怒られながら求婚されました
そして、冒頭に戻る。
「僕言ったよね? 来年も挑戦すればいい。それまでは僕の父の店で働いてもいいって。結婚だって君が納得してからでいいって……でも、こんなやり方でそれをぶち壊しにするぐらい不安だった? それは僕も納得できないよ。それぐらいなら――僕と結婚しよう」
アンドリューの怒気に身を竦めていた明玉は、最後の言葉にきょとんとなって彼を見た。
(あ、あれ…?)
怒られながら求婚されるという事態に、明玉も頭が追い付かない。
というか、怒られながら求婚されるってなんだ?
大事なことだから2回言った。
「あの…話を、聞いてほしいのだけど…」
とりあえず、どさくさ紛れの求婚は脇に置いておくことにして、明玉は麗霞の提案を説明した。
麗霞の”既婚”の世話係として後宮入りするという話だ。期限は1年。後宮から支給される俸禄以外に、麗霞――というよりか彼女の実家である楊家が、明玉に謝礼を払う。 後宮とはいえ、明玉の宮廷職業体験のような話だ。
「都合がよすぎて怖い」
と明玉は正直に言った。アンドリューの方がその当たりの情報には詳しい。
「うーん……金額感としては相場だと思う…」
明玉が怖いというのは、庶民と貴族の格差のせいである。
「”既婚”では入れば、安全なのも事実だと思う…」
”既婚”で入った場合、他の宮女たちとは異なる衣装を身に着けることが許されているし、皇帝のいる場に出ていく仕事もほとんどない。もちろん、妃候補を皇帝が集めて眺めてこの子、というような場には出ていかない。皇帝もあえて既婚者を召すという話は聞かないから、”既婚”で入ってなぜか皇帝のお手付きになる心配はほぼない。お手付きにならなければ、規定通り後宮の外に出ることが可能であるし、仕事を辞めることももちろん可能である。
「騙そうって感じはしないな」
とは、アンドリューも言った。
内心、
(あの、女狐!!)
と思っていたりするが。
アンドリューが焦るのを見越していたような、明玉の言葉選びだった。絶対、あの女は、こういう会話になるとわかってやっている。見た目は大人しそうな美女なのだが、楽器を弾かせても躍らせても超一流。あれは才能もあるが、血の滲むような努力の証だ。それで大人しいなど考えられない。気性をあえて覆い隠すような振舞いをしているのだろう。後宮入りが決まっている貴族の娘となれば重圧があるのだろうと納得するが、庶民としてはお近づきになりたい相手ではない。
アンドリューが好きなのは、明玉のようなまっすぐな女性なのである。
「そもそも、麗霞が私を雇う利点ってあるかなぁ…」
と明玉は、アンドリューの目の前で首を傾げている。
(同窓で気心が知れた、競争相手になる心配もない、恩を売っておけば任官して強い味方になるかもしれない人なんて、そうそういないけどね)
貴族の娘たちは後宮入りするなら皆、潜在的な競争相手だ。庶民出身で、貴族の娘の足を引っ張らない程度には教養を身に着けた者は希少なのである。
明玉にはその感覚はない。なので、明玉だけにこのまま悩ませていたら、明玉はこの話を断るという結論にしかならないだろう。だからあえて麗霞は、アンドリューに相談しろと言ったのだろう。
アンドリューも貴族の娘たちの競争意識は理解しかねるが、女狐の策に乗ってでも、欲しいものがひとつある。
「まあ面白がってるところはあるかもしれないけど……やっぱり話し相手は同い年がいいって我儘かな。流石に同級生で、貴族だったら、後宮入りしたら競争相手になる。既婚者って親世代になるから、監視役に思えるんじゃないか?」
それらしいことを言えば、
「そういう考え方か!」
と明玉は手を打った。
利用価値がある、より、害がないと言われた方が、やっぱり納得だ。
明玉が麗霞より優れているものなど、思いつかない。
「同い年で競争相手にならないって確かにいないかも。やっぱり、後宮入りは、貴族でも不安になるのかな」
「麗霞にとっては、一生出られない場所になるよ。まあ、1年ぐらい支えてやるのもいいのかもね。麗霞とそんなに親しくなかったのなら断っても問題ないとは思うけど」
「そうだね…ん? なんか”後宮入り”にすごくアンドリューが理解を示してくれている気がする!」
生まれ育った場所に二度と行くこともない麗霞に思いを馳せてしんみりした明玉だったが、ふと話の流れの変化に気付いた。
「そうだね。明玉が行きたいと思うなら、賛成する。条件は何も悪くないからね」
「むしろ、断る理由がないの」
アンドリューが開く店の準備を手伝いたいなら、この話は無し、だろう。だが明玉は科挙に未練があった。ただ単に働きながら科挙を再受験して合格を目指す、という目的に沿うなら、正直に言って、麗霞の話の方が圧倒的に有利なのだ。明玉のやりたいことを指針にすると、麗霞の話を断る理由はない。
「そうだろうね」
明玉は着飾ることにあまり執着がないから、アンドリューが開こうと思う店の商品を見て、心が浮き立つということはなかった。
アンドリューの口元に苦笑が浮かぶ。
(明玉の気を引くなら宝飾品より文字だからねぇ、実際)
「この話を引き受けたいって言ったら、アンドリューは困る…?」
と明玉は恋人を見上げた。
背は高いがいつも穏やかな青年だ。先ほどの激高はすでにすっかり鳴りを潜めている。
「引き受けること自体は困らない。でも、明玉が後宮から戻ってこなかったらものすごく困る――だから、この話を引き受けるなら、僕と今すぐ結婚しよう」
やっぱり、結論は結婚だった。
「いやそれおかしいでしょ」
なんで後宮に入るから結婚するという意味の分からないことを言いだすのさ、と頭を抱えたのは明玉の弟、光龙 である。基本的には姉に来た春を喜ぶ光龙 なのだが、付き合い始めて数か月で結婚は早い気がするし何より理由が、後宮に入るためという状況にはツッコむしかない。
「もう少しゆっくり考えたら?」
「考えてたら、麗霞が後宮に入っちゃうから」
手紙とかでやり取りすればいい気もしたのだが、後宮に入ると実家とのやり取りも難しいのだろうか? と光龙 は首を傾げる。
「入ってすぐには、手紙も出しにくいよ」
と、明玉は答えた。
そこそこの家の出でありその容貌から比較的高い位を得ることが入内の時から決まっている麗霞でさえ、手紙であっても外部とのやり取りに制限がないわけではないので。それこそ皇后や、貴妃、淑妃、徳妃、賢妃と言われるような正一品の四夫人くらいまで上り詰めれば、誰も文句は言わないだろうけれど。
うーん、と光龙 は唸った。
「いやでもおかしいでしょ」
「まあ…ちょっと順序が違うのは認めるけど…僕はちゃんと責任をとるよ? だからそんなに心配しなくても」
「し、心配じゃなくて」
「うん」
「……」
「明玉と光龙 って仲いいよね」
光龙 は反対するのを諦めた。
「父さんと母さんの説得、どうすんの?」
今は、明玉と光龙 の家で、両親が仕事に出ている間に、アンドリュー交えての作戦会議中なのである。
「いつもの通り、好きにしなさいって言われそう」
とは明玉の見立てだが、
「流石に止めると思う」
が光龙 の意見である。
「事情については、楊家からも書状をもらってきたよ。後宮での雇用の契約書も」
とアンドリューが二通の手紙を取り出す。
「想像以上に条件良くてびっくりするよ」
と明玉が片方を開いて見せて、
「うわぁ、手回しいいな」
と光龙 が引き、
「麗霞がね」
と明玉が答えた。
アンドリューの怒りながら求婚の翌日、楊家から使いがやってきて、麗霞から明玉にあてた手紙とこの2通、合わせて3通を置いていったのである。
はじめは麗霞の見た目の美しさにぽーっとなっていた明玉だが、ここに至っては麗霞はサカらってはいけないぐらい有能な女性という認識になっている。
(あと、たぶん、結構な野心家で自信家)
ちょっとそんな女性に目を付けられて自分大丈夫かと己の将来が不安になった明玉であるが、もはや立ち止まれないところに来ている気がするので怖いことは考えないことにした。たぶん、麗霞は結構な野心家で自信家であるが、悪意の塊というわけでもない。
「ホントだ…1年働いただけで、3年は遊んで暮らせるな…ていうか、このまま働くのもありな条件じゃないか?」
「期限は1年って書いてあるでしょ」
浮かれる光龙 に釘を刺す。
この手紙を見せて、果たして両親は何というか。
いつもの通り、
「好きにしなさい」
という話で、落ち着くのだった。
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