらしい。
「お茶入れて」
と言われるがままに、茶器を手に取る。
明玉からお茶を受け取りながら、麗霞は楽しそうに言った。
「この舞を見せれば、皇上も私を無視できないと思うの。そもそもこの舞を皇上から隠すなんて罪。まずは、後宮内であのお妃様方に、舞を披露する場を作りたいの。作戦会議しましょう?」