試験に落ちたこともだけれど、弟がオトメンすぎて辛い
科挙の最終試験を省試という。
貴族たちの必須教養である、儒教と詩文、時事問題である策――つまり作文がある。
(…できた気がしない)
儒教と詩文はそれでも、教科書があるから何とかなるのだ。しかし、宮廷に一切の伝手がない庶民は、時事に触れる機会がない。案の定、策の強化は手ごたえがなく、明玉は帰ってくるなり落ち込んだ。
「お帰りー」
と明るく迎えてくれる家族にも、ちょっと今は元気ないので、と言って部屋に引きこもる。食欲もなくて、その日は気絶するように寝て朝も起きれなくて、火が高くなった頃、呆れた弟に、
「明玉ー」
と部屋に乱入され、
「糕、蒸したからいい加減起きろ、何か食え」
と布団を引っぺがされ、
「抹茶にすんの? 煎茶にすんの?」
と至れり尽くせりの要望受付まで。
「煎茶で…」
彼なりに明玉を心配しているのである。
食卓に出てきたのは、手のひらの大きさの綺麗に形の整った糕だった。小麦粉を鶏卵と練って一晩生地を寝かせてから蒸す手間のかかる料理で、ちぎってひとくち食べるとわかるが
「甘…」
甘みをつけるので、贅沢な逸品である。しかし、これは思い切った甘さ。ちょっと奮発しすぎではないだろうか。
しかも、いつもより大きめ。
大きいので蒸にむらができやすいのだが、生地がきめ細かくて一部の隙もないのは素晴らしい。
「え、これ、光龙 が作ったの?」
「俺以外に誰が作るんだよ。父さんも母さんもとっくに仕事行ったぞ」
口調だけ大層男らしいが、やっていることは繊細だ。
開放的な幻唐国でも、料理は女がやることが多いという意味でも珍しい。
時々明玉も思うのだが、明玉と光龙 は、何かを入れ替えて生まれてきてしまった感はある。なお、あまり細かいことを気にしない両親の放任主義で、お互い好きなことをやっているため、姉弟仲は悪くない。
明玉がもぐもぐしていると、光龙 が茶を入れて食卓に一緒に座る。
「大丈夫だと思うぞ」
「(もぐもぐ)」
「あれだけやって報われない訳ないだろう」
そうあってほしいが、何とも言えない。
食べているうちに、少し気持ちも回復してきた。試験の結果がでるまで、学校に行くこともない。
「夕食は私が作」
「らなくていい。俺の方が上手い」
ぶった切られた。光龙 の方が明玉より料理上手なのは事実である。
もちろん、光龙 も明玉が人並みに料理できることは知っているが、ぽーっとした状態で作って怪我でもされたら嫌だとは思っている。それぐらい、今日の明玉はぽーっとしているわけだ。それに、明玉が別に料理が好きでないことも、光龙 は明玉と一緒に十数年暮らしているのでよく知っている。
「うーん、ならワンタンがいいなぁ」
「…わかった」
そして、後日、やはり張り出された合格者の名前に明玉の名前がなくて、落ち込んだ。心底、アンドリューに一緒に来ないでもらってよかったと思う。
というわけで、トボトボと帰った家で、お祝いの準備だったのだろう。明玉の好きなご馳走を光龙 がせっせと作っており、なぜかちゃっかり明玉の家に上がっているアンドリューが、給仕を手伝っている。曲がりなりにも客に良いのか!? と思ったが、細かいことは気にしないは明玉の家ではいつものことだった。
「これを一人で作ったのはすごいな」
と、アンドリューは、光龙 に対してやたらと感心していた。
「料理、裁縫、家事全般完璧…オトメンか」
「なにか言った?」
「いや、なんでもない。明玉はこういうのが好きなんだな」
とたまに料理を確認しているが、確かに明玉が好きなものばかり並べられている。光龙 は明玉の好みをよく知っているから、ご馳走として取り揃えたのだろう。
気付くと、ご馳走は並べ終わり、アンドリューもちゃっかり席についている。
さて、こうしてご馳走が並べられていると、落ち込むに落ち込めない明玉である。
(光龙 …気持ちは嬉しいけど…もうちょっとタイミングを考えてほしかった…)
そういうところが抜けているから光龙 なのだが。
ひとまず事実として、合格者の張り出しに名前がなかった――つまりは落第だったことを伝える。
「そうか…科挙は難しいから科挙なんだなぁ」
「あんなに頑張ったのにねぇ」
「そうすると、明玉、仕事探すのか?」
「うちに来るのはどう? 洛陽で店を開く準備中だから、人手は本当に欲しいんだ」
順に明玉の父、母、弟、アンドリューである。
一応、理由は付けているとはいえ、さり気なさを一切捨て去ったアンドリューに、明玉の父、母、弟はにこにこしていた。
弟の光龙 は得意技、料理という変わったところはあるものの、庶民としては顔も中の上ぐらいの優男で、恋愛至上主義。16歳になるが、ここ数年、付き合う異性を切らせたこともない。一方、明玉は本人が好きでやっているとはいえ勉強漬け。異性の影なしで18歳。アンドリューの存在は、彼らを安心させた。異国の血を引くことは名門貴族の間では好まれない要素だが、ど庶民でおおらかなこの家の住人は、そんなことは露ほども気にしない。
アンドリューが旧知で、両親同士も交流があり、かつ本人が正面切ってやってきた漢気もあって、明玉の父、母、弟は歓迎ムードである。
「う…ん…」
せっかくのご馳走も、これではあまり楽しめない。
科挙の夢は見たけれど、ここは良縁に恵まれたことに感謝して前に進むべきだろうか。
明玉は手元のさらに視線を落とした。
綺麗に飾り切りされた野菜がある。 光龙 の力作である。乙女か、と言いたくなるほど光龙 は可愛らしい発想の持ち主である。
(あまり家に閉じ困るのは、向いてない気がするんだよね…)
そうなると、結婚より、仕事を探すことになるだろうか。
明玉の浮かない顔に、もちろんアンドリューは気づいていた。
(光龙 に味方になってもらえるのは嬉しいが…)
「明玉、うちにっていうのは、急かしたいからじゃないよ。働きながら勉強して、科挙を受け続けてもいいと思う」
科挙は受験資格を得るまでも大変な試験で、普通は予備試験も通らない。
明玉は最終試験まで至っているだけで、折り紙つきの優秀な人材だ。変な虫がつかないようにしたいアンドリューの気持ちがないとは言わないが、普通に、商人として雇いたい人材なのである。
「働きながら…?」
勉強する時間がとれるかちょっと不安になるが、それもありかもしれないと明玉は思考を巡らせた。
市井の男性は、実際、働きながら科挙に挑戦し続けて官僚を目指すこともあるのだ。貴族の家と異なり、そのあたりの再受験の判断が難しいのは事実だが、やりきった人と言うのはいる。
「それって忙しすぎない? 逢引する時間がなくなりそう」
光龙 、それは今、心配するところではない。
「一緒に仕事をしてたら、一緒に居られる時間は多いと思う」
アンドリューはちゃっかりしている。
「そういうことだから、考えてみて。明玉が納得できる方法を一緒に考えよう」
そんな驚くほど明玉にとって都合の良いことを、微笑みながらいってくれるアンドリューに、明玉も流石に驚いたのだが、
「なんか、そのほうが明玉っぽいと思って」
というので、明玉は
「ありがとう…」
以外の言葉が浮かばなかった。
一緒にご馳走を食べて、アンドリューが開こうと思っている絹の衣の店の話を聞いて、落ち込んでいた明玉の表情にも明るさが戻り、その日はお開きになった。
「再受験をするにしても、1日ぐらいいいよね?」
とアンドリューが誘ったのは市場めぐり。
洛陽は多くの商人が、様々なものを持ち込むので、市場を歩くだけでも珍しいものが見れて楽しめる。
手をつないで歩こう、と明玉は頷き、
「結果の報告を高校にしに行くから、その後に」
と大分、吹っ切れた様子で答えた。
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